- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784840134941
作品紹介・あらすじ
大学ではエクソシストの養成講座が開かれ、勉強会には全世界から200名ものエクソシストが集う。イタリアを中心とした欧州で、いま何が起こりつつあるのか-?著者は、悪魔に憑かれた人々やエクソシストに取材し、日本人として初めて「悪魔祓い」の儀式に立ち会う。グローバリズムの嵐がキリスト教文化圏の人々にもたらした「正体不明の不安」の実態に迫る迫真のレポート。
感想・レビュー・書評
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なんだか結局何がいいたいのか分からず。
もっとイタリアの歴史や文化と
カトリックの歴史に踏み込んで
現在のイタリアの情勢とか絡めたり
できたんじゃないの⁇
ただ語学できますってだけじゃ
いい本は書けないという良い見本。
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レビュー省略
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たまたま島村さんの存在を知り、タイトルをみた瞬間「これは絶対読む!」と固い決意。笑
しかもこれが実際のエクソシストとかに話聞いて書いてるのだから素晴らしい。
意外な伏線をたどりつつ、さっぱりとした文章であっという間に読み進めてしまいました。
以前1冊単行本が出ているということなので、そちらも気になるなぁ…内容は全然別なのかな。調べてみよう。 -
エクソシストの現状や精神病にならない為の防波堤になっているなど軽めながら分かり易くまとまっているので興味のある人には丁度良い本だと思う
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フォトリーディング。
高速を交えて熟読。
題名からはおどろおどろしい内容を想像したが、しっかりと取材してある社会論。悪魔祓いを通して現代社会を見つめるような本。イタリアが中心だが、現代社会一般についても洞察の深い内容だと思った。星五つ。 -
続編ではないが『エクソシストとの対話』の10年後に書かれた本書は、良くも悪くも新書である。前作に比べ格段に読み易くなっておりノンフィクションと言うよりは小辞典みたいな構成。公式エクソシストの現状について手っ取り早く知りたい人にお勧め。但、その分『~対話』にあった著者の手探り、戸惑い、逡巡、共感等の臨場感は失われている。私は前作の後日談として楽しんだ。話が行きつ戻りつして少し読みにくいが、やはり前作から読むのが正解だと思う。情報として整理されてしまった本作に比べ登場人物が生きている。特にカンディド神父は!
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期待してたのとは違ってた。
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映画の『THE LIGHT』を見てから、エクソシストに興味を持ったので
読んでみた本。
心理学を学んでいるので非常に興味深かった。 -
一般的にはほとんど知られていないエクソシストの実際が、イタリアを中心にレポートされていて興味深い。コンパクトで読みやすいけど、概略という感じでもあるので、もうちょっと掘り下げたものも読みたいなぁ。
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「エクソシストとの対話」の続編。「対話」から20年、エクソシズムを取り巻く状況の変化や、「対話」に出てきたエクソシストたちの近況から始まって、現代人がエクソシズムを求める理由を探っている。
「悪魔」という概念は、エクソシズムを語る上で避けて通れない。しかし、「悪魔」をどう捉えるかは、千差万別だ。どの解釈でも「悪魔」を理解するためにはハリウッド的な悪魔像を頭から追い出さなくてはいけないということは共通している。
悪魔を「知性を持つ外的存在」ではないかという神父もいれば、「人間の意識できない領域にある何かを表す概念」だという精神科医もいる。
私は精神科医の意見に賛成。でも、神父の意見にも正直魅力を感じる。神秘的なんだもん。
読んでいる最中、ミヒャエル・エンデの『モモ』のジローラモの台詞を思い出した。
「みんな俺の話に夢中になって自分を忘れて、モモに話を聞いて貰って自分に立ち帰ったんだ。それでよく生きることができていたんだよ」
ところどころ間違っていると思うけど、意味は大体合っているはず。
誰にでも自分を忘れる時間と、自分に立ち帰る時間が同じくらい必要なんだ。エクソシズムの儀式の様子は、自分を忘れながら自分に立ち帰るための儀式に思えた。
精神医療の芸術療法も、それと似ているんじゃないだろうか。芸術療法についての知識はほとんど無いから、イメージだけど。
どんな人でも、どんな時でも、どんな状況でも、とてもそうは信じられない時でも。人には自分自身を癒す力がある。それを引き出す方法の一つがエクソシズムじゃないかな。
重要なのは方法ではなくて、その人が癒されたという事実だ。
旧宗教の衰退によって社会で共有する文化や習慣や価値観が崩壊したから、カルトや新興宗教が増えた。ふーん、なるほど。
でも、どうして宗教が必要なんだろう?私には信仰の習慣がないからかな。よくわからない。