火の顔 (ドイツ現代戯曲選30)

制作 : Marius von Mayenburg  新野 守広 
  • 論創社
3.00
  • (0)
  • (0)
  • (2)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 10
レビュー : 1
  • Amazon.co.jp ・本 (129ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784846005870

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • ネタバレあります。

    善良な両親と倒錯した姉弟の間のディスコミュニケーション。最初は性の目覚めと倒錯した関係を描いたものと思いきや、サスペンスな展開になっていき驚いた。人間の成長を描く物語ばかり読んでいる僕としては、この手の物語に免疫がなく、単純に楽しめた。
     ダイアローグとモノローグという2種類だけで構成されている。また時間軸の切断の連続のうちに物語が展開される。ところで後者の時間軸の切断であるが、ニーチェのアフォリズムほど切断性は大きないので、物語として十分に読み取れる程度の切断が行われている。言うならば、ありきたりの描写は描かなくても読者に側で常識に従って結びつけることは可能である。この度思い切って切断してみせました。どうです、夢見たいでしょう?この効果、とみることもできる。会話を取り交わす二人の人間が見えたと思ったら、火を吹き消すようにして真っ暗になり、次に火が灯された時には全く別の二人が会話を取り交わす。そういうイメージだ。蝋燭の火、闇、蝋燭の火、闇。あるいは描写の無い紙芝居のようだ。実際に紙芝居の描写部分を一切取り払って、会話のみで展開しても、実は物語として成立するのではないか。そんな風に思った。
     この物語の両親は親としては模範的だと言っていい。もちろん夫婦の間は若干冷めてるし、完璧とは言い難い。しかし子供への愛に溢れている。父親は誠実で優しく、母親は子供を愛しかつ信じている(とはいえ後で子供を実は嫌いであることを白状する。私たち以上に子供は私たちを嫌っているのだという言葉によってそれは明らかになる)。だが、子供は罪深い秘密を親に内緒で抱え込んでいた。近親相姦、放火、そして「親」殺し。ここで重要なことは2つ。親と子供の間のギャップ、そして親が子供の異常に気付いていないこと。後者はつまりかなり後になるまで、親の目には子供は思春期に表れる典型的な現象としてしか映っていない(そういえば僕も政治に興味を持ったことが親に伝わったとき、父親は「正義感に燃える年ごろなのだ」と年齢を背景とした問題意識として切って捨てた。甘すぎるw)。何故見えていないのか。思春期の事例を出したように、観念的な当てはめを行っていたのだ。この認識では当然「近親相姦はありえない」。当然「うちの娘と息子はそういう人間ではない」。認識論的、あるいは解釈学的転回を経てないかのようなナイーブな見解だ。完全な認識は不可能だ。死角は必ずある。その上での完全な認識だ。とても演出がかっていて見る者を魅惑する。だが、別の物語に変えてみたら恐ろしいほど問題の要素を拾い上げるかもしれない。これはマジに恐ろしい・・。
     親と子供の関係とは普通どういうものだろうか。このような関係を批判的な視座で眺める点でこの小説はとても大きな役目を果たす。完全な理解は完全な理解など無いという理解のもとでしか達成しないアイロニカルな主張なのだと理解しておく必要がある。こうであればこそ次に踏み込むことができる。世の中の親子の事件にありがちな、「ありえない。子供が親を・・」とか「ありえない。親が子供を・・」というステレオタイプをあっさり破棄して、さてどのような秘密を抱えていたのか、どのような錯誤があったのか、どうやって正常な家庭を辛うじて保っていたのかと探究することができる。何故なら表面的な合意は、本質的な不可能性を土台にしているのだから。表面的なものが本質的なものによって突き破られただけのことなのだから。本質的なものを明らかにすること、不可能を明らかにすること、それこそ求めるべきものだとこの戯曲は教えてくれる。あの子も、この子も秘密を抱えている。さらにニーチェに従えば、秘密は本人からも隠されている。
     ところで、哲学に被れるととんでもないことになるんだろうか。哲学?火の哲学?ヘラクレイトス?哲学とは知を愛することだ。でもこの物語の火の哲学は世界とはかくあるものだという知の所有している点で哲学ではない。「問い」が哲学を哲学ならしめる。「答え」は宗教だ。そして火の哲学は「答え」であるから、実態は宗教だ。狂信だ。しかし間違いではない。そう、言語ゲームで言えば、彼は間違っていない。僕らとは異なるゲームに興じているだけであり、ゲームとは相対的なものなのである。社会に基礎づけられた親のゲームと、哲学に基礎づけられた子供のゲームと見ることができる。親のゲームに子供を誘う場合は、子供のゲームよりもこっちのゲームのが魅力的だということを、ローティ的に誘わなければならない。この物語で面白いことは、ゲームの変更条件が家となっていることにある。この場所はおかしいと感じること、ここから離れること、この「環境」から離れること、それが正しさを知ることだとされている。環境がゲームを基礎づけているのである。ベーシックなことではあるが、大切なことである。
     アイロニーで問題を処理しすぎたかもしれんが、現代の基本的構えでしょう。。
     まとめよう。ブログの影響もあって支離滅裂になりながらもたくさん書きたかった。反省してるぞい。

全1件中 1 - 1件を表示

火の顔 (ドイツ現代戯曲選30)を本棚に登録しているひと

ツイートする