戦下の淡き光

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  • Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784861827709

作品紹介・あらすじ

1945年、うちの両親は、犯罪者かもしれない
男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した――

母の秘密を追い、政府機関の任務に就くナサニエル。母たちはどこで何をしていたのか。周囲を取り巻く謎の人物と不穏な空気の陰に何があったのか。人生を賭して、彼は探る。あまりにもスリリングであまりにも美しい長編小説。


 ときおり、テムズ川の北の掘割や運河で過ごしたときのことを、ほかの人に委ねてみたい気持ちになる。自分たちに何が起こっていたかを理解するために。それまで僕はずっと匿われるように暮らしていた。だが、今では両親から切り離されて、まわりの何もかもを貪るようになった。母がどこで何をしていようと、不思議に充足した気持ちだった。たとえ真相が僕たちには隠されていたとしても。
 ブロムリーのジャズクラブでアグネスと踊った晩のことを思い出す。〈ホワイト・ハート〉という店だった。混んだダンスフロアにいると、隅のほうにちらっと母が見えた気がした。振り返ったが、もう消えていた。その瞬間に僕がつかんだのは、興味をあらわにした顔がこちらを見ている、ぼんやりした映像だけだった。(本書より)

感想・レビュー・書評

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  • 『イギリス人の患者』を読んでからずっと気になっていた、カナダを代表する作家、マイケル・オンダーチェの7年ぶりの最新作。

    物語は主人公のナサニエルの回想を通して語られます。
    「1945年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した」という一文から始まります。
    舞台は第二次大戦直後の霧深いロンドン。

    第一部はナサニエルが14歳当時。
    父の海外赴任に母もついていくという理由で、姉のレイチェルとイギリスに置いていかれ、両親の友人で”蛾”というあだ名をつけた男に面倒をみてもらうことになりますが、ナサニエルの家は”蛾”の仲間たちのたまり場になってしまいます。
    そして母は、本当は父と一緒に行っておらず、違う行動をとっていたことを知り、ショックを受けます。そしてまたナサニエルは”アグネス”という少女と恋に落ちます。

    第二部はナサニエル28歳の頃。
    情報部での職に就いたナサニエルは、母が通信士だったことを知ります。
    母の過去を探って、母の仲間で母が慕っていたマーシェ・フェロンという男の存在を知ります。
    ナサニエルの母、ローズ・ウィリアム(コードネーム、”ヴァイオラ”)と恋多き男のマーシュ・フェロンはローズが子供の頃からの知り合いでその関係が、なんとも哀しいと思いました。
    ローズが、家族を捨ててまで飛び込んでいった、スパイの世界と一人の男との関係が、なんとも美しい詩情に溢れた筆致で描かれています。
    そして、ナサニエルの悲しみ。
    アグネスとの恋の終わり。
    去っていって行方のわからなくなってしまった姉のレイチェル。
    戦後ヨーロッパの混乱期のひとつの物語の終焉。
    ローズのそれほど長くなかった一生は、果たして幸福だったのだろうかと考えました。

    訳者あとがきによると、オンダーチェは本書の執筆に三、四年かけておりさらに編集に二年の歳月を要したそうです。オンダーチェ文学の最高傑作とおっしゃられています。



    以下、覚書。
    「これからは、あなたとは距離を置かなくちゃ。わたしにとって大事すぎる人だから」(P230)
    「ふたりの物語を紡ぐ詩に、ぴったりとおさまる言葉はない。あの晩、鉄製のストーブのそばで始まった関係を断ち切ったのは誰だったのか。あるいは何だったのか」
    (P230)
    「彼女は決心したのだろう。今のうちに本来の自分に立ちかえり、彼とは離れたままでいようと」(P231)
    「人生の唯一の目的は、どこまでも青い川を渡って遠方の友人に会いに行くことではなく、教会の祭壇からまたべつの祭壇へ旅することだとでもいうように」(P249)
    「彼は長年ずっと、彼女の望むすばらしい景色を見せてきてくれた。だが今、彼女は思う。もしかすると目の前にある真実は、確信をもたない人だけに、明らかにされるのではないか」(P251)
    「だから母はさなぎの殻を破って、若き日に誘惑の種をまき散らしていった。マーシュ・フェロンとともに活動する道へひそかに進んだのだ。母が求めていたのは、自分が全面的に関わることのできる世界だったからではないだろうか。たとえそのせいで十分に、そして安全に愛されることが叶わなくなるとしても」(P256)

