- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784861825828
作品紹介・あらすじ
リディア・デイヴィスの記念すべき処女作品集! 「アメリカ文学の静かな巨人」のユニークな小説世界はここから始まった。
感想・レビュー・書評
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まず、タイトルにハートを撃ち抜かれた(と言っても、翻訳題目のほうだけど、笑)。とっても面白くて、200ページあっても時間を忘れて読んでしまう。短編集で、短い物語はわずか五行しかないのに、その五行にすべての要素が詰まっていて、短いストーリーの内容に笑ってしまったりもする。
世界観が独特でありながら、同時に誰もが胸に秘めている平凡な感情もうまく描き出していて共感できる。あー、良い本を見つけてしまった!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『でももちろん、すべての答えを合わせれば、それが正しい答えになるのかもしれない。もしこんな問いに正しい答えが本当にあるのなら』―『私に関するいくつかの好ましくない点』
リディア・デイヴィスは日常に潜み通常は表に出てくることのない非日常性を言葉に変換する。変換されなければ気にも止めなかった筈の一風変わった思念は、言葉によって形を与えられこちらの日常にずかずかと、あるいはするすると侵入して来る。侵食され情緒不安定な状態に追い込まれることは妙に心地よい。誰の頭の中にだって多少変な妄想や思い込みはあるとは思うけれど、それは意識の片隅にも昇らないまま霧散する類いの、あるいは慌てて頭から振り払う類いのこと。それが形になることで返ってきれいさっぱりと処分されたような心持ちになるのかも知れない。もちろんそんな泡沫のような想いを書き留めるには、常に不安定な自己とそれを冷静に見つめる自己の二つの立場を取り続けなければならない。そんな状態をリディア・デイヴィスは、怒っている時も泣いている時も常に保持しているかのようだ。頓珍漢な話だが、頭の片隅で芸の為なら女房も云々という古い歌がかかる。
リディア・デイヴィスは「話の終わり」以来、岸本佐知子による翻訳をいつも楽しみに待っている作家だ。訳出は前後したが、この実質的なデビュー作で改めて既に存分に「らしさ」が表れていることが再確認出来る。この日常の中の非日常を掬い上げる感じは、柴崎友香の特に初期の作品を連想させもするけれど、柴崎友香が常に変わり続ける景色を優れた動体視力で掴み取るのに対して、リディア・デイヴィスの目に映る景色はほとんど動かない。動かないからこそ、そこに重ね合わせる、展開し得たかも知れないことを次々と思い浮かべ、それを漏れなく書き付ける。そしてありとあらゆることが起こり得たかも知れない可能性に満ちた世界を、少しばかり哀愁を帯びた調子で語る。言ってみればアイロニカルで、きっとへそ曲がりな人に受ける作家なのかなとも思う。もちろん自分も天邪鬼なのでいつも新刊を心待ちにしているのだけれど。
言葉は放たれた途端に輪郭がぼやけ、文脈の中に吸収されて行く定めと思うのだが、リディア・デイヴィスの言葉は常に硬質で輪郭を失うことがない。袖でこすったり雨に濡れたりしてもぼやけることはなく、発した側の想いは種々あれども定まっている。たとえ、何も決められない人物が描かれていたとしても、その定まった感じは揺るがない。そんな印象の中で少しばかり異質なのは、時々登場するポール・オースターを連想する人物にまつわる話。そこでは言葉そのものが常に行く先を迷っている印象を受ける。もちろん、この有名な元夫婦の読者としては誰でもが抱く、少々下世話な興味による想像なのだと自らを戒めて読むのだけれど、その過去と現在がない混ぜになった感情には、今尚くすぶる何かがあるのかとすら思わせる迷いがあるように思う。もっともそれすら作品に描き起こすタフさには感服するのだけれど。そして相変わらず岸本さんの翻訳はいいね。 -
多くの短編作品集。印象に残る作品もあれば、どんな内容か忘れてしまう作品もある。ほとんどの作品は同じ構成で書かれている。大なり小なり不安定な主人公が登場し、人や事によってその不安定さが抽出、暗示され、その主人公にとっては重大なある事あるいはある心境変化をきっかけとしてその不安定さが質の異なる不安定さへ返還されることを暗示して物語が終わる。読み手にとってはなかなか居心地のいい設定ではあるが、その割に再読しようとは思わせなかった。
