インプロ教育―即興演劇は創造性を育てるか?

著者 :
  • フィルムアート社
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レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784845907014

作品紹介・あらすじ

闘わず、逃げない。自然体で人と交流するしなやかな力。インプロ(即興)で受け容れあう人間教育。

感想・レビュー・書評

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  • 学位請求論文を書籍化したもので、万人向きではないが、創造性に関する示唆に富んでいる。「スポンテイニアス spontaneous になること」が創造的になるためには重要。創造的なブレストをしたい人におすすめ。なぜブレストに無批判・評価遅延ルールがあるかの理論的裏付けとして読むこともできる。

    Togetter - 「インプロ教育と創造性とエリート像」 http://togetter.com/li/56953

    著者のインプロワークショップに参加したこともある。面白かった。

    キース・ジョンストン氏の生い立ちがまさにこんな感じ→進化の本質/個性の本質 http://zerobase.jp/people/ishibashi/post_41.html

    ケン・ロビンソン「学校教育は創造性を殺してしまっている」 | Video on TED.com http://www.ted.com/talks/lang/ja/ken_robinson_says_schools_kill_creativity.html

  • 高尾隆「インプロ教育:即興演劇は創造性を育てるか」フィルムアート社、2006年
    (一橋大学社会学研究科へ提出の博士学位請求論文に一部加筆修正。)

    インプロは創造性をあなたに与えない。
    しかし、あなたの中にすでにある創造性を掘り起こす手伝いをする。

    著者プロフィール
    高尾隆
1974年島根県生まれ。
    一橋大学学生支援センター専任講師。1998年東京大学文学部行動文化学科卒業。2004年一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士課程修了。博士(社会学)。専門は演劇教育。大学を中心に、インプロや演劇を用いた教育実践とその研究を行なう。著書に『日常を変える! クリエイティヴ・アクション』(共著、フィルムアート社、2006年)など。また、インプロ団体『即興実験学校』で、インプロヴァイザー、ファシリテーターとしても活動している。


    
1 インプロ教育とは?

    ■インプロとは?――本書の目的
     何もないところから物語を創造していく即興演劇は「インプロ」と呼ばれ、欧米を中心に世界中に広まっている。
     インプロは、それぞれの人が好き勝手に思いついたことをやる「でたらめ」ではない。それぞれの人から生まれたアイディアを、お互いに受け容れ合い、ふくらませていくことで、初めて今まで誰もつくったことのない新しい物語を生み出すことができる。そのためには、アイディアを生み出し、受け容れ、発展させるための方法論が必要である。しかし、海だそう、受け容れよう、発展させようと「頑張って」も、その通りにできないところがインプロの難しいところであり、面白いところである。
     本書の目的は、キース・ジョンストンのインプロは創造性(creativity)を育てるのかどうかを、彼のインプロの方法論を用いた教育実践において参加者にどのような変化が起こっているのかについて創造性という視点から明らかにすることで検討することである。

    ■創造性はどう考えられてきたのか
    創造性研究の歴史的展開/創造性研究のアプローチ/創造性とは何か/創造性の育成・教育についての研究


     創造性研究はアプローチや学問領域ごとにばらばらになっていたので、創造性は全体的に捉えられることがなかった。創造性を複数の要素によって構成される複合体と考える必要性、そして、複数のアプローチ・理論・方法を統合して創造性を研究する必要性が近年言われるようになった。
    「創造性とは何か」ということについて多くの人びとが多くの答えを出しているが、定義を一つに決めることは難しい。
     心理測定的アプローチは「創造性は個人内に備わる測定可能な性格特性である」と考え、創造性を流暢性、柔軟性、独創性、具体性などのいくつかの因子の総合として考えた。芸術や技術など、社会にとって新しいものを生み出すこと、またその力を創造性と捉える見方もある。
     チクセントミハイの「創造性のシステムモデル」は、創造のプロセスを個人、領域、場が関わりあい交差するところにおいてのみ観察出来ると考える。領域は、法則、表象、表記のパターンの集まりであり、その背景にあるのは文化である。個人はこの領域にアクセスし、既存のpatternを参照する。そして、そこから変種をつくる。そのことによって、領域に変化が起きる。この領域の変化を創造性と捕らえる。個人、領域、場という三者の相互作用の中で社会的に構築されるものとして考える。
     ジョンストンのインプロの方法論を用いた教育実践に携わる人々が、創造性についてどのような考え方を持っているのかを捉え、教育実践の中で、参加者がどのように変化しているのかを分析する。最終的に、その変化をチクセントミハイの創造性のシステムモデル内にどのように位置づけられるのか、あるいはできないのかを検討し、このモデルを再考する。
        
