ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義

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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784861824791

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  • ハンナ・アーレント『人間の条件』の解説本。英語版とドイツ語版も参照し、訳し直しもあり、丁寧な理解が得られる。冒頭には、ハクスリー『すばらしい世界』の生命科学的操作と洗脳、オーウェルの『1984』の独裁者の言語強制など、東浩紀『観光客の哲学』につながるアーレント解説・指摘がある。
    所感としては、アーレントは、マルクスの労働概念のポジティブな側面の類的生活を仕事、ネガティブな側面の疎外を労働と再定義したように思う。両者の上に神輿のように演じられる活動を人間の条件として強調したように見えるが、内実は仕事の「世界に永続性をもたらす機能」に比重があるのではないか。また、アーレントの科学的政治権力は、フーコーの生権力と接続するように思われる。
    1.人間の条件
    人間の条件は、人間の本来的な性質の復権を示すものではなく、法や規範を含む制作物=インフラにおいて、共通善が出生の複数性によって絶えず組み替えられ、制約を受けるという意味の条件である。
    思想家が著書を残し、不死性を求めることは活動的生活であり、語りえない永遠なるものを探究する観照的生活とは異なるものである。
    2.公的領域と私的領域
    物を作ることや共同体生活的な社会構築は動物も共有している性質であり、人間の条件と言えるのは、社会構築ではなく複数性を前提とした活動的政治である。アリストテレスの人間の定義である政治的動物、言葉を発する性質の相互の関連は、まさにその活動にあり、他方で現代に通ずる理解である社会的動物や理性は、politikonとlogonをそのようにラテン語訳したトマスアクィナス、ストア派にはじまる誤解である。古代ギリシアでは、政治的=公的領域と社会的=私的領域は、僭主=人間的と家長=動物的にそれぞれ明確に区分されていたのであって、近代的な理解において社会という語がそれらを包括する意味で捉えられるようになり、混同された。
    家の拡大としての国家は、国民経済学にはじまる。家計の意味であった経済が社会へと拡張され、政治的な利害調整の意味を持つようになった。生命維持的必然である家、暴力は私的領域に押し込めることで、公的領域の自由を担保できた。companyの語源companioパンを共にする。
    共通善についてアーレントはサンデルのものと異なる。あくまで善は私的領域の利益の集積であり、それらの共通部分としての性質である。サンデルは、家から国家へ連続する共通の利益であり、目的的な公的領域の善である。
    私privateは秘密、公publicは公開であり、自分自身のidionに引きこもるのは愚かidioticであった。社会が画一化を強制する近代において、私的生活の親密さlntimacyをルソーやロマン主義が強調するようになった。
    芸術作品を、通常忘れ去られる日常的な経験を自覚させるような、公的な場への現れと捉える。美術は制作=仕事に近いが、文学や演劇は政治的な活動に近い。
    キリスト教は私的領域の同胞愛=慈悲により、家族的共同体の精神的利益を善とするので、現世の公的領域=共通世界は作らない。善行も公的満足に陥らない倫理的条件から、秘密裏に行わなければならないし、自分自身においてすら記憶されることもない孤独な行為である。その意味でキリスト教は公的領域から対照的で、無世界的である。
    3.労働
    財産は、古代ギリシアでは、主に固定資産で、配分された家の境界をnomos法と呼んだ。つまり私有財産を政治の基礎として置いた。ところが近代では、私有財産≒富と捉え、共通の富common wealthを国家commonwealthが保護することを要求した。政治を私有財産の基礎に転換した。
    科学技術が十分に発達し、福祉制度が充実して、ライフスタイルを築きながら公的領域に現れることができればそれに越したことはないと言うのがアーレントの本音ではないか。
    マルクスやスミスは労働を生産的・非生産的に分けており、アーレントの仕事、労働に対応する。マルクスが重視した人間の労働力は、生産性の観点から、政治宗教法芸術などの上部構造を下支えする下部構造として捉えた。
