そのうちなんとかなるだろう

著者 :
  • マガジンハウス
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784838730599

作品紹介・あらすじ

「やりたいこと」を諦めたことも、
「やりたくないこと」を我慢したことも、
僕には一度もありません。

思想家・内田樹の痛快人生案内!

心と直感に従って生きればいい。
無理して決断する必要はない。
「なんとなく」選んだことが、
自分にとって一番いい状態だから。

豪快すぎる半生記!

いじめが原因で小学校で登校拒否
受験勉強が嫌で日比谷高校中退
親の小言が聞きたくなくて家出
大検取って東大に入るも大学院3浪
8年間に32大学の教員試験に不合格
男として全否定された離婚
仕事より家事を優先して父子家庭12年

*昭和の時代を伝える「非日常写真館」も

<あとがきより>

「自分らしさ」という言葉が僕はあまり好きじゃないのですが、
それでもやはり「自分らしさ」というのはあると思います。
ただ、それはまなじりを決して「自分らしく生きるぞ」と力んで創り出したり、
「自分探しの旅」に出かけて発見するようなものじゃない。
ふつうに「なんとなくやりたいこと」をやり、
「なんとなくやりたくないこと」を避けて過ごして来たら、
晩年に至って、「結局、どの道を行っても、
いまの自分と瓜二つの人間になっていたんだろうなあ」という感懐を抱く……
というかたちで身に浸みるものではないかと思います。

僕がわが半生を振り返って言えることは、
僕は他のことはともかく「心と直感に従う勇気」については
不足を感じたことがなかったということです。
これだけはわりと胸を張って申し上げられます。
恐怖心を感じて「やりたいこと」を断念したことも、
功利的な計算に基づいて「やりたくないこと」を我慢してやったこともありません。
僕がやったことは全部「なんだかんだ言いながら、やりたかったこと」であり、
僕がやらなかったことは「やっぱり、やりたくなかったこと」です。
というわけですので、この本はできたら若い方に読んでいただいて、
「こんなに適当に生きていてもなんとかなるんだ」と安心してほしいと思います。

<目次>

第1章 
生まれたときから、嫌なものは嫌
 
■小学校で登校拒否 
 
下丸子という町
「嫌」に理由はいらない
いじめが原因で不登校
兄の存在感
ビートルズに夢中
SFファンクラブ
都立日比谷高校
高校はもういい
 
■高校中退、そして家出
 
計画的に家出
ジャズ喫茶でアルバイト
たちまち生活に困窮
頭を下げて家に戻る
大検のために猛勉強
規則正しい浪人生活
 
■東大には入ったものの
 
天皇制を知るために、まず武道
駒場寮というアナーキー空間
嫌な先輩に回し蹴り
住処を転々
ガールフレンドの母親が天敵
「噂はいろいろ聞いてるぜ」
フランスへ卒業旅行
大学院入試に3回落ちる
 
第2章 
場当たり人生、いよいよ始まる
 
■合気道という修行
 
内田家「士道軽んずべからず」
生涯の師との出会い
子弟システムのダークサイド
機を見る力、座を見る力
 
■翻訳会社アーバン・トランスレーション
 
翻訳会社でアルバイト
無職から二足のわらじ生活へ
早い、安い、ミスが少ない
翻訳業の限界を感じて
 
■研究者生活の実情

助手になったが仕事がない
32校の教員募集に落ちる
研究者が陥るジレンマ
神戸大学の話が流れる
「とんでも学説」が一転
神戸女学院大学へ
「内田樹の奇跡のフランス語」
人間は基本的に頭がよい
 
■離婚、そして父子家庭
 
男として全否定される
4歳年上、女優の妻
波瀾万丈だった義父の人生
12年間の「父子家庭」
仕事より家事育児を最優先
仕事で成功することを求めない
書きたいことは山のようにある
空き時間は天からの贈り物
 
