「なりたい自分」になる心理学

著者 :
  • 三笠書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (243ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784837915799

感想・レビュー・書評

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  •  苑長のおすすめにより再読。

  • 『「なりたい自分」になる心理学(國分康孝)』を読みました。

     ちょっと古い本ですが、現在でも通用する事が多々書かれていました。國分康孝さんの本は初めて読みましたが、気取らず謙虚であるにも関わらず、臆せず自分の正直な見解が書かれているなと思いました。

     心理学の観点から書かれていますが、とてもわかりやすく、的確に真実を述べているような気がします。もちろん考え方に真実というものはありませんが、彼の人生から導き出したこの結論は、真実に限りなく近いのはないだろうか、と思わされてしまいました。

     結局は、自尊心と言いますか、自己概念と言いますか、自分に自信を持ってやりたい事ができる人生と言うのが、幸せなんだと思います。それに加えて、目標がしっかりしていれば、全ての行動に意味が生まれ、全ての行動に充実を感じ、選択に迷うことなんてないのでしょう。

     幸せになる要点がきちんとまとめられている良書でした。

     ありがとうございます。

    ★★★★★

    以下、本書で共感した箇所です。

    ☆page.3

     二十代で金を溜めようと思ったらいかん。金はどんどん使って自分の血肉になるようにしておいた方がよい。やがてそれが元手になって、金が入る時期が来たら生きてくるものなのだ。

    ☆page.22

     自分をダメだと思ってる人は、相手にケチをつけてひきずりおろし、自分と同じレベルにすることで自分の劣等感を消そうとする。こういう、人にケチをつけて自分の劣等感を消す心理のことを「ひきさげの心理」という。

    ☆page.29

     本当の自分をポンと出せない人というのは防衛的になるので、万事非能率的で効率が悪い。

    ☆page.58

     人生をどう生きるか、ということを定めるためには、自分は何がしたいのか、どんなことができるのか、ということ、つまり興味の対象と能力について意識しないと、ではこれをやろうと決められない。動きがとれないわけである。

    ☆page.70

     人生で大事なことは、完全かどうかよりも生きている瞬間、瞬間を楽しみながら生きているかどうか、つまり、マイ・ベストを尽くして生きているかどうかであって、ザ・ベストを求める必要はない、と考えを変えた方がいい。

    ☆page.71

     笑われる人間の方が笑う人間より質が上だと思えばいい

    ☆page.77

     自己を開くにはタイミングがある。タイミングが悪い自己開示というのは、どことなくお門違いのことをいっているわけで、この人はおしゃべりだ、自己顕示欲が強い、というよくない評価を受けてしまう。

    ☆page.98

     人になめられない人というのは、自分の権限を活用する勇気をもっている人だと思う。

    ☆page.100

     役割をこなすということはかなり気力のいることである。しかし、気力がいるから人生に飽きがこないともいえる。ぬるま湯につかっているよりはずっと、自分は人生を生きている、というはりあいが出てくると思う。

    ☆page.105

     自分の感情も出せないし自分の役割もないとき、これが私は人生で一番みじめで、生きがいのない状態だと思うのである。

    ☆page.108

     人生はいつでもどこでもうまくいくというわけではなくて、やってみて、文句をいわれて落ちこんで、考え直して出直す、という連続になる。ところが、世の中には、「こういう失敗というのはよくないことである、失敗すべきではない」といって、試行錯誤するにをためらう人がいる。

    ☆page.119

     役割がなくて苦痛を感じるときには、みずから役割を探すこと。

    ☆page.128

     多くの人がおちいりやすい非現実的な思いこみのひとつに、私は人から好かれるべきである、愛されるべきである、というものがある。こういう考え方の人は、人から好かれないと、私はやっぱりダメ人間である、私の人生はこれで終わりである、と落ちこんでしまう。

    ☆page.129

     私たちのまわりの父や母、小学校の先生や先輩たちは、事実に即さないそういう考え方を、知らない間に私たちに吹きこむものだから、たいていの人はそれを模倣して、その考え方をあたかも金科玉条のように思いこむ傾向がある。

