ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集 (福音館創作童話シリーズ)
- 福音館書店 (2019年4月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784834084573
作品紹介・あらすじ
きみはいつものように、あけっぱなしの玄関から、どんどんぼくの部屋にあがりこみ、ランドセルをおろしながらこういった。「せんせいが、おまえは本を読めっていうんだ。ことばがなってないから」。ぼくは一冊の詩集をきみに手渡す。「ここんとこ、読んでみな」。詩は、おもしろい。そして、詩はことばを自由にし、ことばはわたしたちを自由にする。20篇の詩を通して、詩人斉藤倫と楽しみ、考える、詩のことそしてことばのこと。
感想・レビュー・書評
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久しぶりの斉藤倫さんの本。『ポエトリー・ドッグス』を読んた時と比べて、わからないことを気にせず、楽しく読めている自分がいた。人として進んだのか、後退したのかよくわからないけれど、以前の自分とはちょっと違うところに今いるような気がした。変化が無いようで、衰えることは目立ってきた今日この頃なので、嬉しい変化だった。
最後のほうは、何故か泣きそうな気持ちになった。主人公の人を思う優しさを感じ取って、感動したのかもしれない。そんなに泣かせに来ている本ではないんだけれど…
主人公の大人であるぼくの家に、少年が度々遊びに来る。その少年と言葉に関する話などしなから、毎回詩や俳句を紹介する。
その少年の父や母と、主人公は深い関係があったらしい。たまにそのことに触れる記述が個人的にとても気になり、いつしかそれを軸としてこの本の世界を捉えているようになってしまっていた。それが作者の狙いなのか、狙いから外れてしまっているのかはわからないけれど。
本の題名は、最後まで読むと、大体わかるような感覚があるけれど、何度読み返しても味わいが出てくる。この本当のような嘘のような少年との時間が、読者の心の中にしっかりと存在して、表紙の絵が時空を超えてつながっている扉のように生き生きと見える出てくる。
内容も、題名も、表紙も、最高に素晴らしい一冊だった。
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私は詩がひじょーーに苦手です。
こちらは詩を読むための本として読んでみました。
おじさんと呼ばれる世代で今は仕事をしていない「ぼく」と、小学生の「きみ」との会話を通して、詩や言葉が人の心に寄り添うということを語ります。
詩人斉藤倫により語られる言葉は非常に優しく繊細です。
児童文学「どろぼうのドロポン」の作者でありましたか…。胸の締め付けられるような優しさ寂しさで語りますよね。
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4834081222#comment
こちらの「ぼくがゆびを〜」は、優しさ繊細さとはいっても弱いわけではなく、小学生のぐんぐん成長する様子や、積んどく本の山を「観葉植物」っていう開き直りなどが力強くも感じます。
内容はなかなか哲学的でもあり、うちの中学生にちょっと読ませてみたら「言っていることがむずかしい…」と言っていました。
対象年齢小学中学年からですが、大人に良いかもしれません。
ぼくの開けっ放しの玄関から入ってくるきみ。
きみは小学生だけど毎日色々なことを考えている。
「せんせいに、お前は本を読めって言われるんだ。言葉がなってないって」
「てんきようほうが雨だったのに、晴れちゃった日は、ほんとうに晴れじゃない気がするよ」
「本を読んで、作者の気持ちなんてわかんないよ」
ぼくは、きみに詩を見せる。
詩はデタラメみたいだろう、でもちゃんと気持ちが入っている。文法としてデタラメでも、それは正しい言葉なんだ。言葉は、言った人だってわかってないし、言ったことと言っている内容は違うんだ。だって「おはよう」って言ったってそれは「今日は遅い!」って意味かもしれないだろう?無理にわかろうとしなくていい。分からなくてもその人には何かが起きたんだ。人は言葉を作って心を表そうとした。それでも表せないものが詩になったんだ。