    「創造性はどのようにして育まれるのか」「どのようにしたら創造性を高めることができるのか」といった創造性の育成・教育の問題は創造性研究の主要なテーマの一つである。 
     いくつかの指標を組み合わせながら創造性を量的に測定することを試みた心理測定的アプローチは創造性の育成について多くの実験研究を行った。社会—人格アプローチは創造性テストと他の性格特性を計るテストを組み合わせて行い、相関関係を統計的に求める統計学的研究が多く行われた。複数のアプローチを統合する近年の研究もある。しかし、今までの創造性の育成・教育に関する研究には4つの問題点がある。
    1) 研究が創造性を高めることのみに注目し、創造性というものに対する認識や理解を深める学習にあまり注意していないこと
    2) 個人の創造のみを扱っていて、協働(collaboration)の創造についてあまり触れていないこと。
    3) 研究対象が高い創造性を持つと認められている人々に偏っているため、一般の人々の創造性を捉えにくいこと
    4) 教育を知識の伝達というふうに位置づけているため、創造性の教育の場における参加者の変化の部分を見落としていること
     教育を知識の伝達というだけでなく、さまざまな主体の間の多様で多層的な関係が産み出されるばとして考えると、教育の役割は、知識を与えるだけでなく、個人を励ましたり、個人同士の関わり合いをスムーズにしたり、創造性それ自体について反省的に捉え返す機会を与えたりと、さまざまな機能を果たしており、そのことによって参加者の創造性は影響を受けているはずである。
     既存の創造性の育成・教育に関する研究の問題点を踏まえ、まず、一般の人々の創造性の教育を中心に捉える。そして、教育を知識の伝達としてだけでなく、多様な関係が産み出される場として捉え、そのことが参加者にどのような影響を与えているかをみる。さらに、参加者が創造性を身につけることのみならず、参加者がどのように創造性の概念を深めているかについても考えていく。また、協働の創造性の問題についても考えていく。
     
    ■インプロ、演劇教育はどう考えられてきたのか
    
     インプロの研究/演劇教育研究のアプローチ/演劇教育理論における創造性の捉え方

    

     インプロの方法論について批判的、客観的な研究を行ったものがある。古典から現代までの即興演劇の方法論を歴史的に整理し、方法論同士を比較しながらそれぞれの特徴を分析した、フロストとヤーロウの「インプロヴィゼーション・アンド・ドラマ」である。即興演劇の初期、シャーマン、道化、マイム、コメディア・デラルテ。やがて脚本家や演出家の登場で即興演劇の伝統は消えていく。20世紀、よりリアルな演技を求めて俳優の訓練に即興を取り入れようとする動きが生まれる。ここから、脚本があり演出があるという演劇の制度に疑問を投げかけ、それを解体し、新たな演劇の可能性を探ろうとする試みが出てくる。フロストとヤーロウは、20世紀の即興演劇を「伝統演劇としての即興演劇」「代替としての即興演劇」「演劇を越えるもの」の三つに区分する。ジョンストンのインプロは、創造性や協力、協働を学ぶことを目的として、学校教育や企業教育の中に取り入れられていくがフロストとヤーロウは「演劇を越えるもの」としての意義を評価できていない。また、参加者がどのように変化しているかを描いていない。
     演劇教育研究において、どのように参加者の変化が研究されてきたか。 
     イギリスの演劇教育における研究は経験を積み重ねていくことで演劇の教育的効果を実証していく経験主義的アプローチをとる者が主で、感覚的で直感的なものも含む複雑なものを教育に用いる時に有効で、教師にとってもそれぞれに方法、内容を自由につくりだしていけるという利点があったが、今までの実践の成果を整理して説明するもの、あるいは、中心的な実践者が自らの方法や思想をまとめたものが多くなり、したがって参加者の変化について議論することは難しかった。
     アメリカのクリエイティブ・ドラマは1920年代に即興劇を中心として観客に見せるためではなく過程を大事にするものとしてはじまった。ごっこ遊びや、誰かになってみる、何かを演じてみることなどを通じて、全人的発達、個性の伸長、創造性の開発などを目指した。ドラマの効用を科学的に測定するために量的研究アプローチが用いられ、参加者の複雑な変化の多くの部分をそぎ落とし、単純化した議論をしてきた。
     演劇教育の理論書として重要な位置を占めているマッカスリンの『クリエイティブドラマ・イン・ザ・クラスルーム・アンド・ビヨンド』では創造性の先行研究では触れられていない協働の創造性について触れられている。
     協働の創造の教育にも焦点を当てることができるのが演劇教育の特徴と言える。現実社会の多くの創造は、協働によって行われているが、創造性が個人主義や自我心理学と結びついていた歴史的要因から創造性研究は創造性を個人的なものとして扱うべきだと考えてきたため、実際の社会で非常に重要な協働の創造については、研究に関しても、教育に関してもまだかなりの余地が残っている。ジョンストンのインプロの方法論が、演劇の世界だけでなく、学校教育、企業教育で、しかも創造性という側面から注目されるのは、それが協働の創造の教育についても扱っているからという理由もある。
      
    ■教育実践とは?
 