第3章 
生きていくのに一番大切な能力
 
■仕事のやり方を工夫する
 
ホームページを立ち上げる
発信したいことを次々アップ
出版社から声がかかる
東京一極集中がなくなる
 
■批判するより褒める
 
たくさん本を出せる理由
人の話からアイデアが生まれる
その人の一番いいところを見る
 
■決断や選択はするな
 
教え子と再婚
強く念じたことは実現する 
いつどこに自分がいるべきか
「人生をリセットする」前に
やりたくないことはやらないほうがいい
どちらへ行っても同じ目的地に
誰と結婚してもそこそこ楽しい
後悔は2種類ある
匿名の発信は無意味
触覚的に世界を理解する
どちらかに決めない 
 
*非日常写真館 
 
*コラム
1966年の日比谷高校【その1】  
1966年の日比谷高校【その2】
1966年の日比谷高校【その3】

感想・レビュー・書評

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  • 一時期どっぷりはまって片っ端から著作を読んでいた。最初に読んだのは「ためらいの倫理学」だったかな。こんなに腑に落ちる論考を読んだのは、岸田秀「ものぐさ精神分析」以来だと思ったのを覚えている。(「ものぐさ~」はロングセラーだそうだ。今でも名著だと思う。)どんどん出版されるのをいつ頃まで追いかけていただろうか、神戸女学院を退官されて、凱風館を建てられたあたりから、さしたる理由はないが読まなくなったように思う。

    これは「自伝」だというので、ちょっと興味が湧いて、久々に読んでみた。小中高の学校時代の話が詳しく書いてあって面白かった。やっぱりずいぶんとんがった少年だったんだなあ。一方、東大時代のことは、他のもので読んだことがあるが、ここではわりとあっさりとした書き方。結構ハードな学生運動家だったらしいが、運動よりも周辺のさほど緊迫感のないエピソードの方が多かった。それはそれで面白かったけれど。

    離婚後の娘さんとのふたり暮らしについては、ある程度具体的に触れられていた。当時としてはずいぶん珍しい父子家庭だったと思うが、ここで家庭を優先して学者としては「雌伏」の時期を過ごしたことが、後の爆発的な文筆生活につながったとあり、なるほどなあと思ったのだった。

    気軽な聞き書きの形ではあるけれど、読んでみるとやはり、フムフムと思うくだりがいろいろある。以下はその抜き書き。

    「SFは1950年代のアメリカに誕生した新しい文学ジャンルです。背景にあるのは、原子爆弾の発明によって核戦争による人類の滅亡というシナリオに現実味が出て来たという歴史的事実です。人間が自分たちを豊かにするために創り出したテクノロジーによって人間が死滅するという不条理が現実になりつつあったのです。でも、伝統的な文学形式はそのような非劇的なまでにナンセンスな現実を叙することができなかった。SFはほとんどそのためだけに発明された特異な文学ジャンルだったのだと僕は思います。ですから、SFはその荒唐無稽な娯楽性にもかかわらず、底にはある種の絶望感が伏流していました」
    これには膝を打った。そう、SFには、底にか芯にか空気にかはわからないが、絶望感があると思う。もう誰かが言っていることかも知れないけど、私は目から鱗が落ちた。

    「批判を受けたせいで魅力が増すということはないんです。 というのは、才能ある人の魅力というのは、ある種の「無防備さ」と不可分だからです。一度深く傷つけられると、この「無防備さ」はもう回復しません。その人の作品のなかにあった「素直さ」「無垢」「開放性」「明るさ」は一度失われると二度と戻らない」
    これも同感。才能が世に出るや、すぐさま何かと叩かれる現代は不幸な時代だと思う。

    一番胸にしみたのは、終わりの方で紹介されていた、スティーブン・ジョブズの言葉。
    「いちばんたいせつなことは、あなたの心と直観に従う勇気をもつことです。あなたの心と直観は、あなたがほんとうはなにものになりたいかをなぜか知っているからです」
    内田氏が書いているように、心と直観に従うにはとても「勇気」がいる。でも本当に、心と直観は「なぜか」私のことを知っているのだ。