    自由人の学芸リベラルアーツ文法修辞論理算術幾何天文音楽と対置するのは、奴隷の(俗的・機械的)学芸サーヴァイルアーツ織物軍事狩猟交易料理治金で、建築医学農業は、古代では前者に、中世では後者に分類された。その違いは政治的公共性である。
    労働はすぐに消費される生命維持のためのもの、仕事は世界を作り持続性を与えるものを作る。世界がなければ永劫回帰の中の動物でしかなくなる。
    活動と言論による物語性があるのがビオスbios、労働再生産の生物学的循環がゾーエーzoe。
    短期的な生命のリアリティが労働、長期的な世界のリアリティが仕事。労働の分業は単一な活動力を組織化するだけであるが、仕事の専門化は技能の組み合わせにより組織化する。
    オートメーション化により労働から解放された場合、消費だけが残り、自然的循環サイクルに自動的に従う危険がある。加速した消費社会では、物は世界の持続性を失う。
    4.仕事
    人間の同一性は、物の客観性により担保される。人間の主観・主体は、自然に依拠しているので、否応なく生物学的循環サイクルに巻き取られるが、物化つまり「自然から世界の客観性を打ち立てる」ことで、人間の寿命よりも長い「対象」の世界を安定させ、主観と、他者の眼差しを固定することができる。
    仕事は使用する物、労働は消費する物を作る。材料はすでに物化であり、自然から取り出し、切り離す。自然からの離脱の暴力、政治の始源の暴力、私的領域の暴力の連続性。肉体的感覚知覚と精神的イデアイメージに、労働と仕事の物化の隔たりを重ねられる。深読みすれば、仕事の物化であるre-present表象、再現前化の意味ではパロールは既にエクリチュールによって支えられており、代表するの意味では個人の知覚を世界の中で間主観的に代弁、再現する。プラトンにおいては、創造の神デミウルゴス=職人の製作が、イメージ・モデルの永続性、イデアの着想につながった。その証拠に、プラトンは製作poiesisの例によって説明した。poetry詩だけでなく文学全般の意味だった。ハイデガーにも繋がる言い方で表現すれば、存在の新しい形式を作ることが、芸術。
    仕事は世界を作る目的・終結=endがある。他方で労働と消費は循環する。マルクスは機械に人間が使われ、自然的本性からの疎外を問題視したが、アーレントはむしろ製作した道具によって、労働力が尽きるまで消費し続ける「労働する動物」として加速した生物学的サイクルに引き戻されることに危険性を見出した。そこでは、労働は消費のためにあり、消費は労働のためにあることになる。「豊かな消費のための労働」と言われることもあるが、消費は何のためにするのか。教養、自由、栄光などは生命過程の外にある。道具は人間に使用の主体性があるが、機械は人間を労働する動物として条件付ける。道具の機械化はテクノロジーであるが、その最終段階はオートメーションである。自然を加工し人工世界に流し込むだけではなく、宇宙を加工し地球に流し込む。自然nature,physisはひとりでに生まれるラテン語nasci、あるいはひとりでに現れるギリシア語phyein。つまり自然は、自動運動すなわちオートメーション。木の種子は、自動的に木になる過程の一部であり、いわばすでに木である。製作物は人の手の過程が必要で目的と終わりを明確に持つ。ハイゼンベルクの、人間の有機体的発展に見えるテクノロジー観に繋がる。
    道具の目的は使用されることだが、使用は何らかの目的を達成するための手段であるため、目的連関が延々と続く。このような工作人の功利主義的な問いは、功利主義がutility有用性(in order to〜するために)を重視するので、meaningfulness有意味性(at the sake of〜のために)との区別がつかない。手段の目的的動作(〜を作る)ではなく、それ自身の意味(正義、公共の福祉など)を考えられなければ目的-手段のサイクルに取り込まれる労働する動物となる。功利主義を純化し、目的それ自体を手段とするのはカントで、人格領域に限定し政治からは排除した。ホッブズが他者を手段とすることを自然権としたのと対照に、ロックは他者利用を許さないと主張しており、カントはロックを継承している。純粋理性批判が真、実践理性批判が善、判断力批判が美を扱っているが、美的判断力がカント政治哲学の中核にある。芸術的美に対する私心のない喜び、すなわち利害関心を超えて気にいるかという人間中心の世界観は、世界が樹立すると世界もまた手段となる。
