- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784863240445
感想・レビュー・書評
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飛ぶためには軽いほど有利。カゲロウ、ホタル、峨などは成虫になってからはほとんど食べない。
働きアリの一部は、常に働かない。生物学的にはあらかじめ予定して準備しておくことはできない。なぜならその戦略は自然選択の対象にはならないはずだから。
ランダムに起こる異変のうち、環境に適合したものだけが、生き残る。ある方向性をもって進化しているわけではない。
生物の進化では、負ける、ということが変化に生き延びる力を生み出す。絶滅の危機のときに生き延びることができる力を持つものだけが生き延びる。
鳥は、体を軽くするために膀胱と大腸のほとんどをなくした。ペニスもなく、総排泄口があるだけ。
センスオブワンダー、を大人になっても失わない。自然に畏敬の念を持ち続けること。
人はたんぱく質をたんぱく質としては吸収せず、わざわざ分解と合成を繰り返すのか。生命は一直線に死に向かうことに抵抗している。
20種のアミノ酸に分解される。そのうち11種は体内で作れる非必須アミノ酸。
あえて必須アミノ酸の合成能力を捨てた。必須になったとき、植物から動物になった。自ら動き回って求める必要ができた。=食べる。食べられれば、作る機能はいらない。
グルタミン酸が最も多く含まれるアミノ酸。美味しさを求めれば、手に入る。
トウモロコシには、リジンが含まれていない。リジンが含まれているのは肉や乳製品。
鶏卵はバランスがいい。
運動、老化にはBCAAが効果的。
「志賀昆虫普及社」
腸内細菌は胎児には存在しない。人間の消化管は体の外側。内側には免疫システムがあり、細菌は入り込めない。腸内は細菌にとって居心地がいい。
細菌は、色がない。グラム染色法を使う。
ペニシリンの耐性菌が、他の細菌にも伝達された。プラスミッドが重要な役割を果たした。
プラスミッドを使った遺伝子交換で、新しい大腸菌が生まれた。O104は、O157のプラスミッドの影響で強毒化した可能性がある。
DNAが先か、タンパク質が先か。
鶏は、もともと赤色野鶏の生んだ卵から変異種が生まれたもの。卵が先。
RNAが先にあった。DNAが生まれてRNAは必要なくなった。
フェロモンは、排卵期はアクセル、排卵後はブレーキの役を果たす。
人にも、レセプターであるヤコブソン器官がHタラいている。
キリンは高いところの葉っぱを食べようとして首が延びた、わけではない。たまたま首が長いものが生き残っただけ。
チンパンジーの成熟のタイミングが遅れ、子供時代が長くなって、人間ができたのではないか。子供の特徴を残したままゆっくり性成熟することは、進化上有利だった。恐れを知らず、好奇心に満ち、探索行動が長続きする。
抗ヒスタミン剤を飲み続けると、より過敏な花粉症体質を招く可能性がある。薬の作用はこれと同じ。
腎臓が人間のエントロピーを輩出している。尿で水を捨てるのではなく、エントロピーを捨てている。
二酸化炭素濃度と気温上昇には因果関係のなら、気温は下がるかもしれない。しかし因果関係があれば、取り返しのつかないことになる。
遺伝子のミスコピーがガンの原因。しかし、進化の可能性を失う。
人間は分解と合成を繰り返しつつ、自らを作り替える。しかしやがてエントロピー増大に追いつかれてしまう。
常に分解していることが大切。
アレルギーとは、エントロピーそのもの。下げるために消化という仕組みがある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ワンパターンで飽きてきた。
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自然の一部
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興味深い話が散見される。日本のソメイヨシノはすべて同じDNAを持っているとか、進化での重要なのは負けることとか、植物から動物が誕生したのはアミノ酸の欠落からだとか。福岡さんの拡張高い文章に載せて、雑学的ではあるが、興味深い事柄を学べる。
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続編
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生物学の話なのに、動的平衡をキーワードに、頭の別のところで、伊勢神宮の式年遷宮の意義や、組織の在り方、人生について考えながら読んだ。
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福岡先生の動的平衡の続きとなる書物です。
一作目は本当に面白くて、あっという間に読み終わってしまいました。その期待をこめて2を読みましたが、期待が大きすぎたのか、一作目ほど感動は感じませんでしたが、面白い本だと思います。。。。一作目があまりにも面白すぎたのかな? -
『生物と無生物のあいだ』などでサイエンスライターとして売れっ子になっている福岡さんが『動的平衡』に続いて『動的平衡2』と銘打って出した本。だからといって『動的平衡』の続きというわけではない。エッシャーやフェルメールなどを出して独自性を出しているが、今回は少し苦しくなっているかなと思わせる。
まず、ドーキンス流の考えが自己複製がすべての目的と考えるものであるとして、それに疑義を唱えているが、ドーキンスの論もそれほど単純ではない。戦略的に採られた方針なのだろうがフェアではないと感じる。
「遺伝子のなかには、「産めよ殖やせよ」という命令の他に、あらかじめ別の種類の命令が含まれていることになる。それは「自由であれ」という命令だ。その由来と意味を考えることがおそらく『動的平衡』(木楽社)に続く本書における私の新たな課題となるだろう」(P.62)とあるのだが、論理的にはかなり雑な進め方だ。もちろんエッセイで、論文ではないということだが、違和感はある。
エピジェネティクスの取り上げ方が一定の層の読者を想定したのか、中途半端。エピジェネティクスはそれまでのセントラルドグマと対立するものではなく、補完するものであると思うのだが、どうなのだろう。 -
学者の書く生物論ではなく、まるで作家が書くような、エッセイのような本。
プラスミッドについて初めてその存在を知り、面白い働きをするなと印象に残った。
脳科学や生物学等をある程度読み込んでいる人であれば、著者独自の考え方か否かが解るのでよいが、そうでない人は出典やデーターが標記されていないので要注意。 -
遺伝子は楽譜であることを、専門の科学者がきちんと喩えられるというのは、日本の科学者としては珍しい部類の人材。
文理のバランスをとりつつ、専門分野できちんと業績を出せる人材は貴重。さらに平易な書物を記せるのだから、このまま行って欲しい。