- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784839971489
作品紹介・あらすじ
本書は、宗教について学ぶための手助けをするものです。
世界の大宗教として、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教の5つを主に取り上げています。
日本人が教養として知っておくべき大宗教は、基本的にこの5つだからです。
聖書、コーラン、仏典の啓発的なところを要約して紹介することもしています。
また、神道、中国の宗教(儒教と道教)、現代宗教の重要な動向(キリスト教ファンダメンタリズム、イスラム復興現象、ニューエイジ、無神論など)についても、簡潔に説明しました。
コンパクトにまとめていますが、5大宗教の重点を整理し比較した本書を読めば、宗教を発端とした世界中の情報の迷宮に踏み迷う心配はなくなると思います。
感想・レビュー・書評
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わかりやすいです。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教について大まかに知ることが出来ました。
ポイントはおさえつつ、ほんとに大まかにコンパクトに…なので、もうちょい突っ込んで知りたい、となる良い本だと思います。
知ると知らないとでは、各宗教に対するイメージも変わるなと思いました。進化論やビッグバンも、カトリックは認めていて、プロテスタントの原理主義的な宗派が認めてないのか。仏教にも排他的な宗派はあって一神教のメンタリティに通ずる、とか。
「スッタニパータ」、ちゃんと読もう。
歴史、社会、文化を理解するときに宗教の知識はかなり重要だなと改めて思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
カルト事件。テロ・集団自殺。人民寺院、ブランチ・ダビディアン、太陽寺院、ヘヴンズ・ゲート。
無神論。スティーブン・ホーキング、ダニエル・デネット、クリストファー・ヒチンズ、アーミン・ナヴァビ(イラン系・カナダ在住)。 -
(全ページ読破した書籍のみ、減点方式でレビューを投稿しています)
本書を読んだきっかけは、宗教について包括的な知識を得たいと考えたからです。
私は(一応、家系としては仏教徒なのですが)無神教に近い立場であることを最初に明記しておきます。
本書は「はじめに」いわく、
「宗教のもつさまざまな顔を理解していくための手軽な入門書」
「比較宗教学の立場からの宗教ガイド」
「ホンネに切り込んだ宗教論」
とのことで、なるほど確かに余計なものをとことん削ぎ落として「どコンパクト」にしてあります。
具体的には、その宗教のルーツ、戒律や思想の根本的な部分、通過儀礼や年中行事、歴史のごくごく一部、だけを取り扱ったという感じです。
ただ、宗教間の比較がところどころにあり、包括的な理解の助けになっているところは特長的ですね。
宗教のルーツを執拗なまでに「フィクション」「ファンタジー」と表現するのは、著者としては「ホンネに切り込んだ」のでしょうし、我々みたいな無神論に近い人間からすれば「まあ正直私もそう思ってる」というところではあります。
全体を通して、特定の宗教に肩入れする様子がない点は私としては好印象でした。
ただしかしそれは裏を返すと「全方位うっすら小馬鹿にしている」雰囲気を感じるということで、それらの宗教を信仰している人(特に一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教)からすれば面白くないでしょうね。
宗教に対して興味が薄い(けど、何か学んだ気になりたい)層からすれば「待望の一冊」、特定の信徒からすれば「大層失礼な一冊」ということになるかもしれません。
読んでいて気になった点ですが、冒頭のユダヤ教とキリスト教は内容が極めて薄く感じられ、危うく脱落しそうになりました(星を一つ減らしています)。
ただし個人的には最後の「第7章 現代において宗教に何ができるのか?」は満足いく内容で、もっと最初の方に持ってきた方が良いのでは?とさえ思いました。
総じて、(私は好きでしたが)かなり人を選ぶ本だったな、という印象です。
オススメする人:特定の宗教を持たず(あるいは熱心でなく)、かつ宗教を包括的に学びたい人
オススメしない人:ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の熱心な信徒 -
宗教の派生、信仰する人の考え方を理解できる。筆者が神の存在をバッサリ否定している観点、論理も面白い。
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人間の争いの根っことしてある、宗教を改めて分かりやすく学べる良著