    • やまさん
      まことさん
      こんにちは。
      「折々のうた 春夏秋冬・秋」この本を読んだ事が有りますか。
      大岡 信 著
      やま
      まことさん
      こんにちは。
      「折々のうた 春夏秋冬・秋」この本を読んだ事が有りますか。
      大岡 信 著
      やま
      2019/11/14
    • まことさん
      やまさん♪こんばんは。
      「折々のうた」は確かずっと前、朝日新聞を購読していた時読んでいたような記憶がありますが、その本は、読んだことがあり...
      やまさん♪こんばんは。
      「折々のうた」は確かずっと前、朝日新聞を購読していた時読んでいたような記憶がありますが、その本は、読んだことがありません。
      大岡信さん、お好きなんですか?
      2019/11/14
  • 大空襲の傷痕が残る第二次世界大戦直後のロンドンを舞台に、秘密を背負った人々の、誰にも知られず、勝利しても栄誉を与えられない非情な闘いを描く。二部構成で、第一部は十四歳の少年の視点で終戦直後の無秩序で無軌道な裏世界での活躍を描いている。第二部は二十八歳になった同じ人物の視点で、回想形式で時代を遡り、主人公の母の幼い時から今に至る暮らしとその人となりを想像をまじえて描いている。

    「一九四五年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した」というのが書き出しだ。十六歳の姉と十四歳の弟を置いて、両親が仕事で海外に出かけてしまう。ところが、出発したはずの母のトランクが地下室で見つかる。母は本当はどこに行ったのか。二人の後見役を務めるのは「蛾」というあだ名を持つ間借り人のウォルター。もう一人が、川の北側で最高のウェルター級選手だったこともある「ピムリコの矢魚(ダーター)」という、どう見ても堅気には見えない胡散臭い人物。

    それ以外にも得体のしれない人物が、主のいない家に夜半に集まっては話し込む。養蜂家や民族誌学者が一体この家に何の用があってやってくるのか訳がわからない。「僕」は彼らが犯罪者かもしれないと考える。だが、そのうちに「僕」は学校もそっちのけで「蛾」の仕事場であるピカデリー・サーカスの<クライテリオン・バンケット・ホール>で、洗濯係やエレベーター・ボーイ、そして皿洗いとして働きはじめる。両親の留守をいいことに、早くも大人の階段を上りはじめるわけだ。

    挙句は、ダーターの仕事を手伝うまでになる。夜中にムール貝漁船を運転して運河や川筋をたどり、ドッグ・レースに使うグレイ・ハウンドや、中身の分からない荷物を密かに運ぶ仕事だ。監視船が来るとシートの下に犬を隠して静かにさせるのだから立派に犯罪の片棒を担いでいる。犬の血統書の偽造にまで手を貸すようになれば一人前のワルだ。バイト先で知り合ったアグネスとは、何度となく空き家で愛し合うようになる。

    しかし、そんな生活は「蛾」の死とともに終止符を打つ。ある夜、姉弟が何者かに襲われ、二人を守ろうとして殺されたのだ。姉弟は家の客の一人に助けられる。我が子を危険な目にあわせたことで母は仲間と縁を切り、サフォーク州にある我が家へ引きこもる。親代わりを務めてくれた「蛾」を死なせた母を赦せない姉は一人で寄宿学校に入り、「僕」は母と二人きりで暮らし始める。ガーターともアグネスともそれっきりになる。

