盆踊り 乱交の民俗学

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784861823381

作品紹介・あらすじ

「盆踊り」とは、生娘も人妻も乱舞する"乱行パーティ"だった。日本人は、古代より性の自由を謳歌してきた。歌垣、雑魚寝、夜這い、盆踊り…万葉の時代から近代までの民俗文化としての"乱交"の歴史。秘蔵図版・多数収載。

感想・レビュー・書評

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  • 本書の表題は『盆踊り』。ここだけ見ると、夏ももう終わりだねぇなどと呟きたくもなる。しかし、副題を見落とさないで欲しい。「乱交の民俗学」と書かれてある。さらにオビには「<盆踊り>とは、生娘も人妻も乱舞する”乱交パーティ”だった!」の文字が。これはもはや、只事ではない。

    コペルニクス的転回とは、このようなことを指すのだろう。あの夏の風物詩である盆踊りが、歴史的に紐解くと、乱交パーティだったなんて。本書は、それをさまざまな史料を掘り起こしながら再確認しようという試みの一冊である。著者は、風俗史家。一口に風俗といっても様々な意味があるわけが、あんな意味やこんな意味の双方をおさえている両刀遣いである。

    例えば、あの有名な「ええじゃないか運動」も、性的な要素を多分に孕むという。通常、歴史の授業で教わるような「ええじゃないか運動」の説明はこうなる

    日本の江戸時代末期、東海道、畿内を中心に、江戸から四国に広がった社会現象である。天から御礼が降ってくる、これは慶事の前触れだ、という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。(Wikipediaより引用)

    ところが、本書で引用されている史料によると、下記のようになるのだ。

    あの慶応三年の政治的危機が醸し出す異常な社会的雰囲気の中にあって、いとも簡単に、宗教的エクスタシーと、それをかりての性的倒錯の放埒情態の中に、革命的エネルギーを放散せしめてしまったのである。

    こんな重要なことを、なんで今まで誰も教えてくれなかったのだろうと、文句の一つも言いたくもなる。

    本書によると、その起源は古代まで遡るという。万葉集などにも記述されている「歌垣」というのが、その始まりである。古代の日本では、若い男女が近所の山に登り、歌を交換しあった。そして気が合ったら、見知らぬ者同士でも、その場で性的な関係を結ぶという風習があったのである。歌垣そのものは、現在の出会い系に意味合いの近いものだが、これが見事なまでに歌の部分が省略され、「雑魚寝」といった直截的な乱交へと進化(?)を遂げるのだ。

    やがて、これは社会的なものへと広がっていく。その際のエポックとなった人物が、一遍上人である。ひたすら念仏を唱え、激しく体を震わせることによって宗教的エクスタシーに達することを目的とした”踊り念仏”、これが庶民の風流の中に取り入れられて、念仏踊り、盆踊りへと生まれ変わったのである。

    さらに盆踊りは江戸時代に一気に花が開き、ご乱痴気は日本全国で同時多発的に起こっていた模様だ。そして、この時代の盆踊りには、特徴的なことがあげられる。関係を秘めたものにするという、新しい形が登場したのだ。秋田県西馬音内の盆踊りに代表される「亡者踊り」などが、その類である。黒い覆面に目穴だけを開けた踊り子が、ズラリと列をなして踊るものであるそうだ。これは実名制から匿名性への移行を意味するわけであり、乱交度合いもいっそう激しさを増したに違いない。

    このように著者は、万葉集から各地の風土記までさまざまな史料をもとに、その歴史的な実態を丹念に検証していく。根底にあるのは、既存の民俗学へのアンチテーゼである。性の問題を矮小化してきたことにより、ずいぶんつまらないものとして語り継がれてきたという憤りにも近い感情があるのだ。

    このような盆踊りの性格に終止符が打たれるのは、明治維新のころである。西洋化を国是とする中で、”世界に恥をさらす風習”として、盆踊り禁止令が次々と発令されていくのだ。個人的には、この何気ない禁止令が、後の日本人の性格に大きく影響を与えたような印象を受ける。盆踊りは、決して年がら年中行われていたわけではない。そこには”ハレとケ”という線引きがきちんとなされていたのだ。これをやみくもに禁止してしまったから”ハレとケ”という線引きは、”本音と建前”という線引きに変わらざるを得なかったのではないだろうか。

