世界の使い方 (series on the move)

  • 英治出版
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本棚登録 : 169
感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862760678

感想・レビュー・書評

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  • 『旅というものは、身震いする機会ならいくらでも与えてくれるが、自由は---それまで信じていたようには---与えてくれない。それどころか制限しようとまでする』-『メロンの香り』

    『石は僕らの支配下にはない。僕らとは別の話し相手がいるし、僕らとは別の流れの中にいる。石を刻むことで、わずかな時間ではあるが、石に僕らの言葉で語らせることができるのだ』-『シャーラー』

    『玩具のように水色や黄緑色に塗られたトラックは褐色の大地に輝いて見える。ロバの背に乗り、日差しで熱くなった鎌を腕に抱えた農夫。ヤマアラシ。熊やインコ。鈴を縫いあわせた赤いチョッキ姿の二匹の猿とともにロマ系のクチ族の一群が柳の木の下で休んでいることもある』-『アフガニスタン』

    旅は人を哲学的にする。但しそれは旅人の脳の中の空き地に余裕がある限りは、である。言うまでもなく旅では常に新しいことに出会う。余りに新しいことに出会いすぎて、新しいことに出会うということ自体に飽きてしまうほどに。空き地はどんどん埋められてゆく。そして遂にもう何も吸収できない、という境地にすら至る。その変化は、大局的には本書の中でニコラ・ブーヴィエにも起こっていることだと思う。但し、著者はルポルタージュするものとして手を休めることしない。脳を素通りしたものが直接紙の上に記録される。

    自由な旅ではないとはいえ、自分も毎年結構な距離を移動する。もちろん、ほとんどは小さな座席にじっと座り時速900kmで疾走するような旅であり、旅程に通過点すらほとんどない。飲み物にも食べ物にも苦労はない。それでも現実の距離を移動したことは身体のどこかが受け止めていることを意識する。まるで自分が目の細かい篩になって、移動した空の空気を全て梳いて何か澱のようなものを濾したかのように感じることもある。もちろん、異邦人となって他人の街中を歩き回る時、五感全てが何かを最大値の感度で受け止めようとしていることを意識することは言うまでもない。その自分が自分でなくなるような感覚を味わうのは面白い。そしてそれを伝えたいという気持ちも自然とわいてくる。

    しかし異邦人として暮らす内、自分の自意識の、そして身体の輪郭はあいまいになってゆく。同化する、というと少し言葉が過ぎるとも思うけれど、異邦人としての自分が鞣されてゆくような感覚がそこにはある。アイデンティティの喪失、と人によってはその変化を受け止めるかも知れないが、自分は案外その「失われる」感覚が嫌いではない。もちろん、自分を強く持ち続けられる人もいることは周りを観察していると理解できる。どちらかいいとかいう問題ではない。気持ちを新たにしないと自分が今見ているものが本当は珍しいものなのだということすら理解できなくなってしまう、ということが問題なのだ。

    ニコラ・ブーヴィエの文章を読んでいるとそんな葛藤のようなものの痕跡がほとんど出てこないことに気付く。もちろん、文章を辿るに連れて著者がどんどん変化していることに読者は気付く。しかしその変化をすとんと受け止めている著者がいる。唯一イランに対する交々の感傷は書き連ねられているが、あとはほとんど無表情な旅人である。実はそれがとても心地よい。多くの場合、彼の地での違いは違和感として認識され、何故こうなんだろう、というどうしようもない疑問に変わり、だから嫌になるのだ、という批判に変位する。そうなると拒絶が起こる。それでは何も面白いことは起こりえないように思う。伝えたいと思うことは自分の中に入ってこない。

    そうは言っても、ニコラ・ブーヴィエが哲学的に何かを語る時、それは時として上滑りしたような印象も与える。歴史に言及することは必要なのか。ある村の現在が歴史というコンテクストの中で意味を持つとしても、それは村人にとっての意味であって、旅人にとっては旅というコンテクストの中での意味を読み出せばよいのではないだろうか、とふと思う。だから、むしろ慎ましやかな地元の人々のことを語る時、ニコラ・ブーヴィエを通して読者は自然な心の高揚を感じることができるような気がする。そうなったら、ゆっくりとニコラ達が掛けた時間を思ってこの大部を読み進めるのが、ちょうどよい。

  • この本を読むと、間違いなくイランとアフガニスタンに行きたくなる。

  • ほぼ思いつきの状態で旅に出かけ、行った先々で働いて収入を作る。
    そこには郷愁じみた感傷は感じられない。わざとらしくない清々しい姿だからこそ、旅のバイブル的存在であり続けるのだろう。旅に出れば、ここに書かれたような喜びが続くと信じさせてくれる本なのだ。

    ターティエリ・ヴェルネの絵は、今で言う絵手紙のお地蔵さんのような温かみと荒削りの岩山豪快さが合わさったような味わい。

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