     教育を「実際に行うこと」という意味だけでは捉えない。私は、教育実践を、理論の生成・計画→実行→観察認識→省察→理論の修正・新たな計画→という循環として捉える。このような循環の中で、仮説的な理論は、常に検証され、作り替えられていく。また、それによって次に実行されることも変わっていく。この意味で理論と実践は絶えず相互に作用しあう。また、この循環は、実践者の持つ理論が変わり、行動が変わり認識が変わり、省察が変わっていく過程であるとも言える。つまり、実践を循環として捕らえるこの教育実践概念には、実践者の学び、そして資質形成が含み込まれている。また、実行については、授業中の直接的な関わり合いに限定せず、授業外での関わり合いも含む。また、ファシリテートなど、参加者同士が関わる事への支援も含む。
     
    ■ 対象とアプローチ
     対象とするのは、ジョンストンのインプロの方法論を用いた教育実践で、教育実践に参加している人々の変化を創造性を中心としてみていく。
     一つの現象に対してさまざまな方法、研究者、調査群、空間的・時間的セッティングあるいは異なった理論的立場を組み合わせるトライアンギュレーションによってなりたつ。

    ■本書のねらいと構成





    2 ジョンストンのインプロ
    ■ 対象と方法
  
    ジョンストンの著作「インプロ」を資料として用い、筆者の行ったインタビューや、ワークショップを受講したメモなどを用いながら、ライフストーリーを記述する。ジョンストンの方法論の形成に強く影響を与えているのは彼が自ら経験し、自ら物語化したライフである。が自分自身の人生をどのように物語化し語るのか、何を強調して語るのかに注目する。

    ■ジョンストンのライフヒストリー
    
     生まれ育った環境/分岐点――脳に起こった異変/スターリングとの出会い/教師になる
  
     /演劇の世界へ/カナダへ
  

     キース・ジョンストンは1933年イギリス南部の貧しい漁師町で生まれた。11歳までは大変な秀才だったが、突然「何も記憶できなかったんだ。文字や数字を覚えるのがとても難しかった。ただ空間は覚えられた」という状態になる。駄目な生徒のままの13歳の頃、教師がある特定の宗教集団を侮蔑することに興味をひかれ、自分の住む街とは別の街に住む神智学教会の人たちに会いに行く。彼らの図書館に東洋の本がたくさんあり、ジョンストンは1年以上その図書館の本を読む。「思考の基礎としてよかった。とても西欧的だったから」とジョンストンは言った。18歳、ロンドンに出て初めて映画を見た。黒澤明の「羅生門」だった。それ以降多くの日本の映画を見るようになった。その後、彼は教師になることを決める。当時、発話に障害があり、教師という仕事がからだや声にいい影響を与えるのではないかと考えた。教師養成の専門学校の芸術家のコースに入り、アンソニー・スターリングという教師と出会ったことが彼を変える。「人生で初めてすばらしい先生の手の中に入った」とジョンストンは言った。スターリングは芸術は子どもたちの中にあるものであり、大人によって加えられるものではない、と考えていた。子どもたちは決して失敗をすべきではないこと、教師の技術は子どもたちの経験を子どもたちにとっていいように表すこと、そういったことをスターリングから学んだ。労働者階級の人々が多く住む地域で教師になった。ジョンストンが創意に富むと考える子どもたちを同僚たちは嫌っていた。ジョンストンは誰も持ちたがらなかったクラスを持たされた。子どもの創造力を解放したいとのぞみ、子どもに書く力を与えることに力を入れた。子どもたちは活発さや才能を発揮させるようになるが、校長はジョンストンに「あなたは正しいタイプではない、まったく正しいタイプではない」と言った。
     教師の仕事が終わり、ジョンストンは画家を目指す。画家とのつながりのなかで、ロイヤル・コート・シアターのメンバー、リンゼイ・アンダーソンが無難な演劇づくりをやめて未知のものをやってみることを提案しジョンストンに戯曲を依頼する。ジョンストンはロイヤル・コート・シアターの嘱託を受け、戯曲を書いたがそれは評価されなかった。ジョンストンは、ライターズ・グループを運営する。当時のイギリスの劇団では議論がとにかくたくさんなされていた。議論するのではなく、実際に演じてみせることをしていくなかで、ライターズ・グループはやがて即興演劇のグループとしても機能していく。ここでジョンストンは初めてインプロをやるようになる。脚本からではなく、一瞬の衝動から創造することもいいと感じるようになった。ライターズ・グループは、実践から創造する集団となり3年間その活動を続けた。
     ロイヤル・コート・シアターのスタジオが出来、ジョンストンはそこで演劇を教えることになる。ライターズ・グループのやりかたを用いて、インプロについて授業を行った。その授業は笑いが絶えなかった。ジョンストンはゲームやエキササイズを開発した。やがて、この面白さはうちわだからなのか、という疑問がわき、無料のデモンストレーションを行う。多くの招待を受けるようになり上演を行った。その後デモンストレーションではなくショーを行うことになり「シアター・マシーン」と名づけた。ヨーロッパツアーは行く土地土地で大きな反響があった。
     この頃、ジョンストンはプロレスをヒントにして、対戦型のインプロ、シアタースポーツを生み出した。かれはプロレスは今まで観た中で唯一の労働者階級の演劇だと思った。この観客の高揚を彼は求めた。当時のイギリスの演劇は限られた上流階級の人々のみが正装して鑑賞する「文化的」なものだった。
     ジョンストンは1966年まで劇場で演出も続けたが、演出家としての才能が失われていくのを感じていた。すでに画家としての才能、作家としての才能も失ったと感じていた彼に残っていたのは、シアター・マシーンだけであった。
     やがてインプロヴァイザーの創造性を解放する技術を自分自身の仕事にも応用することを思いつく。頑張って何かをするとスポンテイニアスになることができないという考え方を応用して仕事の合間の時間に書いたら脚本を楽に書くことが出来、しかも、その出来も悪くなかった。
     1971年、ジョンストンはカナダのカルガリー大学に専任講師として招聘される。そこで、シークレット・インプロ・シアターを始めた。1977年、カルガリーでルースムースシアターというインプロ団体を旗揚げする。その後1999年までルースムースの芸術監督としてインプロの演出、教育を行ってきた。現在は世界中でワークショップをおこなっている。