日本人は決して無宗教ではないこと、八百万の神々を祀る柔軟さ、一方で一神教の激しさ、のルーツを辿りその特徴を掴むことができる -
民族の宗教、ユダヤ教。救世主の宗教、キリスト教。戒律の宗教、イスラム教。輪廻の宗教、ヒンドゥー教。悟りの宗教、仏教。
宗教の共通点は①奇跡を起こす②秩序をもたらす③説明を与える。ただし現代社会では科学的な証明が進み宗教の概念では矛盾が発生。本名現代での宗教のあり方とは。
「欲望が本質的な解決をもたらさない」という宗教の洞察等の、教えを元にした心の平安を目指すための指針、という解釈は出来そう。 -
・1回通読。包括的に理解する為の入門書として、まさに求めていた内容だった
・特定の宗教を信奉する人にはアレだが、随所に見られるシニカルな表現には毎度クスりとさせられる
・宗教には神秘的な側面、道徳的な側面、求道的な側面があるのだなと理解した。それぞれ、神話や芸術、モラルや法、哲学やマインドフルネスに派生して学びたくなった -
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中村圭志(なかむらけいし)
1958年北海道小樽市生まれ。北海道大学文学部卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学(宗教学・宗教史学)、宗教学者、昭和女子大学非常勤講師。著書『教養としての宗教入門』(中公新書)、『人は「死後の世界」をどう考えてきたか』(角川書店)、『西洋人の「無神論」 日本人の「無宗教」』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)他多数。
現代は科学の時代ですから、霊や神や奇跡や祟りの話が信じられないのは当然です。しかし、科学が主導権を握るようになったのはほんのここ一、二世紀のこと。ほとんど二〇世紀の初めまで、社会はどこでも宗教の勢力下に置かれていました。
二一世紀の今日でも、イスラム圏のように宗教が大きな力をもっている社会があります。日本や西欧のような先進国でも、霊を信じ、来世を信じ、神に祈る人々は大勢います。アメリカはノーベル賞最多獲得国ですが、キリスト教会の出席率が高いことでも有名です。世界全体をみわたすと、宗教はまだ現役で生きている文化だと言えるでしょう。
一神教は、多神教の神々を否定する形で発達してきました。諸民族の奉じるさまざまな神々はぜんぶ幻だ、というのが一神教の主張です。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も原理的にはたいへん排他的です。一神教の神は唯我独尊なのです。 一神教にはジレンマがあります。万人の上に立つのが唯一神ですから、万人はこの神の前に平等とされます。しかし、その神を信じない人に対しては「真理に背くヤツ」ということで批判的な目を向けます。だから、事実上、「信者 vs 異教徒」という差別意識が現れるのです。「平等だ、愛だ、平和だ」と唱えつつ、 教徒の弾圧を行なう──そういう悪い癖が一神教にはあります。
これに対して、多神教は通例、他の民族の宗教に対して寛容です。神々が多いのに慣れていますから、民族Aの神々と民族Bの神々は容易にごっちゃになってしまいます。
では、多神教に比べて一神教はひどい宗教かというと、そうとも言い切れません。 一神教は「人間は神の下に平等だ」というファンタジーをもっていますから、弱者に対する慈善活動に熱心でした。 多神教は概して押しつけがましくない一方で、チャリティにも不熱心です。インドの多神教であるヒンドゥー教では、カーストと呼ばれる身分差別が肯定されていました。
寛容だが不平等を是認する多神教と、平等を目指すが不寛容な一神教──それぞれに美点と欠点があるわけです。
キリスト教もイスラム教も、億より一桁大きい数の信者数を誇っています。しかし、この二つの宗教を生み出した母体であるユダヤ教の信者数はそんなに多くありません。総勢一五〇〇万人程度で、これがアメリカ、ヨーロッパ、中東各地に散って暮らしています。 ユダヤ教徒 を英語で言うとJewish peopleということになりますが、この言葉はそのまま ユダヤ人 を指す言葉でもあります。とはいえ、ユダヤ人のすべてが信仰熱心というわけではありません。日本の仏教徒や西欧のクリスチャンと同じで、今では信心深くないユダヤ人も多いのです。 そのユダヤ人の「民族宗教」などと呼ばれるユダヤ教ですが、その歴史的起源についてかいつまんで説明しましょう。
クリスチャンとして勧められる善行は 隣人愛 の実践です。とくに、貧者や病者などの弱者への施しやお世話です。チャリティはキリスト教の最も誇るべき精神でしょう。 西洋社会は、ビジネス的にひどく割り切れた側面と、キリスト教のロマンチックな側面をもっています。車の両輪です。貧者や弱者に救済の手を差し伸べるという伝統が根強く、困窮者に向かって「自己責任」などと言わないのが普通です。
