原っぱと遊園地―建築にとってその場の質とは何か

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  • 王国社
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  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784860730253

感想・レビュー・書評

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  • 遊園地のような建築やいたれりつくせりな住まいというのは、一見するととても良いもののように思えるけど、あらかじめ使い方を限定された空間は、人間から自由を奪ってしまう。著者のこのような考え方にはっとさせられた。ある程度の拘束からは逃れられないとしても、その中でいかに予想外のことを起こせるか。

    建築学の本だけど、人生そのものの話としても面白く読める。

  • 理知的に攻めてきながら詩的、といったふうないわゆる「建築家」的な語り口。(いい意味で)哲学家、的なのだ。

    空間の質が先行し、それにあわせてそこでの機能が開発されるように(つまり、空間が人に「感じさせる」)というような、「人とモノの成熟した関係の定着」こそ理想の建築・都市(「原っぱ」)、という主張は明快。

    それをベースに、「多様な相」という「都市の本質」論(→やはりディズニーランド批判)、そんな「都市」の遺伝子を引き出して発芽・接ぎ木させるというマンハッタンでのビル設計コンセプトを展開。

    さらに、「すべての建築は道から進化した」という理念(「動線体」論)をも持ち出す。そうすることで、建物を「ビルディングタイプ」から定義づけることの無意味さを説いてくるのが印象的だ。

  • 動線体について再読するために手に取った。

  • 先駆的。

    建築とアートの接点が良く分かる。結局は「空間」というのは、あらゆるアプローチから接近可能なものだし、どの領域においても目指しているところは同じなのだなと改めて思った。

    装置性や儀式性がわざとらしさを感じさせるのなら、それはもう、自由を担保していない。

    目的もないのに、いきたくなる場所を作りたい。そしてその都度「なにか」を、つまり瞬間瞬間に応じた「詩」を見つける場所にしたい。来た人がそこで自発的にどうふるまうかを決める場所でありたい。

    原っぱ的な質を持った建築がかつて成立していたとすればそれはなぜか。それはおそらく、「この場所」の意味を自分で所有していなかった、ひいては自己意識を自分で規定していなかったことが、関係しているように思う。

    ○○したい、○○してもいいですか?と、その人自身が能動したくなる場所。そこには、有機的関わりや身体がある

    あわ居は、別に既存の「宿」の形式を満たしていなくてよい。その定義は常に更新されていくし、誰が作るわけでもない。

    完結的で、終局的なものを、今のデザインは作っている。

    今は主宰側の、こうありたい、というのが強すぎるんだろう。建物においても、本来はもっと他者に預けられて、かたちづくられるもの。

    まさかこんなところで、こんな出会いが、という遭遇。それが劇的。

    かつてのまちあるきは、目的の場所にいくものでなかった。目的のたけの行動をする限り、、あたそれだけに埋め尽くされた場所に居る限り、まさかは起きない。

    僕のやろうとしているのは名づけにくい。でもそれは近代が、すぐに分類したがる故。

    アートでも宿でも、教育でも、療養所でもない。それでいい。

    空間から目的をはぎ取る

    空間が人の行為を規定しない↔牢獄(主宰者の意図に踊らされている)

    なにかをまなぶうえでは、教室で有る必要はない。これが学校と形式は、本来ない。そこで学べれば

    スタジオムンバイの縁側の椅子は、いろいろな場面が想起される。ひとつの目的に目的されていない。空間の解釈が重層的で、自由。自発性が担保されている。シニフィアンとシニフィエの議論を想起させる。あの椅子が「意味しているところ」と、実際の「もの」に、明らかじゃ差異がみられる。つまりその空間における椅子は、記号になっていない

    そこに窓があること、椅子があることが、メッセージや扇動になってはいけない。あくまでも、そこにそれが「在る」だけ。そしてそれだけが、本質的に他者との関わりを生む。

    其処の場所や、またそれを主宰する人が、それ自身の役割や、そこで行われること、またそこから感じ取られることなどに、意識を払っていない空間が好きかな。つまり、そこで起こる現象や心象に、設計の際に重きを置いていない空間。そこで何を感じるかは、他者に完全に預けてしまっている空間。

