ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」

  • フィルムアート社
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  • レビュー :15
  • Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784845913145

作品紹介・あらすじ

癒しの「マリン・アーティスト」なのか?究極の「アウトサイダー」なのか?初のクリスチャン・ラッセン論。

感想・レビュー・書評

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  • 本の内容というよりは自分の問題意識的なところとの接合が問題だろうけど、もう少し何か新しい刺激があるかなと思ってたけどあんまりピンと来なかった。まあ、そういう見方はあり得るよね、ぐらい。

    展覧会見ればもう少し面白かったのかもしれないなあ、と思うが。

    個人的に批評とか読み解きとかそういうのが割とどうでもよくなっているんだなー、としみじみ思うのだった。

    斉藤環がハワイでベタにラッセンの絵はがき買ったことがあるってエピソードが一番面白かった。

  • 80年代から90年代にかけて、大衆レベルで圧倒的に売れたクリチャン・ラッセンのシルクスクリーンは美術界においてはほぼ無視されているという。
    そんなラッセンの立ち位置を美術の世界から分析しようと試みたもの。
    驚いたのは美術の世界においてはイラストと美術に明確な区別があるらしいこと。
    奈良美智以降、その境界は解放される方向にあるようだがその流れからもラッセン、ヒロ・ヤマガタ陣営は除外されていたという。

    奈良美智や村上隆とラッセン、ヒロ・ヤマガタ等の芸術的な差異について述べる見解を持たない私のようなものには、なんだか面倒くさい議論をしているだけにも見える。

    寄稿者の一人である中ザワヒデキさんが言っている『グルーピングの違いはその中に入ってしまうと明確に分かるが、どのグループにも入っていない一般の人から見ると同じ「アート」の言葉で括られてしまう』というのが問題を端的に表していると思う。

  • 80年代から90年代にかけて最も日本全土に浸透したのに、なぜか絵に経験や知識のある人からは見下されていたクリスチャン・ラッセンの作品。極彩色で塗られたリアルタッチの、今でも時々ジグソーパズルとして売っているあのイルカの絵である。存在的には今だと片岡鶴太郎の絵の立ち位置が近い。イラストレーションでもないのに世俗的な絵画ということである。しかしブームが過ぎた今だからこそ、今一度その絵画的価値を冷静に見てみようという前代未聞の興味深い一冊。言うなれば、相田みつをがユリイカで特集を組まれたり、B'zがロッキングオンジャパンで2万字インタビューを受けるようなものである。はじめに断っておくが、内容は申し分ないのに、この中で話題としているラッセンの絵がカラーで1枚も載っていないので、知らない世代に取っては伝わりづらいと思い、★マイナス1とさせて頂いている。

    中でも精神科医で評論家の斎藤環さんによる、ラッセンとヤンキー性を結びつけた考察は、ユニークであると同時に的を得ていて、非常に面白い。並行して読んでいる同著者の『世界が土曜の夜の夢なら~ヤンキーと精神分析』と併せて読むと、尚深まってくる内容だ。なるほどヤン車とラッセンの使う色はとても類似している。そしてこの中で唯一、過去にそれとは知らずに海外の土産物屋でラッセンの絵のポストカードを買ってしまった張本人であり、冒頭にそのカミングアウトをしている時点で、他の評論家より"頭ひとつ"、いやパンツを降ろしており"棒ひとつ"出ているので信用できるのだ。

    ここで内容をすべて説明してしまっても仕様がないので、この本に参加している人たちは皆、"アート"からの考察だったので、僕もイラストレーターとして、"イラストレーション"からの考察をしてみようと思う。その前に説明しなければいけないのは、斎藤さんのように、僕もまたラッセンのカレンダーを買った過去があり、唯一違うのは、それを恥じたことはないということだ。そしていまだにラッセンの絵を見て、そこまで傾倒はしないものの、「悪くないじゃん、むしろ凄いじゃん」と思っている。それはアートというものが、作者の内面を表現したり、社会に問題定義をしていたとしても個人的に働きかけるものに対し、同じ絵でもイラストレーションというものは、万人に受けるイラストが必須条件なので、僕はやはり列記としたイラストレーター的性質なんだろうし、絵の内容は置いといても、一時代でも世間を圧巻したことだけで、ラッセンは尊敬に値するのである。