  • 人生、それは迷い多き日々。なぜこの仕事をやってるのか、なぜこの人と結婚したのか、問いかけられるとことばに窮し苦しくなる。でも、この本にある内田先生からのメッセージ「自分が本当にしたいことについてはすらすら理由が言えるはずがない」「自分のすごい深いところに根ざしている衝動とか欲望とかに深淵があるものがそうそう簡単に言語化できるはずがない」「なんとなくに従って生きる方が自分らしく生きられるよ」に、ふと心が軽くなった。ワタシという個体をどうやって全うすべきなのかそのヒントが詰まった一冊。

  • 胸がキュンとなったよ。

  • 筆者の半生を綴ったエッセイ。
    ウエブ マガジンのロング・インタビューを元に構成してあるそうだ。

    学生運動について、時々モノクロ写真で見たり
    フィクションのスパイスとして出てきたりして知っている程度だったので
    当時の肌感覚で書かれているのが興味深かった。

    師弟関係について、
    弟子を伸ばすために言うことと潰すために言うことは表面上似ていて
    識別が難しいという件もとても興味深い。

    武道家は勝敗や強弱を競う境位を離脱し、
    いるべき時に、いるべきところにいて、なすべきことをなす人間になることが修行の目標であり、
    道場は楽屋、一歩外に出たところが本番の舞台というのは
    共感するところだった。
    実践するのはなかなか難しいが。

    「侍は用事のない所に行かない」。
    いなくてもいいときにいなくてもいいところにいればトラブルが起きるからというのは
    確かにそのとおりではあるのだが
    侍でも旅好きな人はいたわけで人それぞれではあるのだろう。

    稽古に無理してこなくて良いというのはちょっと意外に感じた。
    一般的には、怠けた精神を叩き直すと言いそうなのが武道のイメージではないだろうか。
    ただ、自分も剣術道場に通っていたが師匠はとても優しく
    仕事で全く稽古に来られない場合でも
    「今の世の中仕事があるだけありがたいから」とニコニコしておられた。

    体が行きたくないとアラームを出しているのにそれを切って出かければ
    アラームを切ってるからセンサーも働かないので
    思いがけない災厄に巻き込まれる。
    自分も普段自分の直感や本能のようなものを大事にしようと心がけているが、
    やはり現代社会で生きるにはそればかりでやってもいけない。
    もちろん本文にあるとおり、それで体を壊しても誰も責任をとってくれないので、
    自分でバランスをとってうまくやっていくしかない。

    決断をくださなければならない状況は、
    今悩むべき問題ではなく今までしてきたことの答え というのは
    厳しくも成程と思った。確かにその通りだ。
    今悩むことではない、悩んでも遅いことであり
    大抵の場合どんな問題でも決断して前に進むしかない。

    丸暗記ではなくフランス語話者から世界はどう見えているかを教える
    というのは、生徒さんが羨ましいなと思った。
    言語教育だけに限らず、理由を教えずに
    「いいから俺の言うとおりにしろ」という上の人間というのは多いもので、
    そうなると言われたことを言われたとおりにしかできず応用も聞かないし
    なんの面白みもなくなるのだ。
    日本の学校は勉強を強制することで英語嫌いを作り出している。
    本当にそうだと思う。

    人間を疲れさせるのは労働そのものではなく、
    労働システムの設計や管理、合理化というのも、本質としては近いのだと思う。
    つまらないことはやりたくない。
    楽しくないのに無理にやれば効率も悪くなる。

    そして批判することは何も産まない。
    才能あるひとの魅力はある種の無防備さと不可分であり、
    批判されて警戒心が高まり欠点は補正されても魅力が高まることはないし、一度傷つけられると無防備さは回復しない。
    人に才能を発揮して欲しいなら過去の業績に評価を下すよりこれから創り出すかも知れない傑作に期待するべき。
    人を育てる立場にある人は、こうした考えでいて欲しい。

    離婚なさったときに義理のお父様が、
    娘は勘当した、君とこれからも親子の付き合いを続けていきたいと
    連絡をくれるというのはなかなかあることではないだろう。
    初めの心証は悪かったようなのに、そこまでの信頼関係を築けるというのはすごい。

