ラッセンとは何だったのか?  消費とアートを越えた「先」

  • フィルムアート社
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感想 : 21
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  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784845913145

作品紹介・あらすじ

癒しの「マリン・アーティスト」なのか?究極の「アウトサイダー」なのか?初のクリスチャン・ラッセン論。

感想・レビュー・書評

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  • 80年代から90年代にかけて最も日本全土に浸透したのに、なぜか絵に経験や知識のある人からは見下されていたクリスチャン・ラッセンの作品。極彩色で塗られたリアルタッチの、今でも時々ジグソーパズルとして売っているあのイルカの絵である。存在的には今だと片岡鶴太郎の絵の立ち位置が近い。イラストレーションでもないのに世俗的な絵画ということである。しかしブームが過ぎた今だからこそ、今一度その絵画的価値を冷静に見てみようという前代未聞の興味深い一冊。言うなれば、相田みつをがユリイカで特集を組まれたり、B'zがロッキングオンジャパンで2万字インタビューを受けるようなものである。はじめに断っておくが、内容は申し分ないのに、この中で話題としているラッセンの絵がカラーで1枚も載っていないので、知らない世代に取っては伝わりづらいと思い、★マイナス1とさせて頂いている。

    中でも精神科医で評論家の斎藤環さんによる、ラッセンとヤンキー性を結びつけた考察は、ユニークであると同時に的を得ていて、非常に面白い。並行して読んでいる同著者の『世界が土曜の夜の夢なら~ヤンキーと精神分析』と併せて読むと、尚深まってくる内容だ。なるほどヤン車とラッセンの使う色はとても類似している。そしてこの中で唯一、過去にそれとは知らずに海外の土産物屋でラッセンの絵のポストカードを買ってしまった張本人であり、冒頭にそのカミングアウトをしている時点で、他の評論家より"頭ひとつ"、いやパンツを降ろしており"棒ひとつ"出ているので信用できるのだ。

    ここで内容をすべて説明してしまっても仕様がないので、この本に参加している人たちは皆、"アート"からの考察だったので、僕もイラストレーターとして、"イラストレーション"からの考察をしてみようと思う。その前に説明しなければいけないのは、斎藤さんのように、僕もまたラッセンのカレンダーを買った過去があり、唯一違うのは、それを恥じたことはないということだ。そしていまだにラッセンの絵を見て、そこまで傾倒はしないものの、「悪くないじゃん、むしろ凄いじゃん」と思っている。それはアートというものが、作者の内面を表現したり、社会に問題定義をしていたとしても個人的に働きかけるものに対し、同じ絵でもイラストレーションというものは、万人に受けるイラストが必須条件なので、僕はやはり列記としたイラストレーター的性質なんだろうし、絵の内容は置いといても、一時代でも世間を圧巻したことだけで、ラッセンは尊敬に値するのである。

    さて、そしてラッセンの絵自体はどうなのか。僕の好みは置いといて、世間に浸透した理由は、イルカ・エコブーム、ネオンカラーのような色っぽい色遣いと、スーパーリアルなタッチというその時代においての新鮮さ、そして構図の面白さ、最後に海をそのままスノードームに閉じ込めたような箱庭感。これが非常に奇跡的なバランスで"ちょうどいい感じ"で1枚にまとまっているのだ。世間に受けたのも頷けるし、それはそのままイラストレーションの必須条件にも当てはまる。しかしお気づきのように、それがあくまでアートならば、最も重要なはずのテーマや作家性が、作品からは抜け落ちているのだ。難しくなさそうなのである。それが非難を受けている理由なのだろう。アメリカの大衆の絵として、また日本でも有名なノーマン・ロックウェルが非難されないのは、彼はあくまで"画家"や"イラストレーター"とは言っても、決して"アーティスト"だと名乗らなかったからである。

    つまり僕の結論としては、時代の流行で絵画作品として額がつけられて売られただけで、ラッセンはイラストレーターだったのである。と聞いても、当の本人は「そんな難しいことどっちでもいいべ?強い奴が勝ち!!」とどこ吹く風だろう。やはり斎藤環さんの言う通り、イラストレーターやアーティスト以前に、ラッセンの職業は"ヤンキー"なのかもしれない。

  • 千葉雅也氏の文があるので手に取る

    千葉雅也:「美術史にブラックライトを当てることーークリスチャン・ラッセンのブルー」

    ラッセンの絵を見かけるたびに、水槽に夢中だった中学生の頃を想起させられる。

    毒々しいブルー。紫に近い、ブラックライトのようなブルー。
    ラッセンに特徴的なあのブルーは、南洋と空そして星雲を、深夜の歓楽街の片隅に直結させる。・・・ラッセンの画面は、紫煙に満たされた自然の密室である。

    ラッセン作品の謎は、ぞんざいにあしらわれるということの謎であるだろう。

    「美術手帖」2012.10月号に掲載のものを加筆修正したもの。

    ラッセンは頒布会の新聞チラシで知っている。千葉氏が言ってるように、紫がかったブルーがやはりその広告でもインパクトがあった。でも美術界ではちょっと異端らしい。そうなのか。あとヒロ・ヤマガタという名前もこの本で挙がっていた。きいたことあるようないような、と思い検索してみると、カラフルな暖色系の絵が出て来た。けっこういいかも。・・でも正統?な美術界ではヒロ・ヤマガタも異端らしい。ふ~ん・・ そういう立ち位置・・。