それぞれの言葉には、それぞれの響きやリズムがある。頭の中でぱっと文字に置き換えて、意味にしてしまうから、聞こえなくなる(P59)。だから聞き間違いは言葉をのものを感じ取っていてとても大事なんだよ。
言葉を超えてやってくるオノマトペ(擬音語、擬態語)。現実では結びつかないものを言葉で結びつける比喩。
言葉の意味がわからなくても、それが本当のことだと思ったらきっと良い言葉なんだよ。何かを読んだ時、何かを見た時、感想がうまく言えなくてもいいんだ。うれしい、かなしい、説明できなくても、そう感じたんだ。それを覚えておけばいい。
ぼくの部屋の床に積んである本たち。活字中毒だって?ちがうよ。
積んでいるだけなんて変だって?本は紙からできている。紙は木からできている。それならここに積んであるのは、本ではなくて観葉植物なんだ。
あ、呆れた目で見ているね。きみ。ぼくの親友だった男の遺した、きみ。
きみがおとなになって、ここに来ていたことも、詩のことも、忘れてしまうかもしれない。それでもいいんだ。くちずさむだけで、大丈夫だと思えるような、自分を導くような、そんな詩がきっとある。 -
いい年のおじさんである「ぼく」と、小学生の「きみ」。言葉について語られる2人のやり取りが、何とも瑞々しくてよい。如何に自分の頭がガチガチに凝り固まっているかをその都度思い知らされた。自由で柔らかな子供の感性と、子供の素直な疑問に真摯に応える大人の感性。さりげなく紹介される詩の数々もとても素晴らしく(初めて知る詩人も多かった!)、一気読みが勿体なくて噛みしめるように一章一章読んでいった。
ゆるやかな展開ながら、後半はグッとくること間違いなし。「きみ」の成長を見守る「ぼく」の視線のあたたかさよ。ひと夏のきらめきの愛おしさをすごく感じさせる内容だ。高野文子さんのシンプルなイラストも味わい深くてよい。読了後、表紙を見ると改めてグッとくる。
実は本書のことをよく知らず(そして斉藤倫さんも初読み)勢いで買ってみたのだが、自分の勘を信じてよかったと思えるほど素敵な出会いだった。読み返し甲斐のある、幅広い世代に手に取ってもらいたい一冊。
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ジーニーさんの本棚から♪
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久々に、
「いい本を読んだ…」
という余韻に浸った一冊。
詩はとっつきにくくて、特に子供はあまり手に取らないけれど、詩って、言葉ってこんなにワクワクするものなんだ、と教えてくれる。
また、ぼくと少年のやりとりにユーモアと味わいがあってすばらしい!
いい本に出会えました。 -
柔らかい文体に、どこか懐かしさが込み上げてくる。夏の場面もあるし。いつまでも読んでいたい感覚になる。
胸に刻みたくなることばがたくさん出てきたな。でも、忘れてしまうんだろうな。でも、それでいいんだろうな。
こういうのを、「エモい」というんだろうな。 -
ぼくと、家にやってくる小学生のきみの話。
詩集って、わかったようなわからないような
気持ちになるから苦手だったんだけど、
詩がぼくときみの会話の間に
はさまっている形だから
すとんと落ちてきてすごく良かった。
素直に感じていいんだな、
正解を探さなくていいんだな、と思える。
あと、なにより、詩もそうだけど言葉って
受け取った時のその人の状況
(最近叱られたとかっていう近況も、
妹がいるとかっていうバックグラウンドも全部)
によって、
感じることや考えていることが違ってよくて、
というか、違うはずで、
だとすると、きみがおとなになる途中で
きっとこの詩はいいな、って選んで読ませてくれる
ぼくの存在はきみにとってとても尊いはず。
ぼくときみの関係が徐々に明かされていって、
終盤はせつない。
ひらがなが多くて平易な言葉で書いてあるんだけど
言葉と人生について、
難しい大事なことが書いてある気がする。
難しい本当のことを
手加減なく伝えようとしているような。
きっとこの本は何度も読み返すと思う。