- 本 ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784838775279
作品紹介・あらすじ
★☆★予約好調により、発売前大重版決定!!★☆★
“M-1 2008優勝”“生粋の漫才オタク”がはじめて語る
「漫才論」「M-1論」「芸人論」
漫才師たちから絶賛の声、続々!!
博多華丸・大吉 博多大吉
「分析本の名を借りた、
近代漫才の暴露本。
ここまでバラすとは!」
ナイツ 塙宣之
「くそ! これ読んでたら
NON STYLEに勝てたのに!」
令和ロマン 高比良くるま
「この1冊でNSC1年分の
価値ありますけど
逆に大丈夫ですか? 」
本書は、漫才に対する分析が鋭すぎて、「石田教授」とも
呼ばれている石田明さんが「漫才論」について語り尽くした一冊です。
「漫才か漫才じゃないかの違いは何か? 」といった【漫才論】から、
「なぜM-1ではネタ選びを間違えてしまうのか? 」といった【M-1論】まで、
漫才やM-1にまつわる疑問に「答え」を出していきます。
読むだけで漫才の見方が一気に「深化」する新たな漫才バイブルです。
【本書の内容】
・「偶然の立ち話」が漫才の原点
・結局、「ベタが最強」「アホが才能」
・ワイン理論──「くだらない」と言われるボケは強い
・M-1は「じゃんけん」大会から「何でもあり」大会へ
・令和ロマンに授けた「漫才身体論」
・賞レースで「ネタ選び」を間違えるワケ
・なぜM-1で「歌ネタ」は評価されにくいのか?
・「システム漫才」の意外な落とし穴
・YouTube・サブスク全盛期に「舞台」に立つ意味 …etc.
感想・レビュー・書評
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「クリティーク」
業界全体のことを慮って、考えに考えて芸事に取り組む人を尊敬する。
ノンスタ石田明もその一人。
お笑いは、何も考えず面白いことを笑っていれば良いのだけれど、偉大な先人たちの積み上げた功績が大きいほど、昔のものの焼き直しになったり、その反面奇を衒ったものが増えたりしてしまう気がする。
そんな時に閉塞感の原因を俯瞰して整理する人間がきっと必要になるのだと思う。
それは考えなくても面白いことができる人間には却って難しい営為ではないか。
理論化の弊害もまたあるのだろうけれども。
2024年のM-1はそれこそ「答え合わせ」をしながら観ることができた。この本を読まずに観ても無論面白かったと思う。けれどもノンスタ石田の定義する「漫才=偶然の立ち話」という軸を意識して観ると、また違った視点からこの競技を楽しむことができたのではないかと思った。
令和ロマン、バッテリーズ、真空ジェシカ、エバースが好評だったこと、トム・ブラウン、ダイタク、ママタルトがそれ程でもなかったこと、上位3組のネタが最終決戦よりもファーストラウンドの方が自分には面白く感じたこと、本書を読んでから観るとそれぞれに腑に落ちるところがあった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
毎年M-1グランプリの決勝を楽しみにしている。
芸人さんが本気でこの大会に懸けて、試行錯誤している雰囲気が好きだからだ。
そのM-1で、素人の自分には面白いけれど審査員の評価がそれほど高くないネタを毎年のように見ている気がする。
どうしてプロの審査員はそういう評価なのか。
どういう視点で漫才を見ているのか。
いつも気になっていたからこそ、この本を読んでいてすごく楽しかった。
プロの漫才の見方を知ることで、今まで見えなかったものがたくさん湧き出てくる感覚。
言葉や仕草、表情の一つ一つ、会場の雰囲気や空気、身体全体で色々な情報を感じながら一つのネタをやり切る芸人さんたちの面白さだけでなく、かっこよさを知った。
もっともっと漫才が好きになった。
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"漫才の教科書"
漫才ってただテレビの前で「面白いか」「面白くないか」の観点でしか見てませんでした。
そもそも芸人の主戦場は劇場で、場の雰囲気や声量などの五感を使って笑いをとるもの。 テレビ・路上のような飛地ではまた違うらしい。
そして漫才を採点形式にしたのがM1で、普段の漫才とは全くの別物。
