百歳までの読書術

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784860112745

感想・レビュー・書評

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  • 津野海太郎の本を読むのは、先日の「最後の読書」に続いて本書が2冊目。「最後の読書」が2018年発行、本書が2015年の発行なので、私の読書の順番は、発行とは逆になっている。
    私が読んだ津野海太郎の本は、この2冊だけで彼が若い頃に書いたものは読んでいないので、私にとって津野は「スーパー老人」である。津野は1938年生まれなので、2018年に「最後の読書」を出した時には80歳、そしてその作品で、読売文学賞を得ている。そしてまだ読んではいないが、今年になってから、ということは、84歳で「かれが最後に書いた本」という読書案内・ブックガイドを発行している。1938年ということは、私よりも二回り以上年上になる。もちろん、持って生まれた才能の違いが大きいのであるが、それにしても、私が20年後に、このブグログに書いているような感想文程度のものですら書けるかどうかは、相当に怪しいと思う。

    本書の中で、津野は「若い諸君にはゼッタイにできない」読書として、むかし読んだ本を読みなおすこと、をあげている。なるほど、と思った。
    私にも何冊か読み返す本がある。例えば、沢木耕太郎の「深夜特急」だ。「深夜特急の」第1・2便の発行は1986年、第3便の発行は1992年である。私は、第3便が発行された直後に3冊まとめて読んだので、初めて読んでから30年が経過することになる。初めて読んだ時には興奮した。私もぜひ、沢木耕太郎のような旅をしてみたいと思った。実際には妻子持ちのサラリーマンであったために、そういうことは無理だったが、でも、その後の、留学・海外関連の仕事・外国での勤務、といったキャリアを後押ししてくれたという実感がある。以降、何度か読んだ。タイに勤務していた際に、今はないバンコクの伊勢丹の中に入っていた紀伊国屋で「深夜特急」の文庫本を見つけ購入し、あらためて読んでみた。あらためて読んでみて、やっぱりすごく面白い本だな、と思ったけれども、「遠くに1人で行くことだけが旅ではない」と感じたことを覚えている。それは、当時、タイの会社との合弁会社でタイ人がほとんどという環境の中で責任者となり、バンコクで1人暮らしをしていた私が、日々カルチャーギャップを感じていたことから来る実感であった。私は、タイに「定住」していたけれども、日本での暮らしとは全く違う「遠い場所」に来たなぁ、これも一種の旅だよなぁ、と感じていたということだ。
    おそらく、今読んだらまた違う感想を持つはずだ。「30年越しの読書」は、確かに若い人にはまだ出来ない読書だろう。

  • 老年の読書というカテゴリーについて考えたことがなかった。
    いつかは自分の日々となるのに。
    読書にも老いがくるなんて想像してなかった。
    まず、そこに驚く。

    それから速読か遅読か、スローリーディングか?
    本が捨てれるか、どういうスタイルで読むか、など。
    いろいろな角度から老年特有の読書について書いている。

    知識のある方なので、知識面でもたくさん知らない事が知れて興味深く読み通せた。

    自分も将来のために老年読書の体力をつけておこう‼︎
    (決意表明してみる…)

  • 年を取って、仕事をやめたら、読書三昧の毎日を送るのが夢…そんな人も多いだろう(私もそんなひとり)。で、タイトルに惹かれこの本を手に取った。

    だが、これを読んでその「幻想」は打ち砕かれた。日々衰えていく身体と頭脳…。80や90を超えても、元気に知的な活動を行っている人は、とても恵まれた人なのだ。

    自分が年を取った時に、どんな状態であるかは、その時になってみないと、わからない。

    この本を読んで感じたのは…本は読めるうちに読んでおこう、老後の楽しみなどと言わず、今読めるものはできるだけ読んでおこう、ということだった。

  • 「老い」というものが結構身近に迫ってきているなあと思うことが時々ある。もともと心配性なもので、あんな風になったらいやだなあとか、こうなったらどうしようとか、考え出すと不安のタネは尽きず、夜眠れないときなんかネガティヴ妄想のスパイラルに落ち込んだりする。「病気になる」とか「ひとりになる」とかという状況は、わりにリアルに思い描いたりするが(「心の準備」をしているのかも)、これは直視できないなあと思うのが「本が読めなくなること」。そうなったら一体自分はどうなるのだろう。でも、その日は必ず来るわけだ。ゆっくりとか急にかはわからないけれど。

    七十歳をこえて自らの老化をはっきりと自覚した著者が、読書にまつわることを中心に思いを綴った本書。「本の雑誌」での連載を楽しみにしていたが、こうやってまとめて読むと、ちょっとしんみりしてしまった。著者は「最終段階に足を踏み入れ、このさき、じぶんの読書がどのように終わってゆくのか、そのおおよそがありありと見えてきた。となれば、こここそが私の読書史の最前線である」と書いている。はたして自分はこんな風に「終わり」を受け入れていけるだろうかと思うと、なんとも心許ない。

  • 退職したら読書三昧。
    それを心の支えに、日々仕事を頑張っていると言っても過言ではない。
    なのに。

    “読書にそくしていうなら、五十代の終わりから六十代にかけて、読書好きの人間のおおくは、齢をとったらじぶんの性にあった本だけ読んでのんびり暮らそうと、心のどこかで漠然とそう考えている。現に、かつての私がそうだった。
     しかし六十五歳をすぎる頃になるとそんな幻想はうすれ、たちまち七十歳。そのあたりから体力・気力・記憶力がすさまじい速度でおとろえはじめ、本物の、それこそハンパじゃない老年が向こうからバンバン押しよせてくる。”

