熱帯雨林コネクション: マレーシア木材マフィアを追って

  • 緑風出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784846117191

作品紹介・あらすじ

ボルネオの熱帯雨林ほど美しいものはないという。その地球上で最も豊かな生態系を、マレーシア木材マフィアが独裁政権と手を握り、乱伐し、どのように破壊していったのか? 抵抗するリーダーや内部告発したものは抹殺され、先住民の森の民はブルドーザーに追われ、伝統的な生活手段を奪われた。そして今、木材マフィアは世界に残された森林を破壊している。
本書は、汚職と不正乱伐で肥え太り、マネーロンダリングで不動産投資に明け暮れるタイブ帝国の驚くべき実態を暴露する。

感想・レビュー・書評

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  • SDGs|目標15 陸の豊かさも守ろう|

    【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/765163

  • マレーシアのアブドゥル・タイブ・マームドという1人の男がボルネオの熱帯雨林をどのように破滅に導いたか、森の民の文化がどのように破壊されたかについての本。多民族国家マレーシアのマイノリティからの視点で読み解くマレーシア近代化の光と影。マレーシア企業が木材ビジネスをグローバルに取り仕切っているなんて知らなかったのです。
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  • 著者は、ブルーノ・マンサー基金のエグゼクティブ・ディレクター。タイブとその一族が、サラワク州内で犯罪に手を染めているだけでなく、その資産を海外に送るためにマネーロンダリングなどの罪を犯していると主張する。

    サラワク川周辺地域は、かつてブルネイのスルタンの領地だった。イギリス人のジェームズ・ブルックは1839年、ボルネオにイギリス貿易ネットワークの拠点を築くためにクチンに上陸し、ブルネイ王に歯向かうイバン人の鎮圧に手を貸して領有権を得ると、その後も領地を拡大していった。ジェームズは、地元の習慣や伝統をできる限り尊重する形で統治し、二代目のチャールズも他の植民地で行われた帝国主義的な搾取に反対し、先住民族を優遇する姿勢を示した。1941年に憲法が制定され、日本軍の侵略を経た1945年にイギリスの植民地となった後、1963年に建国されたマレーシアの一部となった。

    タイブはシェルで働く大工の長男として生まれ、イギリス植民地政府の役人をしていた叔父ラーマンの援助を受けて進学した。ラーマンは、サラワクがマレーシア連邦に加わる際の初代州首相に立候補したが敗れたため、辞職するイギリス人知事からの州議会議員の指名リストにタイブを加え、タイブは初代内閣に入閣した。その後、タイブは農業・森林大臣の座をつかみ、サラワクの伐採ライセンスを取り仕切ることになった。FAOがサラワクの木材資源の長期利用について勧告を行うと、タイブは華人政治家が所有する伐採ライセンスを凍結して、再発行のための賄賂を手にした。タイブは、1968年にイバン人政治家たちの批判を受けて内閣を追われた後、連邦政府で13年間様々な大臣を歴任した。1970年からサラワク州首相の座に就いていたラーマンが心臓発作で倒れると、タイブがサラワクに呼び戻され、1981年に州首相の座に就いた。

    サラワクの木材生産量は、1965年には230万m3だった。1972年にFAOは、サラワクの年間の伐採量を440万m3に制限することを勧告したが、ラーマンが州首相に就いた1970年から81年までの間に、470万m3から880万m3に増加し、タイブが州首相に就いた2年後には、1100万m3になった。ITTOは1989年に伐採許容量を920万m3と勧告したが、1991年の伐採量は1940万m3に達した。タイブが州首相に就任してから、一族や政治仲間は160万haの伐採権を取得し、ラーマンの支持者には125万m3が与えられた。合計した伐採権の価値は、200億ドルと見積もられる。タイブは、州営企業CMSに一族の企業を株式スワップによる買収をさせることによって、一族をCMSの大株主にし、弟のオンが会長に、息子のアブ・ベキルとスライマンは取締役となって、セメント製造、製鉄、株式取引、イスラム系銀行の4部門を独占した。