    グローバル化のために行われた盆踊り禁止令。それが、外国人に評判の悪い”本音と建前”というものを生み出し、真のグローバル化を阻害する要因になったとしたら、なんとも皮肉なことである。このように歴史を裏側から見ると、モノの見方もがらりと変わり、様々なことが見えてくる。

    ちなみに、本書は作品社の「異端と逸脱の文化史」というシリーズの中の一冊である。本シリーズの中には『マスターべションの歴史』『おなら大全』『うんち大全』『でぶ大全』『お尻とその穴の文化史』『体位の文化史』など、変な本が盛りだくさんである。興味のある方は、ぜひご一読を。

  •  乱交:複数人が集まって、それぞれ不特定の相手と性交すること。
     その"乱交"が盆踊りとどう結びつくのか。古代の歌垣を皮切りに、ムラ社会における性文化を紐解き、どのようにして仏教行事である盂蘭盆を起源とする盆踊りと融合していったのか、を大胆に考察した一書。
     わかり易さを求めてか興味を惹かせるためか「乱交」と銘打っているが、厳密には、かつては盆踊り、つまり祭が「合意→即本番」という含意がある合コンまたはお見合いのような舞台でもあった、ということだった。また、マクロの視点では集団での行為とはいえ、ミクロの視点では不特定ではなくあくまで一対一での行為だったあたり、古代日本の婚姻制度が「原始乱婚制」ではなく「原始一夫一婦制」だったということを再確認できるのではないか。
     男性の求婚に対し女性に拒否権も主導権もあった、かつて雑魚寝は"乱交"の一形態で寺社仏閣の一角で行われていた、盆踊りがそもそも原型からして元々性的要素を含んでいた、など読む人によってはカルチャーショックを受けるかもしれない。
     そもそも性の要素を「下品」や「猥褻」などという"偏見"で排除することは、文化を正しく理解できなくなるだけでなく、性≒悪という刷り込みから性行為や正知識まで正しく学べなくなるのでは。学校での性行為を含めた性教育に対する反対運動などを見るに、私はそう不安を覚えるのだ。

  • 歌垣 かがい、奈良時代には踏歌、
    海柘榴市の大路での歌垣、日本書紀武烈天皇498年
    万葉集や風土記に歌垣が記録。
    歌の掛け合いをして女が負ければ一夜を共にする
    雑魚寝、薬師堂など。祭りや市の夜。
    山中での歌垣、山に登る、野山での歌垣、花を摘む
    徳政一揆などの一方、武力衝突を避け共同体の絆を高める。祭りや踊り。
    風流の分類、神楽、田楽、風流、語り物、祝福芸、渡来芸、舞台芸。
    若者組と夜這い。共同体の主役。
    若者宿と娘宿。
    雑魚寝と雑魚寝堂。
    大原の雑魚寝。鍋被り祭、尻叩き祭、常陸帯

    念仏の官能化。良忍。声明から、歌う音楽へ。類まれな美声、音楽の天才。1117年、融通念仏の思想。1127年、大念仏寺を創建、歌の感応に酔いしれ宗教的なエクスタシー。
    1206年、後鳥羽上皇の側室の鈴虫と松虫が法然の弟子の安楽坊と住蓮坊が開いていた念仏法会に参加、出家を懇願し、上皇不在の御所に招き入れ泊めた。
    一遍の踊躍念仏。一遍の行脚、同行者の半数が尼。時衆、全裸になって陰部を晒し頭を振り足を上げて踊っている。
    空也、踊り念仏。
    盆踊り、伊勢踊り、小町踊り。
    黒石よされ祭り、盆踊りの3日間は性が開放されていた。
    四国のボボイチ踊り、盆踊りで女性が男性に手ぬぐいを渡す。
    現代では性の関係はひっそりと行うものという固定観念。古代から中世の共同体では公然のもの。歌垣、雑魚寝、夜這い。
    あえて関係を秘めたものにする、「亡者踊り」風流としての盆踊りの新鮮さ。
    風流、祭り、共同体の絆を実感させるセレモニー。
    江戸時代になり幕藩体制の支配が確立、また道路網が整備され観光客、よそ者が入って祭りをネガティブに見るようになる。
    主観的な共感の世界から客観的な批判の世界へ。
    生きる悦びの現れから、下品でレベルの低い所業へ。
    明治維新。公衆浴場の混浴禁止、盆踊り禁止。
    昭和に入りさらに衰退。
    女性が踊らなくなった。もともと性関係は女性の主導で行われることが多かった。女性の積極的な意思なしでは成立しない。踊りはもともと男を選ぶためのもの。
    男の美声の音頭取りは、普及するラジオやレコードの美声に娘たちの関心を奪われた。
    「東京音頭」それまでの盆踊りのイメージを一新。現在と近い状態に。
    性的共感こそが民俗文化をつくってきた。

