桂三枝論 (ヨシモトブックス)

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レビュー : 2
  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784847090929

作品紹介・あらすじ

「ヤンタン」から第一線を走り続けて、約230もの創作落語、奇跡の繁昌亭を生んだスター落語家。そのドラマチックな軌跡を関係者の証言で解き明かす。六代桂文枝への長き道。

感想・レビュー・書評

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  • 桂三枝論

    この書物は、その第4章と、大ラスの1段落を語るためにその他のパートが存在する、
    といっても過言ではない。

    桂三枝改め六代目桂文枝のクロニクル。
    かなり周到に生い立ちのトレースができており、著者の取材力が光っている。
    記述にやや冗長感があり、いささか説明が親切すぎるきらいはあるが、
    裏を返せば、諸考察を進めるには本書の記述は情報量の点で申し分ない。

    私が知りたかったのは、
    「すでに桂三枝の名で揺るぎないステイタスを築きながら、なぜ今、大名跡ながら落語のオールドファン以外にはあまり知られていない文枝を襲名したのか?」
    結局この一点に尽きる。
    その答えは本書の第4章にて集中的に語られている。

    本書の記述と、本書外の関連情報とを総合し、私は次のような結論を得た。
    1)文枝襲名=上方落語の本格的再興への決意表明。
    2)上方落語の本格的再興とは、創作落語による同時代性重視を軸にしたムーブメント。
    3)その第一人者として、六代目文枝としての活動はこれから本格化するはず。

    上記の結論に至った考察経緯は以下の通り。

    現在、落語と呼ばれる伝統芸能は東京、大阪の2都市に存在する。
    前者は江戸落語、後者は上方落語と呼ばれる。
    専門的になるので詳細には述べないが、
    同じように「落語」と名乗っていても、両者の有り様は、歴史的にも現状においても大きく異なる。
    しかし共通して直面している問題がある。それは、
    「伝統と現代とのギャップをどう埋めるか?」ということである。
    この問題に真正面から取り組んだ噺家のはしりが、東京では古典落語の名手、
    故、立川談志であった。
    その格闘ぶりの詳細は有名な著書「現代落語論」をはじめとする談志の多くの著作にゆずるとして、
    一方、大阪では、現存する噺家では、談志ほどのパワーを持って取り組んだ噺家が存在しなかった。やはり古典の名手であった桂枝雀がそれに近かったかもしれないが、彼はすでにこの世の人ではない。

    以下、しばらくの間、敢えて襲名前の桂三枝の名で彼を呼ぶ。
    桂三枝は、タレントとして確固たる地位を築きながら、なおかつ落語家たろうとした。
    超多忙なタレント生活の中、一時期真剣に古典落語と格闘していた時期がある。
    しかし、三枝のタレント性は周知のとおりすでに全国区。その「関西コテコテ」ではない、全国区を意識した語り口と上方落語の古典で求められる伝統的上方口調とはどうしても合わない。
    さんざん悩んだ挙句、彼は古典と決別し、創作落語の方へ舵を切り、精力的にネタ起こしを始める。

    落語愛好家の中には、「創作落語は所詮亜流」と見る向きもあるが、
    私は、桂三枝のこの態度こそが、上方落語の担い手の真骨頂であると思っている。
    江戸期には江戸よりも大阪の方が、エンターテイメント先進地であり、ジャンル淘汰の強い地であったようだ。複雑で豊富なジャンル分けのなか、落語はそのなかのOne of themに過ぎなかった。そんな中でジャンルとして生き残るには、今以上に「同時代性」が求められていたに違いない。エンターテイメントとは本来そういうものである。それは現代でも変わらない。そんな中で揉まれた上方落語は、江戸落語にも大きな影響を与えた。青蛙房より出版されている「落語辞典」には、1200あまりの古典落語が登場し、マニアしか知らない特殊なネタまで紹介されている。現在でも一般的に噺されるネタは600程度と言われている。その大半は上方発祥である。上方の地で数多産み出され続けた創作落語の中から、元来の「同時代性」を標榜されつつも、時代を超越しうる娯楽性を備えて生き残ったもの、それが今、我々が古典落語と呼んでいるものの正体である。

    話を元に戻す。
    そんな環境から生まれた上方落語とは、本質的に「常に同時代性を問われることを余儀なくされてきた」芸能ジャンルである、と私は見ている。それの再興を担える人、それはやはり、同時代性を常に問われる創作落語を重視する態度をとる桂三枝、というのは、ある意味必然の流れではなかろうか。天満天神繁盛亭の立ち上げという大事業を成し遂げたが、どうやら三枝は上方落語再興をもっと強力かつ本格的に進めたいようだ。それ故、40数年の長きにわたり名乗り、それ自体が巨大な存在となった桂三枝の名を敢えて捨て、彼の師匠も名乗った幕末以来の上方落語の大名跡である桂文枝の襲名を決意したのである。

    「江戸の風」を中軸に据えて、古典重視の態度をとり、「伝統を現代に」を提唱した立川談志、一方の桂三枝は、すでに述べたように、それとは大きく異なる「創作による同時代性」を中軸に据える。すでに約230の創作落語を書いており、今尚創作活動は続いている。古典と創作という全く異なる属性に加え、極めて個性的でアクの強い談志と、タレントとして抜群のとっつきの良さを持つ三枝、両雄のキャラクターも大きく異なるが、結局目指すところは同じである。それ故に、桂三枝は生前の立川談志に私淑すること大であった。六代目桂文枝を襲名した直後の今、長年親しまれた名を捨てたことへの戸惑いがまだ残るが、彼の考える上方落語再興はこれからやがて本格化するはずである。

    これは私の戯れの妄想だが、
    大げさな言い方をすれば、
    文化にまで及んだ明治以来の東京一極化の流れを変えるきっかけを、全国区タレントでありながら 今尚大阪を本拠にする六代目文枝が、もしかしたら作ってしまうかもしれない、そう考えると、今後の文枝の活動からは目が離せない。なぜならそれは、江戸時代には文化的に両立できていた二都時代へのリターンという、歴史的大事件になるからである。

    六代目文枝の、桂三枝時代以来の優れたタレント性については、本書に克明に述べられている。その強力な武器を携えての文枝の今後の活躍、市井の一落語ファンとして、大きな期待を持って見守りたいと思う。

  • 単なる 芸人論としてではなく
    ちゃんと 上方芸能の旗手としての「桂三枝」さんを
    確かな取材 と 芸能としての落語への愛 で
    書き上げた一冊
    自ずと 戦後昭和史でもあり
    自ずと 戦後TV、ラジオ演芸史でもあり
    自ずと 戦後落後家論にもなっている
    さすがに落語名鑑を編む筆者ですね

    たっぷり 楽しませてもらいました 

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