    第二部、二十八歳の「僕」は、戦争中の資料を精査する文書係として情報部に勤務している。自らの意志ではない。外務省で働かないか、と声をかけられたのだ。そこで情報部に残された母に関するわずかな資料を調べ、母がなぜ我が子を残して家を出たのか、という謎を解こうとする。この時すでに母は亡くなっている。わずかな遺品の中にあった写真の人物は、葬儀の日「僕」に「お母さんは大した女性だった」と声をかけた人だ。一体誰なのか。

    男の名はマーシュ・フェロン。屋根ふき職人の家の末っ子で、十六歳のとき祖父の家の屋根から落ちて骨を折る。動かすことができず祖父の家でしばらく暮らす間、八歳の母に出会う。やがて生来のナチュラリストであった少年は海軍提督だった祖父の支援を受け、カレッジに進むようになる。トリニティの煉瓦壁を登山に見立て、夜ごと登るうちに、一人の女性に発見され、ドイツ軍の侵攻を見張る要員にスカウトされる。

    イギリス情報部に入るのは試験より縁故、本人をよく知る者の推薦であることが多い。家系や血筋、オックスブリッジ出身者であることはその資格の一つ。つまり糸は常に張られていて誰がひっかかるか目を光らせているわけだ。そして、候補者を見つけたらあとは教育する。その過程で合格、不合格がおのずと明らかになる。例えば、目的のためなら手段は選ばないとか、非情に徹することができるか、とかスパイに必要な資質が吟味される。

    小さい頃、母はフェロンから色々なことを教えられて育った。その中には銃の扱いまであった。母はいい生徒だった。フェロンは結婚し娘を生んでいたローズに、子どもを守るために何をしなければならないかを教える。やがて母は無線の傍受の能力を買われ、敵の無線を聴き取り、味方に送信する仕事に就く。それを皮切りにフェロンとともに、ヨーロッパ各地に飛んで、暗号名ヴァイオラとして活躍するようになる。

    フェロンは言う。「僕らのような仕事をしていると、政治的暴力から生き残った者が復讐の責任を担い、ときにはそれが次の世代に受け継がれているケースに出くわすことが少なくない」と。「僕」が襲われることになったのがまさにそれだ。戦争は終わったといえ、小規模な戦闘は各地に残っていた。母が送り込まれたのもそんな国のひとつだった。パルチザンを支援した行動が多くの民の命を奪うことになった。英国の英雄ヴァイオラはその地では悪魔の使者だったのだ。

    もう一つ。「心得ておくべきなのは、戦闘地帯への入り方だけでなく、どうやってそこから抜け出すかだ。戦争は終わることがない。決して過去に留まらない。『セビリアで傷を負い、コルドバで死す』(ガルシア・ロルカの詩の一節)、それが大事な教訓なんだ」。戦争はどこまでも追いかけてくる。サフォーク州に引っ込んでからも、母は常に警戒を緩めることはなかった。その日がくるまでは。

    一枚の紙にも表と裏がある。ひっくり返してみなければ裏に何が隠されているか、分かりはしない。第一部のあの奇妙な連中が誰で、何のためにあの家に集まってきていたのかが第二部を読むにつれて見えてくる仕掛けだ。彼らは親代わりとなって二人を守り、育てていたわけだ。しかし、それだけではない。あの自由を満喫し、いっぱしのワルを気取っていた少年を、沈鬱で孤独な世界に閉じこもる大人に変えている。あの「蛾」や、ダーターと過ごした日々は「僕」にとっての教育期間だったのだ。

    紙の表面に書かれたことだけを読んで生きる者は幸せだ。しかし、裏面を読んでしまった者はそうはいかない。人から距離を置くことを覚える。下手にその中に入り込んでしまうと、きっと誰かを傷つけずにはいられないからだ。子どもたちを守るために母のやったことは、向こうの母から子を奪ってしまう罪深い所業でもあった。物事は表面だけで終わらない。裏の面を見た「僕」には、物事をそのまま受け取ることはできそうにない。