    ■ジョンストンのインプロの方法論
    
     大人は萎縮した子ども/スポンタネイティーと想像
     /スポンタネイティーを阻む問題―社会的こころがもたらす三つの恐れ
 
         評価への恐れ|未来や変化への恐れ|見られることへの恐れ|  
         恐れによって引き起こされる変化─言語化と失敗対処 
     子どもは創造性を持っているが大人になるにつれてそれが発揮できなくなる。大人は萎縮した子どもである。ジョンストンのインプロの方法論は、人々に創造性を与える方法なのではなく、そもそも持っていた創造性を再び甦らせる方法である。
     この創造性を考えて行く上でジョンストンが用いる二つのキーワードがある。スポンタネイティーと想像である。スポンタネイティーは「自然発生」と訳すことができる概念で、安易かを意識的に産み出すのではなく、何かが意識することなく自然に生まれてくることである。人がスポンティニアスな状態になると、意識することなくアイディアが生まれてくるし、それを躊躇なく表現することができる。想像をジョンストンは、それぞれの人の脳が、それぞれの宇宙を構成し、その宇宙の中に生きていて、その宇宙を構成すること、そしてその力のことを想像と捉えている。
     ジョンストンの方法論は、人はなぜスポンタネイティーを失うのか、どうしたら人はその問題をとりのぞき、スオンテイニアスな状態に戻ることができるのかに焦点があてられている。
     人は成長し、社会化する過程で、社会的こころ・社会的自己を形成していく。これらが自らの心の中で起こるスポンテイニアスな働きを抑制する。
     評価への恐れ。芸術が自己表現となると、芸術表現はすなわち自己を実現したものになる。すると、表現したもの、創造したものに対する評価は自分自身への評価ともなってしまう。否定的な評価を受けないため、自分のイメージを守るために表現や創造を意識的に統制する必要が出てくる。結果、スポンタネイティーは失われていく。「私たちはスポンテイニアスな衝動を抑圧している。私たちは自分の創造を検閲する。自分が普通に見えるようにすることを学ぶ。そして、自分の才能を破壊する。──これで誰も自分のことを笑わなくなる。」
     特にインプロヴァイザーが他者の評価として気にしていることとして、「精神病的」「卑猥」「非独創的」をジョンストンはあげている。
     未来や変化への恐れ。「ノー」と否定すると、そこから先に進むことは無くなるので、未来へ行かなくて済む。自分が変えられることはなく安定を手にすることが出来る。しかし、「イエス」と言うとそこから未来へ進み、何らかの変化を受けることになる。しかし、変化には不安が伴う。「多くの人が変わることを恐れている。しかし、本当の教育はある種の変化を意味する。ただ情報を得るだけではない。」このような未来への恐れは、子ども時代にはない。
     観られることへの恐れ。人間には観客の前に立つことへの恐怖が普遍的にある。この恐れが強いと、評価への恐れや未来や変化への恐れも強めてしまう。この恐怖を隠すのではなく取り除かなければならないとジョンストンはいう。
     これらの恐れによって引き起こされる別の変化がスポンタネイティーを阻む事もあり、一つは、言語化で、インプロヴァイザーが恐れを感じているとき、シーンの中で台詞の量が多くなり体の動きが少なくなる傾向がある。二つ目は失敗への対処であり、より「安全」に失敗するやり方を慣習化された形で身につけてしまっていて、その大半は教育の過程で身につけられたとジョンストンは考えている。(例えば、何かをやる前に、ちょっと具合が悪そうな顔をする。これは、失敗したときには同情を買い、成功したときにはより大きな報酬が得られるやり方)これらは恐れを解決せず、からだを堅め、こころを否定的にする。
     