    ☆page.147

     自分が人生を楽しむ領域を広げるためにも、公平に人と接触するためにも、どういう態度を模倣するかということが非常に大事になってくる。親の背を見て子は育つとよくいわれるが、これは、知らないうちに親の態度を子どもが模倣する、ということを意味しているのだろう。

    ☆page.156

     人生でここぞと思うときにきちんと対決しておかないと、いつまでも後悔の念がついてまわることになる。

    ☆page.159

     アメリカ人は私の見るところ、日本人よりも男性的で、自己表現の勇気をもっている。

    ☆page.164

     相手に斬りこんでいくことになぜためらいを感じるかというと、人の言動を斬ることは相手の人格を斬ることだ、と思ってしまうからである。ここで大事なのは、相手の人格と言動とを分けて考える、ということだ。

    ☆page.167

     「人間というものは波風をたてねばならないときには、波風をたてねばならない」という気力をもつことである。

    ☆page.173

     つまらないことに対して怒りを出したりするのではなく、ここぞと思う非常に適切な場合にかぎって対決すべきである。

    ☆page.174

     幼児性が少ない状態とは、自己中心性が少ない、人の身になって考えることができる、という意味である。つまり、人の身になって考えることのできる人がする対決と、わがまま自己中心的な人がする対決とには差がある。

    ☆page.187

     幸福になるかならないかの境目は、おかれた状況をどう受けとるかという受けとり方にある。

    ☆page.190

     あまりかまわれすぎて育った人、いわゆる過保護の人、甘やかされて育った人は、感謝の念をどうしてももちにくいと思う。

    ☆page.198

     アメリカ人の教授に、こんなふうにいわれたことがある。「私たちが親の面倒を見るのは、親に感謝しているからである。君たち東洋人は、感謝の気持ちがなくても、子どもは親につかえなければならないという道徳観のために、義理で親の面倒を見ているんじゃないか」と。

    ☆page.199

     しかし、感謝の気持ちがないのにあるような格好だけする生き方よりも、やはり本当に感謝しているから感謝しているという方が、正直ではないか、という気も一方ではある。

    ☆page.200

     私個人の結論は、感謝できないときに無理矢理に自分に暗示をかけて、ありがたいと思いこむ必要はないということである。

    ☆page.202

     彼の経験からして、用務員のおばさんが廊下をはいているときに、「ありがとうございます」「ご苦労さんです」「お世話さまです」などと挨拶をして通っていく上司はわりあい少ない。しかし、偉い人ほどそういう人にきちんと頭を下げて歩いているぞ、というのである。

    ☆page.206

     若い人たちに感謝を表現しなさいとすすめるのは、いろいろな人に接触しているうちに、昔の私を含めて、感情表現の乏しい人は人生で損をする、ということがわかったからである。

    ☆page.212

     人間関係がうまくいきさえすればいい人生が送れるかというと、そうではない。人生で一番大切なのは、自分の生きたいように生き、やりたいことをやる、ということである。自分をしっかり確立しないまま、人に合わせることばかり考えていては、生きている意味がない。いい人生を歩んでいる人は、うまく自己確立ができている人なのである。

    ☆page.219

     仏教にも「衆生病む、故に我病む」という考えがある。自分個人になんの痛みもない人は、せめて人の痛みを軽減するという目標くらいたてたらどうか、といってみたい。

    ☆page.227

     老人とも接触するし若い人とも接触する、男性とも接触するし女性とも接触する、ホワイトカラーにも接触するしブルーカラーにも接触する、そうするといろいろな考え方、いろいろな行動のしかたがわかってくる。その結果、どんな状態にぶつかったとしても、行きづまってしまう率が非常に低くなるはずである。

    ☆page.235

     どういう人がポジティブな自己イメージをもてる人かというと、人からポジティブな評価をもらった人である。

    ☆page.236

     よく人から悪くいわれる人がいる。本人にも悪いところがあるかもしれないが、人をつかまえていつもネガティブな評価ばかりする人にも問題がある。それはどういうことかというと、劣等感のある人には、第1章でも述べた“ひきさげの心理”が生じやすく、その結果、自分の劣等感を消すために文句をいう。

    ☆page.240

     知識ばかりあって体験が乏しい人はどうしても生意気になる。かといって体験ばかりで知識の乏しい人はどうしても迷いがつきまとう。それゆえ理想的な人物というのは、知識と体験の両方を兼ね備えている人である