今と昔の漫才とこれから・漫才論が詰まった一冊
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おもろいやつには意見がある。世の中の全てに疑問を投げかけ、常に自分なりの持論を持つことで状況が一変した話が印象的。
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東京の電車内で偶然隣合わせになりました。その際もノートを開いて何やらお仕事をされていた様子。好きを仕事に出来ることはやはり素晴らしい!愛に溢れた一冊。
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お笑い分析のいろんなことがぎゅっとつまっています。どの分析も説得力があると思います。・・・ただ、この本は楽しく読んだのですが、私自身、最近、お笑い分析みたいなのにちょっと辟易してきてまして・・・。
話は変わりますが、M-1の2024はあまり楽しめませんでした。みんないろいろ分析してますが、なんかピンとこない。そもそも、令和ロマン、そんなおもしろいですか? ぼくには全くでした。アタマでこしらえたカシコイ漫才ってかんじで。全然心に響かないの。笑いをとろうという計算が見えすぎてて、だからどうした?と思っちゃう。バッテリィズの人間味あふれる漫才がおもしろかったのと、真空ジェシカがすげえなと思ったのが今回のM-1の良かったところでした。むしろ、敗者復活戦のほうがいろんな漫才みられて楽しかったです。【2024年11月3日読了】 -
漫才の定義はふらっと偶然立ち寄った人たちの立ち話。
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■前説
昨今『漫才本界隈』が賑やかです。本書しかり、令和ロマン高比良くるま『漫才過剰考察』、ナイツ塙『言い訳 なぜ関東芸人はM-1で勝てないのか』等、いずれもバリバリの現役漫才師が『我が漫才論』を開陳。
その引き金となったのはM-1。覇者に対して『あれは漫才ではない!』という論争が出るぐらい多様な漫才スタイルを生み、吉本主導で始まったM-1ゆえ長らく大阪勢が幅を利かせてきたものの、近年は関東勢の漫才コンビの台頭目覚ましく、その結果、多様な漫才を生み、漫才そのものを劇的に覚醒させたと言える。
ちなみに、ナイツ塙は〈M-1で勝ち抜きには大阪弁によるしゃべくり漫才を仮想敵国と見立て、関東勢の漫才対策の必要性!〉を説き、令和ロマン 高比良くるまは〈M-1を起点に『漫才の今』について分析と考察〉を行う。
■内容
さて、本書 著者 NONSTYLE 石田氏の漫才論は…
しゃべくり漫才の本場 大阪で育まれ、心斎橋2丁目劇場に単身通い、大笑いしつつも克明にメモを取り、それを清書し研究。高校の同級生である相方の井上君に誘われ、お笑いの世界へ。
とは言えNSC出身ではない。三宮のストリート漫才で腕を磨き、お笑いの東大吉本へ。やはりそこは強者ばかり。いかに抜きん出るかの『もがき』を経て、NONSTYLE漫才が出来上がり、大阪のお笑いショーレースで勝ち抜いていく。
しかし、そこに立ちはだかるのがM-1。笑いのプロによる審査の壁は厳しく、何度も跳ね除けられ、新たなもがきが始まる。
そんな背景をもった著者による『漫才論』。そもそも漫才とは…それは〈偶然の立ち話〉が原点であると喝破し、漫才の成り立ちを語る。その解説は具体性に富み、さしずめ漫才講義を傾聴してる感さえするほど。
記憶に新しいのは2024年度のM-1の石田氏の講評。その表現の引き出しと語彙の豊富さ、言葉の選び方や理解を促す比喩を挿入するなど群を抜いていた。方や爆笑をかっさらう漫才師が必ずしも鋭い講評をする見巧者とは限らないことが浮き彫りとなった。
漫才界にはメモ書きや口頭でのネタ合わせで本番に臨み、爆笑を生むモンスターがいる。ダウンタウン・中川家・海原やすよともこ・海原千里万里…など、サンパチマイク1本を境にして、その辺に転がってる身近なことをネタに、絶妙なボケとツッコミが笑いを増幅させていく。
まぁ、これはあくまでも例外中の例外。多くの漫才師はネタ合わせを何度も繰り返し、舞台にかけ、自分たちの目指す笑いを求めて模索を重ねる。
