エイラ 地上の旅人(7) マンモスハンター 下

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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784834251111

感想・レビュー・書評

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  • エイラシリーズはここに至って、クロマニヨン人の部族の集いが描かれる。たった10数人ほどでひとつの廬(いおり)を立ち上げていた彼らは何百キロと旅をして、夏の間に部族同士の交流を欠かさない。何百人という同族たちが集まるのだ。50人ほどで協力しながら、マンモスを狩ってゆく。ネアンデルタール人が一頭を狩るのに四苦八苦していた一方、彼らは一挙に数頭の群れをそのまま狩るのである。

    ひとつの共同体の萌芽がここにある。その準備も次第と作られていたようだ。

    子供同士の喧嘩に対して、女長会と男たちの采配が描かれる。二つが全く違っていたのは興味深い描き方だった。女長会は子どもの喧嘩の原因を問わない、怪我が起きるような喧嘩は両方を罰するのである。一方、男たちの族長会の裁きは「立派な心がけが理由の喧嘩」となれば赦すのである。

    ひとつの喧嘩が他の喧嘩の火種になるから、あらゆる喧嘩は罰するべきか。それとも、人の勇気は讃えるべきだから、少々の喧嘩はむしろ奨励するべきか。しかし、何れの場合も「話し合い」で良否を決めていて、1人の人間が裁きをするようにはなっていない。

    人間は「言葉」によって多くのものを獲得したが、「言葉」によって人と人との「争い」も生じるようになった。しかし、それは長い長い間は「話し合い」により解決して来たのではないだろうか。

    「言葉」ではなく「全身」で意味を伝えるネアンデルタール人は、ウソと思い違いによる争いは生まれなかった。しかし、それは族長による独裁を許すことにもなった。クロマニヨン人の「言葉」は、新しいことを受け入れ、類推し、発見する機能があったのではないか。だとすれば、いっときの気の迷いから始めた「戦争」も、止める機能を発見する時がくるのかもしれない。

    うじうじ長引いたアエラとジョンダラーの恋愛話には一段落がつき、これから新しい舞台での新人類たちの物語が始まる。
    2013年11月8日読了

  • 今更ですが女の方が家の継承者?というのをときたま忘れるので、身分がどーのこーのいう話で思い出してそーだったそーだったとなりました。
    ライオンむらの人はみんな良い人でライダグとエイラをかばった時は胸熱でした。
    ジョンダラーとくっついて欲しいとは思ったけどラネクを振るシーンはちょっとせつなくなりました。

  • 自らのつれあいを持つこと。
    それは、エイラにとって、最も重要で、困難なものだったのだろう。
    端から見れば、様々な技を持ち、美しい容貌のエイラはよりどりみどりだ。
    他の男10人と共にすることになっても、エイラが欲しい、と思う男も実際いたくらいである。

    しかし、エイラは常に異分子であり続けた経験から、自らが醜く、取るに足らないモノだという思いをずっとすり込み続けて生きてきた。しかも、氏族にとって女は男より身分が低く、女が男に逆らったり、男を選ぶなど、あるべきことではない。

    ジョンダラーは、一度もエイラに「つれあいになって欲しい」と言わなかった。
    ラネクは「つれあいになって欲しい」と告げた。
    エイラが向ける気持ちが違うとはいえ、決定的なものを生み、エイラはラネクとつれあいになると、春の宴でお披露目をした。
    心にジョンダラーへの思いを燃やし続けながら。

    氏族とは違い、マムトイ族は、女が価値に於いて重要な位置を占めている。
    一度子どもを産んだ女の価値は上がるし、技を持っていても、養子などの縁組みによっても上がる。母親から受け継ぐものも大きい。
    価値は女が受け継ぐものであり、表だって示されるのは、「花嫁料」としてだ。
    一方、男は男としての価値しかない。簇長などの身分は当然あるが、子に受け継ぐものではない。
    女は母親になれるが、男は親になれず、子ももてない。自らの炉辺の「つれあいの子」はいるが、「我が子」ではない。
    認知しないのではなく、男女の行為によって子が生まれるのではなく、大地の女神の賜として女の腹に宿るものだという認識だからだ。
    エイラ以外に「行為そのものに意味があるのでは?」と、考えるものはいない。
    もちろんつれあいの子を誰よりかわいがりはするのだけれど。