    人間が同じである以上右左どちらにいくか悩んでも
    行きつくところはそれほど変わらない。
    悩んでいるときは一大事だと思っているが、結局は道筋が変わるだけで
    行き着くところは似たようなものなのかもしれない。

    SNSは匿名という話は度々論争が見られるが
    これは一概には言えないと自分は思っている。
    匿名性があるから誹謗中傷が多い、本名で使えばいいと言うが
    自分の場合はFacebookの方が酷いことを言っている人が多いし
    Twitterでも名前にしている人は所謂”意識高い系”で頓珍漢なことも多い。
    本名じゃないから駄目というより、自分の発言に責任を持つかどうかである。

    話をシンプルにしろ、良いか悪いかどっちだ なんて人が多いが
    子供の言い分であり、
    複雑なものは複雑なまま扱うのが大人の作法 というのは
    面白い言い方だなと思った。
    複雑なまま取り扱って「なんとかする」。
    できるようになったわけではない、そういう技術があると知ったから、
    死ぬまでに若者の時代を少しでもよくするよう努力する。
    この考え方もとてもよくわかる。
    としをとってくると、遺すということを考えるようになるものなのだろう。

  • 自然体でいるべきところにい、なすべきことをなす、は高等難度。

  • 「そのうちなんとかなるだろう」というタイトルから好き。
    「なんだよ、ちゃらちゃら生きて楽しやがって。」って思われるような生き方がしたい。なんか最近もう無理って感じがしてきた。「入ってはいけないほうの分かれ道」に入ってしまったのだろうか。


    "でも、僕は本を買ったり、芝居を見に行ったり、映画を見たり、ジャズ喫茶に行ったりするのを我慢したくなかった。そういうことを自由にやるために家を出たのだから、文化的なアクティビティにお金を惜しんではいけない。" 37ページ
    本当にそう思う。

    "はたから見るとつらそうでしょうけれど、本人はいたって愉快に過ごしておりました。" 73ページ
    この逆で、「はたから見ると愉快に過ごしているように見えるけれど、本人は辛くてたまらない」ということもある…

    "もうずいぶん前のことですけれど、思い出しても、離婚はつらいです。心身に負った傷という点では親の死よりも厳しかった。
    両親が死んだときも「もういないんだな」と寂しくはなりましたけれど、それは自分の存在が否定されたような気持ちとは違うものです。でも、離婚というのは、単に配偶者が不在になるということだけではなく、自分の存在と、自分がそれまで配偶者とともに過ごした時間の意味を否定されたような気がする経験です。13年暮らした妻から、「あなたとは一緒にいたくない」と宣言されたわけですから。男として全否定されたという感じがしました。" 134ページ

  • 10年以上にわたる内田樹読者(=私)にとっては 同級生や合気道との出会いなどお馴染みの話で安心させられたり、そうだったのか!の驚きもあり興味深く、一気に読了。
    なかでも一番の驚きは椎名誠さんに言及したくだり。
    (わたくし、椎名誠さんも30年以上にわたる読者なので)
    改めておふたりに惹かれた理由=「なんとなく」を肯定された感じで★追加したいところ!!

  • 20190922 内田先生の自叙伝。なんとなくと言っているが結局は直感を信じて生きてきたという話。自分に置き換えて考える必要はない。若い人なら一つの生き方として参考にできるところを参考にするために読むと良いかも。

  • 自分自身となんとなくよく似ている部分というか、
    経験したことや、思っていたことが若干
    共通感が多少なりとも感じました、
    なので、この人の本がすきなのだろうともいました。
    大阪の北野高校の周りの雰囲気が、著者が書かれている
    日比谷高校にあったものとも同じような気がします。
    また、道筋の選びかた。人生の苦悩の選択なんてものは
    なくて、なんとなく行きたい方向に行く。どちらかを
    選ぶ苦悩があった場合は、その時点ですでに間違った
    ということ。というのは非常によくわかる。

    人を批判するのではなくほめる。
    いいサービスを受けようと思うと、いいものを享受しようと
    思うと、その人をほめるのが一倍いいというのは
    ”はっ”とさせられた思いがしました。

  • 別記

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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