稲と日本人 (福音館の科学シリーズ)

著者 :
  • 福音館書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (64ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784834081886

作品紹介・あらすじ

日本に稲作が伝わったのは、はるか二千数百年前です。 以来、日本人は、森を切り開き、山をけずり、疎水を作って水を引きこみ、海岸を埋めたて……力の限りをつくして水田をふやしました。そして、自然災害と闘いながら稲作を続けてきました。 稲と私たち日本人は、動物と植物というかけはなれた間柄ではなく、生死をともに生きぬいた、かけがえのない仲間同士なのです。

感想・レビュー・書評

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  • ふと図書館の展示コーナーが目につきました。監修・佐藤洋一郎とある。いっとき縄文・弥生時代のコメのDNA鑑定でよく登場していたので、この絵本は「弥生時代の絵本だ!」と思って借り受けたわけです。そしたら、佐藤さんの専門は農学者ということで、この2千数百年間の稲作の歴史をビジュアル豊かにまとめた本でした。話の8割は古代以降でした、けど、とっても興味深かったです。

    博物館にある、時代を説明するための「図」ではなく、甲斐信枝さんの感性で描かれた古代焼畑農業の図や、日本最古の田んぼ・菜畑遺跡の田植え風景は、パステル画の曖昧な部分もあるものの、とっても想像を刺激するものでした。特に佐藤洋一郎さんがどうしても描いてほしいとリクエストした、日本には存在しないが未だ現存している「野生稲」の堂々とした姿は、感慨深いものがありました。1〜3億年前から生き抜いたあとに、一万年前、中国長江辺りで食べられ始め、改良を重ねて日本にやってきた、その始まりの稲なんです。

    稲は日本にやってきても、自然との戦いの中で改良は続きます。また、1300年前に作られた香川県満濃池を弘法大師が大改修し、更に打ち壊されたり改修を重ねたあとの、壮大な現在の池の姿が目の前にあります。100年前の阿部亀治さんの寒さに強い稲「亀ノ尾」の話もあります。現在の品種は、いろんな名もなき人々の闘いの結晶なんだということがよくわかりました。

    フィリピンに国際稲研究所があり、やがて世界か食料飢饉に襲われた時、「不味いけれども、たくさん収穫できるお米の種子」が眠っているそう。

    甲斐さんの10年の取材をもとに作られた絵本でした。小学高学年から読めるけど、ご飯を食べるたくさんの大人にも読んでほしい絵本でした。

  • 香川の「線香水」
    『線香水が始まる時、田は白くかわき、亀の甲のようにひびわれて、稲は葉っぱを丸く巻き、その先は茶色になっているのです。
    そんな時、やっと届いた線香水が田にはいると、稲はちぢんでいた葉をパチパチと音を立てて開かせるのです。
    それはまるで、稲がよろこんで泣いているように聞こえたものです。』

    稲の花ざかり
    『田んぼにたちこめる、むんむんと鼻をつく花のにおいは、まるでお米のにおいそっくりです』



    印象的な記述がたくさんある。絵本といっても高学年むけで、絵も写実的。
    保育園でも稲を育て、小学校では5年生で稲を育てます。
    大昔から稲作に携わってきた人たちの努力の末に、日本の風土にあったおいしいお米を作る技術や知識があることがよくわかる。
    最後に出てくる、いまはまだ種子の状態で眠る「未来」のお米。
    折しもTPPの話題などあり、時事問題的にも面白く読める本だと思います。

