ダライ・ラマのビジネス入門 「お金」も「こころ」もつかむ智慧!
- マガジンハウス (2008年7月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
- / ISBN・EAN: 9784838718931
感想・レビュー・書評
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仏教的な観点からビジネスを説明する本。人生の目的は幸せになることなので、利益の追求はあくまでもビジネスの目的にはならない。
基本的な仏教の概念の説明があるので、分かりやすい。縁起、無我、無常が真理であり、正しい理解と正しい行いをすることが重要。
グローバル化を仏教的な観点からいいこととして捉えてるところが面白かった。また納得の行く説明でもあった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
お金儲けをよしとしない仏教徒(ダライラマ)がどのようにビジネスをとらえるのかを知りたくて読んだ本。
(実際には、ビジネス自体が悪いわけではなく、その利を独り占めすることをよしとしない。)
答えは、倫理的、道徳的な経営をしましょう、ということ。従業員やお客様のためになることをなし、地球環境にもやさしい会社になることが大事。 -
ビジネス書、とは分類しにくいかもしれません。
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自分自身の言動を反省しました。
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友人の勧めで購入。三分ニくらいまで読んだあたりで半年ほど放置。続きから読みました。前の方は忘れた(^_^;)
『自分の正しいと思うことをしなさい。‥心を落ち着けて考えなさい。心が乱れているときに決断してはいけません。それでは物事をありのままに見られません』なるほど。勢いで色々決めてしまうことも、あるやんな?僕はそれをも自分やから、まぁそういうもんやと思ってた。失敗すれば反省すればいいと。でも、そういう分岐点でも一応落ち着こうとしてみるのもいいかなぁ。 -
ダライラマ14世著「ダライラマのビジネス入門」マガジンハウス(2008)
* 仏教においては、人間としての価値観こそが大切であり、ホリスティック(包括的、全体的)な観点からの取り組みを学ぶように強調します。この点において仏教が世界の問題に大きく貢献できる可能性があるのです。
* 富や仕事、消費、しあわせについての仏教のとらえかたは、西洋の考え方とはやや異なります。しあわせは物質的な願望を満たすことでは得られません。この違いは重要です。しあわせの根源は私たちが何を菱狩り、何を手に入れられるかということではなく、まったく別のところ、すなわち心の充足にあるのです。
* ブッタは人間が自分のためにということであれば、大きな力を発揮できることに気がついていました。しかし、自分自身の欲望を満足させようとするのは、永遠に満たされることのない、終わることのないサイクルだと悟ったのです。友情や、良い人間関係がなければ、人は本当の意味でのしあわせを手にすることはできません。そして良い人間関係は一方通行ではありません。自分の欲望を満たすことだけを考えていては、他人とポジティブな関係を築くことはできないのです。
* 仏教でもっとも大切なことは、正しい行いです。正しい理解は正しい行動として結実するのでなければ意味がありません。そして言うまでもなく正しい行動はビジネスの成功には欠かせないものです。
* 仏教の教えは宿命論的なものではありません。物事が悪い方向に変化するのを世の定めとして受け入れよといっているわけではありません。逆に絶え間ない変化を理解して、事態の悪化を早期に発見することで、悪化が避けられ、ときには危機をチャンスへと変えることもできるのです。企業は前向きな姿勢で変化に対応する方法を常に探究するべきです。
* 人生の目的とは、しあわせになることです。そして、目的を共有すること、つまりともに幸せを望むことが人が組織への帰属感をもつための必須条件です。強力なリーダーが目的を社員に伝え、社員がそれをはっきりと理解していれば、その企業で働くことがその人の幸せにつながってきます。
* 心の訓練をしたことのない人がけなされると、悲しんだり怒ったりします。しかし訓練を行っている人の反応は異なります。「私をけなすこの人の動機はなんだろう?そうした意見をもてるほどの能力のある人なのだろうか?この意見に正当性はあるのだろうか?」正当性のある意見ならそこに学ぶものがあり、残念ながら自分は間違いを犯してしまったと認めるべきです。正当性のない意見なら、その人がなぜそういうことを言うのかを考えます。
* ビジネスは収益という言葉では定義も説明もできない。企業とは何かと聞かれれば、典型的なビジネスマンであれば、収益をあげるための組織とこたえる。しかし、この答えは間違っているだけではなく、的外れでもある。収益の最大化という概念は実のところ無意味である。収益性は事業の目的ではなく、事業の可能性を限定する要素である。収益は企業における意思決定の説明、原因、根拠となるものではなく、それらの有効性をはかるもの。企業は社会の一部なのだから、ビジネスの目的はビジネス自体ではなく、それを取り巻く社会にあるべきである。 -
3~4年前に一度読んだのだけど、再読。震災後の今読み直すと、沁み込むものがまた違う。日々実践したいこと。
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2011年・師走真っ只中ですが、おそらく今年最高の一冊に出会えた気がしています!