     問題を解決する方法
    
        普通にやる・がんばらない|独創的にならない・当たり前のことをする|賢くならない|
         勝とうとしない|自分を責めない|創造の責任を取らない
     普通にやること。ベストを尽くそうとすると余計に恐怖を感じさせる。ジョンストンは、「やろう」とすればするほどより能力がなくなると言う。また、「創造することは認識することと同じぐらい軽々とできるものでなくてはならない」という。人が「やろう」とするときは自分の力をしんようしていないときであり、社会的自己が優勢になり、見せかけになる。「『頑張る』ことはあなたをスポンテイニアスにできない。」
     独創的にならない、当たり前のことをする。独創的になろうとすればするほどアイディアは既存の狭い範囲のものに偏ってしまい、独創的でなくなる。自分にとって当たり前のことをすると、自分を、自分の宇宙を観客の前で明らかにすることであり、自分の宇宙は人によって違うものなので結果として独創的なものになる。
     賢くならない。教育の中では賢さに価値が行われている。しかし、インプロにおいて賢くなろうとすることは他者に賢く観られるようにすることであり、他者の評価への恐れが強くなる。また、よりよい未来を求めて未来をコントロールしようとしたり、失敗をさける為に変化を恐れるようになる。
     勝とうとしない。競争社会の中で、また学校のなかでは、勝つということに価値が置かれている。したがって、勝たなければならないということが、無意識のうちに身体化してしまっている。しかし、勝とうとすることはより他者の評価を気にすることであり、また、いっしょにいる仲間を負かそうとすることを意味する。勝とうとする代わりに「相手がよく見えるようにする」こと「相手にいい時間を与える」ことをするといい。
     自分を責めない。教育の中では自分のいったことや行ったことに対して責任を持つこと、もし失敗したらその責任を自分で負うことが大事とされる。しかし、インプロにおいて、自分の責任をとろうとすると、他者の評価がより気になるようになり、失敗を恐れて、リスクのある行動をとらないようになる。
     想像の責任を取らない。スポンテイニアスな想像は、自分の意識的なコントロールの及ぶ範囲を超えていく。想像と自分が無関係であると考えると、想像によって評価されることを恐れなくて済むようになり、スポンテイニアスな状態になることができる。
     
     何を心がけるか/どのように評価するか/教え方/学びの空間/「創造性は好きではない」
     なインプロヴァイザーはグッドネイチャーと「相手を喜ばせる」ことを心がけて舞台に立つといい。グッドネイチャーは「インプロヴァイザーからにじみ出る、その人が本来持っている人間としての良さが現れている状態」をさす。グッドネイチャーな状態でいる限り、仲間も観客も見方になる。また、常に相手を喜ばせようとすることは、自分のアイディアの検閲を避けるためにもいい。「相手をよろこばせるためにこんなことも出来るのではないか」というときに思いついた行動を躊躇せずに試すことができるようになる。他者がのぞむものをより理解出来るようになり、相手を喜ばせることができるようになると、協働で創造することがより楽しくなり、よりスポンテイニアススになっていく。結果的により創造的になっていく。
     ジョンストンは教え方自体も即興でありシラバスを前もって作らない。生徒の様子を見ながらやることを決めていく。教師が生徒よりも高いステータスにならないように気をつける。生徒が教師の賞賛を求めることに対処するために、できるだけ生徒が教師の様子をうかがえないように居場所を工夫する。また、逆の教え方をする。これは、やらない方がいいこと、教師がやってほしくないことを、逆にやらせることである。やってはいけないことはそれ自体が楽しみを含んでいるし、教室独自のプレッシャーを取り去ることが出来る。
     ジョンストンは、クラスという学びの空間をどのようにしたいとかんがえているのか。「情報を取り入れる事が出来る状態に生徒を持って行く必要がある」と考える。これは外界に対して自分を開くことであり、そのためにもっとも重要だと考えているのが笑いである。笑いの多い雰囲気を作ることで生徒たちはリラックスし、苦痛を感じなくなり、外界に向かって開かれていく。多くの人びとにとってストレスであった学びを笑いの多い学びの空間にすることによって、ストレスでないものにしていくことをジョンストンは重要と考える。生徒たちがクラスの中でいい時間を過ごせるように配慮し、生徒たちの熱中を作り出そうとする。また、失敗の恐怖を減らすために、空間が安全であることがたいせつである。
     ジョンストンは「創造性は好きではない」といった。これは、「創造性」は、人から取り出した創造性を指すからだ。ジョンストンがインプロで扱おうとしているものは、人の中の何かではなく、人そのもの、人が認識と統合によって作りだす宇宙である。
     
