親の家を片づけながら

制作 : 友重 山桃 
  • ウイーヴ
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レビュー : 16
  • Amazon.co.jp ・本 (143ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784863325807

感想・レビュー・書評

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  • ベルギー在住のフランス人精神分析学者が、逝った母の家を相続し、両親の思い出がつまった家の中を片付け始める、『人には語れない感情を語る本』 です。

    少しずつ整理するうちに、やがて姿を現したのは、まったく知らなかった両親の意外な素顔と、両親が生涯抱えていた深い心の傷だった--。
    両親のテーブルで燃えつきようとしていた何本ものロウソクが、今はうちのテーブルで輝いている。親から子への贈与は賛成する。しかし、遺産には反対だ。
    言葉は、私の内側から素直にほとばしり出て来た。書くことは、湧き出す感情を受け止めてくれた。親との別れから生まれた文字は、悲しみに逃げ場所を与えてくれた。心に一時的な安らぎの場をつくり、押し寄せる苦しみに耐え得る力を与えてくれたのだ。
    そして、私は書き続けたいと思っている。この本の、
    最後の句点は打ちたくない気分なのだ

    実際、最後に句点は打たれていません。各章の冒頭に引用された言葉に関して、訳者は 「長く迫害されてきた民族ゆえの悲鳴がこだましているようです云々」 と書いていますが、これは蛇足です。

  • 「人はいつか父と母を失い、孤児になる。子供とはもういえない年になっても、残される者は身寄りのない孤児だ」の一文に打たれた。
    膨大な遺品が残された一軒家を相続する事になった著者が
    どのように両親の思い出の品などを処分していくか。メンタルの面でどのように気持ちと折り合いを付けていったかが書かれている。
    両親は戦争経験者で、子供にも話せない深い闇を持っていて、遺品から様々な事が浮かび上がってくる。
    「人生の第一歩から立ち会ってくれた人、自分を創り出してくれた人、命を分けてくれた人」を亡くす悲しみは誰もが通らなければならない道なのだが、悲しいのも苦しいのも後悔しているのも自分だけではないと思わせてくれる本。

  • 友達に服を譲るところが美しい。こんな話があればいいと思う瞬間。

  • 死んだ人間に苦しめられたくない。
    私は生き延びるのか?一体いつまで?

    アンリ・ドゥ・モンテルラン

    他人の人生に振り分けてきたエネルギーを、自分の人生のために使うべきだ。
    まだしばらくの間は。
    両親は長生きしそうな人たちだ。私がいつまで生き延びるのかもわからないのだから。
    私が死んだ時、私の持ち物のために誰も困らないようにしたい。

  • 実用的な本というより、メンタルな部分で親の死をどう受け入れていくかという本でした。著者の両親はどちらもナチスの強制収容所の生存者でありながらその頃のことを一人娘に語ることをせず、著者は遺品の中から手紙などの断片を拾い上げていく作業によって、親ばかりでなく収容所で命を落とした祖母や親戚が生きていた証を改めて葬ることができたと語っています。時間をおいて再読したい本でした。

  • 東日本巨大地震の直後。沢山の家が津波に流された映像を毎日見ている。何もかも、ご遺体までも無くしてしまった多くの死。そうではない日常の死には、この本のように残されたものが山のようにある。残していく者、残された者、ともに途方に暮れるのであろう。。断捨離ー決行!

  •  お袋に付き添い、救急車に乗った。今日のことだ。
     CTスキャンやらレントゲンやらの、ひととおりの検査が済むまで二時間待った。救急センターの待合室で、唯一持ち合わせたこの本を読んだ。
     冒頭の一行。
     「人はいつか父と母を失い、孤児になる」
     2ページ目にはこうある。
     「人生の第一歩から立ち会ってくれた人、自分を創り出してくれた人、命を分けてくれた人を、土の中にいざなわなければならなくなる。しかし両親を墓の中に横たえるのは、子どもの頃の自分を一緒に埋めるということだ。親の死はまさに、親と子を同時に葬る儀式なのだ」

     結局、軽い脱水症状に過ぎなかったことは後でわかった。だが、ここは毎日のように人が命をおとす救命救急センターだ。今ここでこの文章を読んでいる巡り会わせとは何だろう。しみじみ考えた。
     やがてこうなる事を無意識のうちに予見していたから本屋で手にとってしまったのだろうか。買ったのはつい昨日だ。
     それとも、目には見えないなにものかが、やがて来るその事態を「覚悟」させておこうと仕組んでくれたことなのであろうか。