  • おコメと日本人は共に必死に生きてきたという事実を知り、思いを馳せることができる。多くの人に読んでほしい力作。

  • 水田のなかった太古の日本人の暮らしから、現代の米作りの様子まで、甲斐さんのすてきな絵とともに、とても詳しく書かれています。

    小学校中学年から高学年の子にぜひ読んでほしい。
    大人にとっても勉強になる本です。

  • 「森を切り開いて水田にして…水利から社会形成/p39「日本の敗戦という悲惨な出来事によって。戦勝国アメリカから農薬が輸入され日本でも化学肥料がどんどん作られるようになりました」輸入された農薬というとDDT、占領軍は往来の人にまで振りかけたが、のちに環境に悪影響判明で使用禁止になったのは書いていない。戦前から昭和電工は肥料製造を始めていた、北朝鮮の水豊ダムの電力利用だったが/後半はおもに品種改良の努力について述べている。食糧危機来ると「おいしいコメ」より気象変化に強く収穫量が多い品種が求められるかもしれない
     黎明期に水利に便利なのは棚田だが、石垣を組み粘土質の不透過層を敷いて…手間はかかる。P3「海岸や沼を埋め立て」八郎潟のような汽水湖ならともかく海岸を水田にできるかなあ、利根川付け替えした関東平野のことか?一二世代でできる事ではない。水利に決定権を持つ長期に持続する巨大権力が日本列島で融和的に成立した(神話によると)のは降水量が多く治水工事が不可欠であり米生産が労力集中であったのと無縁ではない。監修者・佐藤洋一郎は「水田栽培は南朝鮮からもたらされた」とするが、その根拠となる半島遺跡は存在しないようである。
     63ページの絵本、甲斐伸枝は謝辞で「日本人と稲について取材をはじめてから、十数年の歳月が過ぎました・・・」。参考文献は30冊に及ぶ。さらに、児童書や映像、絵画、写真集など多数の資料に目を通された。その上、農家の方を質問攻めにし、資料館に赴き、農業試験場を訪ね、はたまた松竹映画の小道具係の方から江戸時代の民衆の旅装束の再現を手に取らせてもらったりと、非常に丁寧に取材を重ねている。

  • 「野生稲」長江のどこかで見つかったものが、日本に伝来された。
    地球上の歴史の中で野生稲がこのセカイに存在したというのがすごい事だと思った。

    天保の飢饉など、本当にすごかったらしい。

    戦前四千種あった稲の種類は、戦後十種類となった。

  • 5年生が毎年バケツ稲に取り組んでお米の勉強をしているので、参考にすることもあろうかと入手。
    野生の稲から水稲となり、日本に伝えられたところからはじまって、たびかさなる災害や飢饉などに耐えてお百姓さんたちが土地柄に合わせて代々作り上げた稲の種類は明治になるころには4000種にもなっていたという。そこから国をあげての科学的な品種改良を経て、今は10種類ぐらいにしぼられ農業技術のおかげで全国的な凶作もほとんどなく、コメ以外の食べ物も豊富になったが、これが吉と出るか凶と出るか…日本人と切っても切れない稲作を中心に灌漑・治水事業など日本の土地開発までめくばりした話運びで米作りの心をつたえる絵本。
    読み応えがあり、かつ見応えのある作品。

  • 「日本に稲作が伝わったのは、はるか二千数百年前です。以来、日本人は、森を切り開き、山をけずり、疎水を作って水を引きこみ、海岸を埋めたて……力の限りをつくして水田をふやしました。そして、自然災害と闘いながら稲作を続けてきました。稲と私たち日本人は、動物と植物というかけはなれた間柄ではなく、生死をともに生きぬいた、かけがえのない仲間同士なのです。]

    自分でよむなら 小学校高学年

  • <Rice Plant and the Japanese>
      
    装丁/森枝雄司

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著者プロフィール

甲斐信枝

1930年広島県生まれ。広島県立高等女学校在校時より、画家の清水良雄に師事。慶応義塾大学で教授秘書として勤務後、童画を学ぶ。1970年に紙芝居『もんしろちょうとからすあげは』を出版、以後、身近な自然を題材にした科学絵本を手掛ける。5年にわたり、比叡山の麓で畑の跡地の観察を続けて描いた『雑草のくらし あき地の五年間』(1985年刊)で第8回絵本にっぽん賞、第17回講談社出版文化賞を受賞。 2016年11月放送のNHKドキュメンタリー「足元の小宇宙 絵本作家と見つける生命のドラマ」で密着取材され、大きな反響を呼ぶ。著書に『たねがとぶ』『稲と日本人』『小さな生きものたちの不思議なくらし』など。

「2020年 『あしなが蜂と暮らした夏』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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