    犯罪に手を染めていたダーターが青いモーリスを走らせていた道筋は戦時中、工場で作られたニトログリセリンを危険を冒して運ぶ道筋であったことを今の僕は知っている。記録に残されることはないが、彼らは知られざる英雄だったのだ。それに引き換え、故国の英雄とたたえられるヴァイオラは、その活動のせいで多くの無辜の人民を死に追いやっている。一つの戦争に関してもまったく別の一面が見えてくる。この二重の視点がうまく生かされ、小説世界は重層性を増す。

    ひとつ気になったのが「ダーター」のことだ。<darter>というのは「突進するもの、ヒト」のこと。魚なら「矢魚」、鳥なら「ヘビウ」のことだ。「ダーター」だけでは何のことやら分からないから「矢魚(ダーター)」とルビを振ったのだろう。「ピムリコのダーター」がボクサーのあだ名なら、長身の「ダーター」は、長い首を水中に突っこんで魚をとらえるのが得意の「ヘビウ(蛇鵜)」の方がぴったりなのではないだろうか。

    小説の最後で「僕」は探し当てたダーターと再会する。しかし、その再会は苦いものとなる。かつてあれほど「僕」の目に輝いて見えたダーターは、今や完全に別人になっていた。妻子持ちとなったダーターの変貌ぶりに気落ちした「僕」が、最後に目にしたものがそれまでの安定した世界をひっくり返しそうになる。どんでん返しが待っていた。『イギリス人の患者』のマイケル・オンダーチェの最新作。目に浮かぶ光景がすべて映画のように思えてくる。いつか映画化されないものだろうか。

  • 戦下の淡き光WARLIGHT~戦時中の灯火管制の際、緊急車両が安全に走行できるように灯された薄明り、とあり、この物語全体もまた、そうしたほのかな明かりに照らされるかのように、真実がおぼろにかすみ、なかなか姿を現さない、と訳者あとがき。まさにおぼろに霞んだほの明かり、というのがこの物語の読み心地だった。それは「僕」によって語られる、14才からの今にわたるマイ・ストーリー。

    1945年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した、と始まる。場所はロンドン、戦争は終わっているようだ。僕は14才、姉のレイチェルはもうじき16才。ある朝、両親に1年間の間、子供ふたりを置いてシンガポールに行くと告げられる。子供を託したのは最近階上に間借りし始めた「蛾」と僕らが呼ぶ男。父母のいなくなった家はやがて「蛾」の知り合いが入れ替わりやってくるようになり、ある日父のイスに「ダーター」と言われる男が座っていた。

    そしてある日姉が地下室でみつけた母のもの・・・ ここからミステリーの色合いを帯びてくる。きわめて影の薄い父。僕は父の職場、ユニリーバに連れて行ってもらったことがあるにもかかわらず、母の中に父はいないかのよう。
    それに対し留守を託された「蛾」と知り合いの「ダーター」、ダーターのころころ変わる恋人たち。僕のアルバイト先の少女アグネス。ダーターはドッグレースの犬を夜のテムズ川を使い違法に配布していて、僕はそれを手伝う。ここらへんの疑似孤児の僕の生活描写がなんともいい。実際はとんでもない状況ともいえるが。

    そして大人になった僕。母の死後10年たって外務省に志願するよう通知を受け取る。戦後しばらくの間、戦争の残り禍がまだある、というのだ。そこで明らかになる母の過去。題名のごとく、戦下の淡き光に導かれた母、そしてその落とし子の僕と姉。読み終わってみると、けっこうはちゃめちゃなストーリーなのだが、なんともゆったりした読み心地だった。



