最弱球団 高橋ユニオンズ青春記

著者 :
  • 白夜書房
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レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784861917875

作品紹介・あらすじ

1954年から3年間で消えたパ・リーグ幻の球団「高橋ユニオンズ」の全貌を描く渾身のノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 戦後、パリーグに3年間だけ存在した高橋(トンボ)ユニオンズのレポ。

    野球スキーには堪らない面白さだった。
    時代の、ゆる~いエピソードなんか声を上げて笑いながら読んだ。
    そして「最弱」と揶揄される球団でそれでもプロの一員として試合に挑む姿に胸温。
    球団の経済状態の話も面白かった。
    特に規定の勝率を割った際の高額罰金に怯え、デキ試合をしてしまうあたり。
    こんなことが許されてたんだなあ。
    野球の忘れられた歴史の一ページを興味深く読んだ。
    野球スキーとしての評価。

  • 60年近く前に3年間だけ存在していたプロ野球団に関する書籍が、結構最近になって出版されていた事への驚きもさることながら、実際に読んでみて、本文中の記述から、この内容の書籍が書けるギリギリのタイミングだったんだな…という事が読み取れて、そういう意味でも非常に重要な一冊ではないかと。

  • 「みなさんこんばんは、プロ野球ニュースです」ではじまる番組の司会をしていた佐々木信也さんが高橋ユニオンズという球団に所属していたことは、少しだけ知られているかもしれない。

    本書はその高橋ユニオンズが生まれ、「合併」によって「消滅」した「4年間」の物語。

    現役をとうに過ぎた政財界の重鎮、高橋龍太郎が私財をなげうってつくった球団。

    通算成績は435試合、146勝281敗8分、勝率は.348。史上最弱球団と揶揄はされているが、本書を読みとても魅力的な球団であったことを理解した。

    苅田、若林といった往年の法大野球部出身者が活躍していたこともうれしい。

  • 再読。

    ユニオンズのことは知っていたが、きっちりまとめられたものを見たことがなかったので、貴重。

    この手の本って好きなんだよなあ~。

  • 強いチームの本ばかり読んでも面白くないので、弱いチームの本を読みたくなった。

    詐欺にあったような形で結成され、詐欺にあったような形で解散させられた、たった3年間だけ存続した球団のお話。

    所属選手は二流以下。お客は殆ど入らない。チーム財政は火の車。
    「他球団じゃ試合に出れない」と気づきながらプレーする選手たち。深すぎる慈悲の心で、私財を湯水のごとく球団に投入し続けるオーナー。
    当たり前のような低空飛行に「ですよねー」と思いながらも、こうした人達の純粋さに、どこか羨ましささえ覚えるのは、おかしいだろうか。

    「親会社が」「年俸が」云々の文脈で語られがちな今のプロ野球界。
    そうした現状からすると、こんなチームがあったことは、一つのノスタルジーとして語られてもよいのかもしれない。
    もはやおとぎ話のような、歴史の一コマとして。

    とか書いてたけど、楽天初年度って勝率3割切ってたんすね。
    高橋球団より酷いじゃないか…!

  • 3年間という短い期間にこんなチームが存在していた事を知りました。

  • プロ野球のペナントレースも、いよいよ大詰め。今年のセ・リーグはヤクルト、中日が頭一つ抜けるも団子レース、パ・リーグはソフトバンクで決まりか。セ・リーグが団子レースになっているのは、交流戦の影響が多分にある。昨年に引き続き、二年連続でセ・リーグがパ・リーグに大きく負け越しているからだ。少ないパイを奪い合っていれば、必然的に団子レースにもなる。昔から「人気のセ、実力のパ」などとはよく言ったものだが、最近では人気の面においても、パ・リーグの地元密着戦略が功を奏しており、なかなかのものだ。

    そのパ・リーグに、かつて人気も実力もなかったチームがあった。1954年から56年までのわずか三年間、パ・リーグの一員として存在した高橋ユニオンズというチームである。七十余年の歴史を持つプロ野球史において、ほとんど顧みられることのない幻の球団。本書はそんな高橋ユニオンズの日々を綴った群像記だ。

    こんな渋いテーマを取り上げるのは、もしやと思って見てみると、やはり元は雑誌『野球小僧』の連載がベースだ。この『野球小僧』という雑誌、知る人ぞ知る存在なのだが、その誌面には根強いファンがいる。僕が特に気に入っているのは、「流しのプルペンキャッチャー」というコーナー。その年のドラフト候補生の元へ訪れ、球を直接キャッチングして、体感を記したものである。その臨場感溢れるリポートは、ドラフト前には手放すことが出来ない。

