失われた時のカフェで

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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784861823268

作品紹介・あらすじ

現代フランス文学最高峰にしてベストセラー…。ヴェールに包まれた名匠の絶妙のナラション(語り)を、いまやわらかな日本語で-。

感想・レビュー・書評

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  • ヌーヴェルヴァーグの、そう、たとえば初期のゴダールなんかに撮ってもらいたいような映像感覚の、そんな物語。
    カフェ・コンデに現れるミステリアスな若い女性「ルキ」とは何者なのか?4人の主語によるそれぞれの見方にて、時間と場所が錯綜しながら次第に明らかになる背景。しかし、背景が明らかになればなるほど、逆に離れていく「ルキ」という人物との距離感。とらえどころのない「ルキ」の行動がますます物語のミステリアスさを増幅してゆく。
    フランス人の日常生活に溶け込んでいると思しきカフェを物語導入の舞台とし、パリの街並みを縦横に思う存分紹介してくれているにもかかわらず、主語の「語り」が感覚的で柔らかでありながらどこか神秘的で抑制の利いた文体が、逆にイマジネーションの世界かと見紛うほどに不可思議な感覚へ読者を誘ってくれる。
    「ルキ」の現状からの逃避と脱出の繰り返しは、訳者解説にもある通り、本書のテーマの「永遠のくりかえし」を象徴する行為であり、絶えまなく漂流している若者の漠然とした心情をよく表現していたといえる。
    パリを舞台にそのようなふわふわ感を大いに楽しませてくれる、そんな物語。

    その訳者解説によれば、本書はモディアノの「ベスト盤」的な一作とのことで、4人の主語それぞれの語りがそれぞれの短編となって、これまでのモディアノ作品の魅力をぎゅっと凝縮したものとなってるという。そう聞かされてみれば少し得をした気分にもなった。(笑)

    • mkt99さん
      淳水堂さん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      そうですね~。盛り上がっていませんね~。(笑)
      たぶ...
      淳水堂さん、こんにちわ。
      コメントいただきありがとうございます!(^o^)/

      そうですね~。盛り上がっていませんね~。(笑)
      たぶん推察するに、ハルキ逸賞の反動と(今回の賞が決まるまで妙に勝手に盛り上がっていましたからね~)、作品在庫が少な過ぎて本屋もキャンペーンできない状況だからではないでしょうかね。
      自分も読了は1冊だけですが、このところフランスにかぶれている自分には(笑)、まるでフランス映画のような世界だと思いました。さらには現実感のなさ加減はポール・オースターを思わせるような雰囲気も感じました。(と思っていたら訳者解説でもそう触れられていましたね。)
      フランスでは人気抜群の作家とのことで、作品群を見てみると、あーあの映画の原作者かと自分も新発見したりしていました。(笑)『イヴォンヌの香り』はパトリス・ルコント監督の映画で観たいと思っていますので、それ以外の作品を今度読んでみたいですね。
      2014/10/25
    • 淳水堂さん
      お返事ありがとうございます。
      モディアノはフランスでは熱烈ファンがいるようですね。
      現実感のない、いかにもフランス映画的な感じですか~。...
      お返事ありがとうございます。
      モディアノはフランスでは熱烈ファンがいるようですね。
      現実感のない、いかにもフランス映画的な感じですか~。
      やっぱり読むか読まないかうう~んな感じ(^^;)

      ノーベル賞ってある程度年齢が上な人に受賞させてるような。
      なのでもしも村上春樹が取るにしても10年先だろうなあとか思う。しかも去年の受賞者が中国人だから次にアジアに順番くるのは20年後か(苦笑)
      2014/10/25
    • mkt99さん
      淳水堂さん、こんにちわ!(^o^)/

      なんか映画化を期待しているんじゃないかと思えるほど(笑)、フランス映画にぴったりのストーリーだっ...
      淳水堂さん、こんにちわ!(^o^)/

      なんか映画化を期待しているんじゃないかと思えるほど(笑)、フランス映画にぴったりのストーリーだったと思います。ノーベル賞もとったことですし、その内、映画化されるような気がします。(笑)
      何かの記事で読みましたが、ノーベル文学賞は単なる文学上の潮流になっているだけでなく、過去に政治的社会的にも影響のあった人が選ばれる傾向にあるようで(ノーベル賞の政治化?)、そういう意味でも村上春樹はまだまだインパクトが足りないのかもしれませんね。
      2014/10/26
  • 『それ以来、彼女が本を持っていないことはなかった。テーブルの目立つ位置におき、アダモフたちと一緒にいる時、まるでその本はパスポートか、彼女が彼らの側にいることを正当化する滞在許可証のひとつのようだった。でもだれも注意しなかった。アダモフもバビレもターザンもラ・ウーパも。その本はポケット版、表紙の汚れた、セーヌ河畔で買う古本のようで、タイトルは大きな赤い字で刷られていた:『失われた地平線』。当時の僕には、ぴんと来なかった』

