- Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
- / ISBN・EAN: 9784862761163
感想・レビュー・書評
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中東を舞台に、分からない世界を報道するということ。だれにも分からない世界を、わかったかのように、そして自分はわかってないということを悟られないようにするには、今まで自分がつかっていた言葉でなんとか翻訳していくしかない。しかし、それは政治的なパワーとなってからだに浸透していく。視聴者も報道側も。気づくにはそれとは逆の視点に目を向けてみるしかない。しかしそれにしても、安心できるような正解が得られるわけではなく、上質なジャーナリズムとは結局何なのかという像まで融解している。がんじからめのジャーナリズム。
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なかなか文庫にならないのでハードカバーで購入。
真実の報道などというものが、テレビや新聞の紙面に存在するというナイーヴな考えを持つ人は(2010年代も終盤の今となっては)かなり少ないと思うのだが、自分はそれでもかなり「信頼」はしているような気がする。
本書を読み通すと、その考えが甘いことに気がつかされる。報道とは「現実をそのまま描写したもの」ではないし、仮にそのように表現できたとしても、あくまで取材者の主観や知識、先入観、宗教観、世界観などなど、その他諸々に支配された「現実」を描写しているものにどれだけ現実を伝える力があるのか、疑問しかない。
メディア経由の現実とは、外国語のようにも感じる。どれだけ外国語に精通していても、その言葉の意味自体にはなかなか近づけない、ものにできているように感じても、あとから誤解混じりの理解だったことに気がつく、というような感じだろうか。
どのようにメディアからの情報に接するかを考えさせられる一冊。 -
【由来】
・「アラブの春」検索から「アラブの春と民主主義」を知り、そのamazon検索で出てきた。
【期待したもの】
・ニュースによって知らされる海外事情。それも主に戦争や紛争について、自分たちはどこまで誘導されているのか。ずっと抱いているこの辺りの事情について得るところがあるのではないかと。
【要約】
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【ノート】
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"中東、アフリカにある独裁国家に住む肌感覚やイスラエルとパレスチナの日常を知ることができる。
1998年から2003年にかけてオランダからの特派員としてエジプト、シリア、イスラエルでジャーナリストとして過ごして記事を送り続けていた著者が、伝えきれなかった部分を補ってくれているのが本書だ。
イスラエルとパレスチナの関係も見方ががらりと変わる。見る視点が変わることで、いろんな気づきを得ることができる。
本書を読んで、メディアからの情報を鵜呑みにすることの怖さにも気がつく。
情報を自由に閲覧できて、個人が発信できる日本にいると、独裁国家の日常は想像すらできない。
様々な視点を与えてくれた良書。" -
1998年から5年間、中東特派員として数々のニュース報道に携わったオランダ人ジャーナリストによる「報道されない真実」を赤裸々に描き出した迫真のルポタージュ。
中東という複雑に入り組んだ歴史をもつ地域において「真実を知る」ことの難しさ、また同じ事象でも見る人の立場によって全く異なる「真実」が存在するという矛盾、さらには真実よりも虚実の方がニュースバリューが高いとみなされるジャーナリズムの構造的問題、そして何時の間にかそれらに「慣れてしまっている自分」への嫌悪感…悩み抜いた著者だからこそのユーモアを交えた語り口調に、圧倒的なリアリティを感じずにいられない。
もちろん、本書が書かれた2006年当時からは、中東情勢も変化しており、著者が体験した問題が今もそのまま放置されているとは限らない。そして著者自身が述べているとおり、本書もまたひとつの物の見方であり、これを鵜呑みにすること自体、著者が恐れていることであるともいえる。いずれにせよ、ニュースの受け手の一人として、著者が捨て身で投げかけたメッセージを真摯に受け止めたいと思う。 -
070.4||Lu
