大人の学校 入学編 (静山社文庫)

  • 静山社 (2010年9月7日発売)
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本 ・本 (384ページ) / ISBN・EAN: 9784863890640

感想・レビュー・書評

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  • 1991年頃にテレビ東京の深夜に放送された番組を書籍化したものを再編集した本です。

    まず、糸井重里さんが言葉とはどういうものなのかについて語る
    「イトイ式コトバ論序説」からはじまります。
    言葉未満のもやもやしたものを「名づけること」で言葉になる、
    なんて僕なんかは若い頃から考えてきましたが、
    糸井さんの場合はそのあたり、
    名づけられてもいないものたちだって言葉の素なんだ、と考えます。
    言葉という概念がでっかいんですね。
    だから、言葉未満のものとして言葉と区別しちゃいがちなものの、
    いっしょに言葉を作っているものとして仲間として扱う。
    そこは非常に面白い考え方でした。
    くだけた感じの話の流れなのに、アカデミックなものを扱っている感じで、
    知的興奮を覚える内容です。
    たぶん、フーコーあたりもふまえて、
    40歳をちょっとすぎたくらいのこの頃の糸井さんは講義したんですね。

    続いて、もうけっこう前に亡くなられた、
    映画解説の巨人である淀川長治さんが「美学入門」の講義をします。
    映画を例にして、「愛」や「粋」について語ってくれる。
    そしてそれがちょっとした都会論になっていくのです。

    次に、演劇の野田秀樹さんが
    「非国語」の講義をします。
    こちらは、糸井さんのコトバ論とは趣がちょっと違う。
    「素コトバ」と「汚コトバ」を軸に話を進めてくれる。
    「素コトバ」とは言葉と意味が実直に、一対一で結びついている言葉で、
    書き言葉はこちら。
    「汚コトバ」とは話言葉で、第三者が聴いても意味がわからなくても
    会話する二人には通じるような言葉。
    「素コトバ」は伝え、「汚コトバ」は感化するという特徴があります。
    このあたりも、深く見ていくと非常におもしろい分野なんですよね。

    次は、川崎徹さんの「無意味講座」。
    意味と無意味ってなんなんだろう、と見ていく。
    意味のなかに無意味があるのか、無意味のなかに意味があるのか。
    どういう構造になっているかをみていったりする。
    また、先生は広告屋さんですから、もっとも広告的な講義になっています。
    この講義も、非常に、表現ってものを考えるときに重要な内容になっていました。

    最後に、荒俣宏さんの「図像論」。
    これを読むと、美術の鑑賞の仕方がわかります。
    西洋美術は「見る」よりも「読む」ことでわかるだとか、
    美術にうとい僕なんかには教えてくれるものが山のようにあります。
    たとえば、魚はギリシャ語で考えたときにはキリストの寓意になる。
    当ブログのタイトル、「Fish On The Boat」なんて、
    小舟に乗ったキリスト、みたいに解釈されてもおかしくないんですよね。
    たまに、イタリアやドイツや、
    いろいろな外国からアクセスが急増するのはそのためかもしれない……。
    それはそれとして、本講義の最後では森永やグリコなどの商標も扱います。
    そこまでの理路が深かったし、商標の章もおもしろかったです。

    天野祐吉さんは主宰という立場で講義はされていません。

    どの講義もエキサイティングで、
    80年代からこの時期くらいまでの
    こういう、知を巡る熱い投げかけと受けとめ、って好きですね。
    今はこんなに熱く自分の考えている分野について語る人っていないし、
    そういう場もないですよね。
    あっても、マニアックなところへ行っちゃっているというか、
    間口が狭くなっている。
    わかる人だけわかればいい、の
    わかる人のターゲットが本当に少ない領域に絞られてしまっている。

    それはいいとして。
    いろいろ示唆に富む内容でした。
    まさかっていうくらい、ここまで知的に楽しめる本だとは思わなかった。
    得られたものも大きかったです。
    都会論のところは、淀川さん、川崎さんをいっしょに考えることで立体的になり、
    これは次の創作に役立てていきます。

