邪悪なものの鎮め方 (木星叢書)

著者 :
  • バジリコ
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本棚登録 : 792
レビュー : 100
  • Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862381606

感想・レビュー・書評

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  • 140724

  • 筆者は「『邪悪なもの』との遭遇とは、『どうしていいかわからないけれど、何かしないと大変なことになるような状況』」と定義している。

    それに相当するブログのトピックを編集者が選んで作った本だそうだ。2005年1月から2009年秋まで。

    話題は1Q84、全共闘、新型インフルエンザ、裁判員制度、「誰でもいい」殺人、武道、ミラーニューロン、マルクス、草食系男子、家族・・・と多岐に渡る。

    ここに出てくる、「ほおっ」と思った部分を内田樹語録として箇条書きする。*で感想を付け加える。

    1.「年齢や地位にかかわらず、「システム」に対して「被害者・受苦者」のポジションを無意識に先取するものを「子ども」と呼ぶ。」
    *システムを何とかしようと手を挙げる「大人」が少し出てくると、良い。

    2.(新型インフルエンザに際して)「街の人々は自前でマスクを買って着用されており、自己負担で感染を予防されているのである。これを「模範的市民」と呼ばずに何と呼ぶべきか。」
    *震災の時もパニックは起こらなかった国民性。何か起こった時の対応で国民性を言うのは分かりやすい。

    3.「自分こそその「幸福な少数」であるという自覚ほど読者を高揚させるものはない。」
    *これはオタクの快感だな。逆に、多くの人と共感する、共有する喜びもあるな。映画館や、ライブや、野球場で歓声を上げるとき。

    4.「「コールサイン」の最も初歩的な形態が「本歌取り」である。これは「本歌を知っている読者」と「知らない読者」をスクリーニングする。」
    *これを教養と言っていたんだな。

    5.「どうして私だけしか知らない私のことを他人のあなたが知っているんですか?というふうに世界各国の読者たちから言われるようになったら、作家も「世界レベル」である。」
    「おそらく読者は物語を読んだあとに、物語のフィルターを通して個人的記憶を再構築して、「既視感」を自前で作り上げているのである。」
    *フィクションで読者の心を掴むのはこれだ。

    6.「裁判員に選任されたことによって重篤なPTSDに罹患する市民が出た場合、彼らは「職業上知り得た秘密」を医師やカウンセラーに話してもよいのか、それさえも禁じられているのか、そのあたりのことは事前に明らかにしておいた方がいいような気がする。」
    *確かに。

    7.「誰でもよかった」というシリアルキラーに対しては「できるだけ言及しないことで」あり、さらに「動機のみすぼらしいほどの合理性にうんざりすることである」
    *皆で無視しよう。

    8.「『人を見る目』というのは、その人が『これまでしたことに』に基づいて下される評価の精密さの事ではなく、その人が『これからするかもしれない仕事』についての評価の蓋然性のこと」
    *ノーベル賞は違うな。

    9.「人間は同時に二つの苦しみを苦しむことが出来ない」
    *スズメバチに刺された時は、注射をうたれても全然痛くなかったぞ。
    *悲しみはどうかな。

    10.「ミラーニューロンが活性化した人は全員が同じ幻覚を見たのである。それは『幽体離脱』である。」
    *・・・・わからん。一度やってみたいものである。

    11.良い本とは良いことを言っているというよりむしろ、読んでいると「私たちの思考に『キックを入れる』」本のことだと言っている。
    *そうそう、触発されて色々思いつく。

    12.「フィンランドは人口520万人である。兵庫県(560万)より小さい」「国の規模という量的ファクターを勘定に入れ忘れて国家を論じることの不適切さ」「小国が『したたか』になり、大国が『イデオロギッシュ』になるのは・・・もっぱら『サイズの問題』なのである」
    *小さい国でもイデオロギッシュな国はあるぞ。

    13.「企業は『縮む』ということについてノウハウを持っていない」
    *都市もそうだ、国家もそうだ。人間もそうだな。

    14.「環境への負荷や食糧自給の観点から見れば、人口減は『最適ソリューション』以外の何物でもない。」
    *ふ~ん。

    15.(神戸女学院大の)「キャンパスに設計者のヴォーリズはたくさんの『秘密の部屋』や『秘密の廊下』を仕掛けた。」
    *一度神戸女学院大に行ってみましょう。

    16.「相手が信じられないから結婚できないのではなく、自分を信じていないから結婚できないのである。」
    *出来ないかどうかはともかく、適当に考えて「しない」人もいる。

