広告も変わったねぇ。「ぼくと広告批評」と「広告の転形期」についてお話しします。

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784844326434

感想・レビュー・書評

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  • 【速読】ウェブ広告はどうなるか、というのが対談者ごとに評価が異なる。天野さんは一貫して「これまでのような押し付けではない方向へ」と話していますが、果たして今はTV以上に押し付けられているのが個人的実感。まーこのサイトも含めて無料サービスを使う日々なんで仕方ないといえばそうなんですが、広告が楽しかった頃とはかけ離れてキツい。「批評も表現」というのは至言でして、これは広告に限らずそうであって欲しいですね。

  • 「広告批評」の天野さんが、5人の業界人と対談する形で広告の変化、これからを探っていくというもの。
    広告とは、伝えるもの。箱が変わっていく。そんな話を軸に、取り巻く環境、はたまた媒体などについて取り扱っており、これまで読んだ本や記事などに関連してくるわかりやすい語りだった。

    中島信也氏との対談は特に興味深かった。
    あくまでもお茶の間目線・生産者語と消費者語のバイリンガル・生活者とのコミュニケーションの架け橋の作り方などをかなり具体性をもって述べられており、自分でもわかりやすくすんなりと入ってきた。

    2014年、新たに始まる年において、さらなる変化を続ける広告の形に関して自分が敏感になっていかねばならないと思うと共に、天野さんに今一度広告に野次を飛ばして欲しくなった。

  • 「広告も変わったねぇ。」というタイトルから、昔(いつから昔か難しいが)から広告がどう変化したかを中心に対談が構成されている。

    ただ、この書籍では「変化したこと(しなければいけないこと)」と「戦前、江戸まで含めた広告の不偏的なこと」という2軸がどの対談相手からも出て来ているように感じる。

    やはりウェブが出て来たことで、大きな変化があったことは皆一致しており、一方的な発信ではなく、消費者にバレることを前提でどうコミュニケーションしていくか。そこが重要である。

    みんなに共通して面白かったことは、

    「今までは広告を完成させて、消費者に届けていたが、消費者がそれをどう読み解くか、広げるかで完成するものであり、ある意味製作サイドでは半分くらいで消費者に届けてしまうということが多くなっている」
    この本の対談者のほとんどに共通する意見であったのが、面白い。

    また、ブランドというのは企業のあいさつのようなもの。
    これも個人的には面白かったし、頭で考えるブランディングとは違った魅力的なコトバである。

    あとは、江戸時代の「土曜丑の日」やDDBのフォルクスワーゲンの広告など、何だろう。この業界にいて知らないことが恥ずかしいほどの事例をしっかりと学び直したい気分にさせてくれる。

    本書でこれから必要になるのは、糸井さん曰く「大工の棟梁」みたいな人と。すべてをまとめあげられる人。これは広告というより、メディア全体で必要とされてくるものだろう。

    変わったねえと言いながら、しっかり広告の変わらない部分も教えてくれる、とても勉強になった一冊。

  • 企業のマーケティング活動の本質は変わらないが、広告表現や手法は変化し続けるということが分かります。

  • ・人好きだけど新しい物好きで、ちょっとせちがらい。
     悪い意味でなく。
     そんな広告業界。

    ・東京でしばらく過ごしてみたからこそ、
     対談で話されていることが
     頭だけでなく体感的にわかるわかるっていう部分がある。
     “ルーズな広がり”感とか、“キャプティブ”とか。

  • 「広告批評」編集長をつとめた
    天野祐吉さんが
    さまざまなクリエイター(そうそうたるメンバー!)と
    これからの広告のありかたについて語っている対談集。

    私は、佐藤尚之さんの章に、
    ふせんをたくさん貼っている。

    確かにインターネットによって、
    社会は原子化するのかも。
    おおきな一つのコミュニティになり、
    クチコミが強くなる社会。

  • 広告は時代を反映している、創造している。確かに過去の社会風潮を知るのにはよい媒体なのだとおもった。

    そういう広告も変遷があるらしい。活字文化から、映像文化へ、さらに近年のソーシャルメディアへ。

    一方的から双方向になったり、企業目線から消費者目線へ。

    広告の歴史を「広告批評」と共に30年、前後を含めてそれ以上見つめてきた天野祐吉さんが大枠を教えてくれます。

    PARCO:石岡瑛子「裸を見るな。裸になれ。」
    糸井重里、川崎徹、中畑貴志といったコピーライター
    杉山恒太郎:「ピッカピカの一年生」

  • 広告批評の元編集長、天野祐吉のご隠居視線と今の広告を作る5人で広く広告のこれからについて語っている対談集。
    終始「人に伝えるということ」という広告の原点についてのお話が多かったです。
    江戸から今まで、広告そのものは変わっていないことを感じさせられます。

