FOLK TOYS NIPPON ーにっぽんの郷土玩具

著者 :
制作 : 木戸 昌史 
  • ビー・エヌ・エヌ新社
3.42
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本棚登録 : 48
レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784861006470

感想・レビュー・書評

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  • 郷土玩具の色づかいに惹かれて、手に取りました。どれも表情があり、おもしろい。

  • 今週おすすめする一冊は、各地に伝わる郷土玩具を集めた写真文集
    『FOLK TOY NIPPON にっぽんの郷土玩具』です。可愛らしい表紙
    に惹かれ手にとった一冊ですが、これが滅法面白い。とても想像力
    を刺激される魅惑的な一冊でした。

    郷土玩具とは、文字通り「郷土に根ざした玩具」のこと。木や土、
    紙といった、身の回りにある素朴な材料でできていて、モチーフに
    は自然や動物をかたどったものが多いのが特徴です。こけし、赤ベ
    コ、はと笛、だるま、飾り馬などが代表的な郷土玩具になります。

    もっとも、玩具と言っても、どうやって遊ぶためのものなのかよく
    わからない不思議なものが多いのも郷土玩具の特徴ではないかと思
    います。例えばこけし。一体、こけしは何に使うものなのでしょう。

    実際、三歳になる娘は、山形出張の際に買ってきたこけしを見て、
    「これ何に使うの?」と不思議そうにしていました。でも、とても
    惹かれたようで、手に取って離しません。やはり一緒に買ってきた
    親子だるまともども、毎晩、お布団の中に持ちこんで、握りしめた
    まま寝るほどの気に入りよう。何ができるかにあまり関係なく、佇
    まいそのものに惹かれてしまう。そういう不思議な魅力が郷土玩具
    にはあるのだと思います。

    この何とも言えない魅力はどこから来るのか。本書には各地の郷土
    玩具の写真と由来が集められているのですが、それぞれの郷土玩具
    の由来を読んでいて、何となくわかった気がしました。

    郷土玩具の多くは、子を思う親の気持ちや、作物の生長や無病息災
    を願う庶民の心から生まれてきたものだそうです。つまり、それは
    暮らしの中で生まれる想いや願いが形象化されたものなのです。そ
    して、食器や道具のような明確な機能が求められない分、想いや願
    いがより純粋な形として表現されやすいのでしょう。切実な想いや
    願いが純粋に、しかも、遊び心に満ちた形として表現されている。
    そこに郷土玩具の魅力があるのだと思うのです。

    余談ですが、本書の制作スタッフは、皆、70年代生まれの若者達。
    30代の若者達が、日本の各地に伝わってきた想いや願いを上手に
    拾い上げている。そのことに感心させられました。モダンデザイン
    とフォークトイとの関わりや遊び心についての考察があるのも、若
    い感性ならではでしょう。

    楽しみながらも、身近なものを見直すきっかけを与えてくれる一冊
    です。是非、読んでみて下さい。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    何よりもフォークトイには、そこから、かつての日本人がどんな生
    活をしていたのかを想像をする愉しみがあります。使われている素
    材、かたどられたモチーフそして自然や動物へのまなざし、その土
    地ならではの空気など。多くの蒐集家を惹きつけてやまない郷土玩
    具の魅力は、そんなものがもつイメージの豊かさにあります。

    私たちが見慣れた鳩といえば、ぽっぽと歩くねずみ色の姿ですが、
    いったいなぜ、これだけ鮮やかな鳩が生まれたのでしょう?(中略)
    おそらく子どものために作られたというのがその色合いの理由。な
    ぜならば、子どもの夜泣きが止まらない「かんしゃく」は、土をな
    めさせると治ると信じられていたことから、子どもにはと笛をもた
    せるとよい、とされていました。単に土をなめさせるのではなく、
    カラフルに色づけし、笛をふかせて遊ばせたこのアイデアには、昔
    の人の創意工夫が溢れています。

    三春駒の足の部分のくるくるした柄は、走る様子を表しているそう。
    由来は諸説ありますが、基本的には、馬の産地ならではのもので、
    馬市で売られる仔馬の代わりに、人々がこの駒を持ち帰ったそうで
    す。家族同然の馬を手放す悲しさが転じて、子どもの健康を願う
    「子育て木馬」となったとか。

    未開地の人々がつくる、いわゆるフォークアートはどれも美術的教
    育を受けていない人々によって生み出されていて、いずれにも祈り
    にも似た感情が隠れているにもかかわらず、いたってシンプルで素
    朴な外見でした。欧米のモダニストや日本の民藝運動家たちは「シ
    ンプル=感情的・本能的=人間の自由」をそこに発見したのです。
    つまり素朴さやシンプルであることこそが窮屈な社会から抜け出す
    ことのできる、いわば「自由を獲得する手段」だったのです。