    2018発表
    2019.9.30初版第1刷 図書館

  • 初めてのマイケル・オンダーチェ。スリランカ生まれカナダベースの作家で御年76歳。長いキャリアを感じさせる洗練された内容で胸に深く響いた。イギリスが舞台の小説で少年が大人になる過程に家族と戦争を絡めてエンタメ性を担保しつつ美しい瞬間がいくつも描かれている。本著は前半後半で大きく分けることができて前半は青年の泥臭く甘酸っぱい青春、後半は孤独を抱えた大人の人生。前半では両親不在の生活の中にいる大人と子どもが関係を作っていく過程がとてもオモシロい。親ではない、なんだか実態のよく分からない大人への憧憬というのは中高生の頃、必ず持つと思うのだけどそれが瑞々しくて好きだった。特にお互いのみが知る秘密が介在することで大人の仲間入りしたような気持ちになったことは自分にも記憶がある。実親の不在は不幸なこととして語られるのが定石の中で、それに閉じていないところが良い。あと彼女と過ごす背徳感と甘酸っぱさがないまぜになった空き家での時間は尊すぎて遠い目をしてしまう。前半から後半へ移行していくのが一番スリリングで青春小説だったところから急にサスペンスの要素が盛り込まれてくる。この唐突さが戦争を象徴しているように思うし、遠因としては戦争であることの表現として「戦下の淡き光」という邦題は最高だと思う。(表紙も本家より圧倒的にかっこいい…)直接的に戦火が襲わないのに戦争が各人の人生にもたらすインパクトの大きさを本著を読むとヒシヒシと感じた。後半は前半の謎解きしながら大人になっていき孤独を深めていく過程が描かれている。時間軸と視点がぐらぐらと変わっていく構成になっていて読んでいるうちに、誰がどういう過程を経てこの状態になったのか分からなくなる場面もあった。(あとがきによると著者が好むダブルナレーションなる方法らしい。)しかし混乱しながらも淡々とした描写の中で様々な事実が露呈していって「あぁ」という声にならない声が何度も出た。誰かにとって輝かしい思い出だったとしても、誰かにとっては二度と思いだしたくない事実なんだと見せつけられる。他の作品も読んでみたい。

  • 『イギリス人の患者』のマイケル・オンダーチェの7年ぶりの作品。

    冒頭は印象的な一節で始まる。
    1945年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した。


    物語は大きく2部構成である。
    前半は、親と離れ、見知らぬ他人の中で大人へと成長していく少年の物語。
    後半は、その十数年後、母の謎めいた過去に迫っていく青年の物語。

    終戦後まもないロンドン、「僕」=ナサニエルの父は、海外に赴任するために家を後にし、その数週後、父に合流する形で母も旅立っていった。
    残されたナサニエルは14歳、姉のレイチェルは16歳前だった。
    2人の面倒や、その他、家にまつわる諸々のことは、下宿していた男に任せようというのだから、暢気と言おうか不用心と言おうか。
    だが、戦後の混乱期のごたごたからか、妻が子供の世話より夫を優先するのは当然と見られていたためか、大きな異を唱えるものもなく、子供たちはさしてよくも知らぬ他人に託されることになる。
    下宿人の男はびくびくした態度から姉弟に「蛾」とあだ名されていた。胡散臭い「蛾」は、ほどなく、姉弟の家に、自分の仲間を引き入れるようになる。その中で最もナサニエルと深く関わるようになるのが、「ダーター(矢魚)」と呼ばれる元ボクサーだった。

    父と母の旅立ちにはどこか謎めいたところがあった。
    母がいなくなってしばらくした後、姉弟は、地下室に、母が持って行ったはずのトランクが残されていることを知る。
    母は旅立ってはいないのか。どこにいるのか。
    謎が解けぬまま、少女と少年は、見知らぬ大人たちの間で時を過ごし、思春期を抜け、大人になっていく。