    本当に人のことをおもって練られた空間では、決して人を操作する要素は介在しない。そしてそうしたものは、おそらくあらゆる角度から、「他者」について考え抜かれた後に、その答えを放棄してしまうところがあるのではないかと思う。

    理由のないことを恥ずかしく思わないこと。

    生活を、食事、睡眠、、、、と要素の集合としてとらえると違和があるように、書も、文字、意味、造形なんてやってると、そこに書の実体はない

    その存在価値を他者に委ねている空間。それはただそこに在るだけ。

    かもしれない、こういう場面が、、、ということを考えていくと、結局考えられなくなる。そこでようやく意図がない自由が出て来る

    厳密に「食べる」という行為はない。そこには話す、黙る、、、、、などが含まれている。織機も同じ。

    美術館や教育の定義が、形式にすぎないように、書の定義を、自ら組み立て作品化していきたい。誰がそれを決めたというのか。これが書というスタイルに、自分がとどまってしまっていないか。むしろそれを自分が作品を通じて定義することをこそ、していかないと。

    自発性は、人の目、自分の想定を裏切ることによって担保される


    宿としてみなされなくてもいい、そこに人が来て、何かしらのものを持って帰るならそれでいい。宿でなくていい。







    ●以下引用

    一方に、美術館として考えられて作られた美術館があって、もう一方には、美術館ではないものとしてつくられた美術館がある。そうして、牛込原町小学校のほうが圧倒的にいい美術館だったのである


    作家と空間との関係にあると思う。多くの作家は与えられた空間にとても敏感である。その空間を前提にした展示を工夫している。

    与えられた空間がもっているなにかが残される。その上でその空間が別物に変容させられている。

    つまり、ここでは作品の多くが、それが設置される空間との関係の中で成立しているのである。もちろんこれは美術にとって、しごく当然のことだ。だけれども、その間にいい関係が生まれるためには、与えられる空間が主導しすぎても、脇役にまわりすぎても駄目なのだ。どちらが主導するというのではなく、対等でなければならないのだ。そして、それは難しいことなのである。


    横浜美術館は、ぼくには、空間が作品に対して勝ち過ぎているように思える。どういう作品がここに設置されるべきなのか、そしてそれがどういうふうに見られ、感じられるべきか、展示室の空間自体があらかじめ決めつけてしまっている、ということだ。

    野原に生える雑草は、偶然にそこに着床した種子が、気候と水の状況と合ったときに、種子にもともと内蔵されているアルゴリズムに従って、発芽し、茎をのばし、、、、、

    その論理の中には、それを見る人がどう思うかという視点が、もちろん、ふくまれていない。

    ➡「自然」であるということだ。そしてそこに「自由」がある。

    機能主義建築の残念なところは、それが想定された使われ方で実際に使われてしまうところだ。

    その学校が、廃校になり、子どもたちが消え、、、するとその自然性、つまり人にそれをどう感じさせようかという視点をもたない、明快な決定ルールの推敲が際立ってくる、

    実際に、原っぱには土管があった。あと砂利とか。原っぱとは、、、。土管は必要があって運び込まれたはずだけれど、子供の誰もがなぜ土管がそこにあるのか知らなかったし、不思議にも思わなかった。土管は、子供たちにとって、ただおsこにある、という在り方をした物だったのである

    子供たちは本能的に原っぱを好んだ。それは、野球を詩に行く場所ではなかった。ドッヂボールをしに行く場所でもなかった。なにかの目的をもって行く場所ではなく、ともかくもそこへ行って、それからなにをして遊ぶかを決められる特別な場所だった。原っぱそのままで楽しいのではない。そこでは、毎日のように新しい遊び方が開発されていた。

    原っぱの楽しみは、その場所での遊び方を発明する楽しみであり、そこで今日何が起きることになるのかが、あらかじめわからないことの楽しみだった

    人間の空間に対するかかわりかたの自由

    牛込原町小学校がどうして「美術館」として優れていたのか。それは美術館という空間が、人間が自分の力でなにかをつくっていくということに捧げられた空間であるからであり、とすれば、つくる人のそことのかかわりかたがあらかじめ規定されたものではなく、そことのかかわり方の自由が望まれるからだ

