- 本 ・本 (863ページ)
- / ISBN・EAN: 9784861823589
感想・レビュー・書評
-
死ぬまで生まれた街から出なかったクセに、なんなのこの人。凄い
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
18世紀ドイツの哲学者、カントの「三批判書」の一つ。
読む前は『純粋理性批判』というタイトルが何を言っているかわからなかったが、読了して理解したところ要するに、
「実際に経験することのない事柄について (純粋)
考察する際には (理性)
慎重にしなさい (批判)」
と読める。
「経験によらない=純粋」という言葉の使い方は独自のもので、読まなければ決してわからない。
このローカルルールがタイトルを分かりづらくしている。
そもそも何を言うための本なのか。
その執筆動機を当時の歴史的背景も踏まえて想像するに、
「神が存在するかどうかという不確かな議論に終止符を打ちたい」
ということではないだろうか。
中世ヨーロッパの物理学者の最終目的は全て、「神の存在を物理学的に証明すること」であったと聞く。
いわんや、哲学者たちの側にもその動機は大いにあったであろう。
しかしカントの時代まで下れば、相当の事物が自然科学によって解明されつつあり、そろそろ一つの結論を提示するタイミングであったのではないか、と推測する。
簡単に内容のサマリーを。
【前半~中盤:「超越論的原理論」 =超越論的感性論/超越論的論理学】
・「表象」と「実体」は別で、我々は現象をとらえても実体を認識していることにはならい。
・人間は、「悟性(理解、判断)」と「理性(推理、想像)」との働きにより、見聞きするものを自分の頭の中でまとめることで、物事を認識する。
・神や来世は理念の中にあり得るが、実体としての存在証明はできない。
【後半:「超越論的方法論」】
・善行と幸福は結びついている、つまり良いことをすれば幸せになれますが、上記の通り、それはあくまで理念の中のことです。
・ご存知の通り、良いことをしても、必ずしも現世で幸せになれるとは限りません。だから来世(天国)があると思うしかありませんね。
少し荒い言い回しになったが、自分には実際このように読めて、後半が何とも投げやりに聞こえた。
前半から中盤にかけての、神と来世は実体でなく理念というのは腹落ちが良かったが、後半では「来世への信仰」の種明かしまでしてしまっているように聞こえ、あられもない開き直りと読めてしまった。
「道徳」と「幸福」を結び付け、人間を啓蒙しようとしたかのようなカントの書きぶりは、その後数百年にわたり尊敬され多くの後継者を生むと同時に、人間の自由意思に反するという反論も生み出したが、読んでみて頷けた。
【読書メモ】
●超越論的感性論:「時間」と「空間」はアプリオリに存在
●超越論的論理学:「直観」「構想力」「統覚」はアプリオリに存在
●超越論的分析論:悟性による認識とは、概念によってアプリオリに統一される
↓
☆「表象」と「実体」は別。
たとえ神が我々に表象しても、我々の認識と、神が実体として存在するかどうかということは、全く別の話。
☆理念は「統制的使用(目標)」であり、「構成的使用(実務)」であるべきでない。
☆理性によってとらえられるのはここまで。理性は万能ではない。 -
近所の大学図書館に所蔵されているものを見つけた。原・渡邊訳もあるので、中山訳をメインにしながら、必要に応じて参照する程度に留めることにした。
-
貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784861823589 -
近代哲学の古典的名著の新訳。翻訳の特徴として、apodiktischを確然的ではなく「必当然的」としている、など。またA版をB版の注という形で挿入しており、個人的には両方の議論を並行して追うことができる点で中々読みやすかった。
イマヌエルカントの作品