    ナサニエルは学校をさぼりがちになり、ダーターと行動を共にするようになる。彼に命じられる「仕事」は犯罪まがいのものなのだが、にもかかわらず、その日々の描写が繊細に美しい。
    ドッグレースに出すために売買されるグレイハウンドたち。ダーターが操るムール貝の漁船。テムズ川河畔の地名や目印。ひと気のない空き家への侵入。
    少年は安レストランのウェイトレスと初めての恋に落ちる。
    不品行でありながら充たされた日々は、しかし、突然、乱暴に断ち切られる。その背後にあったのは、母の「秘密」だった。

    第二部で、大人になったナサニエルは情報部に職を得る。秘密書類を盗み見ることで、母にまつわる秘密が徐々に明らかになっていく。
    母は戦前から、諜報活動に身を投じていた。戦争が終わってもそれは終わることなく、続いていたのだ。
    ナサニエルは母の過去へと遡っていく。
    時にその描写は、母や母を取り巻く人々自身の語りとなり、ナサニエルの視線と混じり合う。著者が「ダブル・ナレーション」と呼ぶ手法は、物語に豊潤なふくらみを産む。

    若かりし日の母の肖像もまた魅力的である。
    彼女がその道を選ぶには彼女なりの理由があったわけだが、しかし、その手は多くの血にまみれ過ぎた。
    最後には母はその責を負わねばならない。
    そして母の旅路を辿り終えたナサニエルは、自身の初恋の苦い結末も知ることになる。

    戦争を軸にしながら、ノスタルジックで哀切に美しい。
    原題の”Warlight”は「戦時中の灯火管制の際、緊急車両が安全に走行できるように灯された薄明かり」を指すという。
    かすかな光に導かれた旅路の余韻が胸に深く沁みる。

  • 母が留守にする間、主人公が預けられたのは、不思議な後見人とその友人たち。
    主人公はその暮らしの中で青春を送り、青年となったとき当時の母が本当は何をしていたのかを振り替える。

    記憶はモノクロだ。そんな中で、
    「僕たちはぼんやりとしかわからない物語で人生を整理する」

    現代は“WARLIGHT”、あとがきによると、戦中の灯火管制の中、緊急車両が運転のため灯した淡い灯りのことだそう。

    オンダーチェ、もっと読んでみよう。

  • 父親の不在
    影として生きて語らない人々

    やっぱりオンダーチェは面白かった

  •  第2次世界大戦下の英国で、幼い姉弟を同志2人に託して、夫婦は諜報活動のため地下に潜っていく。戦時下でも子供は成長する。特に男子は戦争のどさくさに揉まれ成長する。恋愛もする。両親の諜報活動のため、命を狙われたこともある。
     母親と再会を果たし、終戦を迎える。自らの手で、外務省の記録から母親の活動を明らかにしていった。

     回想の形式をとっているためか、語られる言葉の輪郭がぼやけるほど静かな文章だ。しかも、思い出は美しく語られる。戦時の激しい環境の中、灯火管制のほのあかりに浮かび上がった、静かで、美しい物語。

  • 前半(第一部)は「設定に頼りすぎな陳腐なインディ映画みたいだなぁ」などと失礼なことを思いながら読んでいたのですが、後半の第二部に入ったとたん、「オンダーチェ、キター!」と言いたくなるような独特の美しい描写が続き、またまたすっかり心奪われてしまった。

    第二部を読むと、前半部分のゆらゆら揺れる影絵のようなモノローグは、思春期特有の不安定さからくるものではなく、「戦下の淡き光」の中で多くの部分が意図的に覆い隠されていたことによるものだったと分かる。(主人公は "不明瞭な地図" という言い方をしている)

    その不安定な状況で足元がグラついたまま思春期を迎えた少年に、明るく健やかで安定した世界があることを教えるミスター・マラカイトの登場には激しく心揺さぶられた。
    「オークの木のように強靭な」彼に、私はちょっと恋してしまったかもしれない。というのも、彼についての描写を、読み終わった後改めて2度も読んでしまった。また会いたい、に近い心情で。