    人がつくることと、与えられる空間の規定力の対等

    訪れる人が、自分の気持ちに応じて、作品への集中への度合いを変えられるような自由

    (p76)こんなに形をいじっているのに、そこに作りてからの押し付けがましさ、作り手の意図が感じられない。なるべくしてなった空間、という感じ。作り手の観念や意図が消えている。そうでなければ、訪れる人が自由を感じることはない

    こんな作品がつくられるだろうということがあらかじめ決まっているところで、何かをつくることは、ひどく窮屈なことだ

    美術館をつくるとき、そこで行われること、つまり、つくられることの内容を想定しないで進めなくていけないという気持ちは、他の種類の建物のときにも増して、ぼくにはずっと大きく感じられる(p107)

    パサディナにあるノートンサイモン美術館。この美術館の空間は、もともと邸宅だったものが改装されて、、

    ある一群の作家には、自らでその空間の意味を発見したいという欲求がある。その発見も含めて作品だと考えてゐる

    皮肉なことに、もともとは邸宅としてつくられた空間や、工場としてつくられた空間や、あるいは小学校としてつくられた空間が美術館として使われているときの方が、よくできた美術館以上に、つくる自由を保証する

    ★美術館の展示室は、どんな場合でも、それ自体、ひとつの世界を持っている。それはまず、外の日常的な世界とは別の世界である。そして、しういう展示室で展示するということは、それをもうひとつ別の空間にすることだ。(121)、

    ★国立国際美術館は、そういうことをする上で、好ましい空間だった。何か突き放された空間だったからだ。取りつく島もない強靭で自立した世界(122)

    ★しかし美術館全体としては、ゆったりと流れる大河のような、おおらかな流動性がある。展示室のこの確固たる領域性と美術家全体の流動性が、類まれなバランスで同居している様子はほとんど奇蹟と言っていいような状況だ

    ★こうした空間が突き放された感覚を与えるのは、その空間の広がりや、その個性の強靭さからではない。それに加えてむしろ、そこに硬質な自立性があるからだ。つまり、ここで、空間の個性の源泉として感じさせるのが、建築家の恣意的な造形力ではなく、そういう心理的なものからまったく離れた、なんらかの客観的な論理だということだ。ここに、建築家の内的な空間イメージの、思い入れたっぷりの発露はない。そして、またここに作品を置き、またはここで作品をつくる作家のためにという、心理的な問題に踏み込まざるをえない目標も見当たらない。

    つくり立場に一度身を置いてみると、これほどつくる意欲を与える空間はない。逆に「展示のことをよく考えてつくってあります、どうぞ展示してください」というような、いたれりつくせりの空間ほど、つくる意欲を削がれるものはない



    ➡「自由」に達しているということ。


    生活のなかの住宅・

    目的なく動き回る人間象。近代は「あらかじめ意図をもって行動する人間」。

    近代的思考➡生活という不定形なものを、つとめて意図というナイフで切り分けようとする

    ※家によって、自分の流動性が固定化される。つまりそれは、自分の家が空間的に、自分を制御するということ、本来的には、自分の今と、家が一致していないと、「住む」事は出来ない。(持論)


    あらかじめ確立されている服という形式はない。彼は根源に戻って、形式を自分でつくりだそうとしている

    そこにあった、要望と条件で、しかし他の人とは違う結果になったのはなぜか、もちろんそんなことは本人にだって分からない。しかしれでも、その理由と思う所を一度はっきりと言い切ってみる。そうして、そこからひとつの論理を持ち込んでみる

    かつての標準的小学校は、空間だけを取り出してみれば、ほとんど原っぱと同じ質を持っていた。押しつけがましく、人の心にまで土足で上がりこむような小学校の作り方とは対極にある空間

    ➡タゴール学園で感じたものに近いな。あそこにはどことなく、自由と雄大さがあった


    牛込原町小学校がどうして「美術館」として優れていたのか。それは美術館という空間が、人間が自分の力でなにかをつくっていくということに捧げられた空間であるからであり、とすれば、つくる人のそことの関わり方があらかじめ規定されたものではなくて、そことのかかわり方の自由が望まれるからだ


    原っぱと同じく、人間の感覚とは一度は切れた決定ルールによって生成し、しかしその決定ルールが根拠を失った空間。そこで人がつくることと、与えられる空間の規定力の対等が実現されていた