    工作人は交換市場に人目に立つように生産物を出すことで、協調的活動の政治的契機を見出せるが、それが労働する動物にとって変わられたことで、ウェブレンの言うように人目に立つ消費が経済活動の中心となってしまった。
    価値は、物が公的領域に交換可能な商品として現れる比率の観念。古典経済学は、使用価値と交換価値valueの機能から分け、マルクスは前者に力点を置き、後者を資本主義の害悪としたが、前者は実際には機能だけではなく、そのものの本来的な価値worth(ロック)も含んでいるはずだ。つまり、マルクスには物の持続性の観念がない。
    5.活動
    人間は、出生で始まり、複数性の網の目の中で差異化する活動(特に自分が誰であるかを暴露する言論)を始めることで第二の出生となる。生命は、生から死までの物語となる。そしてそれは歴史となる。
    自分が何かwhatは動物的な物質性で決まるが、誰かwhoは他人との関係に現れ差異として浮かび上がる人間的なものである。
    アリストテレスのteleology目的論、dynamis可能態→energeia現実態→entelecheia完全現実態という流れを、逆算して演技中の活動に人間本性を見出す。一般的なサンデルのような共通善に向かうコミュニタリアン理解とは逆。
    アリストテレスは、人間のergon=work=機能を活かすために、能力(徳aretē)を身につけ、幸福eudaimoniaである状態が善agathonだとしている。アーレントは、ergonをwork=作品として解釈することで、善く生きることを過程として一致させた現在性を見出した。
    プラトン『政治家』のエリート支配的な複数性の排除を引用して、アーレントはarchein始める活動する・prattein達成する活動するの二つの活動を、prattein活動する人々をarchein支配する意味へと置き換えられた意味論的な歴史と重ねる。同じような事象は近代科学の自然に対する態度に継承される。つまり自然を支配する目的のある学問としての科学である。
    6.世界疎外
    人間が科学によって地球との距離を取れるようになり、観測できるようになった。人間と物の距離から着想したマルクスの自己疎外の概念になぞらえている。ウェーバーのプロテスタントの世俗内禁欲、つまりカルヴィニズムの労働励行も、神視点から世俗を捉えており、同じように世界疎外の構造を示している。デカルトに始まる近代的主体は、超越性や信仰が消滅し、世界疎外から自己に投げ返されたことにより、自己への関心に移ったことに端を発する。
    ガリレオの偉業は、他の学者においては思弁に過ぎなかった地動説を、望遠鏡によって確認できるようにしたことだ。数学は、幾何学の測量術から空間を超えた精神の営みと変わり、宇宙を把握できるようにした。地球観点の自然科学よりも、宇宙観点の天体物理学が発展したことで、地球の自然を把握でき、相対性理論や原子力で宇宙の力を地球に持ち込んだ。
    この起源は、あるがままを受け入れるギリシャ哲学の驚きthaumazeinと対立する、デカルトの懐疑、つまり、あると思っているものが本当にあるかから考える態度に始まる。ガリレオの望遠鏡のように、機械によって人間の感覚知を超えることが、製作者の介入により観照と思弁が主になった。それは哲学的真理を思考することよりも、科学的真理を行為によって確証することだ。科学上の進歩は、新しい道具や器具(テクノロジー)の製作と同義である。自然をあらゆる事象の過程と捉えるようになった。これは、製作的な生産過程に基づいた思考だ。
    プラトンが着想したように、製作のイデア=理想のモデルは、物化すると必ず減衰するが、物の永遠性を前提とする有用性の上に世界があった。近代においてはそのようなイデアすら放棄され、マルクス的に言う物の使用価値よりも、生産過程が上乗せされた流動的な交換価値が支配するようになった。すなわち、ベンサムの功利主義的に言う効用を最大化することが幸福とされ、物の生産や消費の中で経験される、苦痛と快楽の総計が尺度の標準となった。しかしそこには世界はなく、生命過程の現れにすぎない。近代人は、来世を失い、世界を失い、自己の内省的計算のみが残され、身体的に残ったのは欲望である。欲望は非理性的なものとして排除され、生命それ自体を志向する「労働する動物」となった。
    科学者の活動は人間関係の網の目とも物語を紡ぐ歴史とも無関係であるがゆえ、人間存在に意味をもたらさない。また、建設や製作も力を失い、芸術家だけが、永続性のある世界を製作している。