    僕はそれがモダニストであり、ヒューマニストであったイームズや
    ジラルドのフォークアートへの潜在的傾倒だと考えています。つま
    り彼らがフォークアートを収集したのは、民族のもつ根源的な自由
    獲得への回帰であり、人権尊重のアイコンとしてのフォークアート
    へのリスペクトだったのではないでしょうか。そして彼らは劣化し
    たモダンデザインにもう一度、理念という名の魂を吹き込み、本来
    のモダニズムを再構築しました。それが時代の欲求に応えることだ
    ったからこそ、人々の心をとらえ、歴史に名を刻んだと思うのです。

    庶民にとって、伏見稲荷を詣でるのが楽しみの一つだった時代のこ
    と。そんな時代の農家の人々にとって、この伏見人形の土はありが
    たみのあるもので、割れてもその土を田畑に投げ入れると作物がよ
    く育つとされたようです。

    分かりやすさと意外さのバランスにかけては、昔からある竹や紙の
    おもちゃに適うものはありません。たとえば竹とんぼ。50年前の
    子供も現代の子供も、見てすぐにどうすればいいのか分かる、この
    メッセージ力はすごい。小刀を2回あてた竹片の真ん中にひごを差
    し込む。たったこれだけで空飛ぶ形がつくれるなんて、どんなデザ
    インの授業も教えてくれません。

    もともと牛は、荷物の運搬や畑を耕すために、日本人の生活には欠
    かせない動物でした。会津の柳津にある圓蔵寺では、そんな牛が守
    り神としてまつられ、赤い色は昔から疱瘡よけとして使われていた
    ことから、幼児のほうそうを防ぐまじないとして、赤べこを子ども
    に贈る風習が生まれたといわれています。そして子どもにとっては、
    動く首がよい遊び相手でもあるわけです。「赤い牛」という組み合
    わせは、現代では不思議に見えますが、かえってそこに昔の人の想
    像力を垣間見ることができます。

    むかしの日本人はどんな風にものを見て、暮らしていたのでしょう。
    今回この本を編む中で、にっぽんのフォークトイを通して見たかっ
    たのは、そんな過去から現在に続く日本人のまなざし。生活の身近
    にいる動物をかたどり、日々の暮らしの中に取り入れた心。ものに
    込めた想い。そんなことを想像しながら本書はできあがりました。

    にっぽんの郷土玩具、そして本書をつくることから受け取ったもの
    は、ものをつくること、何かに夢中になることが生み出す人々のエ
    ネルギーでした。

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    ●[2]編集後記

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    最近、娘はお絵描きに夢中です。とにかく一心不乱に描いています。
    見せるために描いているわけではないので、純粋な表現欲求のよう
    です。この表現欲求はどこから湧き出てくるのだろうか。表現欲求
    というのは、人間であれば誰もが有する、根源的な欲求なのかもし
    れない。娘を見ていると、そんなことを考えさせられます。

    ちょっと前までは丸を描いたり、四角を描いたりする程度だったの
    が、今は、人の顔を描き分けられるほどになりました。「これがお
    父ちゃんで、こっちがお母ちゃん」なんて言って描いたものを見て
    みると、本当に雰囲気が出ているので、我ながら親バカだなあと思
    いつつ、「凄いねえ!上手だねぇ!」とほめまくっています。

    でも、そうやってほめていると、ふと思うわけです。何で子どもに
    対してはこんなに素直に誉められるのに、大人に対しては同じよう
    にできないのだろう、と。

    娘はまだ三歳ですから、こちらは何も期待していません。すると、
    話せるとか、ケンケンができるとか、絵が描けるとか、ただそれだ
    けのことができるだけで、本当にすごい進歩だなと思えてしまう。
    だから、何の構えもなく、心の底からほめてあげることができます。

    でも、相手が大人になると、これくらいできて当然と思ってしまう。
    だから、できなかった時の失望が大きいのです。それで思わず、で
    きていないこと、自分の気に入らないことを指摘することばかりし
    てしまう。どれだけ進歩したか、よりも、どれだけ自分の期待値に
    届いているかが判断基準になってしまうのです。

    でも、これでは人を育てることはできませんよね。自分の期待値を
    判断基準にするのではなく、相手がどれだけできるようになったか
    を虚心に評価する。人を育てるにはそういう態度が大事なのだろう
    なあと、娘と接していると痛感させられるのです。

  • 郷土玩具をざくっと紹介した本。
    途中で女の子の写真集っぽくなるのは…何故(^^;)。
    宮城のえじこ、新潟の三角だるま、岐阜のさるぼぼ、福島の赤べこ、住吉大社の喜々猿、埼玉のお猿さま、岩手のキナキナ、東京多摩地方のだるま招き猫などなど気になるものがいっぱいです。
    父親も色々集めてたけど、歳をある程度重ねるとこの辺のが気になってくるものなのですかねぇ。

  • ふぐ笛とざるかぶり犬に惚れた。
    もう少し、制作風景があるといいのにと思ったり。

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