そうした弱者たちの守り手として、一神教の神からの言葉が下ったというわけです。天地創造の神は、万人に分け隔てなく慈悲を賜る。アッラーは孤児の保護を説き、貧者への施しとなる喜捨を勧めました。
さて、社会的弱者といえば、女性に対しても、その権利を保護する方向で神は教え諭しています。たとえば、アラブの部族は伝統的に 嬰児 殺しをやっており(江戸時代の日本人も貧困対策として伝統的にやっておりました)、とくに女の子が殺されましたが、コーランはこれを禁じました。
各地に誕生した軍事政権を押しのけて民衆がイスラム国家を求めると、欧米人は 政教分離 の点から警戒します。ところがイスラムには政教分離という考え方がないのです。
第三に 世俗化 の問題があります。現在の西欧諸国は、キリスト教を原理として動いておりません。教会の説く神話に耳を傾けず、道徳的プレッシャーをはねのけ、科学、テクノロジー、資本主義、世俗国家の統治を進化させたというのが、西欧発の「近代」だったのです。現代では公然たる無神論者も増えており、宗教全般に対する批判が強まっています。これと、宗教の戒律にどっぷりと浸りたいイスラム系の移民などの価値観が衝突するわけです。
二〇世紀の半ばまで、イスラム世界はあまり「目覚めて」おらず、西洋人のやっていることを様子見している雰囲気であり、むしろ軍事政権などが演出するナショナリズムが目立っておりました。ところが一九七九年にイランでイスラム革命が起きます。 このあたりを境に、イスラム各地では イスラム復興 の機運が高まり、またイスラム法を国法化しようという イスラム主義 も熱を帯びるようになりました。さらにカルト的なイスラム過激派の動きが活発化し、自爆テロなどが起きるようになりました(これについては第7章も参照のこと)。
二一世紀になって欧米社会で急速に台頭してきたのが、システマティックにすべての宗教を否定する「 無神論」です。背後にはファンダメンタリスト、イスラム過激派、各種カルトの反知性主義やテロ事件に対する広範な嫌悪感があります。 生物学者 リチャード・ドーキンス、宇宙物理学者 スティーブン・ホーキング、哲学者 ダニエル・デネット、評論家 クリストファー・ヒチンズ などが無神論の提唱で知られていますが、彼らに限らず、科学的知識人の多くは潜在的に無神論者と言っていいでしょう。
「 無宗教」を標榜する人の多い日本では、今日、世界各地の宗教の歴史と教えに対する知識の欠如が問題となっており、マスコミでも「宗教をもっと知ろう」という声がしばしば上がっています。しかし、単純に「信仰を尊重しよう」とか「宗教には我々の知らない知恵があるのだ」というだけでは、かえって現代世界の動向について行けなくなるかもしれません。
というのは、宗教には個人的信仰の側面、集団的アイデンティティの側面、知識の側面、知恵や慈悲の側面、反知性的な反動の側面、排他的な側面があるのであり、その全体に目を通すことがますます必要になってきているからです。
宗教というと、欧米におけるキリスト教とイスラム教の緊張関係のように、宗教どうしの対立の問題が思い浮かぶかもしれません。 歴史を眺めてみますと、異なる宗教の信者どうしが常に喧嘩していたわけではありません。一般民衆にとっては生活のほうが大事であり、教理が違うからといって即喧嘩を始めるわけではないのです。
インドにおけるヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立、東南アジアにおける仏教徒とイスラム教徒の対立、パレスチナにおけるユダヤ教徒とイスラム教徒の対立、イスラム圏内の各地におけるシーア派とスンナ派の対立等々、世界中の宗教対立の背後には、常に政治的・経済的な利害の問題があります。 -
Kindle Unlimitedでサクッと読めた。
5大宗教をざっくりと知りたい方にとってはおすすめ。
ユダヤ教の安息日が日本の週休制度につながっているというのは驚き。ユダヤ教に感謝。
日本でも宗教の教えにより労働を悪とする文化が根付いていれば、こんなに働きづらい世の中にはなっていなかったのかもね…。
宗教というとマイナスイメージを持つ方もいるかもしれないが、イスラム教のように宗教が法をもたらした例もあり、人を統治するための上手い仕組みだと思った。 -
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教や、ヒンドゥー教・仏教が、それぞれ比較対比されながらコンパクトにまとまっている。終わりには近年のファンダメンタリズム、カルト、新宗教などの紹介も。
ページ数も少なくあっさりした内容だが、記述は読みやすく最初のとっかかりにちょうど良い。