    建物がそこで生活する人を規定してしまい、息苦しくさせるのは避けたい事態である。

    このくらいの不均質さがあることがかえって、訪れる人が自分の気持ちに応じて、作品への集中の度合いを変えられるような自由が感じられて、ぼくには実に自然で適切な空間であるように感じられた(75)

    こんなに形をいじっているのに、そこに作りてからの押し付けがましさ、作りての意図が感じられない。なるべくしてなった空間という感じ。つくりての観念や意図が消えている。

    ★たったひとつの決定ルールに基づいて、それを純粋に徹底的に展開していった結果、生まれたからだと思う。なぜそんなルールを、と問われれば、案外オブセッションとして魚に魅入られているから、ということなのかもしれないけれど、仮にそうだとしても、そういう個人的な心の性向が、機械的で形式的なルールに置換されることで、パットと、つくり手が消えてしまっている(76)

    ➡この「決定ルール」というのは、住宅設計においては何になるだろうか。やはり「間の運動」だろうか。

    ★グッゲンハイム美術館ビルビオは、そのナカミである美術館としての機能的な要請や、空間の質としての要請を、普通の美術館以上に、というより、その本質的な部分で完全に満たしているように思われる。だけど、そういう要請があったから、この決定ルールーライムストーンの台座にチタンの立体的な鱗を増殖させるとどうなるかーを採用したというならば、それは設計のある過程については正しい言い方かもしれないけれど、全体のいちばん重要な部分についての言い方としてはぜんぜん正確でない。むしろ、美術館側がこんな空間もあんな空間も欲しいといってきても、立体的な鱗の増殖というルールがあるからこそ、そのルールの中で対応できるのである(77)

    ★そういう自律的なルールが一度設定されると、それはナカミから離陸して自動運転に入る。作り手の意図からも離陸する。そこでの作り手は自動運転に身を委ねたドライバーである。ナカミから解き放たれた車は、加速し始め、その決定ルールが指し示すであろうある必然性をもって、ドライバーを未知の世界へと運ぶ。その結果、ぼくたちは、ある特定の表現の領域に足を踏み入れてしまうのである。作り手自身もそのドライブの前まで知らなかったであろう領域に(78)

    ★決定ルールが自立しているということは、正確にいえば、まず自律した決定ルールがあって、それが自律的に運用される、というような順番で理解されるべきことではない。むしろそれは、ちょうどゲームがそうであるように、ものごとがあるルールにのみしたがって決まって行って、そのルールがなぜそうなっているのか気にならないくらいなまでに、その厳密な運用自体に集中できているということである。つまり、ナカミから独立しているか、あるいはそうでないのか、それがどうでもよくなるほどに、純粋に形式的なルールの適用が、そこで行われているということである

    →音楽でいえばここは「この音」じゃなきゃいけないと、判断するのはそれを聴く人であって、それを実際に作曲している側が、そんなことを意識してやっているわけではない。これは書についても同じだ。全ては「運動」が運んでいく、そこに形式の必然性が、偶発的に浮かび上がってくる

    ★こんな感覚をもたせたいからここはこうしよう、そんな意識が混入する。確かに人間は、歴史的に出来上がってきているそうした意味の網目の世界に住んでいる。だけど、こういう作業が当然のように行われることによって、建築は人間の心をきっと不自由にする。実際にぼくがある種の建築に感じるのは、それゆえのあざとさでり、押しつけがましさだ。ベタベタして暑苦しく、重い。(p80)

    そこでのモノは、どれも人の心を操作する道具として使われているにすぎない。

    こう見えてほしい、こう感じてほしい、とぼくたちの心に寄ってこない。それらは、ぼくたちの心を完全い突き放している。だから、少なくとも落ち着く(80)

    自律的な決定ルール、それを離陸させて、その自動運転に身を委ねること。だからぼくは、それをひとつの方法論として、という以上に、いまある種の倫理性を持って受け入れつつある

    根拠のないことを、根拠とする決定ルールを採用しようとしていた

    ★こういう決定ルールには、どうしてこういうカタチになったかという根拠がない。あるのは、ある要素とある要素が出会った時に引き起こる反応ルールだけ。

    わざわざ「殿堂」に格付けしてもらわなければならない部分なんて、どこにもないように思われた。活動ができる「場」があればそれでよい

    ★場とは、その終局の姿である。しかしそれは物理的な表情の問題にすぎない。当たり前のことだが、本当に問題にしなければならないのは、それが果たしている機能である

    ★あらかじめ何かがおきることがわかっているところに、本当の意味での「まさか」はない(88)