    さて、そしてラッセンの絵自体はどうなのか。僕の好みは置いといて、世間に浸透した理由は、イルカ・エコブーム、ネオンカラーのような色っぽい色遣いと、スーパーリアルなタッチというその時代においての新鮮さ、そして構図の面白さ、最後に海をそのままスノードームに閉じ込めたような箱庭感。これが非常に奇跡的なバランスで"ちょうどいい感じ"で1枚にまとまっているのだ。世間に受けたのも頷けるし、それはそのままイラストレーションの必須条件にも当てはまる。しかしお気づきのように、それがあくまでアートならば、最も重要なはずのテーマや作家性が、作品からは抜け落ちているのだ。難しくなさそうなのである。それが非難を受けている理由なのだろう。アメリカの大衆の絵として、また日本でも有名なノーマン・ロックウェルが非難されないのは、彼はあくまで"画家"や"イラストレーター"とは言っても、決して"アーティスト"だと名乗らなかったからである。

    つまり僕の結論としては、時代の流行で絵画作品として額がつけられて売られただけで、ラッセンはイラストレーターだったのである。と聞いても、当の本人は「そんな難しいことどっちでもいいべ?強い奴が勝ち!!」とどこ吹く風だろう。やはり斎藤環さんの言う通り、イラストレーターやアーティスト以前に、ラッセンの職業は"ヤンキー"なのかもしれない。

  • ヒロ・ヤマガタやラッセンと美術界のスタンス、日本での美術の受け入れられ方などを、各々が書いた本。

  • なんだったんでしょう?

  • 推薦者 共通講座 准教授 春木 有亮 先生

    *図書館の所蔵状況はこちらから確認できます。
    http://opac.lib.kitami-it.ac.jp/webopac/catdbl.do?pkey=BB50106374&initFlg=_RESULT_SET_NOTBIB

  • ラッセンの絵は下世話である──子供時代にラッセンの絵に触れた体験をその後心的外傷的問題意識として抱え続ける若手美術家を中心に総勢15名の論者による多角的な論考は、その下世話なラッセンを“白雪姫の鏡”として自らが依って立つ現代美術の有り様を逆照射し下世話に展開される。その下世話が美術をめぐる人々の有り様の多義性を炙り出して実に興味深い。中でも大山エンリコイサム氏のエッセイは、ラッセンが現代美術の文脈中でオーソライズされた凡そ40年後の日本を仮想しそこから現在に疑義を投げてよこす離れ業に唸らされる。ラッセンを忌み嫌う美術界隈の態度は果たして「リア充爆発しろ」レベルのやっかみなのか、それとも己の黒歴史や矛盾やあれこれの不都合を見せつける同族への嫌悪なのか。ラッセンを通して現代美術が孕む病巣が透し見えてくる。

  • ダカーポの今年最高の本2013にランクインしていた一冊。
    渋谷で学生時代を送った者としては、ラッセン販売嬢はたいへん懐かしい風物。

    編者の原田氏をはじめ、櫻井拓氏や大山エンリコイサムさんなど若いかたの文章がたくさん載ってました。
    若い人ほど表現が難解で、斎藤環さんの話が妙にわかりやすかった…かな

    ヤンキー経済の本を読みたくなった。

    エンリコイサムさんのエッセイが技巧的というか皮肉というかでおもしろかったです。笑

  • ラッセンは嫌いなのだが妙にひっかかるものがあってあれは何だったんだろうという思いはあった。これを読んで、徹底的にマーケティングを追求していった結果の表現だったんだと腑に落ちた。原田氏の論考ではしかもそれを日本の郊外化と繋げているところが面白い。加島氏は購入システムに関して言及しているが、日本の既存の画廊と絵画販売の在り方もあったら面白いのにと思ってしまったが。。それはまた別の話か。。

  • 日本人にはとても有名で、かなり多くの人が絵を見たことが有り、でも美術史や美術評論では顧みられることはない。
    クリスチャン・ラッセンについての評論をまとめた本です。
    読書会に持ち込みました。

    全体的に、「なぜラッセンが評論されることは無いのか」という話が多かったような。納得できる考察がいろいろと書かれていました。
    ラッセンが好きな方以上に、美術論的な話が好きな方にはとてもたまらない本だと思います。

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