    パトリック・モディアノを「地平線」に続いてもう一冊。ああ、やはりこれがモディアノの文体なのだなと確認する。断片的というには少し冗長で、パリの通りの名前などが妙に詳細でありながら主人公(達)の語る話はどこか捉えどころがなく、常に「現在」と「過去」の間を意識は行き来しながら、失われたものへの哀惜を語るともなく漂わせる。かと言って、物語として捉えるには散らばり過ぎる言葉の指し示すもの達の連なり。足元は一見しっかりとしているようだが、その歩みは漂うようで、かつ、何処へ向かっているのか行く先は仄暗い影の中。見上げれば現在地を示す案内表示に溢れているというのに。この不思議な違和感。アンビバレンツ。思わず、そんな単語が口を衝いて出る。

    連作短篇集のようなこの一冊は、同じ舞台に登場する人物たちの思い出を、各々の視点で問わず語りで語る「私」が何人も語り手となっている。それは輪舞(ロンド)のようでもあり、遁走曲(フーガ)のようでもある。あるいは走馬燈の影絵を眺めているような印象(次々に影絵は手渡されるように移り変わっていくけれど、それは同じ所を何時までも周っているだけなのだ)があり、夏の夜の儚さに似た惜別の思いに耽ける主人公たちを浮かび上がらせる。そしてその動きにつられて読み進めさせる力が、本書には確かにある。訳者によれば、ここに並ぶのはモディアノが従前に用いた様式のアンサンブルのようなものであるらしい。とすればモディアノに詳しくない読者にとっては親切なつくりの一冊とも言える。

    この一冊には、訳者による長文の論考が付いており(本全体の1/4程の頁数)、モディアノに対する訳者の熱量がこれでもかと伝わってくる。曰く、何故、これ程日本人に受けそうな作家が今一つ流行らないのか、と。確かに、例えば、寡作ながら同じくフランスの作家であるフィリップ・フォレストも日本人の気風に合うような寡黙な主人公が禅問答のように繰り返す「喪失」の物語を書き、その新作が平積みされるような作家であるのに比べて、作家としてのキャリアも長く作品数も多いモディアノは書店でも余り目立たないような気がする。そして、単にフランスの作家という共通項以外にも、二人には「喪失感」が小説の底流にあることも共通しているし、どこかいわゆる「私小説風」な作風も似ている、というのに。訳者は、モディアノと同世代の作家であるポール・オースターと村上春樹との対比をしているが、確かにオースターの繰り出す謎めいた雰囲気はモディアノにもあると思う。けれど、オースターが、正にそういう謎解きを丁寧に物語に仕上げているのに対して、モディアノは謎を謎のままに残しておくという違いもあるようにも思える(この一冊では、一つ大きな謎……という程でもなく、察しのいい読者ならそうだろうなと予想できる謎ではあるけれど……が、最後に明かされる展開が待っているが)。謎解き風であるということは、つまり、それなりに娯楽小説的要素もあるということ。

    『「リアリティがないところが面白い」という、ある種の《転倒》を起こしている点…ひとつには、モディアノの主人公たちは過去と、《亡霊たち》と向き合い語り合う、ある種の《オルフェ》であるにとどまらず、いわばそのプロセスを通じ彼ら自身も《墓の向こう側》の住人、「幽霊たち」、少なくともそのうつせみ(現身)の分身と化してしまうようなところがいつもある……。』―『パトリックモディアノと『失われた時のカフェで』の世界』

