本の雑誌風雲録[新装改訂版]

著者 :
  • 本の雑誌社
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レビュー : 10
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784860110871

感想・レビュー・書評

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  • 椎名誠 本の雑誌血風録を読んでいたので、話の内容は
    把握していたが、こちらは主に配本部隊、学生助っ人達が主役。当時の様子がよくわかる。

  • 楽しく読ませてもらいました。

  • ryoukentさんの感想を読んで早速図書館に行ったら1985年版、初版第一刷がありました。「本の雑誌」のことは正直知りませんでした。読んでいくうちに書店さんに配本する大変さ、バイトの学生との飲み会。「自分は濡れても本は濡らすな」洋書の営業をしていたのでいつも雨降りは大変だったのを懐かしく思う。

  • 私もう目黒考二さんのファンになった。

    私、金子光晴が好きなんですけど、
    ちょっっと(ちょっっっと ね)だけ似てる。

    この、何か残念なくらい冷静なところとかが。

    ご本人は頭に血が上ったり、何もかも嫌になって逃げ出したくなったりして
    今があるわけなんですが、
    それを回顧して書く筆致が、驚くくらい冷静。
    思い入れは思い入れとして、きちんと断りいれてくるような
    律儀な描き方する人が、私は好きなんです。

    にしても目黒さんが会社辞めまくってた頃から
    10年経って、「本の雑誌」の発行人、営業責任者、「本の雑誌社」の経営者として
    どんどんちゃんとしてくるのが本当に感動的。
    雑誌の十年史であると同時に、一人の人間の大人としての孵化の記録でもある。

    売れる雑誌を作りたいんじゃなく、
    ただふわふわ生きていたいだけだったのに、
    発行部数がどんどん伸びて、自分ひとりで配本するのが
    限界になっていた頃の目黒さんの(今にも失踪しそうな)危うさと、
    「なってしまったもんはしょうがない」「なりゆき、なりゆき」と
    自分をいさめてひたすら本屋を回る姿に、
    やっぱり抑えがたい憧れのを感じる。かっこいいのぅ。

    浮き草のようだった目黒さんが、
    手伝いにやってくる大学生たちとの関わりの中で
    どんどん地に足ついてくる様子が凄い、いいのよ。
    人がいいというわけじゃないけど、真面目なんだと思う。
    ああ、そういう感触も金子光晴をちょっっと思い出す要因かもしれない。

    反省のこもった淡々とした筆致、感謝の言葉、
    …の裏に脈々と息づく頑固者の気質がたまらん。
    多分この人は自分が頑固だとかいう自覚ないだろうなぁと思って。

    それでちょっと思ったのですが、
    私は自分が頑固だと思ったことないけれども、
    これを読んでいて嬉しくなってしまうということは、
    もしや私も頑固者だからなのだろうか?という疑問をもった。
    うーん

    とにかく、無茶苦茶になるほど仕事をするというのは
    傍から見てるといいなぁと思う。
    好きなことを仕事にすることについては、
    古今東西に賛否両論があるように、一長一短であり
    いいとも悪いとも断じられないけれども、
    ただ一個言えることとしては、
    そういう仕事を一度はやってみたかった、ということです。

    目黒さん本人は「本の雑誌」を直販で本屋に売りにいき始めてから
    趣味で行く本屋という場所に商売を持ち込みたくないあまり、
    自分が行き着けにしてた本屋を避けて売りまわってたというくらい。
    どんどん扱ってくれる書店が増えてくるので、
    もうここも駄目、あそこも駄目、と行ける本屋が少なくなってきて苦しかったとすら書いている。
    (終いには諦めて、知り合いの書店員に会わないようにこっそり行くようになって、今はもう平気になった、と書いてたけど)

    しかしこの人の本屋描写は実に素晴らしいよ。
    本屋という存在をどれほどいとおしく感じているか、
    その思いが文字の間から漏れ出てくるようだ。

    あとびっくりしたことが一つあった!