  • 2017.06.10 『性の進化論』をAmazonで検索すると、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」に本書が出てくる。

  • お盆に帰ってきたご先祖の霊へ向けた踊りとか思ってたら全然違った。なるほどね。

  • [ 内容 ]
    「盆踊り」とは、生娘も人妻も乱舞する“乱行パーティ”だった。
    日本人は、古代より性の自由を謳歌してきた。
    歌垣、雑魚寝、夜這い、盆踊り…万葉の時代から近代までの民俗文化としての“乱交”の歴史。
    秘蔵図版・多数収載。

    [ 目次 ]
    第1章 歌垣―乱交の始まり(歌垣とは;宮中の歌垣;史料と伝承の中の歌垣)
    第2章 雑魚寝と夜這い(「風流」という文化の嵐;若者組と夜這い;雑魚寝と雑魚寝堂)
    第3章 踊り念仏の狂乱と念仏踊り(念仏の官能化;盆の踊りから、盆踊りへ;伊勢踊りと小町踊り)
    第4章 盆踊りの全盛と衰退(念仏踊りから、お盆の乱交へ;全盛を迎える盆踊り;盆踊りと近代)

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 下川耿史『盆踊り 乱交の民俗学』作品社、読了。商業化・馴化された「夏の風物詩」には、実は「性的共感」の場が存在した。本書は伝統行事を「性」の問題と捉えず信仰や儀礼にすりかえた従来の民俗学を挑発する一書。風流とはひそかに選びあうこと。画一的な男女観を見直すきっかけにもなる。

  • 男神に雲立ち登り時雨降り濡れ通るとも我帰らめや
    高橋虫麻呂

     「盆踊り」の文化史を、性的な「乱交」という少々刺激的なキーワードで考察した下川耿史の著書は興味深かった。風俗史家である氏ならではの資料が活かされ、貴重な図版も説得力を添えている。
     古代の若い男女には、「歌垣」という出会いの場があった。近くの山に登って歌を交換し、気が合えば性的な関係を結ぶ。もちろん、限られた日のみに許されたものだ。
     掲出歌は「万葉集」巻九に収録、筑波山での歌垣を題材にした歌である。男の神が宿る筑波山に時雨が降り、体の中まで濡れても私は決して帰らない、という意気込みが代弁されている。歌垣には遠方からも男女が参加したそうで、今ふうに言えば、一大イベントでもあった。
     歌垣は、平安後期から中世にかけて、「雑魚寝」や「夜這い」に変わっていった。当時の「風流【ふりゅう】」という非日常の発想が、その変化をうながしたという。男性の女装、女性による男装なども、この時期の風流を伝えるものだ。
     その後、念仏踊りなどの影響を経て、江戸時代に「盆踊り」という呼び名の民俗行事として定着し、今に続いている。
     ただ、昭和の戦争期以降、盆踊りから性的なイメージは切り離され、民俗学でも性を話題にすることは避けられてきた。そのタブーに切り込んだ著者は、もう一つ、大切な視点を伝えている。夜這いや盆踊りの担い手は、その地域の若者たちということだ。若者こそが民俗文化を担うという点で、今日との比較考察をするのも一興だろう。

    (2012年8月12日掲載)

  • 西暦700年代、記紀が成立した頃に端を発する歌垣から幕末の“ええじゃないか”を経て戦前辺りの盆踊りまでの行事は乱交と表裏一体の文化だった。
    著者は「風俗史のライター」と言うことで、確かに学者の先生の著書に比べると詰めの甘さが垣間見られるが、その分文章が読みやすかった。
    肝心の「踊り念仏」「念仏踊り」「盆踊り」の定義が弱いのがちょっと残念だったかな。

  • タイトルはインパクトあるが

    マジメに民族・風習を扱った本

    祭りや豊穣の由来が見えてくる

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著者プロフィール

1042年福岡県生まれ。性風俗史研究家。早稲田大学卒業後、「週刊サンケイ」編集部勤務などをへて現在に至る。主な著書に「エロティック日本史」「日本残酷写真史」「盆踊り 乱交の民俗学」など多数。

「2020年 『性風俗50年』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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