- Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
- / ISBN・EAN: 9784863291959
作品紹介・あらすじ
石牟礼文学の出発点ともいえる短歌の、
1943年〜2015年の未発表のものを含む670余首を収録。
『苦海浄土』(1969)刊行以前に詠まれた初期短歌と『アニマの鳥』
(1999、のち『春の城』)刊行前後から詠まれた短歌を中心に集成。
石牟礼道子は『苦海浄土』『椿の海の記』『天湖』『春の城』等々、たくさんのすぐれた作品を書きのこした。長い作品もあれば短編も書いたし、味わい深いエッセイの類も非常に多い。さらに詩を書き、俳句・短歌も詠んだ。能の台本もある。石牟礼道子の作家活動は多面的だった、と言って良い。 さて、その文学的出発点に何があったかと考えると、短歌は無視できない。(「解説」から)
感想・レビュー・書評
-
『苦海浄土』では、石牟礼さんが水俣病に苦しむ人々の依代となっているように感じたが、歌集では逆に石牟礼道子という存在の中にこちらが取り込まれるような感覚だった。
「表現の方法もわからないまま、それなりに七五調にたどりつこうとしているのは、日常語で表現するには、日々の実質があまりに生々しかったからではないか。日記を書かず、歌に形にしていたのは、ただただ日常を脱却したいばかりだったと思われる。」
噛み締めるように読んだ。
再読したい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
先日読んだ渡辺京二さんの「もうひとつのこの世」を読んで、石牟礼道子さんの歌集を読みたくなった。
歌心の全くない自分でも、かなり心の奥底から紡がれている歌のように感じた。
うつむけば涙たちまちあふれきぬ夜中の橋の潮満つる音
楽しいと今言つたことの味気なく矢車草にむきて息つく
吐息する毎にいのちが抜けてゆくうつろさを支へゐる暗い板の間に
寝返れば探れるごとき吾子の腕その掌をそつと抱いてねむる
ひらりひらりとうすつぺらに泳いでゆくわたしの言葉も目のない魚の類
雪の中に灯を潤ませて来る電車記憶の中よりわれは近づく
体温にふれくるものは哀しきに裾にまつはる夜の野の雪
反らしたるてのひら仏像に似つ前の世より来しわがふかき飢餓
足跡をもてばのがるるすべなくて背をむけゆきしものらを恋へり -
泣くことも笑ひも忘れぬすみ食ふタデ子はあはれ戦災の孤児
石牟礼道子
「苦海浄土―わが水俣病」などのノンフクションで知られる、作家・詩人の石牟礼道子。2018年に満90歳で死去し、この秋、全歌集が刊行された。
「短歌は私の初恋」と記したほど、その生涯で短歌の存在は大きかった。とくに20代は、地元の歌誌や総合誌「短歌研究」等に熱心に短歌を投じていたのである。
すでに、1989年に歌集「海と空のあいだに」が刊行され、「石牟礼道子全集」全17巻・別巻1にも短歌は収録されている。けれどもこのたびの全歌集には、未収録・未発表の短歌340首も収められ、初期作品から晩年近くのものまで、すべてを俯瞰できる大冊となっている。
中でも注目されるのは、戦後まもなく世話をした、戦災孤児「タデ子」を歌った一連だろう。当時小学校の代用教員をしていた石牟礼は、はるばる関西から九州に来たタデ子に親身に接していたという。
餓えし己ははまねど小さきものへといふタデ子の骨はいたくとがりぬ
夢みてのみ笑ふ笑ひを忘れし子うらみも知らずねむる姿よ
ビスケットにありついても、自分は食べず、より小さな子に与えたタデ子。「夢」も「笑ひ」も忘れたような孤児に深く共感し、成り代わったようなまなざしで歌う姿は、後の石牟礼の仕事と重なる。
他者の境遇をわが事のように思い、憂悶し、痛みを分かつ心。それは、狭量な世を生きる私たちへの忠言でもありそうだ。(2019年12月8日掲載) -
600首を超える短歌が収められている。わかりやすい歌が多いが、中には解説にあるようにエネルギーに満ち溢れ、イメージが豊かすぎて、わかりづらいものもある。
私は他の石牟礼作品に通じるそのシュールというか、”祝祭的” なところがとても好きです。特に若いころ、私が生まれた昭和28年前後の歌が気に入っていりました。