    本の雑誌社に、一番最初に入ったのは経理の木原ひとみさんという
    女性で、長らく社員はその木原さんひとりでやっていたというのですが、
    文中にこんな一節がでてきた。

    (前略)
    椎名誠と沢野ひとし、という超遅筆作家が2人もいるので、こんなことはしょっちゅうだ。84年夏に木原ひとみが群ようこのペンネームで『午前零時の玄米パン』を出したとき、彼女がこちらのスケジュール通りに足りない部分を書いてくれ、ずいぶん楽だったが、同時に拍子抜けしたのも、それ以前にこういう経験があったためだろう。(後略)

    木原ひとみが群ようこ!!!!
    えー!!!
    この『本の雑誌風雲録』の初版が1985年(!!古い!)で、
    『午前零時の玄米パン』が1984年なら、群ようこはまだそれほど売れっ子ではなかったのでしょうね。

    群さんの出世作と言えば『無印良女』か『無印OL物語』(だと思う)、
    その初版はそれぞれ1988年と1989年、
    ということは『無印OL物語』の職場のモデル(の一つ)は「本の雑誌社」だったのだ!!!(多分)
    えーーーーーー!!!衝撃。
    これ常識なんでしょうか??
    群ようこは結構読んだと思ってたけど、
    読んでた当時、「本の雑誌」なんていう雑誌を全く知らなかったから
    情報として入ってこなかったのだろうか?

    群ようこって高校以来読んでないけど、急に読みたくなってきた。
    目黒さんがモデルになってるような登場人物が出てくるかもしれない。

    そして椎名誠もエッセイに目黒考二を描いている。
    その名も『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』。
    これは「本の雑誌」第六号編集会議中に目黒と椎名が大喧嘩して、
    その意趣返しのために椎名が書いた、めぐろさんを味噌蔵に閉じ込めるというエッセイ。
    読みたいじゃないの。ていうかもう読む気だ。明日買いに行きたいくらいだ。


    何にしても面白い。
    読んでる途中でふと我にかえって、
    「この本、私の本なんだ。図書館に返さなくていいんだ」と思うときの
    この充足感を何に喩えれば伝わるのだろう。

    こういう、小さい出版社から出ている地味な快作を
    何十年も経ってから偶然我が物にするというのは奇跡的じゃないかなぁ。
    最近「本の雑誌」を私が読み始めていたから、
    古本屋の棚先で本の背表紙と目が合ったという偶然の出会いだ。

    いやぁ、本て、素晴らしいもんですね。
    私が幸せを感じるのはね、
    本屋でどの本を買うか選んでいるとき、それを買うと決めて手に持って本屋を歩いてるとき、
    それを買ったと書いているとき、読んでるとき、読んで面白かった、どうだったああだったと書いているときです。

    ああ字が読めてよかった。目が見えてよかった。
    ありがとうお父さん、お母さん、と思うのであった。
    今日も楽しかったなぁ。
    しかし明日からは勉強も・・・しなきゃいかん!わかっとります!!

  • 10 雑誌の編集を書店への配本という現実サイドから見る。本が売れていく半面、生じる送り手たちの模索、葛藤。

  • 2010/06/06
    天神
    WS第一回課題本
    読んでみる

  • あえて、文章を書き直したりしていないから、当時のそのままの雰囲気が伝わってきました。

    目黒さんの「働かないで、本だけ読み続けていたい。」っていう気持ちが、もちろん甘えなんだろうけれど、今の自分にはすごくよくわかります…。でも、それを何だかんだ言って職業につなげられているのは努力とか色々がんばっているからなんだよなぁ。諦めずに、本だけ読み続ける人生を模索?していたからこそ。


  • 創始者目黒孝二が語る「本の雑誌」創刊の物語、そして”配本部隊”の活躍。
    ほぼボランティアで書店への配本を引き受ける個性的な面々に、椎名誠・沢野ひとしとさらに強力な個性が加わって「本の雑誌」をワッショイワッショイやっている。そんな溢れんばかりのエネルギーを感じる本書。
    1985年発行のものに新装改定版として、書き下ろし・単行本未収録原稿90枚の「その後の『本の雑誌風雲録』を加えた不朽の名作。



