じぶんを切りひらくアート ─違和感がかたちになるとき

  • フィルムアート社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784845910496

作品紹介・あらすじ

マイクロポップ、芸術起業論以降、アーティストたちが目指す"切実さのかたち"と"場"。気鋭のアーティストが語りつくす新しい地平。

感想・レビュー・書評

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  • 結局、「自分が突き詰めた(ている)もの」を見て、他人が「これは広めた方が良い」と思えば、それは自分の手から離れて、広まっていくのだと思う。

    本著に掲載された作家も、多くは戦略的に何か売り出しているというよりは、人との出会いから、機会を生み、また人と出会い、、、そんな当たり前のことを繰り返している人たちに見える。

    「★出逢いは出会いなんだけど、その出会いによって自分が表現しようとしているものが、どこに収まるのか、どこが着地点なのか探していた感じですかね。自分のスタイルが、より自然に受け入れられてもらいやすい場所に出会っていったっていう感じ」

    という言葉はまさに今の自分にぴったりのもので、生じ、僕はどこに求められているのかが判然としないけれど、それはたぶん僕が押し出していくものというよりは、他者が見つけてくれるものだと思うので。しばらくはこのままでいようと思う。誰かがきっと適したところを教えてくれるはずなので。


    ◎以下引用

    アートは自分からはじまる。自らの責任において、既成の枠にとらわれない自由を求める意思があること、そしてそれを行動に移す勇気があること

    精神的に自由であるために、どんな生活をするかシバリはないわけで、働かなきゃいけないとか、家族を養わなければいけないとか、そういう立場は自分で切り開いて、自分でやっていくしかない

    本当は僕がそんなことを言わなくても当たり前のものでなきゃいけないんだと思ってる

    そういう風になるおそれとか理解してるけど、そんな小さなことを通り越して、それが必要で伝えなくちゃいけないことだと思ってる。それを一生懸命やらなくちゃいけない

    「まんまじゃん」って笑われたりする。でも笑われても信念というか確信があるから、やり続けて行くと仲間が増えたり、「それは必要だ」っていうやつがいたりとかするから、少しずつ伝わってるっていう実感はある

    先輩の勧めもあって銀座のギャラリーを借りて展示してみたんです。それがまたつまらなかった。結局友達が来て、たまに誰か関係者みたいな人が来たりして、とりとめもない話になるだけ。

    写真自体に感動しかたっていうことよりも、その本自体が作品として機能しているというか。そういうものに惹かれた

    写真じゃくて、情報の編集なのかもしれないなと思いました。ひとつをキラっとさせるんじゃなくて、全体の塊として、編集されたものをどうやって見せるかが重要

    自分の作品を何かアートの歴史だったり、写真の歴史の文脈としてのせる必要はないって思った。

    一番伝えたいことが、一番見えやすくなるようなかたちに落ちたところが、たぶん「作品」なんだと思う。その落ち方自体は、いまはいろいろあるんじゃないかな

    作品をお金に換えて行くだけじゃ食って行けないし、いくつか選択肢と幅を持って、そのなかでやっていくしかない

    ★出逢いは出会いなんだけど、その出会いによって自分が表現しようとしているものが、どこに収まるのか、どこが着地点なのか探していた感じですかね。自分のスタイルが、より自然に受け入れられてもらいやすい場所に出会っていったっていう感じ

    ★自分探しというより、最初は自分の居場所を探していました。ただそのうち居場所を探すというよりは、自分が伝えたいこと、表現したいことっていうのは変わらなくあって、それを表現する場所がどこなのかを探すようになりました

    ★自分が本当に表現したいことができるところではなかったので、やっぱり場所さがしですかね

    ★そういう自分の感性が活かされるのはどこなのかなぁと思っていました

    ★人がいいと思わないんだったらやることないかなぁって、展覧会やって友達が見に来てくれて楽しくわいわいやって、そうやって趣味で続けていくっていうことにはまったく興味がわかなかった

    そこにあるアーティストが見に来てくれて、知り合いのドイツのギャラリストの人を紹介してくれたんです

    サラリーマンアーティストは40歳まで続けた。

    ★定職があると、気持ち的には楽だったので、作品に集中できた

    何かほかの仕事と一緒に続けることになったとしても、もともとそうだったのでし、そのへんは楽観的に考えるしかないかな。別にアーティストだけで食べなきゃ終わりってわけじゃない

    作家ってシャーマンみたいなところがあって、自分で作っている理由はわからないんだけれど、「つくらなきゃ」とか「つくりたい」って思ってつくるわけですよね。わたしの場合、それを人に見せて意見を言われることで、初めて自分がそれを作り出したかっら理由がわかるんですね

    ★たくさんの人がアートを理解できることはないと思うんです。だけどみんなが気付かないうちに、ちょっとだけ気づける人たちにメッセージを発信して、その気づくことができるマイノリティの人たちがわかったよっていうメッセージを発信していくことによって、いつの間にか全体のスタンダートになっていく。そういう変化を生み出すもの