    翻訳者、平中悠一のモディアノの小説を日本語化する試みには大いに敬意を表するところではあるけれど、やはりモディアノには彼の文体を汲み取って自然な日本語に移し替えることのできる翻訳者が必要であるような気がする。平中が日本語に移し替える損ねている訳ではないけれど、頻出するフランス語の単語のカタカタ表記(例えば、カルティエ(行政区画)は何故、界隈、と翻訳しないのか。それは日本語の界隈に染みついたニュアンスを嫌ってのことなのかも知れないが、カルティエ、でなければそのパリの地域性を喚起できない(と訳者が言っている訳ではないが)というのも少し高慢な視点であるような気もする)が読書の歩みを戸惑わせる。そもそもパリに行ったことが無かったとしても、モディアノが書いていることの本質は翻訳され得る筈だし、翻訳の過程で落ちてしまう(あるいはフランス文化に馴染みのない人にとっては無意味な)表象があったとしても、それが翻訳の宿命のようなものではないだろうか。所詮言葉の持つシニフィエなんて分かりっこない。シニフィアンに拘っても仕方ない。なんて本の内容とは関係ないことをちょっとだけ語りたくなったのも、また事実。もちろん、モディアノが記す具体的な詳細から喚起されるものを多く持っている読者がいることも充分理解した上で言ってはいるのだけれど。

    そんなことを言いつつ、それはそれで読書体験としては楽しいことではあると、解ってはいるのだけれど。自分もパリには一度だけ、それも仕事で行ったことがあったりする。昼間はオフィスに缶詰となっていたので、結果として主人公たち同様、朝早くと夕方遅くから夜が深くなる前の、それでも暗い時間帯に街中を無作為に歩き回った。なので当然この本を読みながら、その時の街角や入り組んだ道路の印象が、主人公たちのそぞろ歩きの通りの名前と共に何度も蘇った。因みに滞在したのはシャンゼリゼ通りに近い8区のホテル。知っている名前が出てくれば当然イメージも広がる。繰り返すけれど、それはそれで読書体験としては楽しいことではあると、解ってはいるのだけれど。

  • 再読。いまは失われたカフェと、ルキという娘の謎。
    誕生日の直前に姿を消した人々のことを考えながらページを繰った。

    彼らは不在する。
    それはあらゆる関係を断ち切ってはるか彼方へ去ってゆくこと。時間の果てへと駆けぬけてゆくこと。 空間のそとへ超えてゆくこと。その瞬間の解放感は陶酔を伴って麻薬みたいに中毒性がある。繰り返せば最後はオーバードーズ。接点は些末なもの。定点は邪魔なもの。消失点だけが〈ほんとの私自身〉と出会える地点だとしたら、とてもむなしい。心をなくすことで成立する完全。
    わたしは彼らの何を知っているのだろう。

  • パトリック・モディアノの小説に触れるのはこれで2作目ですが、この小説を読んで以前読んだポール・オースターの「ガラスの街」という小説の醸し出す空気を思い出しました。

    舞台となるのはパリで実際の地名や街の様子が描かれており、以前に長年住んだ身としては実感を持てるのですが、この作品世界の中ではどこか空虚な、顔の見えない街、夢の中の情景のような感覚を覚えます。

    印象に残った一節があります。「標ない漠々たる空き地のようにときおりみえるこの人生で、すべての消失線と失われた地平線の真ん中で、人はなんからかの目印(point de repere)を見出したいと希う。ある種の土地台帳を作成したい、と。行き当たりばったりに舵を切っているのだという印象をもう持たないですむように。そこで僕らはつながりを織り結び、危うい出会いをもっと堅固なものにしようとする。」

    カフェが、登場人物達にとっての目印、そこに集まる人々にとっての中立地帯として描かれているのが、強く印象に残ります。実際、通りすがりの人々や、その界隈に一時期居住する人々の止り木のような役目を果たしているのが、パリのカフェだと思うのです。

    その中立地帯にいる間は何者でもない。そんな時間を後で振り返るときに、人はその場所に永遠に還ることができるできるような気がします。

  • 逃げ去る時、誰かの前から消え去っていく瞬間にだけ、私はほんとの私自身だった。



     ミニマリズムのエステティックといわれる、2014年のノーベル文学賞作家の短編集。文学だ。すごく…。

     ミニマリズムというのはどうやら、日常の何でもないような風景を描写する中で表現していく手法らしい。

     フランスのパリに生きるなんでもなくて、何者にもなれなかった人間の姿を描いていて、あまりになんでもないような事ばかり書かれている。でも、その文章は知らないうちに心に響いているらしい。