    ■ライフヒストリーがインプロに与えた影響
    
     脳の異変/否定的な被教育経験/「東洋思想」/スターリングとの出会い/ライターズ・グループでの実践経験
  
     十代前半に受けた脳へのダメージが影響で、ジョンストンは脳に強い関心を示す。また、次のような考え方に反映されている。それぞれの人が異なる脳を持ち、それぞれ異なる宇宙を作っているという考え方、また、脳のある部分による検閲という考え方である。
     教師から否定的な評価を受け、つらい学校生活を送ったことで、実は、人々をスポンテイニアスでなくしている要因が学校教育であるという考えに至る。
     東洋思想の影響は、例えば「勝とうとしないこと」「普通にやること」「当たり前のことをする」ことなどに見られる。今の自分を否定し、頭で考えて設定した目標に向かって自分を強引に動かしていくのではなく、今を生き、からだを外界に開いて、そこで起こっていることを認識しスポンテイニアスな想像を働かせること、そして他者に対して自分が出来る最善のことをすることに価値をおく。それらのことが創造性につながっていくとジョンストンは考える。
     スターリングとの出会い。芸術は子どものなかにあると教えた。教育が人の中にあるものが不十分であると考え、子どもを変えようとしたり、子どもに何かを付け足そうとするのに対し、ジョンストンは子ども自身が、あるいは子どもの持っている宇宙がスポンテイニアスに表現されることが重要であると考える。
     ライターズ・グループでの実践経験は議論することではなく実際にやってみることを実践して成果をあげるものであった。このときの経験がインプロの方法論のなかに生かされている。

    ■まとめ





    3 ベイエリア・シアタースポーツの教育活動

    ■ベイエリア・シアタースポーツ
  
    ■対象と方法
  
    ■ベイエリア・シアタースポーツ創立
  
    ■創造性についてどのように考えているか
  
    ■ベイエリア・シアタースポーツの教育活動
    
     劇場での教育活動――サマースクールを中心に
    
     学校での教育活動――学校でのショーとクラス
  
    ■ まとめ




     キース・ジョンストンのインプロの方法論を用いた教育実践がどのようなものかみるために、ジョンストンのインプロの方法論を用いて活動を行っているベイエリア・シアタースポーツの教育活動を検討する。
     ベイエリア・シアタースポーツ、1986年創立。創立にもっとも重要な役割を果たした一人はレベッカ・ストックリーである。創造性は、人格や状態ではなく行動である。したがって、創造的な人と創造的でない人がいるのではなく、誰もが行動すれば創造的になるというのがストックリーの創造性に対する基本的な考え方である。
     2002年のサマースクールの様子を中心に見ていく。世界各地から48名の人々が参加した。2コース24人ずつに分かれて受講する。日本人の参加者、あき、もえの二人を中心に見て行く。
     ベイエリア・シアタースポーツの講師たちは閉じ込められた想像力、創造性に再び接近することをさまざまな種類のインプロを用いながら試みていた。
     参加者達はさまざまな恐怖を克服していった。他者の評価への恐怖。あきは、サマースクールの前のショーで優勝したことが、優勝者として見られているというプレッシャーにつながり他者の評価への恐怖へとつながった。講師や参加者のサポートにふれることによって他者への恐れをのりこえ、また、英語が出来ない邪魔者だと他者は評価しているのではないかという恐怖をのりこえて、彼女は日本語で歌う。そのことによって、他の参加者達から賞賛というポジティブな評価を得て、秋は自分の内面につくっていた他者の評価に対する想像を壊していった。
     二つ目の恐怖は、未来・変化への恐怖である。あきは、はじめ英語が分からないことからマスクの講師に恐怖を感じていた。が、マスクをかぶってやってみるとからだが動き、感情がわき上がった。それ以後居心地がよくなった。
     三つ目の恐怖は、失敗の恐怖である。参加者の質問用紙の解答の中にはインプロを通して学んだことつぃて「失敗したいと思う」「自由に間違えること」「間違いはすばらしい」など、失敗を恐れなくなることに関するものがでてくる。もえは、あきとジャスティンが日本語と英語でデュエットするのを聴くのをきっかけに、日本語でやるのもおもしろいかも、と思った。そこで英語が出来ないと特別扱いはされたくないと思う気持ちが消えた。
     独創的にならず、当たり前のことをし、そのままの自分でいることにもつながっていく。
     また、インプロによって作り出されるポジティブさ、楽しさも重要であった。ポジティブさや楽しさによって、リスクを背負い、チャレンジすることが可能になっていた。