  •  「本の雑誌」は、1976年に前発行人の目黒さんと現編集長の椎名さんが中心になり創刊された雑誌だ。 この創刊前後や季刊、隔月刊時代のことを記録した本がある。 そのころは取次を通さず書店直売だったため、配本を手伝ってくれた学生・助っ人たちのことを中心に書いていったのが、目黒考二の『本の雑誌風雲録』で、発行する側・椎名、目黒、沢野、木村らのことを私小説で書いていったのが椎名誠の『本の雑誌血風録』(朝日文庫 新潮文庫)だ。 この2冊を読むと、思いつきでぐいぐいと行く椎名さんと、不安を抱きながらも着実にことを運ぶ目黒さんが対比的でおもしろい。 もともと目黒さんが個人で発行していたおもしろ本ガイド「目黒ジャーナル」が発展してできたのが「本の雑誌」だ。 しかし、?路線対立??クーデター?があり、コラムマガジン的色彩が強くなるのが、椎名さんが実質的に編集長になった第6号から。 この時期の「本の雑誌」を実際に読んではいないが、『本の雑誌血風録』によると、1978年発行の第10号で椎名さんは、雑誌・文藝春秋の広告や目次も含めて全活字を一字一句とばさず読んでいくルポ?を「文藝春秋10月号四六四頁単独完全読破」というタイトルで書いている。 こういう意味のないおもしろ記事、最近では、増刊号の『おすすめ文庫王国2008年度版』で、現助っ人の関口鉄平が、別々の本10冊を寝起きにはこれ、トイレではこれ、と文庫本10冊同時読みに挑戦している。 また、2008年7月号・創刊301記念特大号では、街の書店の店主・伊野尾宏之が「前代未聞『本屋プロレス』の全貌」を書いた。これは強烈だった。 その名のとおり、本屋を会場にプロレスをする。それも大型店ではなく商店街にある普通の店で。「レタスクラブ」と文字の入った書店員エプロンで入場してくるプロレスラーの写真。笑った。実況中継もお見事。 ここしばらくの「本の雑誌」、このようなおもしろ記事は減っていた。 コラム路線から、創刊当時の新刊本書評が中心(実際に読んでいないから推測だが)プラス本にまつわるあれこれという路線に近くなっているのかな。 けど、それがダメかというと全然そうではない。少なくとも私には。 現在、私は年に50冊ほどの本を読むか、十代二十代の頃はマンガ中心で、活字の本はそう何冊も読まなかった。それがこのくらいの数、読むようになったのは、本を読むのがおもしろくなっていったからである。売れているから話題になっているから役に立つからの基準ではなく、おもしろい、という基準で読んでいった。ハズレももちろんあったが、「本の雑誌」のおすすめ本は、私の読書力を大幅に上げてくれた。 1999年10月号の特集「90年代のベスト100発表!」に選ばれた作品は、傑作揃いで、そのころの私はしばらく、そのリストをつぶしていく読書をしていた(2009年には「0年代のベスト100発表!」をもちろんやりますよね)。 そして「本の雑誌」購読は、読書力だけでなく、書店力もある意味向上させてくれた。 私は、元・書店員というか元・本屋さんなのだ。「本の雑誌」! 「本の雑誌」! 「本の雑誌」! その3