    ある人物をどう描くか、どの側面を切り取るか、というのは作家の力量の見せ所だけれど、オンダーチェの選ぶミスター・マラカイトの日常はあまりに美しく崇高で、でもそれは私の愛しているありふれた世界の延長でもあり、とにかく読み返さずにはいられなかった。

    私は一人称の小説がとても好きだけれど、この作家に限っては、一人称より三人称の方がいいな、と思った。
    とにかくディテールの描写が良い。
    だから、キャラクターの視界にしばられない三人称の語りの方が良いのかも。

    ミスター・マラカイトの描写以外にも、少女時代の母と屋根ふき一家の末息子が互いを知るようになっていくシーンもとても好きだった。二人の個性が、視線の先、表情、しぐさなどに現れる。まるで映画のようにリアルに鮮やかに二人の姿が目に浮かぶ。

    あと、「イギリス人の患者」同様、登場するアイテムにもたまらなく心ひかれます。
    特に今回は気になるアイテムがとても多くて、いちいちグーグルさんに聞いているととんでもなく時間がかかって大変だった。(そういう調べ物も楽しいひとときなんだけれど)

    たとえば、ダーターが乗っていたというモーリスという車。
    屋根を葺くための道具。ロング・イーヴス・ナイフ、フルー・ナイフなんて初めて聞いた。調べているうちにイギリスの「屋根の葺き方」についてのサイトを長時間読みふけってしまった。
    チェスの天才、ポール・モーフィーの有名な対局、「オペラ」について。彼の短い生涯について。
    「ブルー・ウイングド・オリーヴ・ニンフ」という名の釣りのフライ。ガチョウの羽を使う!
    アナグマのコート。(アナグマの毛皮がどんなものか知らなくて画像検索)
    「トリニティの屋根に登るための手引き」。今もAmazonで売られていて、ちょっと驚く。山登りガイドのパロディ的に書かれたみたいですね。
    ・・・てな感じで、インターネッツ笑に感謝感謝。

    物語の全体の設定は、「イギリス人の患者」もそうだったけど、ちょっと荒唐無稽すぎてツッコミどころがなくもないのだけど、こうしたディテールの描写や登場するアイテムが美しく楽しく魅力的で、読んでいて本当に幸せだった。

    読み終わって、別の小説を読み始めたけれど、どうしてもこの本の世界を引きずってしまって、なかなか次の本に入りこめない。それが今ちょっぴり困っているところです・・・。

  • 単純なノスタルジーだけでは語れない、不条理さや生命力をも感じさせる自分だけの特別な「子ども時代」と、それを答え合わせするかのような主人公の成人後の物語。人生の取り換えのきかなさ・一回性を考えると、何が大事で何がそうでもないのかよくわからなくなってくる。

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著者プロフィール

マイケル・オンダーチェ(Michael Ondaatje)1943年、スリランカ(当時セイロン)のコロンボ生まれ。オランダ人、タミル人、シンハラ人の血を引く。54年に船でイギリスに渡り、62年にはカナダに移住。トロント大学、クイーンズ大学で学んだのち、ヨーク大学などで文学を教える。詩人として出発し、71年にカナダ総督文学賞を受賞した。『ビリー・ザ・キッド全仕事』ほか十数冊の詩集がある。76年に『バディ・ボールデンを覚えているか』で小説家デビュー。92年の『イギリス人の患者』は英国ブッカー賞を受賞(アカデミー賞9部門に輝いて話題を呼んだ映画『イングリッシュ・ペイシェント』の原作。2018年にブッカー賞の創立50周年を記念して行なわれた投票では、「ゴールデン・ブッカー賞」を受賞)。また『アニルの亡霊』はギラー賞、メディシス賞などを受賞。小説はほかに『ディビザデロ通り』、『家族を駆け抜けて』、『ライオンの皮をまとって』、『名もなき人たちのテーブル』がある。現在はトロント在住で、妻で作家のリンダ・スポルディングとともに文芸誌「Brick」を刊行。カナダでもっとも重要な現代作家のひとりである。

「2019年 『戦下の淡き光』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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