    4 「ワークショップ入門」の試み

    ■「ワークショップ入門」
    
    「ワークショップ入門」について
  
    ■今回の授業
    
     参加者と場所/ねらい/内容
    
    ■対象と方法
    
     実際の授業の様子
  
    ■変化する学生
    
     頑張らないようになる――頑張ることのパラドックス/そのままでいること――自分を表現する
    
 /自分に対する検閲を止める――行動としての創造性/負けること・失敗することへの抵抗がなく
     なる/恥ずかしさがなくなる――見られているという意識/楽しさを経験する/他者と関係を構築
     する――恊働の創造
  
    ■変化を阻むもの
    
     他の人のすごさ/創造性概念の未深化/関係を妨げるもの――ジェンダーと学年/失敗の原因帰属  
     /からだの読み解きの難しさ
 
    ■まとめ




     創造性をテーマに筆者が実践した授業「ワークショップ入門」を対象とする。ジョンストンの方法論を元に授業を計画し、実行し、その様子を観察し、省察するという循環の形で行った。学生の変化を分析する。
     ワークショップとは何かをワークショップを実際に体験しながら理解し、また、将来的にワークショップという方法を自分で活用するための知識・能力・技法を身につけることである。ワークショップは近年、芸術やまちづくり、社会運動、教育・学習、自己啓発などさまざまな場面で使われている参加体験型の活動である。
     筆者と、講師補佐ひろみ、で行う。4年生のみすずは、受講生でありながら、同時に参与観察も行っていた。授業前と授業後に3人でフィードバックを行い、それぞれにフィールドノーツをつけた。
     1年生5人、2年生5人、3年生12人、4年生3人の計25人のクラスである。
     創造性について発揮できるようになることをねらい、そのためにジョンストンのインプロの方法論の中でも、特に創造性やスポンタネイティーに関わるものを中心にあつかった。また、創造性それ自体について学ぶ事もねらっており、創造性を育成しながら創造性という概念自体についても実践中で扱い、講師たち・学生達の相互作用の中で、創造性についての理解を深めていくことにした。
     学生達は以下のように変化していった。
     第一の変化は、頑張らないことの意味を学び、頑張らないようになったことであった。学生達は頑張ろうとすると頑張れない、頑張らなくてもよいと思うとかえって頑張れるというパラドックスを体験的に理解し、実際に頑張ろうとせずに創造することをした。
     第二の変化はそのままでいることができるようになった。自分の表現が他者に受け容れられる経験を積み重ねることで、そのままの自分でいて、それをそのまま表に出すことができるようになった。
     第三の変化は、自分で自分自身のアイディアや行動を検閲している事を知り、それに対処する方法を学んだことである。
     第四の変化は、負けること、失敗する事への抵抗がなくなったことである。第五の変化は、恥ずかしさがなくなったことである。
     以上5つの変化はジョンストンが指摘した恐れと関連する部分である。これらの変化は自分が創造で作り出した時前の手錠、足かせから自分自身を解放することであったと言える。
     第六の変化は楽しさを経験したことである。他者とかかわり、からだを動かし、声を出して、授業を楽しむことで、日々の生活の疲れや不安を解消したり、面白くない生活を楽しいものに変えていった。
     第七の変化は他者と関係を構築出来るようになったことである。協働で創造する経験を積み重ねていく中で、友だちをつくり、学生同士で良好な関係を構築していった。
     これらの変化はそれぞれ異なるもののように見えるがジョンストンの方法論という枠組みから、これら全ての学生達の変化を一貫して捉えることができる。頑張らないことによって表現することや行動する事のプレッシャーが軽くなった。そのPままでいることは、未来や過去にとらわれず、今ここにいて自分の周りのものをみて周りを受け容れることにつながっていた。アイディアの検閲への対処は束縛によって行動出来なくなっている状態から行動出来るように変わることを意味していた。負けること・失敗することを恐れないことは、自分をオープンにし、他者から受け容れられるようにし、そのことによって行動することが容易になるという意味があった。恥ずかしさがなくなることで評価への恐れがなくなり、行動が持続するようになった。他者との良好な関係を構築出来るようになることで他者と関わることが楽になり,他者からのオファーを受け容れ、他者にオファーを返すという他者との創造が楽しく継続的なものとなっていった。
     全ての変化が自分の想像の中で厳しい他者を想定しそれらに縛られていた状態から脱却し、楽に直接他者と関わり合えるようになり、表現や行動においてよりスポンテイニアスになることと関連していた。
     創造性概念については多くの学生達の中であまり深化しなかった。また、あまり変化をしなかったように思われる学生もいた。変化を阻むものは、他の人をすごいと思いすぎたり、失敗の原因を自分に向けていたり、ジェンダーや学年を強く意識しすぎることなどであった。