    その時に写真を見てもらったら理策さんが面白がってくれて。

    個展にはいろんな人が来てくれました。森山大道さんとの飲み。

    いろいろな写真家やデザイナーに写真を見てもらいました。やっぱり自分とセレクトの基準が違うから、そこで何が違うんだろうということを考えます。

    褒めてもらうばかりじゃない。決してとんとん拍子だとは思いません。

    最初から写真のテーマを決めてとらない


    ストイックな型の中で踊らされて、その先に、ものすごく柔らかくて自由な精神世界がある

    頭では何も考えないことが、一番の近道

    振動を通して、世界と他者と、何か大事なものを共有している

    自分に徹底的に向き合うことで、突き抜けてしまわないと意味がない

  • 水戸芸術館の売店で、思わず手に取ってしまった本。

    アートが僕に理解できるのかとの問いは、読み終わったいまも「よくわからない」としか答えられない。ただ手に取ってしまった理由ははっきりしている。サブタイトルが「違和感がかたちになるとき」だったからである。最近、違和感をやり過ごさないことが大切だと思うようになっている。違和感を抱えながら生きてきて、その違和感をドライブさせるとアートになる、という、過程に興味はあった。

    その観点で言えば、全員、何らか興味を引かれる部分はあった。特に志賀理江子と高嶺格は面白かった。あと、三田村光土里は、もろに同世代感があって、わからないなりに理解できそうな気になれた。
    https://amzn.to/32d9xsi

  • 美術館学の講演に行った時、この本を編さんした高橋瑞木さんの話を聞いて、面白そうな人だなと思ったので。アーティストがなぜアーティストになったのか、生い立ちと学生時代のヒアリング集。石川直樹ぐらいしら知らんわ。

  • 志賀理江子、そして、石川直樹、山川冬樹、高嶺格らへんのインタビューを読みたくて。そして、実際、ここらへんの人たちの言葉がビンビン響いた。この本に出てる人たちが、二十年後とかに、すごい存在になってるんじゃないかな、ていう、そのくらいの人選の良さがある。(13/9/7)

  • せつじつ。
    志賀理江子さんのインタビューを読みたくて買った。
    身体を切り刻まれるような切実な言葉の連続。

  • 直感で購入。
    そしてズバリ的中した本だった。

    アートの本というよりは、
    価値観や社会思想、ライフスタイルなどについて詳しく掲載するされていた。
    彼らの現代社会に対する違和感。
    それを形にして表現するためのアート。
    表現方法はアートでもなんでもいい。
    大勢に理解されなくても、小さいところにだけでも伝われば、
    そこから波及して全体に広がっていく。
    そのような活動姿勢にはとても感銘を受けた。

    アートに関心のあるかた、ない方
    誰でも学ぶことの多い本です。
    ぜひ読んでみてください。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784845910496

  • 8人のアーティストの模索の過程をたどるインタビュー集。

    アートは世界をどう見てるか、どう対峙するか。
    何を美しいと思い、違和感に思うのか。表現しなくてはいけない切実さに出会い、それを自分の表現にしていく。

    そこにどんな風に行き着くんだろうなぁ・・?と、思っていた。
    作品として見えているものの奥にある世界を見ることができて、面白かったな。
    ===============

    写真を撮ることを、世界を切り取るという言い方をする人がいますが、僕には違和感があります。
    自分のちっぽけな美意識で、主観的に切り取った写真は、目の前の世界を矮小化させるだけで、世界そのものの強さが写らない。
    僕は自分から切り取るのではなく、世界を受け止めるように撮りだいんです。(石川直樹)

    彼らが、アーティストになるきっかけは、先人のアーティストやアート作品ではなかった。では、人や作品との出会いに代わるもは何か。それは違和感である。
    彼/彼女たちは各々何らかの違和感を成長の過程で感じ、それが表現することのトリガーになっている。その違和感とは、学校や社会の仕組みに対してだったり、自分自身の身体に対してだったり、日本の外と内とのアートの在り方だったり。
    何であれ、目に映ったり、人から伝えられた現実とはひとつの価値観の総体であり、真実ではないということの気づきが違和感を生み、彼/彼女らをドライブしている。

    そして、その違和感を日常生活や社会の常識の中に埋没させてしまうのではなく、むしろそれ自体を表現を通して、徹底して追求する。さらに、そこから生まれた表現を、自分個人の殻に閉じ込めてしまうのではなく、自分の外の世界との接触によって客観化し、また他者に対して、問うていこうとする。それがゆえに、表現はたえず他者を巻き込んでゆく。その過程で、無意識であれ意識的であれ、摩擦が発生し、他者を侵害することもあるだろう。
    しかし、それでもなお、自分の表現を通じて他者との共感の可能性を模索しているのだ。そこにはいくつもの挑戦や試みだけがある。

  • インタビュー本だが、読んでもあんまり参考にならなかった。

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著者プロフィール

冒険家、写真家

「2019年 『いま生きているという冒険 増補新版 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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