- Amazon.co.jp ・本 (335ページ)
- / ISBN・EAN: 9784862487667
作品紹介・あらすじ
日本のルネサンスともいうべき可能性をはらんだ室町後期の社会的活力を、血の海におぼれさせて出現したのが反動的、専制的な織豊政権ひいては徳川国家であり、日本の近代への胎動は徳川体制の下で窒息させられたという説はなぜ人口に膾炙したのか?戦後史学、とりわけ網野史観が流布させた戦後左翼の自由礼賛・反権力思考による錯誤を批判し西欧近代を民衆意識の最も根源から乗り越える。
感想・レビュー・書評
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戦国時代から徳川政権の成立までを、「自由な中世、反動的な近世」という左翼史学への批判をモチーフに描き出す。
そもそも私は批判の対象となる左翼史学の中身をよく知らぬままに読んだのだが、子供の頃に読んだ話やら教科書の中で、江戸時代がだいぶ暗く描かれていたような記憶はある。しかし徳川時代の再評価が進んできたそうで(身近なところでは「お江戸でござる」か?)、本書もその流れに位置する。
幕末の日本人は礼儀正しく、素朴で、のどかだと外国人たちが報告している。一方、戦国末期に宣教師などが見た日本人は「はなはだ血なまぐさかった」。これはまさに時代が乱世、それぞれの惣村が武装して殺戮や人身捕獲が横行し、法治とは無縁な自力救済の世の中だったからだ。そこを織豊政権、それに続く徳川政権が武力で持って安定をもたらしたというのが大まかな構図。
著者は在野の知識人とでも言うべき人で、専門の歴史学者ではない。よって一次資料などにあたるのではなく、専門の研究者の論を引用しながら歴史の捉え方を再構築していく。とは言え、ここに描かれる戦国の人々の様子は、現代とは違う情念を持っていてなんともリアルである(一味同心や、宣教師の説教に悲嘆にくれるなどの様子)。著者自身の左翼史学に対するいらだちも文中に露わになっていて、少々くどくはあるが迫力をもたらしている。
現代アメリカの司法(p.157〜)や、広島爆心地の碑文(p.281)にまで論が展開してハッとさせられることも。
終章の近代主権国家批判は、これだけではちょっとよく分からん。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なんで購入したか不明。ただし、先ほど読んだ、中国かする日本に引用されていたので、続いて読了。
こんな連休の晴れの日に読書ばかりしているのはもったいないな。明日は出かけよう。晴れだといいな。
ちなみに、読書の間にクロークのワイシャツをクールビズ用に全部とっかえた。
(1)徳川幕府制度は、武家領主階級と農民・町人のあいだに新しく契約がかわされることによって成立した、それなりにリーズナブルな国家であり、社会であるのだ。(p295)
戦国時代のアナーキーは農民にとってもリスクが高かったと言うこと。
(2)16世紀という時代は、惣村内で侍衆という階層に結集した有力農民が、戦国大名の家臣団に組み込まれ、さらに織豊家臣団、幕藩制家臣団の中核をなしていく一世紀だった。(p220)
(3)(戦国時代末期には)使い甲斐のある主人とは、この人についていけば、近隣に覇を唱えることができる、さらには歩を進めて天下をとることができると期待できる主人にほかならない。(p201)
渡辺氏は、一生懸命マルクス主義歴史観を否定するが、自分としては、司馬遼太郎の小説とは随分違う世界だったという印象が強い。 -
『逝きし世の面影』の著者による傑作選の一冊。
豊富な資料を渉猟し尽くしたところからの視点がしっかりしていて、たいへん説得力に富む。
特に、第八章「一向一揆の虚実」に前半は白眉。