    5 参加者はどのように変わっていったのか

    ■ジョンストンのインプロの方法論
  
    ■参加者はどのように変わっていったのか
  
    ■創造性のシステムモデルの再検討
    
     領域と個人の関係について――学びと創造
    
     場と個人の関係について――三段階の創造モデル
  
    ■創造の方向性について
  
    ■恊働の創造について
  
    ■何が得られたのか

     チクセントミハイの創造性のシステムモデルは、創造を個人、領域、場の相互作用から見るモデルである。ジョンストンのインプロの方法論を用いた教育実践の参加者の変化を重ねると、領域と継続的に接触すること、創造によって個人の内面に厳しすぎる場を作らずにスポンテイニアスなアイディアをスポンテイニアスに表現・行動すること、領域としての他者、場としての他者と直接的に相互作用することを可能にすることで、創造を促進している。
     本書の意義は、第一に、創造性研究への貢献である。創造性を個人に焦点をあてて研究する限界を超える形で地区線と未配は創造性をシステム論的に捉え、創造性のシステムモデルを提示した。現段階ではその相互作用がどのように行われているか具体性を持って捉えることはできていなかった。本書は実際に創造性の教育が行われている場面で個人がどのように変化しているかを捉えてbうんせきした。そのことで、一般的な人々の創造性に着いて捉えきれていなかったことがわかった。システム論からの創造性理解をより豊かにした。
     第二に、創造性の教育の研究への貢献である。創造性概念の理解の問題協働の為の創造性の問題、創造性を疎外する要因の問題、多様な関係を構築する場としての教育の意味については扱ってこなかった。スポンタネイティーの観点から創造性の教育にアプローチしていった。また、参与観察法などの質的な方法でミクロに分析していくことで、教育の場の多様な関係性の中で、参加者がどのように変化しているかを分析することができた。
     第三にインプロ研究への貢献である。本書はインプロについて総合的、全体的に記述し、分析する、その出発となる。
     第四に演劇教育研究への貢献である。演劇教育において実践をどのように研究するのか、生徒たちの学舎変化をどのように捕らえるのかという問題は、古くから、イギリス、アメリカを中心に考えられ、まだ現在でも考えられ続けている。本書は参与観察法などの質的な方法を組み合わせて用いることで実践をさまざまな方向から捉え記述、分析したことで参加者が構築したさまざまな関係、そしてそこでの参加者の変化を単純化しすぎることなく、複雑生や多様性を保ったままで記述、分析することが出来た。一つのスタイルを具体的な形で提示したものとなった。
     第五に創造性の教育への実践の貢献である。近年、教育目標として創造性があげられることが多くなっている。しかし、そのときの創造性という概念は非常に曖昧である。実践家の感覚のみで実践が行われている実情でそのような実践の中には、競って何かを作らせることで失敗や他者への恐怖を高め、かえって創造性を疎外していたものがあったのではないだろうか。生徒に頑張って表現するように言うことで、かえって創造性を疎外したものがあったのではないだろうか。
     本書は、創造性の教育の実践を分析し評価する枠組みとなる。そのことによって、創造性の教育を、スローガンのレベルや制度のレベルではなく、教育実践のレベルで検討することができるようになったのである。
     

  • Session5-1「ラーニングシアター:身体をつかって学ぶ」参考図書

  • インプロは創造性をあなたに与えない。
    しかし、あなたの中にすでにある創造性を掘り起こす手伝いをする

    チームビルディング
    ストーリーの確認
    仮面をつけることで自分を表現できるようになる
    自分に対する規制に気づき、それから自由になる
    恥ずかしさがなくなる

    などなど。インプロって面白いな

  •  いかに、自分、そして他者からクリエイティビティーを引き出すのか。私のテーマに答えてくれる本です。いいデザイン!

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著者プロフィール

1974年島根県生まれ。東京学芸大学芸術・スポーツ科学系音楽・演劇講座演劇分野准教授。専門は演劇教育、インプロ(即興演劇)、吹奏楽教育。インプロをキース・ジョンストン氏などに師事。学校、劇場、企業、地域などでワークショップをおこなう。主宰するインプログループ「即興実験学校」では俳優として舞台にも立つ。最近は吹奏楽教育にも関心を持つ。指揮法をユージン・M・コーポロン氏に師事。公立中学校吹奏楽部の指導にあたりながら実践と研究を進めている。著書に『インプロ教育──即興演劇は創造性を育てるか?』(フィルムアート社、2006年)、共著書に『インプロする組織』(三省堂、2012年)、『日常を変える!クリエイティヴ・アクション』(フィルムアート社、2006年)など。

「2017年 『〈教師〉になる劇場』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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