    ラッセンは1989年にアールビバン社と販売契約を締結、とあった。このアールビバン社は昔池袋西武にあった、アール・ヴィヴァンとは無関係らしい。西武にあったのは美術書専門店で、アールビバンは版画などの販売を行う会社らしい。

    2013.6.25初版 図書館

  • 80年代から90年代にかけて、大衆レベルで圧倒的に売れたクリチャン・ラッセンのシルクスクリーンは美術界においてはほぼ無視されているという。
    そんなラッセンの立ち位置を美術の世界から分析しようと試みたもの。
    驚いたのは美術の世界においてはイラストと美術に明確な区別があるらしいこと。
    奈良美智以降、その境界は解放される方向にあるようだがその流れからもラッセン、ヒロ・ヤマガタ陣営は除外されていたという。

    奈良美智や村上隆とラッセン、ヒロ・ヤマガタ等の芸術的な差異について述べる見解を持たない私のようなものには、なんだか面倒くさい議論をしているだけにも見える。

    寄稿者の一人である中ザワヒデキさんが言っている『グルーピングの違いはその中に入ってしまうと明確に分かるが、どのグループにも入っていない一般の人から見ると同じ「アート」の言葉で括られてしまう』というのが問題を端的に表していると思う。

  • 基本日本アート市場の病理カルテだが、ラッセンが日本で受け入れられた経緯は面白かった。

  • 日本のバブル期以降、商業的に成功をおさめたクリスチャン・ラッセンはしかし「美術」サイドからは蛇蝎のごとく嫌われていたらしく、そのこと自体を客観視しようという試みに揺れる美術な人達。美術に疎いド素人目線で言えばラッセンに限らず美術の評価基準はさっぱりわからないのだが、ここまで理屈をつけて語れるのか、と素直に驚く。自分がビジネスで関わる業界も、ともすると内輪の論理で互いを評価しがちなところがないかと省みながら読まされた。

  • 作品よりも先に、批判の多い商売方法について知ってしまっていたせいか、SNSで見つけた何気ない『ラッセンが好き』という発言に驚き、美術作品として見ていなかった自分に気がついた。

    ゴッホ、ピカソ、モネの作品の価値の違いがわからない自分に、ラッセンだけを下に見ることができるのか?
    ラッセンに数十万払う若者は騙されていて可哀想で、ゴッホに数億払う長者は可哀想ではないのか?

    そもそも美術に一つも明るくない身としては、名声ありきでコンテキストばかりが俎上に上るようにみえる世界を斜めに見ていたわけだが、当然ながら美術界においてはそんな事は当たり前に議論され尽くしているわけで。
    本書においても、ラッセンは新しいコンテキストを作ったのだと過剰に褒められるわけではなく、技法も心情も陳腐で幼稚だと無為にけなされるわけでもなく、ただその位置の特異性から見出される景色を多くの美術関係者が語るという形式をとる。

    しかし、さすがは美術界といったところか。ここに載せられているのは、ラッセンを歴史や数値で分析するというよりも、ラッセンについて何が語られうるかの探求であり、一つ一つの語り口が特殊で、それぞれのエッセイが全て"作品"に見えてくる。

    中には意識高い系も驚くような専門用語の羅列で、難解な言い回しにこそ芸術性が宿るのだという上から目線が聞こえてくるような自己陶酔型の胡散臭い論もあるが、そういう作風なのだと"作品"を眺めるつもりで見ると、逆に味わい深くもある。

    本書以外の美術本はほとんど読んだ事はないが、ゴッホやピカソについても同様だとしたら、美術というものもなかなか面白い。
    語られる内容の論理を解釈して愉しむのが"読書"なのだとしたら、語られる概論の意外性を感情的に楽しむのが"美術鑑賞"なのではないだろうか。

  • 本の内容というよりは自分の問題意識的なところとの接合が問題だろうけど、もう少し何か新しい刺激があるかなと思ってたけどあんまりピンと来なかった。まあ、そういう見方はあり得るよね、ぐらい。

    展覧会見ればもう少し面白かったのかもしれないなあ、と思うが。

    個人的に批評とか読み解きとかそういうのが割とどうでもよくなっているんだなー、としみじみ思うのだった。

    斉藤環がハワイでベタにラッセンの絵はがき買ったことがあるってエピソードが一番面白かった。

  • ふむ

  • ラッセン、心的外傷まで言われていて吹き出してしまった

  • ヒロ・ヤマガタやラッセンと美術界のスタンス、日本での美術の受け入れられ方などを、各々が書いた本。

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著者プロフィール

斎藤環(さいとう・たまき) 精神科医。筑波大学医学医療系社会精神保健学・教授。オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(ODNJP)共同代表。著書に『社会的ひきこもり』『生き延びるためのラカン』『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』『コロナ・アンビバレンスの憂鬱』ほか多数。

「2023年 『みんなの宗教2世問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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