    サラワクがホワイト・ラジャやイギリスに統治されていた時代は、プナン人のテリトリー全体は原生林に覆われていた。プナン人の1950年代初頭の人口は2650人と見積もられ、その3分の1の西プナン人は村に定住するようになっていた。1986年に伐採企業のブルドーザーが共有地にやってきた。プナン人たちは慣習法上の権利を奪われ、独自の文化を破壊された。貧困と病気がもたらされ、先祖伝来の土地を奪われた。21世紀の初めに最後のノマドたちも定住し、イネやキャッサバを栽培し始めた。

    木材として伐採可能な森の90%は切り倒され、熱帯雨林に覆われていた大地はオイルパーム・プランテーションになった。森に暮らす民族は貧しくなり、暮らしは惨憺たる有様になった一方、町には有力政治家や木材王たちの豪邸が建てられた。1970年から1999年の間に、サラワクとサバで木材による収入の250億ドル以上が木材業者、州の上層部、クライアントに着服されたと見積もられている。タイブの次男スライマンは、2〜3週間に新車を買っていた。ミリ南部のルアク湾沿いの道は「億万長者街道」と呼ばれ、サラワクの木材王たちの財力を誇示するような宮殿が並んでいる。

    タイブ政権で栄えたサラワクの木材王たちは、世界中で合法・非合法の森林破壊に関与している。パプアニューギニアからの木材輸出の80%以上はマレーシア企業が手がけている。世界銀行の試算によると、パプアニューギニアで伐採された木材の70%は違法伐採によるものだった。パプアニューギニア国家裁判所は、リンブナン・ヒジャウに対して、伐採によって被害を受けた先住民族への補償金として9700万ドルを支払うことを命じた。リンブナン・ヒジャウは、赤道ギニアの独裁者の息子で森林大臣に、伐採した木材1m3につき3万CFAフランの賄賂を渡し、国立公園での伐採を行った。リンブナン・ヒジャウは、ガボンでも森林面積の17%にあたる169万haの伐採権を獲得している。

    サムリンがガイアナで取得した伐採権は160万ha以上とマレーシアよりも広く、さらに別の会社が伐採権を持つ40万haで違法伐採を行っている。サムリンは、ガイアナでビジネスを始めて以来、法人税を全く払っておらず、非課税燃料などの優遇措置を受けている。木材のほとんどは、中国やインドに輸出されている。サムリンは、カンボジアでも軍や国境警察から違法に木材を購入したり、動物保護区で違法伐採を行った。カンボジア政府は同社の木材伐採を一時禁止する措置をとったが、命令を無視して伐採を続けたため、カンボジアを追放された。タ・アンは、オーストラリアのタスマニアに進出してユーカリからベニアを製造する工場をつくった。操業開始から赤字申告を続ける一方で、州政府から4500万ドルの補助金を受けている。

    リンブナン・ヒジャウは、世界で800万から1000万haの伐採権とプランテーションの権利を持つ。他のサラワクの企業4社(サムリン、シン・ヤン、WTK、タ・アン)が持つ伐採・プランテーション権の合計は、1800万haと推測されている。フォーブスによると、リンブナン・ヒジャウ会長は15億ドル、サムリン創設者とその息子は8億6500万ドル、タ・アン会長は1億7500万ドルの資産を持つとされているが、どれも公開されたものでしかない。タイブは、少なくとも150億ドルの資産を持つと推測されている。

    2010年には、タイブが1999年以降に自分の家族や仲間に対して、150万haの州有地を分配したリストが暴露された。2014年、タイブはサラワク州首相を辞任し、州知事になった。タイブが本当に権力を譲ったのか、陰で糸を引き続けているのかは、今後も注視していかなくてはならない。

  • 東2法経図・開架 654A/St8n//K

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著者プロフィール

ルーカス・シュトラウマン(Lukas Straumann)
1969年バーゼル近郊で生まれる。チューリッヒ大学で歴史学のphDを取得。
1996年発足の独立専門委員会(通称ベルジエ委員会)で主任研究員として第二次世界大戦中におけるスイスの中立性を調査した(2003年に報告書作成完了)。
フリーランスジャーナリストとして活動。著書にスイスの農業政策と化学産業について扱ったNützliche Schädlinge(2005年)がある。
現在、ブルーノ・マンサー基金エグゼクティブ・ディレクター

「2017年 『熱帯雨林コネクション』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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