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オランダのジャーナリストによる中東に関する報道論。
大手新聞社の敏腕記者といえばすごいエリートかと思えば、最初はごく普通の、右も左もわからない兄ちゃんだったんだなあ。考えてみれば当たり前なのだけど。
「独裁体制・政治とは何か」に対して、民主主義のこちら側で普通に考えてたってわからないんだ、と明瞭に述べていることに感銘を受けた。
イスラエルとパレスチナの問題ではとくに。
ジャーナリストだってわからない、そのことがストンと理解できる本。 -
メディアの情報に対して疑いではなく如何にして考えを持つのか、その情報を自分の中でどうそれ以上の価値あるものに変えるのかという事を読んでいて考えさせられた。
著者がこの作品で伝えたかったのはメディアを疑えという事ではなく、情報はメディアを通した時点で歪められているという事だった。
この言葉だけでは前者と同じく、メディアに対する不必要な猜疑心をあおるだけだろう。
ただ著者はそういった面もメディアの一部として捉え、そこで問題となる事を現場に立って得た視点から伝えている。
メディアを通す事で意図的にではなくても情報が歪んでいる、その事を認識させてくれたのはメディアが如何にして情報を取捨選択しているかに触れた部分だった。
著者も述べている通り少なくとも一般人が容易に得られる範囲には、メディアがどのようにして伝えるべき情報を決めているのかという事を知る術は無い。
テレビであれば短時間で全ての情報(全ての情報という言葉自体が捉えどころの無いものかもしれない)を伝える事はできず、中庸を模索し情報を発信しているのだろう。
ただ中庸はその出来事に関して全知できている者のみが得る事ができるのであり、情報がすでに統制されているのであれば、そういった発信は不可能である。
また情報それ自体の性質として、情報を受け取る際に忘れてはならないと思ったのが、情報の大部分が通常ではなく例外的な事を扱っているという事。
それが分かっていなければ例外の連続は日常だと思い込んでしまう、これは自分から遠い事象であればある程強くなるのではないだろうか。
だからこそあとがきで著者も触れていたが、「何を聞きたいか」ではなく「何を聞く必要があるのか」という事を自問し続ける必要がある、それはそこを選択するかどうかは別として中庸を模索するために。
だから「ほかの誰かが何かをしなければならない、なぜなら問題はほかの誰かにあるのだから。彼らの彼らの行動が改善されればすべてが好転する」(本文より抜粋)という言葉は何も本文での文脈だけにあてはまるものではないと感じる。
またこの作品から伝わってきた内容はこの作者が書くからこそ魅力的であったのかもしれない。
「翌朝には二十万を超える人々がその記事の載った新聞を玄関マットの上に見つけたはずだ。」「(前略)私もまた読者を操作しているのだということを、どうか心に留めておいていただきたい。」という記述からは謙虚さと実直さが、本文中に数多ある「民主主義が車なら、独裁政治は牛か馬だ。ドライバーやはんだごてしか持たない人間にはまったく無力な世界ということだ。」といった記述からは伝えるための技巧が伺い知る事ができ、そして作品全体を文の欠点を補填するべく覆っていたユーモアはメディアがどういうものかを自分なりに定義したものにしか書けないものではないかと感じた。 -
オランダ人である著者が、新聞社時代に特派員として赴いたエジプトやイスラエル、イラクの取材を通じて感じた報道の実態を明らかにしている。
報道する側やされる側、受けとる側の三者が抱える不条理が、著者の徹底した中立的な視点で語られているところが興味深い。
イスラエルやイラクでも、ボスニアのようなPR会社が暗躍していたのだろう。財政難のパレスチナは欧米諸国のメディア戦に翻弄される、儚い存在なのだろうか。
イスラエルやパレスチナでも「我々は和平を望んでいる」としながらも、「相手は我々を憎んでいる」と民衆は口を揃えて言うのだとか。僅かな解決の糸口はここにあるような気がする。しかし、独裁政権は身の安定こそが重要で、メディアは都合の良いプロパガンダのためのツールであった。
メディアの中立性が存在しない世界に生きる人は、溢れる情報を無意識的に真実であると錯覚し、誤解どころか物事の本質に全く気付かぬまま一生を終わるということだろう。 -
中立な報道をするand知るためには条件があるが、それが忘れられているのか、気づいていないのか、条件なんてないと思っているのか。
この本はそれを教えてくれる。