- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784862486936
作品紹介・あらすじ
アフガニスタン紛争やイラク戦争を巡る米軍などの機密情報、25万点を超えるアメリカ外交公電の公開、予告される米大手銀行の不正暴露、そして次には…?告発者の匿名性を守る高度な情報技術と世界的なネットワークを駆使、マスメディアとも連携して国家や企業の機密情報をこれまでにない規模で次々に暴くウィキリークス。毀誉褒貶の激しい「ウィキリークス」の真の姿とは?新しいリークの時代を読み解く。
感想・レビュー・書評
-
偏向されていないウィキリークスの情報を知りたく思い。
日本じゃ善悪二元論で論じられることが多いけれど、もうそんなものは越えたお話のようで。これからのメディアは「ウィキリークス前」と「ウィキリークス後」と分けられ全く別の物になる、と。それに気付いているメディア人はどれだけいるんでしょうか。気付いているかいないかでメディアの質は大分変わるんでしょうが。
本書の中でも言ってるけど、やっぱりアサンジさんの目的がわからない分余計に気になるし脅威なんでしょうね。結局何がしたいんだこの人って世界が大注目で。
カント先生まで出てきましたか。ウィキリークスはカント先生の意向に沿っているようで。でも「正義は為されよ 世界は滅びよ」かぁ…。
結局はなにもかも知りたいと思うか知らない方が良いこともあると思うか、ってことかもしれない。「明らかに正しい」世界に住みたいと思うか?怖すぎるよそれは。自分を正義だと思ってる奴は大抵やりすぎるし。
話は変わるけど、テロリストに敵対するものはそれ自身がテロリストに近づいていく、っていう話が面白いと思った。面白いじゃすまないけどねアメリカさん…。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
7人の有識者の原稿をまとめたもの。
ウィキリークスのシステム面よりも、外交や社会与えるインパクトに興味を持っていたので、孫崎享氏の章は面白く読めた。
その他、なんとなくウィキリークスの概要がつかめた。内部告発者の匿名性を維持することが、いかに難しく、それこそがこのようなサービス存続の鍵だと分かった。 -
ジャーナリズムとしてのウィキリークス・・・
-
機密情報は、通常は外にでてこない。政府が機密情報として扱う情報は国益を考えての場合が多いけど、そもそも国益とは
なんぞやっとその都度問いかけるのは、ジャーナリズムにとって、そして国民にとって重要と、でも機密情報と指定されてしまえば、
妥当性を問うこと自体ができなくなるが、国益になるとされていた政策情報が流出し国民にしれた時に実は国益にまったくならない
政策、例えば原発関連?な場合もありうる。 とすれば、特定秘密保護法案の曖昧な内容部分に国益として限りなくグレー色な
部分を感じるな。。。
米国からの外交圧力、というか米追従外交・政策っていろいろな所で出てくるけど本書の中で、印象的だったのはイランの
核開発に対する圧力の一環として日本がもつイランのアザデガン油田の権益を手放すように圧力をかけ過去にも同様に圧力を
受け権益を大幅にへらしたのに、その分は中国がもっていきイランへの圧力にならなかったのに2010年の米国からの圧力に
日本はさらに残りの権益を全て手放したというのだ、、国益になってる?日本の利益にいずれ繋がってるの?
2010年で日本が発した公電は2件しかリークされてないとしてもそのうちIAEAの事務局長が米国大使に向けて【国際原子力機関の交換任
命からイラン核開発疑惑まであらゆる重要決定で米国に同調することを確認したという部分、、原子力関連と米国追従のセット
技きた~
ウイキリークスというのも最近は聞かなくなって切るけど、全体を通しての感想は情報戦、情報を制する者が勝つとかいうし、
情報が透明性の中を行き交うことが全てにおいて良なのかも難しいところではあるけど、本当に国益となるようにはオープンに
、透明性をもったほうが、良い場合が多いんではないだろうか。 -
情報の1極集中から共有の流れ・匿名性を確保するIT技術の確立・既存マスメディアによる情報選別への不信感からくる一次ソースへのアクセスニーズが、WikiLeaksによる大量情報リークの原動力。
国家レベルの不正を暴く善の面と、特定の人物・国家の安全を危険にさらす悪の面。WikiLeaksは善か悪か、一概には判断できない。 -
直前に「ウィキリークス以後の日本 自由報道協会(仮)とメディア革命 (光文社新書)」(http://booklog.jp/item/1/4334036147)を読んでいたので、上杉さんとは違う視点からの分析を本書では楽しむことが出来た。
7人がそれぞれにウィキリークスに関係のあることを論じているので、おおよそ20~40頁ごとに、話がぶつ切りになる。当たり前だけど。いろいろな面からウィキリークスのことを知ることができる一方で、筆者が変わるので読んでいて落ち着かないかもしれない。
ウィキリークスのやったことが善なのか悪なのかの分析が面白かった。それは既存の大手メディアが取って代わられつつあると見る人もいれば、国家の利益を侵害する恐れもある等、「権力者の悪事を暴いているから善いことだ」と単純に見るわけにはいかない。
ちなみに、6・7章を読んでいたときは辛かった。たぶん自分に哲学の素養が足りなくて、上手く咀嚼できない部分が多かったからだと思う。 -
「WLとは何か」を分析を含めて解説している1,4章、WLが与えたインパクトについて考察した2,3章(メディア・ジャーナリズムの観点)、5章(外交)、6,7章(国家・公益・主権)という構成。
個人的にずっと疑問だったのは、ネットメディアを経験した一般市民と既存マスメディアとの間に信頼関係は再構築できるのかということ。
津田大介氏が書いているように、既存マスメディアへの不信は「情報の編集・選別に対して」(94)のものであり、それは編集・選別過程がブラックボックスになっていることに由来する。情報の検証作業においても、作業過程がブラックボックスとなり横並びの検証結果が出されるのでは不信はぬぐえない。
キーになりそうなのが「権力監視の分散化」。一般市民やフリージャーナリストによる監視の目は、司法・行政・立法だけでなく、第4の権力といわれるマスメディアにも当然向けられるだろう。
これを担保として既存マスメディアの検証機能を「見る価値のあるもの」とすることはできるかもしれない。ただしそうなるには、一般市民のリテラシーが相当程度高くなければならない。
既存マスメディアによる「報道の正しさ」を素朴に信じている人がまだ多いなか、メディアから権力監視機能を分離し、検証機能を評価するまでになるのにどのような過程が必要だろうか。
「既存マスメディアへの不信」という段階は、そのために避けては通れないものだろうか。それとも「うまくやる」ことで機能だけを分離特化して姿を変えられるだろうか。