もともと、お寺のひ孫だったりするので、ちょっと仏教がかった『説教』くさい教えみたいなものに対しては、まったく抵抗感はなく、むしろなんの疑問もなくストンと落ちすぎるので、間違いなく前世はその関係者と思われます。
本題の本書ですが、個人的に最近モヤモヤしている、
「ビジネスは何のためにやるんだっけ」
「対価としての料金ってなに」
といった、かなりこっ恥ずかしいナイーヴな質問に、感覚で擦り寄ってくる素晴らしい一冊でした。
構成として、仏教の教えをビシネスに置き換えて説くダライ・ラマの切り口と、実際のビジネス界でのケーススタディを紹介していく、世界的に活躍するビジネスコンサルタントのローレンス・ファン・デン・ムイゼンバーグ氏のやりとりが絶妙で、さもすると『ふぅ~ん』で終わってしまう仏教の教えに、実際のビシネス界での出来事を付け加えられるリアリティが加えられていきます。
特に感銘を受けたのは、ビジネスとはなんぞやという根本的な部分に対する考え方で、抽象度の高い仏教論でくるのかとおもいきや、ドラッカー氏の教えを引用して、
(以下引用。)
「ビシネスは、収益という言葉では定義も説明もできない。企業とは何かと聞かれれば、典型的なビシネスマンなら「収益をあげるための組織」と答えるだろう。経済学者もまた、同じ答えをすると思われる。が、この答えは間違っているだけでなく、的外れでもある。収益の最大化という概念は、実のところ、無意味だ。収益性は事業の目的ではなく、事業の可能性を限定する要素なのだ。収益は企業活動における意思決定の説明、原因、根拠となるものでなく、それらの有効性を測るものだ。企業は社会の一部なのだから、ビジネスの目的は、ビシネス自体ではなく、それを取り巻く社会にあるべきである」
そこにダライ・ラマの仏教観をいれて、
(以下引用。)
仏教では、収益に関する考えは明快です。収益は、まっとうな方法で得られるかぎり、立派な目的です。しかし、ビジネスの役割は収益をあげることだと言うのは、人間の役割は食事や呼吸をすることだと言うのと同じく無意味です。損失を出す会社と同様、食事をとらない人間は死を迎えます。だからといって、人生の目的は食べるころだということにはなりません。
なるほど「手段の目的化」ってやつか!!長い間金儲けの現場にいるとそうなっちゃんだよねって、久々に気づきました。あ~スッキリした!!こんなに本質を言い当てている説明に出くわしたことがなく、諸先輩たちから何ナイーヴなこと言ってんのと怒られそうですが、今年一番腑に落ちました。
この他にもリーダ論など、この2人の掛け合いは、見事にモヤモヤしていたものを晴れにしていってくれます。学校では教えてくれない、基本の基本というか、『志』の片鱗に触れるいいキッカケを与えてくれる良書でした。オススメです!! -
ドラッカーよりも仏教の方が大切なことを教えてくれるっていうお話