    →偶然によってデザインされたものにしか、偶然をひきおこす「場」の力は内在しない

    近代は、街路のような日常空間から出来事を拾い上げ、それを別の場所に専用の空間として用意した。

    交通空間の中に溶け込んでいた行為が切り分けられ、はっきりとした目的地として交通の外側に置かれるようになった

    街路はかつての何が起こるかわからない日常的な空間ではない。

    ぼくたちの行為は、それを実際にやってみる前にすべて予測されている、ということである

    できあがったものにはぜんぜん論理的な道筋がない(90)

    住まいはかつて目的空間の集合体ではなかった

    かつて住まいではさまざまなことが行われていた。食事、睡眠はもちろん、出産、育児、教育、儀式、治療、葬式、寄合、生産、労働、仕事、芸事。それらあまりに多くの行為が同居していたさまは、むしろまず「生活」としかいいようのない総体であって、

    いかにうまく人間を空間というシナリオどおりに行動させられるかが問われている

    ★建築計画学の制度が上がり、それが細かくと起用されればされるほど、そこは見えない牢獄に近づく

    ★博物館とは、人が何かに出会い、それに興味を抱き、それにつてより詳しく知る、という状況が起きている場のことであろう。だから「展示品」がまずあることから設計を出発する必要はない。「展示品」のかわりに、たとえば雄大な自然のように、人が出会うべきものが目の前に広がっている場合もある(94)

    ★狭義の「建築計画学」不要論ということになるのだが、しかしだからといって、どんな空間でもよい、ということではない。ぼくは出来事を引き起こす運営ソフトを目指しているわけでも、何もしないでいても自然に人々が出会う場がそこに生まれると考えているわけでもない。そのための最初の一歩として、ぼくは意識的に与えられた「目的」を一度は括弧でくくり、別のところから設計を出発したい

  • 再読.
    すべては形式の中にあるってことにわたしたちは普段なかなか気づけない.形式とか前提とかそういったものを一度疑うということはとても大変なことだと思うけど,少し意識してみたいと思った.と同時に,じぶんの体験だとか感覚をこの建築理論の中ではどう位置づけていったらいいか,そのあたりがまだわからない.

  • 表紙は青森県立美術館のスケッチ。

    うーんイロイロ難しいこと言ってるけどまだ僕にはその域には達していない。

    残念ながら。

  • 進路に影響を与えている。そして、割と僕の周りの人は参考にしている。

  • 言わずと知れた建築理論の書。
    1年の時ちょっと読んだけど、いま再読しています。

  • 言葉は難しい。
    しかし理解できる部分だけでも、青木淳の思想には脱帽する。

    俺はこの人の考え方、好きだな。

  • 青森で大注目の青木淳さんの書いた本。

    やることが自由な原っぱと
    押しつけられた遊園地。

    建築が作り手の意図を越えたところで
    はじめて無臭の空間、地形のような前提条件としての素の空間になるという話だったと思う。

    人間の生活は曖昧で切り分けられないものと捉えたっていいんですよね。

    良い意味でのルールづくりに携わっていくことが必要なんだろう。

    この本で述べられていることの意味は、きっと、現代の建築家に求められているスタンスを曖昧なままでも、なんとか表現する、ということだったと思う。

    建築家は、あまり頑なに、旧来の建築家像に縛られることなく、建築に対する自分のスタンスをつくりだしていくべきだという、思いが感じられた。

    つくるから、つくりかえるへなどはその最たる例だろう。

著者プロフィール

1956年横浜市生まれ。建築家。東京大学大学院修士課程を修了。91年青木淳建築計画事務所(現在、AS )を設立。住宅、公共建築、商業施設など作品は多岐に渡る。《潟博物館》で日本建築学会作品賞を受賞。京都市美術館の改修に西澤徹夫とともに携わり、2回目の日本建築学会作品賞を受賞。2019年4月から同館の館長に就任。東京藝術大学教授。著書に『原っぱと遊園地』など。04年度芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。

「2022年 『イケズな東京』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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