  • 『人間の条件』の読書会のために読了.仲正先生の読みが楽しめる本だった.哲学書を読むことに慣れていなかったり,読み方を教えてくれる先生や先輩などが身近にいないひとにとっての指南書にもなっていると思う.もちろん,この本だけで『人間の条件』を読んだ気にならず,『人間の条件』と一緒に読んでほしい.

  • 19/12/28。

  • ハンナ・アーレントの「人間の条件」を、熟読形式で全6回分にわたり講義された内容が書かれています。日本語訳を基本にされていますが、訳がよく分かりにくい部分などは、ドイツ語版、英語版を引くことで理解できるように、丁寧に進められています。タイトルの「人間」「条件」の意味をきちんと共通理解することから始まるように、言葉がどのような意味で扱われてきて、それがどのように変化していったのか、「言葉遊び」という言い方ですが、そういったところがドイツの哲学らしいところなのだと感じました。
    私たちが普通に仕事として見ているものについて、「労働」「仕事」「活動」と分類されていて、そのうち重視されるものが過去から現代に至る過程で変化していったこと。それが現代を豊かにし、また人間として貧しくさせてしまったこと。それを取り戻すことに対する諦めに近い認識と、かすかな希望。アーレントのそんな気持ちを理解することができたのではないかと思います。

  • 哲学

  • ハンナ・アーレント人間の条件入門講義 仲正昌樹 作品社

    アーレントの主張は素晴らしい内容だと思うが
    翻訳の難しさもあり
    下地があったとしても読み砕くのが難儀だ
    落としがないように本として表現するためには
    残念だけれども法律のようにクドクドと周りを固めて
    お客である見えない相手を攻めなければならない

    ついでと思い仲正さんの知識バカを読んで
    当人こそが知識バカの見本のようだと思い
    図書館にこのアーレントを注文したことを悔やんだほどだったが
    言語的な解釈による説明は結構読みやすかった

    要所毎にまとめた黒板ページだけ読んでも
    大方理解できるほどに咀嚼されている

    74ページの
    (精神)活動だけが人間の排他的な特権であり
    野獣も神も活動の能力を持たない
    そして活動だけが
    他者の絶えざる存在に依存しているのである

    このあたりから面白くなる
    ちなみにハンナによる人間の条件とは
    活動と行動の両方を備えていることであり
    動植物は行動のみで
    神は行動を伴えないと言うことらしい

    確かに古代ギリシャのポリスと言う都市国家の民主制は高かったし
    その政治は精神性を大事にしていたのだろうけれども
    その陰に奴隷制を必要としていたことが肝心な点だと思う
    これを現代社会に持ち込むにはAIとロボットが
    無ければ始まらない筈だ

    ついでながら仲正さんの文は句読点だらけで
    テニヲハも適切でないことが多いように思えた

  • 原典の解説書として、虎の巻感覚で読み始めたが、これほど解らない本であったとは。内容がそれ程難しいのであろう。こんなのを読み切ったのは生まれて初めて。部分部分に共感出来ること・重要と思われることが多いことも痛感。初めて真面目に哲学の世界を覗き込んだ感覚である。原典と共に再度読み込み。ワクワク。

  • 【内容】
    仲正昌樹
    本体 2,000円
    ISBN 978-4-86182-479-1
    発行 2014.5

     今、もっとも必読の思想書を、より深く理解するためのコツとツボ!
     本邦初〈Vita Activa〉『活動的生活』とそもそもタイトルが違う「ドイツ語版」を紹介しつつ、主要概念を、文脈に即して解説。その思想の核心を浮かび上がらせる。
    http://www.sakuhinsha.com/philosophy/24791.html


    【目次】
    目次 [001-004]
    凡例 [006]

    [講義]第一回  007
    ハンナ・アーレント/タイトル『人間の条件』〈The Human Condition〉と「人間」〈The Human〉について/ドイツ語版のメインタイトル〈Vita Activa〉/地球からの脱出/「条件condition」という概念/生命操作と「地球」の引力からの離脱/「言論speech」と科学/「活動力activity」――「労働」「仕事」「活動」という三つの条件/労働〈Arbeit〉(独)‐〈labor〉(英)と仕事〈Herstellen〉(独)‐〈work〉(英)/活動〈activity〉(英)‐〈Tätigkeit〉(独)と「多様性plurality」/「出生natality」と「可死性mortality」、そして「始まりbeginning」/アーレントとアリストテレス――「目的論teleology」をめぐって/人間の「条件」と「本質」/〈活動的生活〉vita activa/「観照的生活」と「活動的生活」/「永遠」と「不死」
    ■質疑応答 065

    [講義]第二回  071
    「社会的social」と「政治的political」/活動〔プラクシス〕と言論〔レクシス〕/家と社会と「国民国家nation-state」/「公/私」の区別の核心/自由と至福、必然〈necessity〉と暴力、そして「市民社会」/「共通善common good」/「社会的」とは?/「公的〔パブリック〕」I ――「現われappearance」/「公的〔パブリック〕」II ――共通世界/「私有財産private property」の変容と社会的領域の勃興/「公的なもの」と「善」の違い、そして、マキャベリ
    ■質疑応答 142

