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本 ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784837920663
感想・レビュー・書評
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本書の題名には驚きを覚えるが、このような本を読むことにはなじめない気がする。しかし、記されているテーマは、私の問題意識に合致している。考えるという行為は、とても重要な意味を持っている。
力の差とは、力そのものの差ではなく、自分自身で持っている力の引き出し方の差である。「考える力」とは、物事の細部にわたって積極的に意識し行動する能力を指すのだろう。考えたことは、考えた通りに実行しなければ意味がない。
「人間としての自分の時間」、「仕事というものが否応なしに押しつけてくる時間」。弥生人よりも古い縄文人は未開で荒々しい人々と想像されているが、狩猟や木の実を採集していた縄文人は、小規模な争いこそあったものの、弥生人よりもずっと穏やかに生きていた。稲作などによって富が蓄積される中で、弥生人の時代には大規模な戦争が起こるようになったのである。
現代とは分類のしにくい時代であり、「分類しにくい資料こそが重要である」と考える。世界と日本を見つめる際には、同質性と異質性の両方を十分に認識しておくことが非常に重要であると感じる。8月15日、日本では敗戦記念日であるが、韓国では「光復節」として祝われる。有馬稲子の思い出によれば、その日は白いチョゴリで街が埋め尽くされていた。
「漱石ほど近代日本が抱いていた矛盾とその懊悩を自らのものとして苦しんだ作家を私は知らない」と丸山真男は述べている。
考えるという行為について、広辞苑によれば、「①実情を調べだす。吟味する。②糺明して罰する。勘当する。③思考を巡らせ、事を明らかにする。思案する。④易などによって事を判断する。⑤学ぶ。学習する」とされている。特に注目すべきは③の「思考を巡らせる」という行為である。
シェークスピアの『ハムレット』第4幕には、「考える心というやつ、もともと4分の1は知恵で、残りの4分の3は臆病に過ぎないのだ」とある。考えている事柄の4分の3は臆病に過ぎず、つまり決断できずにウジウジしている状態を意味する。考えることを好むのは、臆病者であり、ウジウジしている状態を楽しむことにもつながるのだろうか。
「書くこと」は「思うこと」や「考えること」をさらに深化させる、自分自身の心の奥への小さな旅である。自分の「考え」を深いところまで探り磨いていくプロセスであり、「書いていると自分の中で何かが変わってゆくような気がしてくる」という感覚も得られる。
日誌がうまく書けないのは「日頃の訓練の仕方」、つまり観察力が不足しているからである。観察がうまくできなければ、表現も乏しくなる。「日誌が書けるように一日を暮らすことができない」ことが問題であり、「書くように行動する」必要がある。
「花を美しいと思う人間の心があってこそ「美しい花」が存在するのだろうか。しかし、人間がいなくなったとしても、「美しい花」はそこに厳然として存在するかもしれない。人類が誕生する以前から、宇宙も地球もあったように」との考えも重要である。
「目に映るものがまことに美しいから」と旧約聖書の知恵の書にも記されている。
「なにごとかに感動したとき、人はその心の動きを他の人に伝えたくなる」というのもまた真実である。前のものを否定したり肯定したりしながら、オリジナルが生まれていく。
考える力を養うことは、日々の積み重ねに他ならないのだ。考えていることを、文字で表現し、そして、ふたたび表記された文字を考えてみる。考えて、考えて、考え続けることは、一番重要な作業と言える。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
よく憶えてません
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「考える力」とは、常に意識することかも知れない。著者は、まず観察することを前提に、実感や直感、それに「なぜ」という問いの大切さを説く。
また、考えたことを表現する力をつけるために詩を読むことを薦める。
そして、その気にならなければ取れないのが「情報」であり、他の人とはちょっと違う「行動」を意識的に「演出」することが皆と同じ流れから抜け出す上で必要だという。
逆に言えば、普段、私たちは何も考えずに、いかに無意識に
動いていたかを考えさせられてしまった。
著者プロフィール
轡田隆史の作品