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何だか繋がりがないような、よく分からないような短編集で「どういうことだろう?」と思いながら読んでいた。「分解する」と「設計図」と「フランス語講座」は物語として面白かった。他は難しかった。
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淡々と語られる。
タイトルが秀逸。 -
リディア・デイヴィスが1986年に発表した、実質デビュー作にあたる短篇集。
長篇『話の終わり』を思わせる、男女に関する考察的なエッセイめいた断片や、姉と妹、母と娘という役割をめぐる思索、あるいは独身男性の少し滑稽な生活の記録など、同じテーマが変奏されて何度も現れる。一つ一つの短い作品がどうというよりも、一冊分の集合体が有機的な関係性を作り上げていて、それが表現しようとしているのはとてもパーソナルな事柄のようだ。でもリディア・デイヴィス本人に生々しく触れているというのではない。この本自体が一つの人格を有していると言ったら良いか。
表題作「分解する」は一つの恋のはじまりから終わりまでを回想し、かかった“費用”を計算する男の話で、クスッとするオチも含め、胸がチクリと痛む寂しさがあった。「設計図」はミルハウザー作品を思わせる、孤独な男と幻影のBL。外国語教育のテキストをパロった「フランス語講座 その1」は、ラストに並んだ単語の羅列だけで一気に不穏になる切れ味がよかった。 -
日常会話のはずが、酒を酌み交わしているかのように腹の内を見せてくる。排出するものは違うが、内面的な感覚、感受性が本谷有希子さんに共通するものがあると思う。それにしても読みやすいのは、皆が共通して持っている心の動きが描かれているからだろうか。そういう物は足元を掬われないように人は隠して生きるものだ。彼女らは自分に対して誠実であるため、例え初対面の人間が自分の内側を覗きこむことがあっても、怖れない。実はそういう深遠にあるものが人としての輪郭を作っているのだと思うよ!
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人のはっきりしない思考を言語かしたらこうなるのでは?と思わせる著者の文体。
その中にひたる心地よさってありますよね。 -
この本は著者のデビュー作で、他の短編集「ほとんど記憶のない女」、「サミュエル・ジョンソンが怒っている」よりアクが少ない気がする。
何かに固執したり、あらぬことを考え過ぎたり、人間の心の中って限りなく広いんだと痛感する。
「意識と無意識のあいだー小さな男」の不眠描写に身につまされる。 -
別の作品が面白かったので。処女作とのこと。
短編集なんだけど、断簡すぎて小説のパーツの寄せ集めのようで期待したほどではなかった。デスノート的に思考がぐるぐるするようないくつかの短編はちょっと面白かった。
リディア・デイヴィスはポール・オースターと70年代には婚姻関係にあったそうで、本作中の「夫」「前夫」はオースターがモデルになっているという(解説)。オースターは読んでないので、ふーん、と言う感じでしかないが。 -
短編集もたまにはいい。
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クスっと笑っちゃうもの、ちょっと意地悪なもの、不思議な気分の残るもの、今のは何だったの?なもの…などいろいろ並んでいるが、私は「姉と妹」のような”ちょっと意地悪”系が好き。
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リディア・デイヴィスのデビュー作(※「実質的な」という注釈がついているが)。
ユニークな短編で知られる著者だが、デビュー作である本書の頃から、はっきりとその傾向が見られる……というか、ある意味では一番『濃い』かもしれない。
『分解する』『バードフ氏、ドイツに行く』『魚』『街の仕事』辺りにその『濃さ』がよく出ている気がする。
それにしても、リディア・デイヴィスの描く恋愛(夫婦)関係は、基本的に破綻していることが多いのが不思議。