    価値のある女は、男を幾人持っても当然だと受け止めるマムトイ族の考えは、エイラにとって異質だ。
    一方、ゼランドニー族のジョンダラーも、マムトイ族と似た価値観を持つとはいえ、エイラを独り占めしたいという思いを持っている。それは、マムトイ族のラネクにしても同じだ。
    2人の男は、エイラを失いたくはない、という思いにおびえている。

    マムトイ族が楽しみにしている夏の集会が狼の簇で行われる。そこで、本当のつれあいになる儀式も行われることになる。
    しかし、エイラの気は重い。
    集会場所に向かう途中、マンモス簇の簇長にしてマムート(霊を司る聖職者)のビンカベクからも求婚されたエイラは、夏の集会で、噂の中心となる。
    2頭の馬と狼を従えた秀でた女だと。
    しかし、氏族との混血のライダクが馬鹿にされたことで、自らの出自を叫んでしまう。
    わたしは氏族に育てられ、ライダクのような子どもを産んだのだ、と。氏族を「平頭」と蔑むマムトイ族にあって、それは、忌み嫌われる。
    ライオン簇、初めエイラを蔑んでいたフレベクの味方が心強い。
    体も心も大きい、陽気な簇長タルートの作り上げた簇は、本当に、タルートらしい簇だと思う。

    これらの困難を乗り越えていくことがこの下巻の焦点となっていくが、マンモス狩りの様子、男を一人前にさせる赤足女や、女の初床の儀への準備の仕方、巨大な氷山、遠い火山の噴煙の様子など、古代への憧憬を揺さぶる描写や想像力にあふれ、3万5千年前のヨーロッパに、確かにこのような人々がいたのではないかという気にさせてくれる。

    それにしても、男女の誤解は恐ろしい。
    思いの丈を、すべて伝えることは不可能にしても、言葉を尽くすことは必要である。
    以心伝心、拈華微笑。
    そんなことはできないのだから。
    ただひたすらに、言葉を選び、伝わることを願いつつ。
    だから、突っぱねたり、無視したり、それは、なによりもつれないのだと、知っていなければならない。

    某サイトより転載

  • マンモスの内被毛
    ムフロンのやわらかい白い毛
    ジャコウウシの羽毛のように柔らかい茶色い内被毛
    犀の薄い赤い色の内被毛

    物語の進め方?になんとかあわせるためなのか、人物表現がいまいちチグハグになっている
    せっかく原始時代小説だったのに、単なる恋愛小説に変わってきた
    ジョンダラーの「俺の気持ちが一番」な感じがイラっと・・・・
    なんにしても、ハッピーエンドな形で進んでいるのは良い、か。。。

  •  どうしちゃったんだろう。
     抄訳版の「大地の子エイラ」を読んだ時ですら、スケールの大きさと想像力の豊かさにどきどきしたのに。
     なんで今原始を舞台にしたハーレクインロマンスを読まないといけないのかな? という気持ちになる。
     そんなにジョンダラー大事? エイラにとっての世界ってジョンダラーだけなんだっけ? え? エイラの視野が狭いとしても、せっかく三人称なんだから、薬師としてロミーと話すとか他から見たエイラとかどんどん書ける筈なのに。ジョンダラーとエイラが恋愛における視野狭窄になったのを表現するためか、世界が狭すぎる。マンモス族の仲間に入るのに葛藤あったのに、出るの一瞬ですか! え? なにそれどんだけどうでもいいんだろう……。エイラが氏族の世界より豊かといってるけど、あまりにも恋愛しか見えてない彼女は、氏族に居た頃より狭い世界に居るとしか思えない。ラネクもせっかくライバルとして登場したのに、描写してもらえないから、単なるかませ犬にしかなってないし、危機感も感じない。恋愛モノとしてもどうなのかな。

     ……この先読むかはどうか、悩むなぁ。
     今は、完訳「ケープ・ベアの一族」を読んで、完結するまで放置しようかな、という気持ち。

  • H23.8.5

  • 「野生馬の谷」の続編。

    前作よりはよかった。今作は、恋の三角関係を軸とした内容。

  • ジョンダラーから冷たい態度をとられ続けたエイラは、もう愛されてないと思い始めラネクの申し込みに答える。春の儀式でつれあいになる発表をして、夏のマムトイ族全体のつどいで正式に夫婦となる。この巻は、夏のつどいの様子が描かれてます。

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