その流れの先にあるのが『システム漫才』。ミルクボーイの『それ◯◯ちゃうか?』で始まる漫才スタイルは正しくそのもので、石田氏はそのトレンドに警鐘を鳴らす。
自分たちの代名詞となるようなシステムを生み出さないといけないと考える余りに、作り物感が強く、肝心な会話が不自然になり、漫才師の個性(人間)が見えなくなると。
〈偶然の立ち話〉という体裁で行う漫才だけに、作り込んだ面白いネタであっても、〈脱力感×自然さ×コンビのキャラ〉があってのものだねということに行き着く。
■感想
本書は終始『芸人視点』での漫才論を開陳。漫才の組み立て方、聴取をいかに笑いに誘導するかを言語化しており、そこにマーケティング的視点はない。自分たちが面白いと思う漫才をやるのみ!と揺るぎない考えのもと、舞台にかけ、その答え合わせをする。
漫才に限らず一般に技術・テクニックを言語化するのは至難の業。読みながら、ノムさんの『野村ノート』が頭をよぎった。〈捕手目線×監督目線〉で体得し言語し戦術に仕立て直し、ミーティングで叩き込んだ。
石田氏のほとばしる漫才愛、愚直なまで漫才に取り組み、その道程でのトライ&エラーが血肉となり、本書を書かせた。
笑わせるとはかくも険しき芸当なのである…。お笑いに対する解像度がグッと上がる好著であります。 -
答え合わせ
著:石田明
僕が今考えている「漫才論」をまとめておくことは、今後の自分にとっても、教え子であるNSC生たちにとっても、また、お笑いを楽しんで観てくれている人たちにとっておも、意味のあることかもしれないと思うようになったんです。
この本は、僕の今現在の「答え合わせの書」です。漫才師やお笑い芸人のみならず、漫才と好きな人たち、お笑いに興味がある人たち、あとは劇場で大笑いしながら目を取っていた当時の石田少年に届けたい。そんな思いを込めて書きました。
構成は以下の5章から成る。
①「漫才か、漫才じゃないか」への回答
②「競技化」で漫才はどう変わったか
③「お笑いの得点化」という無理難題に挑む
④路上から王者へ、挫折からの下剋上
⑤漫才、芸人、お笑いの明日はどうなる?
M-1の優勝前の「おはよう朝日です」で腕をブンブン振り回していたロケの下積み時代、M-1優勝後の現在、「大阪ほんわかテレビ」での肩の力がすっかり抜けた、等身大に近いコンビの表現の在り方の今。
NON STYLEを語る上では、「M-1」は切っても切れないイベントでもあり、彼らの一部分でもある。本書の書名である「答え合わせ」は、私達外側から見ている人間にはわからない、「Mー1」を中心点として捉えた、著者自身のお笑いにおける「仮説と検証」をまとめてくれている。
誰かのレールを辿るではなく、自分たちが考え、自分たちだけではなく、お笑い界を考えた結果としての行動とその過程が赤裸々に綴られている。
言わなくても良いことまでも暴露している本書からも、お笑い界の危機と著者の覚悟が見え隠れしている。
2024年M-1の審査員として参加されるのも、吉本の関西の日本のお笑いを背負っていると捉えられる本年にあえて受けたのもかっこいい。 -
読んでよかった、この本を取るきっかけとなったのはNONSTYLEが好きで、もっと推したい、背景・考えをしりたいって思うようになったことです。
漫才というのは「偶然の立ち話」が定義ということはずっと繰り返されていました。自然なツッコミとは何か、その中で今増えてきているコント系が、どう漫才と混ぜられていくのか。持論系、システム漫才などを含めた漫才の種類や、関東と関西の違いを含めた漫才師としての苦労が描かれていました。また漫才師の中でM-1はどういうものか、採点する基準、ま優勝する漫才師はどういう人なのか、分析されていました。この中の寄席とM-1の違いでは、NONSTYLEがM-1で優勝出来なかった理由が印象的でした。イキリ漫才から方向転換したそうです。そして、石田が漫才の虜になっていたころ、井上が石田に漫才やろうやと話しかけて、三宮で路上漫才をしていた駆け出しの頃の話から、解散危機や井上の謹慎中の出来事、今現在スピード感のある漫才をするようになった経緯まで、暴露されていました。
こんなに漫才って奥深いんやと同時に、笑うタイミングを操作できてしまう漫才師が凄すぎてちょっと怖いとも感じました。でもやっぱり騙されてまた劇場に行くでしょう!生感のあるNONSTYLEが大好き!
石田明の作品