    17.「最近の学生は「『自分より豊かな人たち』に向かって『あなたの持っているものを私たちに与えよ』というのを止めて、『私より貧しい人たち』に『私は何を与えることができるか』を問う方向にシフトしている。」
    *健全である。

    18.「もっとも安定的な家族とは、役割が固定している家族ではなく、むしろ『気づかう人間』と『気づかわれる人間』が局面ごとに絶えず入れ替わるような流動性のある家族だ」
    *そうそう、そういうもんだ。

  • 2014/2/19

  • お正月、お祓いも兼ねて読了。感想はあり過ぎて言えないけれど、他の作品も是非読みたい。とにかく考えのお祓いになったってことです。

  • 装丁:鈴木成一デザイン室

  • 内田さんの本を読むと、自己肯定感が出てくるので好き。家族や社会との関わり方が見えてくる。自分を愛するように他者を愛せよ!

  • 配置場所:1F電動書架C
    請求記号:914.6||U 14
    資料ID:W0153563

  • ブログに書きつづった雑多な内容の文章の中から、一つの主題としてまとめられそうなものを編集者が選び出し一冊に編んだもの。著者の数あるコンピ本の中でも読み応えのある一冊に仕上がっている。もっとも、題名は、凄い!の一語に尽きるけれど。

    「邪悪なもの」とは何か。とりあえず「どうしたらいいか分からないけど、何かしないと大変なことになる状況」との遭遇とでも考えておけばいいだろう。自殺でも地震でもなんでもいい。個人レベルでも国家レベルでもそういう状況というのは常に存在する。著者は、このところずっと、そういう事態に直面したとき、適切にふるまうことができる手立てについて考え続けてきたという。

    何に一番感心したかというと、いささか個人的な感想で恐縮だが、「自分自身にかけた呪い」は恐ろしい、ということである。呪いといっても、丑の刻参りに出てくるわら人形の類の話ではない。誰もが知らない裡に自分の生き方にしてしまっているものだ。当然、忌まわしいものでも何でもない。評者の場合、年少の頃より馴染んできた「個人主義」という考え方と、職業に就いてから知らず知らず身についた労働者意識というのが、それだった。それのどこが呪いだというのだろうか。

    仕事の中には、担当が決まっている仕事と、誰かがやればいい仕事というものがある。誰かがやればいいのだから、自分がやってもいいことは分かっているのだけれど、自分の仕事でないことも分かっている。お節介を焼くのも焼かれるのも嫌いな性分で、そういうとき、自分の仕事以外には手を出さないことを原則として生きてきた。また、システムに不具合が生じたとき、責任の所在をはっきりするように発言してきた。それを曖昧なままにしておくと同じことが起きると思うからだ。

    内田によれば「システム」に対して、「被害者・受苦者」のポジションを無意識的に先取するものを「子ども」と呼ぶ。世の中は不条理なもので、それらを統べる秩序などない。何の罪もない赤子が死ぬし、生きていること自体が他者の迷惑になるような人物がのさばっている。それなのに、何かが起きたとき、システムをコントロールしている「父」の存在を要請せずにはいられないのは、その人が「子ども」だからだ。

    「父」が呼び出されることにより、事態に合理的な解釈が下され、混乱は回避されるが、事あるたびに「父」を呼び出すことは、「父=システム」の増殖を生む。世界はそうして偏在化した父によって支配されることになる。何が起きても、それを「父」との関わりに基づいて説明しようとするのは、一つの「トラウマ」である。

    精神科医の春日武彦氏によれば「こだわり・プライド・被害者意識」というのは、統合失調症の前駆症状なのだそうだ。病というのはある状態に居着くことをいうが、これらの三つはどれもある状態に居着くこと(定型性)を意味している。

    「人間の精神の健康は『過去の出来事をはっきり記憶している』能力によってではなく、『そのつど都合で絶えず過去を書き換えることができる』能力によって担保されている」と内田は言う。私たちは、過去の記憶を手がかりに現在を生きていくように思っているが、実際は、今の現実に合わせて過去を書き換えているのだ。過去の一点にこだわり、常にそこへ戻る「トラウマ」というのは、書き換え拒否の病態を指す。