    [講義]第三回  145
    所有と労働、自然状態/〈労働する動物〉animal laborans/「生産的労働productive labor/非生産的労働unproductive labor」の区別/「生産性」とは何か?/「物thing」とはそもそも何であるのか?/物化と間主観性/永劫回帰、「ビオスbios」と「ゾーエーzoe」/貨幣と「物の客観的世界の創造」(Erzeugung einer gegenstänlichen Welt)/財産/世界専有活動力〔ワールド・アプロプリエーティング・アクティビティ〕/苦痛と快感の私秘性の問題/労働を通しての生命の無限増殖と、それと連動する富の無限の増大という二重の運動/「道具tools」、分業と専門化(specialization)/消費――自然のサイクルに吸収されること
    ■質疑応答 209

    [講義]第四回  215
    耐久性、主観と客観/自然から、世界の「樹立」へ/「仕事」‐「使用」と「労働」‐「消費」/「労働する動物」と「工作人」の立ち位置の違い/イデアとエイドス/「機械machines」と「道具tools」、オートメーションとテクノロジー/「功利主義utilitarianism」/工作人の手段と「最高目的supreme end」とは?/古代ギリシアの哲学者は、「全てを手段化しようとするため、全てが無意味化してしまう」難問にどう答えるのか?/アゴラとバザール/価値とは?/世界にとって、かけがえのないものとは?
    ■質疑応答 292

    [講義]第五回  298
    〈distinctness〉と〈otherness〉/「ユニーク」な「複数性」?/「始まり」―〈the beginning〉と〈initiative〉/「活動」と「言論」の違いとは?――「暴露discloser」/人格的アイデンティティと、「関係の網の目web of relationships」、「演じられる物語enacted stories」/〈interest〉と人と人の間/「網の目web」/「物語story」と「歴史history」/アーレントの歴史哲学/役者と合唱隊〔コロス〕/「歴史」を作るのは誰だ?/「幸福eudaimonia」に、「よく生きる」とは?/黒板/「出現の空間space of appearance」における「権力power」とは?/アーレントの政治観/〈energeia(エネルゲイア)〉と〈enyelecheia(エンテレケイア)〉/「人間の作品ergon tou anthrôpou」/社会主義・労働運動・評議会/イデアの政治/「過程process」/「許しforgiveness」と「復讐vengeance」
    ■質疑応答 381

    [講義]第六回  385
    「世界疎外」と近代、三つの出来事/疎外と宗教改革、「自我」中心の哲学/自己疎外と世界疎外、初期マルクス『木材盗伐法問題』/「世界に対する気遣い」と世界疎外/「アルキメデスの点Archimedean point」/デカルト=ガリレオの新しい知/「共通感覚common sense」I ――リアルって?」/「共通感覚common sense」II ――内省VS. 世界/第一の転倒――「思考thinking」と「行為doing」/第二の転倒――魂と肉体の関係/「工作人」的な態度と「過程の科学」としての自然科学/「世界疎外」の原因/幸福の原理[快楽の総計-〔マイナス〕苦痛の総計]と「最高善」としての生命/そして、「世界」を獲得できなかった――「〈労働する動物〉の勝利」/孤独――「世界」を経験し、最も充実して〈active〉になること
    ■質疑応答 465

    [後書きに代えて]アーレント・ブームは、はたして“アーレント的”か?(二〇一四年四月二十八日 金沢大学角間キャンパスにて) [469-474]
    もっと『人間の条件』を究めたい人のための読書案内 [475-477]
    著者紹介 [478]

  • アーレントの『人間の条件』を、英語版とドイツ語版を参照しながら読み解いた、全6回の講義をまとめた本です。

    作品社から刊行されている著者の講義シリーズは、いずれもじっさいのテクストを引用し、その思想的背景にまで立ち入って解説する紙上演習のような構成になっています。本書があつかっている『人間の条件』というテクストは、哲学史や政治思想史にかんするかなりの素養が要求される内容となっているので、こうしたくわしい手引きはたいへん参考になります。

    以前『人間の条件』に一度挑戦したものの、挫折して積読状態になっているので、本書を読み終えて、もう一度ひもといてみたいと思いました。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784861824791

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著者プロフィール

哲学者、金沢大学法学類教授。
1963年、広島県呉市に生まれる。東京大学大学院総合文化研究科地域文化専攻研究博士課程修了(学術博士)。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。難解な哲学害を分かりやすく読み解くことに定評がある。
著書に、『危機の詩学─へルダリン、存在と言語』(作品社)、『歴史と正義』(御 茶の水書房)、『今こそア ーレントを読み直す』(講談社現代新書)、『集中講義! 日本の現代思想』(N‌H‌K出版)、『ヘーゲルを越えるヘーゲル』(講談社現代新書)など多数。
訳書に、ハンナ・アーレント『完訳 カント政治哲学講義録』(明月堂書店)など多数。

「2021年 『哲学JAM[白版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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