     だから偉大な文学者なんだろう。

     日本人は昔はミニマリズムの文化を持つ、繊細な民族だったらしい。そういえば、川端康成とか谷崎潤一郎とか読んでいてピンとこない、さざ波のような文学だな。

     だから、モディアノは日本人向きらしい。

     しかし、ミニマリズムのエステティックって、なんかエロいな。

    ____
    p90  逃げ去る時、誰かの前から消え去っていく瞬間にだけ、私はほんとの私自身だった。



     この一節はすごい心に響いた。
     くだらねぇ糞みたいな世の中を生きるにはペルソナを被っていくしかない。そんな普段の自分は、私自身なんかじゃあない。じゃあ、本当の自分が出せるのはいつか、それは、誰もいなくなった時だ。その人と別れる時である。

     人間関係という、重荷から解放されたとき、人は自分に戻れる。帰れる。だから、別れは必要なの。

  • あとがきで翻訳者も述べているが、ポール・オースターが好きな人はモディアノ作品を間違いなく好きになるだろう。
    パトリック・モディアノ、何ともいえないこの読後感…癖になりそうです。

  • 仮の姿、名前を持って集まるカフェの客たち。「ルキ」と名付けられた1人の女性客。

    ルキの「ここではないどこかへ」という願望と、定着する事によって生まれる息苦しさ、逃避の快感は分かる気がする。架空の名前を与えられるル・コンデでも「自分」は定着してしまう。「どこか」へ行っても、いつかは「ここ」になる事を考えたら、ルキの行く先はあそこしか無かったんだろうな…。

    原作がそういう文章なのか、翻訳によるものなのか、複数人による一人称視点(そしてほぼ「僕」)なので読みづらさもあり。

  • 探偵する学生と探さない探偵、そして4
    今朝「失われた時のカフェで」を読み始め。元々の題は失われた若者或いは世代といったところで、プルースティックな味わいは訳者平中氏による。
    モディアノの作品に共通する(らしい)誰かの人生を再構成するというテーマを扱った、美味しいとこどりの「モディアノのベスト盤」というこの作品、ダイジェストすぎてなんか作品の鍵がつらつらと出過ぎな感もある。もっといろいろ詰め込めたのでは?とも思うけど、それがモディアノの味なのかな(「イヴォンヌの香り」外では初体験なので、まだ確かなことは言えませんが)
     男たち、女たち、子どもたち、犬たち。この途切れることのない流れの中で、通り過ぎた、あるいはさまざまな通りの彼方に消え去った彼らの中で、人は時おり、ある面ざしをとりとめたい、と希う。
    (p15)
    通りというのもモディアノ文学の頻出項目かな。今回彼らが探すのは通称ルキという若い女。始めの語り手の学生はカフェの別の客がつけてた客年鑑みたいなノートを元に彼女を再構成しようとする。
    第二の語り手は彼女の夫から依頼を受けた探偵。でも探偵なくせに最後は彼女を失われたままにしておくことにする。
     あなたは全てをでっち上げることができる。新しい人生。彼らはその真偽を確かめようとはしない。語っていくにつれ、この想像上の人生が、すばらしく新鮮な一陣の風が、そこを吹き抜ける。長い間ずっとあなたが息をこらしていた、閉じ込められていた、その場所に。とつぜん窓が開き、鎧戸は外海の風にカタカタ音を立てる。
    (p28)
    さっきのノートを借りた探偵は職業を美術出版者と偽る…とそこからの文章…今度試してみよう…ここにも出てくる「あなた」という語りかけは、語り手の区別を越えていて、モディアノが読者に直に語りかけてきているようだ。
     僕にはすぐさま問題の核心に入ることなく、現場を偵察する習慣があった。
    (p35)
    これは探偵だけでなく、モディアノ自身にも言えるのでは、と思ってたら、次ページに「小説でも書くべき」と上司の批判が…
    さて、この作品、語り手4人の構成で、この「4」というのもいろいろ変形で出てくる。学生の語りの最後に4語の単語(学校名)を繰り返してたり…その後もいろいろ。

    第三の語り手は探し求められていた当のルキことジャクリーヌ。解説の冒頭の文章(ここでも通りが出てくる)も魅力的だけど、今回はここから。
     逃げ去るとき、だれかの前から消え去っていく瞬間にだけ、私はほんとの私自身だった。
    (p90)
    「失われた時を求めて」も思い出させる(「逃げ去る女」)この文章。人は何かの瞬間の為だけに生きているのかもしれない。
    (2016 03/27)