  •  「本の雑誌」が始めて刷られたのは1976年4月だそうだ(私は高校三年生だった) この本はその時のエピソードに始まって、その後の10年間+新装改訂版としてさらに10年の目黒自身による「本の雑誌」編集後記が抜粋されて掲載されている。 「本の雑誌」の名付け親は、やはりな というところでシーナ。自分のノートにでっかい字で「本の雑誌」と書いて、目黒に向かって「こんな名前でいいんぢゃないか」で決まったそうである。 ところでこの名前、初めての本屋で聞く時ちょっとはづかしくないですか? 「本の雑誌ありますか?」 「え? なんの雑誌ですって?」 「だから、本の雑誌っていう名前の雑誌ありますかっ!」 「…へ? 少々お待ちください」 わたしは「本の雑誌」の読者としては結構新しく、いまだにビギナーだと思っている。正確には覚えていないが時々買って読み始めたのは2001年頃だったと思う。 先に単行本で読み始めたシーナの『新宿赤マント』シリーズ(今は「風まかせ 赤マント」だけど、当時は「新宿…」だった)がとにかく面白くて、なんだか「本の雑誌」という名前の雑誌の編集長をシーナがしていることを知って読み始めたのであった。 いまだに毎号キチンとは買えていなくて、忘れたり売り切れていたりで、ちっともバックナンバーせいぞろい! 状態にはならないけど、いいんだそれで。 そんなに片意地張って「創刊号から全部持ってます、わたくし」みたいな凄い人にはぜーんぜんなりたくない。 しかし売っている書店が少ない事はさらに“買い忘れ”を助長している。 ちなみに現在ウィークデイを暮らす滋賀県田舎村近辺には一軒も「本の雑誌」は置いていない。一番大きな本屋さんに行って「本の雑誌 って雑誌あります?」 「え“ なんの雑誌ですって」という不毛会話の後、無いと解って以来探してもいないのだけれど。 創刊第一号の営業のエピソードが語られている。 新潮社発行の販促チラシに新潮社の誰かが「すばらしい雑誌をみつけました」と書いてくれて、そのおかげもあって売れた。でも、いったいその文章を誰が書いたかは謎である…。 実は今平行して『「本の雑誌」炎の営業日誌』:杉江由次を読んでいて、そこには その新潮社の人が誰であったかの謎が解き明かされている。興味のある人はすぐにこの本も買って読むように。 但し『・・炎の営業日誌』はナゼカ本の雑誌社発行では無いので注意してくれたまえ。 前半の配本部隊結成の話から、最初の事務所開設エピソードのところで 木原ひろみ が登場する。 そう、のちの 群ようこ だ。 なんと彼女の最初の給料は3万円だったらしい。それでも良い、と当時の群ようこ女史は言って、本の雑誌社に入ったらしい。1979年のことである。わたしは大学3年生であった。 そして学生たちの「助っ人部隊」のエピソードが永遠と続く。当時はほぼ直販であり、出来上がった本の雑誌は自力=学生アルバイト達の努力で書店へと配られていたのだ。 もうそれはそれは沢山の目黒から見たこの学生助っ人アルバイトたちのお話が脈絡無く続く。 誰が車をぶつけたの、大学の試験期間中はたいへん困っただの、毎日学生連れて飲みに行っただの、ホントにきりがない。 アルバイトなどと書くといかにもキチンとバイト代を払っていた様にも聞こえるが、それは錯覚なのだ。たいていは昼飯と晩飯そして全部配り終えた日の打ち上げ宴会無料、というのが「報酬」だったらしい。 想えばこの頃って わたしも横浜で学生をやっていて、この本の雑誌の助っ人募集にはその気になれば参加できた世代なのだ。 でも当時は本の雑誌なんて全く知らなくて、毎日ナナハン転がしたり車のエンジンばらしたりばかり遣ってる正しい理系学生なのでした。それはそれで面白かったから悔いはないけど、それにしても当時の目黒やシーナともお会いしたかったなあ。 発行人が目黒から浜本に代わったことが書かれている。2002年のことらしい。目黒は創刊から25年間続けたそうで、それはそれでご苦労さま なのだけれど、編集長のシーナは創刊以来いまだに編集長なのだ。 しょっちゅう国外逃亡をしていたシーナのことだから創刊当時はともかく、きっと もうずいぶん前から編集長の仕事なんてしていないと思う。 現在シーナ編集長は「今月のお話」という巻末の掲載図書索引よりも後に載ってる読み物を毎号書いてるだけで、それもここ最近は写真がたくさん混じるようになって、ちょっともてあまし気味、ってのがなんとなく伝わってくる。わたしにはそれでも面白いけど。 目黒考二。もう62歳なのである。 「本の雑誌に関ったのが25年間で、あとの37年間は関っていないけど、関った25年間の方が10倍楽しかった」という事が あとがき に書かれている。 ウーム お疲れさんでござんした。 安らかに眠れ ってまだ生きてるか! スマヌ

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