    いやあ、よかった。

  • 「イトイ式コトバ論序説」 糸井重里

    コトバはコトバの素の集まりである

    ダジャレとはコトバの素の集まりを、通常とは別のつなげ方をしてしまう方法である

    コトバがもっているある要素を、他の要素とつなげてしまったり組み替えたりすることで変えてしまうことをナンセンスという 構造の組み替え

    キモチとコトバがうまくいってると快感がある

    コトバには共振作用があるけど、ただそういうものだ



    「無意味講座」 川崎徹

    無意味というのは体力がいる。そこにずっといるには、精神力もいる。それに耐えられなくなって、つい意味を求めてしまうのでと思う

    キンチョール バケツ
    「バケツだから」というのは、話としては全然意味のないこと。その全然意味のないことを、まったくの無意味のままでやっちゃうと、見る人はみんな心配になる。心配というか、訳の分からないのはイヤなのね。「あんな訳の分からないものをテレビで見せられたら、オレはイヤだ」という。そこで、日常の、意味の側からのお手伝いとして、郷ひろみとか横山やすしという人に、登場してもらった。そういう日常の助けがあって初めて、このコマーシャルがみんなの中に受け止められていった

    人は「意味」といのは「理解できるもの」あるいは「理解しようとした場合にちゃんと応えてくれるもの」と考えている。そして、そういうもののほうが、人によっては安心できるし、やはり、ありがたいわけ。逆に、理解しよう、「これはこうだ」と解釈しようとしても、いっこうに手がかりの得られないもの、その努力が報われなくてただむなしいものは無意味なものである。「あ、やだな。見なかったことにしてしまおう」というので、地位が下がりがちになる

    無意味は意味の助けを借りて認められている 日常の余白

    意味の逆転 逆転するということは、元には意味があったということ

    企画をするということは、ある商品に対してどれだけ多くのまなざしを見つけることができるかということに尽きる

  • 違った視点から

  • 僕は糸井重里さんと川崎徹さん、野田秀樹さんの回が好き。

    こんな素敵な番組がやっていたなんて見たかった〜。

    きっと映像の方が得るモノは大きかった気がする。

    内容は広告について話しているわけではないが、ポストバブルの世間に漂う雰囲気や方向性みたいなものを浮き彫りにしてくれる。

    企画の立て方や言葉選びについて学べる。

  • 90年代前半に放映された、有名人の短期間のTV講義をテキスト化したもの。
    本書は5名分の講義を取り上げているが、私は中でも淀長さんの美学入門と荒俣先生の図像学入門をプッシュしたい。

    淀長こと淀川長治さんの美学入門は、必然的に映画の話になるわけだが、現代人が失ってしまった(と彼が考えている)愛、粋について、大好きな映画を引いてこれでもかと熱く語るのを見る(読む)と、こちらも熱くなる。観たことのない映画を観た気にもなってしまう。いや、観たくなるのは間違いない。

    荒俣先生の図像学入門は、表現こそ荒俣流なれど、「観るな、読め」の話などは図像(決して美術とは言わない)を観るときだけでなく、人生の様々な文脈に適用できる、奥の深い話だ。言い過ぎだろうか。

    文庫でもあるし、この2本を読むだけでも十分元取れ感はある。

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著者プロフィール

1948年群馬県生まれ。株式会社ほぼ日代表取締役社長。71年にコピーライターとしてデビュー。「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などの広告で一躍有名に。また、作詞、文筆、ゲーム制作など幅広い分野で活躍。98年にウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げてからは、同サイトでの活動に全力を傾けている。近著に『かならず先に好きになるどうぶつ。』『みっつめのボールのようなことば。』『他人だったのに。』(ほぼ日)などがある。聞き手・川島蓉子さんによる『すいません、ほぼ日の経営。』(日経BP)では「ほぼ日」の経営について明かしている。

「2020年 『いつか来る死』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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