    話がそれた、元に戻そう。高橋ユニオンズの誕生は、パ・リーグが人気逆転のための起死回生の策として八球団制に移行したことに端を発する。大日本麦酒の社長を経験し、戦後には参議院議員として通産大臣も歴任した「日本のビール王」こと、高橋龍太郎氏がオーナーであった。

    新球団誕生というと、2004年の楽天イーグルス誕生時の分配ドラフトが記憶に新しいが、高橋ユニオンズの場合は各球団からの供出という名のもとに、金銭トレードで集まることとなった。当然、各球団の一線級が集まる訳もなく、初代監督となった浜崎の言葉を借りれば「ポンコツと呑兵衛の寄せ集め」というのが実態であったという。ちなみに、契約第一号となったのは、あの伝説の名投手スタルヒン。この時点で288勝を挙げていたとはいえ、全盛時はとうの昔に過ぎていた。

    本書の楽しみ方の一つに、その並はずれた弱さに関する記述のみを拾い読みし、鼻で笑ってみるというのがある。 三年間の通算成績は435試合を戦って146勝281敗8分。勝率はわずかに.342。そもそも表紙の写真からして、見るからに弱そうだ。

    「こんなチームに勝ったって、何の自慢にもならない」という自負があったし、本気を出して打席に立とうものなら、自軍の先輩たちからは「打つんじゃねぇ、かわいそうだろ!」と罵倒されることもしばしばあった。本当にやりにくい相手だった。(西鉄ライオンズで対戦した豊田 泰光氏のコメント)

    6月12日の西鉄ライオンズ戦。ユニオンズは1対17で大敗を喫するのだが、「1イニング7四球」という記録を叩き出す。四番の大下にはヒットを打たれたものの、その他の1番から7番までは全てフォアボールというありさまだ。前代未聞の記録は半世紀以上が経過した平成の世でもいまだに破られていない。

    高橋ユニオンズ三年目、六大学の花形スター佐々木信也が入団。その時のベースボールマガジンの記事は「高橋ユニオンズは、佐々木の加入によって、待望のダブルプレーができるようになった。」というもの。佐々木自身も、思い描いていた「プロ野球のレベル」が想像とまったく違うことに気づかされ、イメージの下方修正を余儀なくされたと述べている。

    この他にもシーズン中に現役コーチが市会議員に出馬して当選、謎の外国人選手の突然帰国、連盟規則による罰金制度で資金難に陥るなど、なにもかもが規格外。まるで草野球だ。

    しかし、一方で当時所属していた選手たちの表情を見てみる。これが不思議なくらいに爽やかだ。誰もが口を揃えて、「ユニオンズはいいチームだった」と懐古するのである。

    高橋ユニオンズとは本当に懐かしい、いい思い出の1ページですよね。(佐々木 信也)

    青春。そう、青春ですね。(西本 道則)

    楽しかったね。弱かったけどいいチームだった。(伊藤 四郎)

    考えさせられるのは、プロフェッショナルとは何かということである。プロである以上、勝つことが本分である。しかし、それ以上に夢を売るのもプロフェッショナルの仕事なのである。五十年以上経った今もなお「青春だった」「楽しかった」と言い切れるその台詞は、夢を売っていることにほかならない。

    最近、戦後の揺籃期を描いた書籍によく出くわす。背景には、その当時、躍動した人や生き証人たちの高齢化というものがある。それは高橋ユニオンズについても同様だ。毎年秋に行われているというOB会は、現存するチームではないので、新規のOBが増えない。また、わずか3年しか存在しなかったチームなので、年々、参加者は減っていくばかりである。

    そんな中で、残された人たちが一様に口にする「あの頃は楽しかった」という言葉は、ただの古き日々へのノスタルジーなのだろうか。それは、緊縮する経済下において、必死でもがく人達に対して「楽しかったら、それでいいじゃん」と言っているようにも聞こえる。

    そんな割り切り、到底出来っこないと思う人は多いだろう。だからこそ、僕は彼らを羨ましく思う。社会的には未成熟で、先進国には程遠かった時代。それでも彼らは「今日より明日がよくなる」と信じることが出来ていたのだ。僕たちの明日はどうだろう?

  • これを知ったら、“誰かさん”も読みたいっていうんだろうな…

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