    オートフィクションと密告
    モディアノ「失われた時のカフェで」…実は4ではなく語り手は5だった…
    少しずつ解説も読んでみる。モディアノ作品に限らないけど、オートフィクションという概念がある。日本語の訳はしばしば「私小説」となっているけど、もちろん日本の私小説とはかなり違う。「自らの人生そのものをフィクション化していく」(p157)もので、日本の私小説とはベクトルが逆。オートフィクションは私を小説化、日本の私小説は小説を私化…あとはモディアノ作品のおおよその区切りとして1975年より前は今より「表現主義的」だったという。表現主義そのものではないが、今よりラディカルでそれは今日でも残っているという。何かわからない第二の語り手ケスレィの怒りなどはその一つか。
    さて、モディアノには「1941年、尋ね人」という戦時中の人物再構成を主題とした作品があるけど、それに関してモディアノではない作品から興味あるのを一つ…といって作者名忘れたけど…「密告」というその作品は身近な人が自分の家族を密告していたと戦後偶然に気付くことから始まる歴史再構成。
    フランスの戦後も終わっていない…

    モディアノ読了(その1)
    というわけで…
    まず、語り手はやはり4でした。5部に別れてはいるけど、最後の2つは同じ語り手(ロラン)…ルキが本名ではないように、ロランも本名ではない(本人曰くもっとエキゾチックな名前だそう)。この辺も読み解く鍵かも。物語の後半はずっと中心に朗読会?があるのだが、その中心人物ド・ヴェールがこのルキとロランを無責任に引き込んだ(時代背景は1960年代後半)という研究者の指摘がある。そこら辺になると自分はよくわからないのだが、モディアノ自身の青春と重なる部分ではある。
    そのド・ヴェールがロランに言った言葉から。
     だれかをほんとうに愛した時は、そのひとの謎も受け容れなくちゃいけない
    (p133)
    その次のページ。
     そしてある人々がある日消え去ると、人は彼らのことをなにも知らなかったことに気づくのだ。彼らがほんとうはだれだったのかさえ。
    (p134)
    前者の文はレヴィナスも参照する部分が解説にあり(その2へ)、後者はモディアノの主要テーマである人物再構成へとつながるのだが、解説ではなぜ「ある人々」であって「ある人」ではないのか、と問う(集団的記憶)。
    あとは、作品中の「時間の滑り」。これもモディアノを特徴づけるものの一つなのだが、この作品でも、いつの時点から回想しているのか、その語っている時点が実は絶えず浮動しているのではという感覚がある。この語るという行為そのものも逃げ去る読感が自分には愉しめた。
    残る解説はその2へ。

    モディアノ読了(その2)
    では、解説へ。
     複数の視点による「一人称」からなるこの作品だが、その中心でヒロイン・ルキの人生がいわば「ブラック・ホール」のようにその別々のナラターたちの「物語」を引きつけ、結合する。どれもが彼女をめぐる記憶を紡ぐナラションだからだ。
    (p170)
    ブラックホールという言葉も作品中に出てくる。なかなか簡潔で手際のよいまとめ方なのだが、一つ気になるのは「結合する」のは誰か?というところ。ロランなのかケスレィなのか第1部の語り手なのか神なのかあるいは作者なのか、ひょっとしたら読者なのか。
     私の中にある謎と他者としての謎…ややレヴィナスを応用しつついえば《他者》とはつまるところ謎であり、それが私の中にあろうと他者として存在しようと、謎であることには違いはない
    (p175~176)
    謎、もしくは《なぞの女》は「その自己の中にある解明しえない謎の外在化」に当たる。謎の外在化してたら他の人の外在化と交わってた…みたいな。
    あと意外にもモディアノの最初期の愛読書はセリーヌみたい。この二人最初思ったより相性いいのかも。
    (2016 03/29)

  • 語り手が変わる構成は面白く、その切り替わりに法則がなく、想像を裏切る。終わり方はさして重要ではないのかもしれないが、主人公の死で終わるのはやや唐突で、安直に感じる。?な死で終わることは、フランス映画でよくあることではあるが。

  • なかなかキッパリ引けない線。背景に溶け込むような不明瞭な輪郭線で描かれた人物像って感じ。悪くない。とはいえ続くとちょっと飽きる。

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著者プロフィール

(Patrick Modiano)1945年フランス生まれ。1968年に『エトワール広場』でデビュー。1972年に『パリ環状通り』でアカデミー・フランセーズ小説大賞、1978年に『暗いブティック通り』でゴンクール賞を受賞。その他の著作に、『ある青春』(1981)、『1941年。パリの尋ね人』(1997)、『失われた時のカフェで』(2007)などがある。2014年、ノーベル文学賞受賞。

「2023年 『眠れる記憶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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