    武田鉄矢みたいだけど、漢字の通り、広告とは人に広く伝えることであることを実感させられる本です。
    途中、人が生きて、人と接するだけで広告だと思うという言葉もあったくらい。

    個人的には中島信也さんとの対談が面白かったです。
    中島信也さんの物事を全て肯定しながらも、考えを主張する感じはいつも素敵にうつります。

  • 改めて『広告批評』が休刊になったことは広告界にとって大きな出来事だったんだなと思った。

    自分が携わったものに対し、どう批評してくれるのか。

    なんだか自分の成果を見てくれる親みたいな、そんな存在だったんだなって今更ながらに思いました。

  • 天野氏は1979年に雑誌『広告批評』を創刊し、「広告の批評」とい
    う独自のジャンルを確立しました。以後、30年にわたって、批評家
    という立場から日本の広告文化の発展に寄与してきましたが、その
    『広告批評』も2009年で廃刊。廃刊直前に出版された本書は、『広
    告批評』の歩みと共に広告の「これまで」をふり返りつつ、広告の
    「いま」と「これから」を考える、という内容になっています。

    広告の原点は「土用丑の日」を「うなぎの日」にした平賀源内の発
    想にあると天野氏は言います。その頃から広告の本質が「評判づく
    り」であることは現在まで一貫して変わらない。ただ、当然ながら
    広告の形態自体は社会の変化に合わせて随分と変わってきており、
    「広告も変わったねぇ」と思わず呟いてしまうくらいの大きな「転
    形期」が、これまでに3度あったと言います。

    最初は1960年前後、高度成長路線をがむしゃらに走り始めた時期で
    す。次が70年代の終わり、テレビがマス広告の王者になった頃です。
    そして、三度目の転形期は、昭和天皇が崩御し、ベルリンの壁が崩
    れ、バブルがはじけた80年代末から90年代にかけて。それはウェブ
    の台頭で決定的になります。ソーシャルメディア全盛の現在が第三
    の転形期の延長なのか、はたまた第四の転形期なのか、そこまでは
    本書では言及されていません。

    こうやって広告の「これまで」を振り返ると、広告というものが
    「いま」と切実な関係を保ち続けてきた大衆表現であること、そし
    て、だからこそ広告を語ることは社会や時代を語ることと同義なの
    だということがわかります。本書が広告論の形をとりながらも、極
    めて優れた社会時評となっているのはそのためでしょう。へたな社
    会学者や評論家が書くものよりずっと面白いです。

    また、良質な批評精神とでも呼べるものに触れられるのも本書の魅
    力の一つです。批評の本質は「つくり手といっしょに歩き、つくり
    手の足元を照らすこと」と天野氏は言いますが、大所高所から批判
    したり、偉そうに理屈を述べたりするのではなく、つくり手と同じ
    地平で広告の未来を夢見ている。そして、その底には広告に対する
    限りない愛がある。そういう天野氏の姿勢が多くの支持を集め、
    『広告批評』という雑誌を特別なものにしていたのだと思います。
    見習いたい姿勢ですね。

    広告に全く興味がなくても十分に楽しめ、学ぶことの多い一冊です。
    是非、読んでみて下さい。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    日本で商業広告が本格化した江戸の中期から現在まで、一貫して変
    わらないこともあります。
    それは「評判をつくる」という広告の役割です。(…)「土用丑の
    日」を勝手に「うなぎの日」と定めて、うなぎの評判を世に高めた
    平賀源内さんの時代から、飽食社会にあえて「hungry?」と呼びか
    けて海外でも評判を取った大貫卓也さんの時代まで、その一点だけ
    はまったく変わっていない、とぼくは考えています(天野)

    やっぱり、上手なコンテクストをつくって、うまく世間の価値観を
    ひっくり返しちゃうのが、広告の最大のダイナミズムだと思うんで
    すよ(杉山)

    まずは、架け橋をつくる。その橋の強度がブランド力といいますか、
    相互の信頼関係というものだとしたら、最初は頼りない、一本のロ
    ープかもしれない。商品名や企業の名前を覚えてもらっても、やっ
    と吊り橋レベル。けれど、アップルやナイキなんかは、そういう架
    け橋づくりのたゆまぬ努力をずっと続けてきて、頑丈な鉄橋にした
    んだと思うんです(中島)

    (軍縮ならぬ)産縮をして、経済成長を抑えて、だからといって失
    業者だらけになったりはしないバランスのいい社会を、どうやって
    つくっていくか。社会全体のめざすところが、そういう方向に変わ
    ってきているとぼくも思います(中島)

    「広告はあいさつだ」というと儀礼的に聞こえるようで、「広告は
    そんなに簡単なものじゃない」なんていわれたりするんだけど、ぼ
    くからすれば、あいさつこそそんなに単純なものじゃない。「伊右
    衛門」のCMからはサントリーのあいさつが聞こえてくるんです。
    (天野)

