怒りのブレイクスルー 常識に背を向けたとき「青い光」が見えてきた

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784834250527

感想・レビュー・書評

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  • 2014年にノーベル物理学賞を受賞した中村さんの怒りの本。
    本の帯には、「もっと怒れ、もっとキレろ。」と書いてある。
    まさに、最初から最後まで怒っている。
    日本の学閥とは無縁。
    中小企業での研究、しかも社長命令を無視して研究に没頭し、文字通りならたった一人で、当時技術的課題が多すぎて研究する人も少なかったGaNで青色発光ダイオードの開発に成功。
    ノーベル賞を受賞した日本人の中ではかなり異色な研究者であろう。
    中村さんは本当に固体物性が好きで、改良に改良をを重ねて青色発光ダイオードを作った。この本にはその過程が丁寧に描かれているが、特に技術的なことが本当にとても分かりやすく書かれている。この人は本当に技術が好きなんだろうということがわかる。

    研究に没頭しすぎた結果、またはキレてしまった結果、周囲と同調することを辞め、会社からは反感を買ってしまい、最後には退職金も受け取れずに会社を辞めたという。
    研究者を目指していても、なかなか中村さんのようにはなれないと思う。目指すのも難しいと思ってしまう。
    この人のエネルギーはものすごい。
    できるだけ怒らないように、キレないように生きている私には決して出せないエネルギーだと思った。

  • 中村氏の人となりが伝わる読み易い作品。仕事に対する情熱だけでなく、現在の日本の受験システムの変革を提言。この熱意は自分も見習いたい。ちょうどテレビ東京"ルビコンの決断"で氏の特集を放映(7/30)、こちらもチェック済。

  • サラリーマンとして生きながら個の論理を忘れないことの大切さが伝わる。

  • 本書は、青色発光ダイオードの開発者である中村修二氏による思考論である。
    数年前に講演を聞きにいった事があるが、なかなか独特な気質の持ち主であった。
    中村氏の確固たる思考法がまとめられていて、研究者としてどう生きるべきか考えさせられた。
    "考える力、やり抜く力 私の方法、三笠書房"と合わせて、速読了してしまった。

  • 日本の教育と企業に対する怒りが伝わる
    日亜化学時代の研究エピソードは臨場感がある

  • (2004.02.19読了)(2003.04.18購入)
    副題「常識に背を向けたとき「青い光」が見えてきた」
    「青色発光ダイオード(LED)の特許を巡り、発明者の中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(49)が、勤務先だった精密機器メーカー「日亜化学工業」(徳島県阿南市)に発明の対価として200億円を請求した訴訟で、東京地裁(三村量一裁判長)は30日、200億円の支払いを命じた。」毎日新聞、1月30日より

    この本は、中村さんが日亜化学工業に入社し、青色発光ダイオードの実用化に成功するまでと、日亜化学工業をやめて、カリフォニア大学に行くまでの話が述べられています。
    中学・高校では、バレーボール部をやりながら勉学に励んだそうです。高校3年では、普通、受験のために部活はやらないのだけれど、部員が少なかったので続けたとか。
    理論物理学者か数学者になりたかったが、高校の担任の先生の理学部では食えないから工学部にしなさいという言葉に従ったということです。
    大学3年の時の固体物性の講義がきっかけで材料物性を扱った物理学に興味を持ち、卒論も材料物性を扱った「半導体チタン酸バリウムの電気伝導メカニズム」だった。
    大学院の担当教授は、実験を重視し、予算が少ないため、実験道具も自分たちで作っていたそうです。この経験が、青色発光ダイオードの発明に繋がってゆくのだから面白い。
    学生時代に奥さんと知り合い、できちゃった婚で、大学院一年の時に結婚しているから驚き!就職はいったん京セラに決まっていたが、子供もいるし、奥さんも既に勤めているので、徳島県に残ることにして教授に紹介してもらったのが日亜化学工業でした。
    入社して10年の間に、ガリウム燐とガリウム砒素、赤色LEDと3つの製品開発に成功している。この後、挑んだのが高輝度赤色LEDです。社長に直訴して許可を得た。
    製造技術を学ぶため、フロリダ州立大学工学部へ、一年間留学もさせてもらいました。
    青色LEDを作るための材料としては、セレン化亜鉛と窒化ガリウムが考えられていたが、セレン化亜鉛の方が有力視されていた。多くの人が有力と見て、研究しているものに、後から参加しても勝ち目はないと考えて、研究者の少ない窒化ガリウムを選び研究を進めた。
    大学院で学び、会社へ入ってからも続けることになってしまった、実験装置の自作のおかげで、ついに青色発光ダイオード(LED)の製品化に成功。
    途中、セレン化亜鉛での青色レーザの成功のニュースを聞いて落ち込んだりもしたけど、よく聞いてみると非常に寿命の短いものであることがわかり気を取り直して続けるということもあった。
    青ができたことにより、交通信号が非常に見やすい発光ダイオードになりました。従来からの電球を使った交通信号では、日の光の加減では非常に見えにくかったのですが。しかも非常に寿命が長いとか。
    最後に日本の教育制度について述べている部分がありますが、僕には、的外れな意見のように思えました。自分を生み出した教育制度を否定しては、自己否定になるのでは?
    読んでみると、青色発光ダイオードの発明なんか不本意だったのかもしれませんが!