    ☆page.241

     読書をし、講義を聞き、人の意見にふれてたえず知識をふやし、思考力を養うことである。知とはそのことである。知が乏しいと気づきが少なくなる。

    ☆page.242

     失敗してもよいから、意識して自分の人生を選ぶこと、自分が自分の人生の主人公になることが大切である。

  • 私たちは人の情けを受けて人生を生きている。本当に純粋に自力だけで生きているということは、ないのではなかろうか。したがって、人づきあいに支障のない人は、ずいぶん人生で得をする人だ、ということになる。(p21)

    本当の自分をポンと出せない人というのは防衛的になるので、万事非能率的で効率が悪い。(p29)

    「人に好かれないからといって自分はダメ人間というわけではない。人に好かれたらそれにこしたことはない」「私だって人をきらいになることがあるように、人も私をきらいになる自由があるんだ」(p45)

    異文化に接触すること、つまり、自分とちがう考えの人に交じっていき、接触していくことである。(p47)

    自己を開くとは、1.感情を語る、2.考えを語る、3.アクションをおこす。本を読んだり、沈思黙考していても生き方というのは定まらない。(p63)

    人生で大事なことは、完全かどうかよりも生きている瞬間、瞬間を楽しみながら生きているかどうか、つまり、マイ・ベストを尽くして生きているかどうかであって、ザ・ベストを求める必要はない(p70)

    ダメだときめつけずにダメだという言い方、相手をおしつぶさないように、私はそれに承服できないという意思を伝える言い方を、いろいろ工夫していた(p75)

    会話の中のタイミングを見るということと、相手が知りたがっていることを伝えるということ(p81)

    1セントだってカネをもらっている以上、ぼくは自分の職務に忠実であらねばならない(p95)

    たとえば、交通整理をする人は、要するに笛を吹いて、旗を振ればいいと決まっているわけだから、いちいち自分は何をすべきかということを考える必要がない。大統領でも、知事でも、その人が笛を吹けば止まってくれるし、行けという旗を振ったら動くわけで、自分が若いとか、学歴が低いとか、そんなことは全然関係ないのである。(p101)

    自分の感情も出せないし自分の役割もないとき、これが私は人生で一番みじめで、生きがいのない状態だと思うのである。(p105)

    こういう人は、人生を上手に生きる人だと私は思う。みずから仕事を探して自分の居場所を定めようとするからである。(p119)

    見知らぬ人と短時間の間に混じり合って楽しく仕事をするためには何が大事か。それは、私はこんな人間です、ということをわかってもらうことである。(p137)

    気のきいた人は、「おたくの魚はとてもおいしいといううわさを聞いたので、ぼくはわざわざ買いに来たんだ」という。そして、「すまないけどちょっとお金がたりないのだが、わざわざ来たんだからまけてくれないか」といえば、魚屋は自分のプライドが認められているので、たぶん気持ちよく「じゃ、まけましょう」といいやすくなる。(p142)

    相手をいためつける「攻撃」<アグレッション>と、相手に斬り込む「自己主張」<アサーション>とはちがうのである。相手の人格をたたいているわけではなくて、言動の矛盾に気づいてもらっているだけなのだ、と考え方を変えていく方がいい。(p165)

    世の中が自分のためのものではないと知っているということは、世の中が自分の思うとおりにならないのは当然である、つまり人生にフラストレーションはつきものである、フラストレーションのない人生はない−こういったことを甘受しているということである。(p175)

    ありがたいと思う気持ち、感謝の気持ちがあるということは、満たされた気持ちがあるということであり、満たされた気持ちがあるということは不満がない、恨みがない、恐怖感がない、罪意識がない、ということである。世の中を渡っていくのに、これは非常に快適な状態なのである。(p181)

    人から感謝されるということは、人のしたことの意味が認められたことだといえる。(p181)

    人生の達人というのは、相手がよろこんでその気持ちを受け入れてくれるような表現がうまい人である(p208)

    目的地もわからないし、方法もわからない人の場合には、能動的に教えてあげる方が親切である、だれにでも自己決定の能力があるといって控えめにしているのは、あまり親切ではない(p224)

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