     静かに沈んでいく私の思考とは裏腹に、喧噪と静けさが交互にやってくる。救急車の来着の都度、あらたな喧噪が一幕始まる。
     隣でずっと泣いていた中年の夫婦は、「どうぞあちらで入院の手続きを」との案内の声に誘われて消えていった。
     「この子は胡桃アレルギーなのに・・・」と母親が説明していた男の子は、どうしたのとの医師の問いに、「あのね」と結構はっきり答えていた。
     20代前半の女の子は、母親に付き添われて担ぎ込まれてきた。「薬を一杯のんでしまって」と説明する母親は取り乱していて加減ができないのか、叫ぶような大声で説明している。嫌でも耳に飛び込んでくる。「まずお母さん、落ち着きましょう」と、若い医師がなだめながら聞いてる。
     母親自身も精神科にかかっていること。娘は鬱病なのに、熾烈な携帯電話の販売の仕事は辛くて、「死にたい死にたい」、「生きていくのがもう辛い」毎日そう言う。人口透析を受けてる父親は、自分は本当の重病人だが「お前らはただの贅沢病だ」と、まるで助けてくれない。もう私も死にたい。
     聞いている私は、他人事なのに気の毒で涙がこぼれてしまう。だが待てよ、私自身だって大変な事態の渦中にあるはず、そう思おうとするが実感は無い。

     著者はいつかかならず訪れるその時、その時とその後の心構えを書いている。だが、最終章にはピリオドは打たれていなかった。親を失い、自らの中の何ものかも一諸に失ってしまったことの癒しには、完了も終わりもない、という著者の考えだろうか。

     いずれにせよ、私にとっての「その時」は確実に一歩近づいてきた。たとえ覚悟はまだできていないとしても。

  • 戦争の話もあった。うちもあの家片付けるの大変そう

  • 両親亡きあと、膨大な遺品の整理に追われながら、親の死を自分の中で消化していく。記述は淡々としているが、どんな事実が明らかになるか読者も一緒に追体験している感があって、結構スリリングな書である。

    著者はフランス人女性。かつ、ユダヤ人でフロイディアン。誰もがここまで濃密な親との「別れ」を経験するとは思わないが、普遍的なテーマであることは間違いない。これからは遺品整理体験談といったものが、一つの文芸ジャンルを形成してもおかしくあるまい。

    個人的には、親がある程度自分の人生について書き残しておく方が好ましいと考えているが、この本のように、親が遺してくれたモノと向き合いながら子が親の人生を思うことも、大事だと感じた。その経験が、自ら先立つ側になったとき子供とどう向き合うかを左右するだろう。その世代間での繰り返しが、家の作法とでもいったものを形成すれば、素敵じゃないか。

    この本の続編である「ラブレター」も、すぐに読もう。

  • これで「ゆら」だって・・・1歳から高校卒業までフランスにいて,東大経済を卒業,通訳・翻訳〜母が死んで,二年前に父が死んでいるので一人娘の私は孤児となり,法定相続人として,家と家財が残された。欲しくても,不器用だからと触れられなかった物や,両親の生活・先祖に纏わる諸々の品の前で途方に暮れる。捨てるべき物が多いのに,両親の思いが伝わってきて家を空にする作業は進まない。電気や電話の領収書を丹念に調べ,祖母が残した物を点検し,語ろうとしなかった強制収容所での出来事を垣間見る。裁縫が得猪だった母親が作ったドレスを試着させた友人に譲り,紙の束を捨ててから,ようやく心の整理が始まった。思い出の詰まったアンチークの家具を知り合いに,残った雑貨を学生に持ち帰らせる。こうした事を書くことによって新たな自分になれることを発見した〜オランダに住むフランス人で,フロイトの研究者。フロイトが『夢判断』を書いたのは父親の喪中であることを承知しているので,こういう本を書いたのだろう。両親がナチによる虐殺の生き残りであることなどは実話なのだろうか。遺品処分に悩まされる自分をモチーフにしていることは間違いがない。かろうじてフィクションですよと云っている部分は父方の祖母・ローズから自分の名が付けられたという部分。それ以外は朧だ

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