    ☆関連図書(既読)
    「考える力やり抜く力私の方法」中村修二著、三笠書房、2001.02.25

    著者 中村修二
    1954年5月22日 愛媛県生まれ
    徳島大学工学部電子工学科卒業
    徳島大学大学院修士課程修了
    1979年 日亜化学工業株式会社入社 徳島県阿南市
    1993年12月 高輝度青色発光LEDの世界初の実用製品化に成功
    1995年 青色半導体レーザの室温発光に成功
    1999年 日亜化学工業株式会社退社
    2000年2月 カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授

    (「MARC」データベースより)amazon
    21世紀の光といわれる「青色発光ダイオード」を開発し、ノーベル賞に最も近い男と評される著者が、日本を離れて実感した、この国の企業や教育の矛盾点。新しい日本と日本人の誕生を熱望する書。

  • 青色発光ダイオードを開発した中村修二の自伝。
    その反骨心は、僕に大きな勇気を与えてくれた。

  • 青色LEDを発明した人に興味があったので読んでみた。面白かった。私が成し遂げた、私が成し遂げた、という感じの表現が繰り返し出てくるのが普通の謙虚な日本人らしくない。本を読んで、てっきりすべて自分で成し遂げたのかと思ったら、部下も開発に携わっていて結構重要な功績があったらしいことが、ある弁護士のサイトに書いてあった。この本は、あの有名になった裁判の中村氏側の主張を述べた本でもあるということか。

  • こういう方がアメリカかぶれであることが非常に意外です。編集時点で前半部分だけにしなかったことに疑問。勿論、前半部は相当面白い。

  • 特許問題で話題の中村修二の自伝書。

    青色発光ダイオードの発明には非常に興味が
    あったので、本屋をきょろきょろしていたら
    見つかったので読んでみた。

    電子工学、数学、物理好きなど共通点が多く面白く
    読めた。趣味は考えることだということで徹底的に
    考え考えた先に発明された青色発光ダイオード。

    考えることと一度決めたことをとことんやりぬく
    信念に感動した。教育問題にも触れており、
    大学入試即撤廃には賛同できた。

    すべての面でひきつけられる一冊だった。

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著者プロフィール

中村修二(なかむら しゅうじ)/1954年愛媛県生まれ。徳島大学工学部電子工学卒業。徳島大学大学院修士課程修了。日亜化学工業在籍時に、世界に先 駆けて実用に供するレベルの高輝度青色発光ダイオードを発明・開発。同社の青色LED製品化に貢献するとともに、赤﨑勇・天野浩と共同で2014年のノーベル物理学賞を受賞する。2000年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校 (UCSB)材料物性工学科教授に就任。同大学固体照明・エネルギー電子工学センターディレクターを務め、2007年には世界初となる無極性青紫半導体レーザーの開発に成功している。SORAA社を共同創業。主な著書に『考える力、やり抜く力私の方法』(三笠書房)、『怒りのブレイクスルー』(ホーム社)などがある。

「2016年 『最強エンジニアの仕事術』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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