“ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する――隠蔽されてきた日米共犯関係の原点
- 作品社 (2015年7月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
- / ISBN・EAN: 9784861825477
感想・レビュー・書評
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とても想像力たくましく、とてもついていけないのでギブアップ。
トルーマン大統領が原爆について出した声明についての理解がぶっ飛んでいます。
突っ込む場所はありましたが面倒でやめました。
しかし、広島・長崎・福島をヒロシマ・ナガサキ・フクシマと表記するのはなぜなんでしょうね。
何か邪悪な意図があるように思えてならない。邪推すぎか?
https://seisenudoku.seesaa.net/article/472426142.html -
広島・長崎への原爆「投下」を経て日本は連合国に降伏した――このような言い回しは現代でも広く見られます。ですが、他の爆弾の場合と同様に「空爆、空襲、爆撃、攻撃」と言わないのはなぜでしょうか。「投下(drop)」という中立的な表現ばかりが使われるのはなぜなのでしょうか。本書を読むことで、戦後の日本で原爆をめぐる語り方(ないし理解のあり方)が画一化していく過程を垣間見ることができるでしょう。
米軍占領下の日本では検閲が敷かれ、被爆者が自由な言論活動を行えない状況にありました。その時期に、アメリカ人のジャーナリストらが原爆をめぐる語り方を方向づけた様子が本書で指摘されています。そのジャーナリストは原爆の爆発力(ひいてはアメリカの軍事力)を強調する筆致で描いており、それが日本の被爆者の語りにも影響を与えていた可能性が明るみに出されています。被爆体験の語り方は本来ならば多様であるはずですが、それが一つの枠の中に押し込められていく様子を捉えた著作と言えるでしょう。
タイトルこそおどろおどろしくはありますが、斬新な切り口で平易に書かれた読み応えのある著作です。政治学や社会学、文学を専攻する方にとっては研究の視点としても参考になるのではないでしょうか。
(ラーニング・アドバイザー/国際 OYAMA)
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