    そうなんだ。

    残された家族が本の処分に困らないように、今のうちに売ったりあげたり捨てたりしようとするが、体力気力が持たず途中断念。
    それ故図書館を利用することによって、購入〈所有〉を減らすことに作戦変更。

    幸田露伴の勉強法
    “ひとつのところばかりに専念するのでなく、八方にひろがって、ぐっと押し出す。(中略)こういうふうに手が八方にひろがって出て、それがあるときふっと引き合って結ぶと、その間の空間が埋まるので、それが知識というものだという。”
    確かにここ数年、ふっと空間が埋まったと感じることがある。
    ああ、ずっと読書が好きでよかったなあ。

    覚えられない。
    すぐ忘れる。
    目がかすむ。
    体力がなくなる。
    集中力が続かない。

    齢をとるって想像以上にいろいろ大変で、読書どころではないらしい。
    知の巨人と言われた人たちにしてそうなのだから、私ごときはどれほどぼろぼろになるのだろう。

    “おとろえるのはつらいし、わびしい。ところが、その「つらい・わびしい」の一方で、思いがけず、高速度で老いおとろえてゆくじぶんへの抑えがたい好奇心が生じている。そしてそのこと自体におどろく―。
     いうまでもなく、老いというのは老人自身にとっても初めて体験するできごとなのだから、つよい好奇心をいだかずにいることのほうがふしぎ。”

    齢をとっても好奇心を持っていられたらいい。
    すぐ忘れても、すぐ疲れても、読書を楽しめるのならそれでいい。
    本を膝に置き、ひなたぼっこしたままあの世に行けたら、と思っているのだけれど。

  • 3年連用日記。漢字の記憶が薄くなるので手書きがいい。
    固有名詞を中心に書く。

  • この前、永江朗さんの『51歳からの読書術』を読んだが、この本も本屋で見て気になった。しかし、すぐには買わず、ネットで調べて古書の綺麗そうなのを半額ぐらいで購入した。(新品と同じだった)ぼくは知らなかったが、津野さんは、最初演劇をやり、その後雑誌の名編集者として名をはせた人で、偶然同じころ買った『花森安治伝』の著者でもあった。ぼくは津野さんよりほぼ一回り若いが、本書は要するに、老人になってから、本をどう買い、どう処分するか、本はどう読むか、本の読み方はどう変わってきたかを述べたもので、読書量の差や質は抜きにすると、どれも身に迫るような話題ばかりだった。津野さんは、若いときに、暮らしに困りほとんどの蔵書を売ったことから、本とは自分を通り過ぎていくものという認識を持つ。だから、本にそれほど執着がない。さらに、退職後は、年金生活で収入がなくなるから、よほど欲しいものでない限り、高い本は買わない。(買えない)その代わりに活用し出したのが、町の図書館で、津野さんはこれをうまく利用している。(それだけ、町の図書館が充実してきたということか)たとえば、高くて欲しい本がある場合、まず町の図書館で借りて、よければ自分でも買うというふうに。さいわい、今はOPACというものがあって、県内のどこの図書館にその本があるかすぐわかるようになっている。一般書なら、予約してもかなり長い間を待たないといけないが、専門書は借りる人がほとんどいないからすぐ借りられるというわけだ。遅読か速読かも面白い。ゆっくり読むことは必要だが、読書には一定のスピードがないと、最初の方を忘れてしまう。ある程度の速読は必要なのだというのもよくわかる。あとの方で出てくる、書くよりも本を読みたいというのもわかる気がする。前半はこんなふうに本との話だが、あとの方へいくにつれ、老いと読書の話になる。老人にしかできない読書や病院での「本の道」など、老いとつきあいながら、どうやって読書を続けていくか、とても共感をもって読んだ。

  • 退職したら好きなだけ本が読めると、少なくとも図書館にある本は自由に読めると思っていたのですが・・・。
    本を読むには気力体力が要るんだと、教えられました。
    晴眼と集中力と想像力のどれが欠けても今と同じ楽しみ方は出来ないんだ。
    年をとって初めてわかる読書の楽しみが、この本には書かれているから、年をとるのは恐れなくていい(読書に関しては)。でも壮年の読書ができるのは今だけなんだと、年をとるほどたくさん読めると思ったら浅はかなんだと教わりました。

  • 老いと向き合う読書方法?かな?

    人生第二部をどうするか色々もがいてるわいには色々響いた。
    また単純に読み物としても面白い。歳を重ねた人の文章はこころに響く。

  • 老人と読書の関わりについて書かれたエッセイ集。
    物忘れ等が進む老いの中で、蔵書の処分、図書館の使い方、速読と遅読など参考になることが多い。
    印象に残った文章
    ⒈ 読書の基本は通読である
    ⒉ どうせ、あちらへは手ぶらで行く
    ⒊ あいつもかなり老人力がついてきたな

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著者プロフィール

1938年、福岡県生まれ。評論家・元編集者。早稲田大学文学部を卒業後、演劇と出版の両分野で活動。劇団「黒テント」演出、晶文社取締役、『季刊・本とコンピュータ』総合編集長、和光大学教授・図書館長などを歴任する。植草甚一やリチャード・ブローティガンらの著作の刊行、雑誌『ワンダーランド』やミニコミ『水牛』『水牛通信』への参加、本とコンピュータ文化の関係性の模索など、編集者として多くの功績を残す。2003年『滑稽な巨人 坪内逍遙の夢』で新田次郎文学賞、09年『ジェローム・ロビンスが死んだ』で芸術選奨文部科学大臣賞、20年『最後の読書』で読売文学賞を受賞。他の著書に、『したくないことはしない 植草甚一の青春』『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』、『百歳までの読書術』、『読書と日本人』など。

「2022年 『編集の提案』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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