    こういうときこそ「つぎにみんなが幸せになるための目標」のよう
    なものをみんなで共有することが大切だと思うんです。かつてのテ
    レビにはあったんですよね。みんなを幸せにするなにか、が(中島)

    ウェブって、舞台と客席のあいだに差がないことが特徴でもあるん
    ですよね。見せる芸というよりは、観客を巻き込んだ乱闘騒ぎみた
    いになっているんです。その乱闘騒ぎのなかで、ユーザーとのあい
    だにコミュニティをつくっていくという感覚なんですよ(中島)

    「アタシはバカだけど、アンタもバカだねえ」というのがコミュニ
    ケーションの基本だよね。でも、いままでの広告は「オレは利口だ
    !」と…。(天野)
    それどころか、「オレって最髙!惚れろよ、オイ!」っていうの、
    多いですよね(笑)。そんな傲慢な口説き文句で惚れてくれ、買っ
    てくれっていう論理がまかり通っていたこと自体、おかしかったん
    だと思います(佐藤)

    いま、異常な情報洪水で、12年前の637倍の情報量が世の中に流れ
    ているという総務省のデータもあります。(…)そうなると、もう
    どの情報を選んでいいかわからないから、消費者は信頼している人
    の言葉に従う傾向が強いんです。自分で決断しない。物も情報も多
    すぎるから、選ぶことにも億劫になっている人が増えている(佐藤)

    世の中のベースに大衆があった頃は、「ひとりでなにかやる」とい
    うことに価値があったんです。でもいまは、大衆がバラけて、みん
    な個人になっちゃった。そうしたらこんどは、逆に「共有」とか
    「わかりあう」ってことをすごく求めるようになって。いまは誰か
    とつながっていたいというか、「わたしも欲しい」「わたしもそれ
    に乗る」というふうに、体験を共有したがる人がすごく増えている
    気がします(佐藤)

    インターネットは、社会学者のマーシャル・マクルーハンがいうよ
    うに「社会を原始化する」、どんどん昔の仕組みに戻していくとこ
    ろがありますね。(…)村というのは街と違って、なにかと噂とか
    評判とかで成り立っているコミュニティでしょ?そういうところに
    いま、戻っていっているように思えるんだよね(天野)

    プラトンの昔から、人間は「対話」で物事を考えてきたわけだけど、
    糸井さんは本質的に対話型の人。ぼくのような「モノローグ(独白)
    型」の言葉じゃなくて、「ダイアローグ(対話)型」の言葉のもち
    主だと思う。で、ウェブ語というのは、結局、対話語なんだよね
    (天野)

    優秀なコピーライターはずっと、「この言葉はここで止まるんじゃ
    なくって、いろんな反応が生まれて、コメントがつくようにしよう」
    「世の中にコミュニティができるようなことをこの言葉でやろう」
    みたいなことを考えながら、がんばってコピーを書いてきたと思う
    んです(谷山)

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    ●[2]編集後記

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    子守りの日だった昨日は、娘と二人で、赤坂の氷川神社での夏越し
    の大祓えの準備となる茅の輪づくりに参加してきました。

    夏越しの大祓え。それは大晦日の年越しの大祓えと対になる一年の
    区切りの儀式です。6月の末日に茅や藁でつくった大きな輪をくぐ
    ることで半年間の穢れを浄化し、残り半年間を無病息災で生きるこ
    とを祈るのです。

    近所の神社の茅の輪は藁で出来ていますが、氷川神社のはススキの
    葉でつくる、青青としたものでした。青青としたススキを黒い麻紐
    で束ねて円環に仕立てた姿はまさにヘビそのもの。ススキの生命力
    と共に、ヘビの生命力にあやかるという思いもあるのでしょう。輪
    (穴)をくぐるのは、再生する生命のメタファーなのだと思います。

    罪や穢れを根の国・底の国へと吹き飛ばす「祓えの詞」を朗々と読
    み上げた後、青青とした巨大な輪を鳥居に据え付けるのを見届けた
    のですが、何だかとても清々しい気分になりました。娘も同じ気分
    だったようで、たいそう機嫌よくしていました。昔の日本人はこう
    やって節目節目で穢れを祓うことで、明日へと向かう活力を手に入
    れていたのでしょう。改めて昔の人の暮しの知恵を思いました。

    気づいたら今年ももう半年。大きな悲しみと痛みと混乱を経験した
    半年でしたが、残り半年は活力に満ちたものにしたいですね。

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著者プロフィール

天野祐吉(あまの・ゆうきち)
コラムニスト。1933年東京生まれ。1979年に「広告批評」を創刊。2009年同誌終刊後、「天野祐吉作業室」を設立。主な著書に『広告論講義』(岩波書店)、『広告五千年史』(新潮選書)、共著に『広告も変わったねぇ。』(インプレスジャパン)、『可士和式』(天野祐吉作業室)など。

「2012年 『クリエイターズ・トーク』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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