    一般的に原則を持つ人というのは、しっかりした人のようにいわれている。こだわりがあるというのは誉め言葉として使われる場合の方が多い。目からウロコとは、このことだ。「定型性」に固執する状態というのは、どうやら健康的でないらしい。

    しかし、考えるまでもなく問題が起きるたびに「責任者出てこい」と言うばかりで自分は何も行動を起こそうとしなかったり、落ちているゴミを拾うのは自分の仕事ではないと見過ごしたりする人ばかりが周りにいたら、その世界はずいぶん住みにくいことだろう。そういう人たちは、そうすることで、システムの不具合を証明しているわけで、突きつめればシステムクラッシュが起きることで自分の正しさを証明しようとしているのだ。そう言われると、心の奥底にそんな気分があったことを認めたくなる。これが、自分自身にかけていた呪いだったのか。

    自分が自分に課していた原則の妥当性が揺らぐことで、世界を見る目も自分を見る目も少し変わってくる。この経験は何やら晴れやかな気分だ。中禅寺秋彦に「憑き物」落としをしてもらったような気分である。なるほどタイトルは嘘ではなかったなと、あらためて感じ入った次第である。

  • この人のブログはたまに見るけど、同じ文章を紙媒体で読むとこんなに眠くなるとは。

  •  この本を持って、内田樹さんの思想を綴った本を読むのを止めようと思います。

     それは、内田樹さんの思想に飽きてきたからでもなければ、反する思想が出てきたという事でもない。

     逆に、私は自分の考えていることを、この人の思想に照らしあわせすぎていると、思わざるを得なくなってきたから。

     

     私は、本を読むのが好きです。漫画を読むのが好きです。DVDなどもよく見ます。そこから得た何がしかを、自分の中に血肉化することが出来るように、生活に活かしていきたいと願う人間でもあります。

     裏を返せば、自分は空っぽだということです。
     私には、自分を支えてくれるような湧き上がるなにかというものがまるでない。


     30近くまで生きてきました。それでも、自分の中から湧き出てくるものに、きちんと向き合って、育ててきたのかと自身に問い、yesといえるかどうかは、甚だ怪しい。

     
     まぁ、それは、「人間には、自身の核となる何かがあるはずだ」という前提のもと話をしています。もしかしたら、そんな物自体、あるはずないのかもしれません。

     なんていうのかな、その前提を肯定するとしたら、
     「これは嫌だ」と答えられるものは多いのだけれど、「これがいい」と胸張って言えるものは殆ど無い、という感覚に近いのかもしれません。


     恵まれすぎた、証拠でしょう。
     それ以上、何を求めるのか、という状態なのかもしれません。本来は。

     わたしの周りの人が、そういった類のことに関して、何か考えていることがあるのか、知る由もありません。考えていたところで、それは比べてもしかたのないことです。

     
     わたしは、大学を出てから、教職に就いてきました。私学の小学校を3年。高校の講師3年目です。大学は教育学部で、教育の美術を専攻してきました。

     ついこの間、年配の美術の先生とお話する機会があり、その先生はとても教育熱心な美大卒業の方だったのですが、「教育学部の先生は絵が下手だ。」と率直におっしゃってくれました。

     わたしは、それを嫌味だとも自慢だとも思いませんでした。そのとおりだと思いました。むしろ、率直におっしゃってくれたことを感謝したいと思いました。

     そのことが話題に出てきたのは、最近行われた、高校美術部の展覧会でのことでした。「美術学科のある学校なんて、ほとんどの絵に先生の手が入ってる。」という内容の話の中で出てきたものでした。


    「手が入っている」ことに関して、もちろんそれは、容易に想像できることです。ただ、私の学校の生徒さんの絵は、一切の手が入っていません。「ここを、こうした方が、もっと魅力的な絵になる。」という助言だったり、構成やアイディア、描き込みに関しての助言はします。でも、わたしは、彼女たちの絵に一切の手を加えていない。(それでも半数が入選することができたのは、彼女たちの努力以外の何物でもない。わたしは、彼女たちを心から誇りに思います。)そこから、「教育学部=絵が下手=手を加えられないのでは」という話になったのでした。


