トゥルー・カラーズ シンディ・ローパー自伝

制作 : 沼崎 敦子 
  • 白夜書房
3.83
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本棚登録 : 33
レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784861919619

作品紹介・あらすじ

今なお、女性トップ・シンガーとして第一線で活躍、親日家としても知られ、何度も来日し、2011.3.11の震災直後も帰国せずにツアーを敢行するなど、日本との関わりが深いシンディ・ローパー。「十七歳で家を出た。歯ブラシと下着の替えとリンゴひとつ、それとヨーコ・オノの本『グレープフルーツ』を入れた紙袋を持って。私にとって『グループフルーツ』はアートを通して人生を眺めるための窓になっていた」そんな書き出しで始まる待望の初の自伝、遂に邦訳。

感想・レビュー・書評

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  • シンディ・ローパーが自分の言葉で語る物語はこの一文から始まった。
    ー17才で家を出た、歯ブラシと下着の替えとリンゴひとつ、それとヨーコ・オノの本「グレープフルーツ」を入れた紙袋を持って。ー

    仕事を探すがうまく行かない、タイプは出来ず、ウェイトレスとしては注文を覚えられない。受付をやった時には缶ビールを持ち込んだ。大学に入り美術を学ぶが単位がとれず飛び出し、つきあう男にも恵まれない。歌い始めたのはちょっとしたきっかけでバックシンガーの仕事に募集してから。あるオーディションでちょっと頑張ったら信じられないほどの大きな声が出てきた。

    いくつかのバンドでもうまく行かない。シンディが評価されるのを面白く思わないメンバーに憎まれたり、レイプや中絶なども経験している。ようやくプロとしてポリドールと契約したブルー・エンジェルと言うバンドの評価は高かったが、マネージャーが金を持ち逃げし、新たに雇ったマネージャーは例えばアルバムの製作資金が10万ドルで7万ドルを使うと残りが懐に入ると言う契約だったため仕事はしないが疫病神だ。そしてポリドールもバンドとしてのプロモーションはしなくなっていた。

    そのころ出会ったのがデイヴィッド・ウルフで彼がマネージャーとしてソロのシンディをサポートし二人はつきあう。元のマネージャーを解雇するが訴訟に巻き込まれ一文無しになってしまう。1983年エピックと契約したシンディは1stアルバムをレコーディングし始める。She’s So Unusualだった。アルバムはシンディのイマジネーションで出来ている。ブルー・エンジェルのときもバラードをやれと言うレコード会社の言う事は聞かなかった。回転数の違う再生をしても気がつかない奴らの言う事など!

    エピックもファーストカットはTime After Timeにしたがったのだがこれを却下したのもシンディだった。誰もがヒットすると思ったのだろうが(そりゃそうでしょう)シンディはバラード歌手と言うイメージが固まるのを嫌う。選んだのはGirls Just want to Have Fun、シチリア系の家庭では女性は家にしばられていたため、(シンディいわく家庭の奴隷)女の子だって楽しみたいのって言う応援歌だ。後にシンディは政治的なテーマの歌も発表しているが世間のイメージとは違いこのころから表現の自由と、人と違う事の自由を売っていた。悲しい人たちを癒そうとしていた。
    それにしても邦題のハイスクールはダンステリアはひどい、と日本びいきのシンディも文句を言ってる。

    一躍大スターになったシンディだが困ったことに言っちゃいけない人に余計な一言を言ってしまう。私ってフィルターがないのよね。本人も自覚はしているが直らない。映画グーニーズのサントラではスピルバーグにグリーンスクリーンの前で歌えと言われて「そんなのあんまりクリエイティブじゃない」と言ってしまい勝手にしろと出て行かせ、いい人だと思ってたボスことブルース・スプリングスティーンがやはりマッチョな奴らの仲間で近づいていくといやな顔をする。「ブル〜(タ)ス、おまえもか?」と思ったとたんに余計に嫌がらせようと近づいて話しかけ続けた。

    世間ではシンディ対マドンナで盛り上げようとしたが(当時不仲説も流れていたのを思い出す)シンディは路線が違うと思ってた様だ。だってさぁ、私って全然セックスシンボルじゃなかったのよ。シンディのマドンナに対する評価は高く、やり手で頭が良く周りをうまく使う。またレディ・ガガには周りの声を聞くな自分のスタイルを守れとアドバイスしたりしている。その後のシンディはまたスランプになり、売れる歌を作らせようとするレコード会社やシンディの意見を聞かないプロデューサーに抗い、恋人のウルフと分かれ新たにデヴィット・ソーントンと出会い結婚し、子供を産み、エピック・ソニーと手を切った。

    シンディはLGBTの応援の運動もしている。ゲイの友人が亡くなった時に彼の事を思い囁くように癒しの歌を歌ったのがTrue Colorsだ。SMAPの世界にひとつだけの花と似たようなテーマだが、こちらは人と違っても良い(ゲイでもいい)、応援するからと歌っている。アメリカのホームレスには家族に見放されたLGBTの青少年の割合が高く、一般的なホームレスのシェルターでは暴力に晒される。チャリティのためのトゥルーカラーズツアーから財団が生まれ、彼らのための居場所トゥルー・カラーズ・レジデンスが建設されここにはこの無くなった友人の記念銘板が入れられ歌詞の一部が書かれている。

    最後の1章は311の直後の日本でのコンサートと被災地訪問にさかれている。過去の武道館公演を思い出している。
    「日本の人が私に歌ってくれる「トゥルー・カラーズ」は力強かった。もし私が立ち去ってしまったとしたら、ほんとのところ「トゥルー・カラーズ」は何を意味していたというの?日本が私に心を開いてくれていたというのに?まったくなんの意味もなくなってしまう。
    シンディがツアーを続けたのは少しの癒しと元気を与えられればと思ったのと、多分自分が自分でいるためだ。She’s So Unusual.

  • 永遠のミューズ。マドンナも好きだけど、やっぱりシンディー・ローパー。

  • シンディ ローパーってこんなに苦労の多い人生だったのか。
    口述筆記だと思うが、ちょっと文体が読みにくくて挫折しかけた。

  • 『トゥルー・カラーズ シンディ・ローパー自伝』 特設ページ
    http://www.byakuya-shobo.co.jp/page.php?id=3807&gname=topics

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