     わたしは、そのことに関して、何が正しいのかはよく分かりません。100%個人の努力で入賞することが正しいのか、手を加えても満足と達成感と自信が得られることが、今後の彼らにとって正しいのか。
     でもたったひとつ言えることは、「手を加えてやれるだけの知識と技術はあって不足はない。」ということです。


     わたしは、美大も受かりましたが、教育学部に進むことを選んだ人間でした。だから、普通の教育学部だけを希望して進学してきた人よりかは、技量はあると思います。でもそれだけです。わたしは自分の自信につながるほどの技量があるとは到底思えない。だから、とくに大学を出てからは、そこにコンプレックスを抱かぬよう、デッサンの練習をしたり何だりということは定期的に行って来ました。でもコンプレックスは、高校の教員になって深まるばかりです。


     内田樹さんのこの本によれば、恐らく「自分自身に呪いをかけた」状態なのだと思います。自分自身を愛してやることが出来ない。半端な自分を愛すことなど、できますか。 半端でいい。これでいいと割り切ることなどできますか。そうやって自分を痛めつけること無しに自分の成長を望めないことを「自分自身に呪いをかけた」状態というのだと思います。わたしは、キリスト教徒でもなんでもないけれど、自分を愛してやることほど、難しいことはない、そこはすごく共感をします。

     もうこれ以上苦しみたくない。そのためにやらなくてはいけないことの一つは、「自分自身の言葉を見つけること」な気がします。だから封印。(あ、思想以外のものだったら許すつもりです。哲学の話とかユダヤの話とか。)


     話がまた戻りますが、 
     じゃあ美大出てればいいのか。

     わたしはこの言葉もとある方につきつけられたことがあります。
     そんなこと、あるわけないじゃないですか。美大でたって、技量のない人なんてゴマンといるでしょう。でも、私が自分にかけた呪いは、一生かかって、(いつしかタガが外れることをぼんやりと望みながら)解きほぐしていくしかない。どうしたら解けるのかを模索しながら。

     そんなことを、思いながら、呪われた私の取り敢えず縋ることの出来る一つの指針は「誰にも負けないくらい、技量のある絵描きになりたい。」ことかと思いました。馬鹿げた、小学生みたいな夢なんだけど。

     技量があれば、いいのではないです。そこは勘違いをしないように綴っておきましょう。ただ、技術を上げることで、自分にできることの幅が広がるのならば、(それはもちろん、「高校生の絵に描き足してやること」なんかではありません。)その苦難は、喜んで買って出るべきことと感じます。わたしは、自分にかけた呪いを解くことを望みながら、当面は自分を痛めつけることを選ばざるを得ないのです。本の中で、「そういう社会のしくみになっている」と書いてありました。私の行動は、教育されたものです。時代や、国や、性別や社会の要請に従順に(・・・多分。)従って、このような人間が出来上がった。それは、国のせいでもなければ親のせいでも誰のせいでもありません。自分がそこに生れ落ち、生きることを選択していった責任でしょう。でも私には、それを穏やかに認め、より生き良い方向へ導くことをする必要があるのではないかと思います。少なからず今、教職についているのですから。でも私が教員としてその行為に及んだとき、それは「社会の要請」に成り代わる危険性を多分に秘めている。でも、「人の前に立つ」ことをしている限り、「私」という人間から嗅ぎ取る何かは、きっとあるはずです。(そう思わなきゃ、いくばくも自分を肯定してやれないでしょう。)

     ※話は飛びますが、そう考えるとわたしは「子を産む」ことにすごく消極的になってしまうのです。机上の空論にほかなりませんが、何もかも、自分の皮膚を境に「自分の責任」で生きることを望まれる社会が、今時分を取り巻いていると考えるだけで、胸が苦しくなってきます。それを、ちょっとでも変えたいと教職についてる自分がいます。

     巡り巡って、簡単な事柄に向き合わざるを得なくなってしまったけれど、

     現在の自分が、当面頑張れる指針になるものを挙げてみたら、こうなってしまったという感じでしょうか。

     そんなことを、考えてしましました。

     どうか、富める者もそうでないものも一様に、風通しのよい生き方ができることを望み、わたしは生きていきたい。そのためにできることをしたい。
    もっと具体的な手立てを模索しながら、この大きな課題に私は、取り組んでいきたい。
     これは、私の言葉でしょうか。またいつかこんな風に自分を疑うことがあるかと思いますが、私はこの考えについて今、「間違っていない」と、そう思うのです。

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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