「会津の悲劇」に異議あり【日本一のサムライたちはなぜ自滅したのか】 (晋遊舎新書 S12)

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  • 晋遊舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784863916937

感想・レビュー・書評

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  • 幕末の戦いにおいて会津藩は、最後まで幕府に忠誠を誓って新政府軍と戦ったと高校時代に習ったことを覚えています。この本は、今まで私が「会津藩」に対して持っていたイメージが変わるようなことが多く書かれていました。

    今までの本は、会津藩の立場から書かれている本が多かったのですが、はしがきに著者の八幡氏が述べているように、この本は幕末の会津藩の様子を中立な立場から書かれていますので、私にとっては興味の持てる内容でした。

    以下は気になったポイントです。

    ・白虎隊にその典型を見る会津武士は信州人をルーツとしていて、地元採用はなかった(p15)

    ・江戸時代には武士と庶民が結婚することは許されなかったので、福島人と信州人が混じり合うことはなかった(p16)

    ・28万石だった会津人口は、28万人と推定される、士族(足軽、武家奉公人等も含む)の人口は6%程度なので、1.5万人ほど(p18)

    ・藩というのは、明治元年に全国を旧幕府領などを再編した「府県」と、大名たちの支配を継続させた「藩」に分けた時にできた制度にもとづく名称で、それが三年後の廃藩置県まで使われたものに過ぎない(p30)

    ・家康に天下を取るチャンスが回ってきたのは、蒲生氏郷・小早川隆景・秀吉、前田利家までが死んだという偶然が重なったから(p39)

    ・現在の会津若松の町の姿をつくりあげたのは、加藤嘉明・明成の父子であることは意外に知られていない(p43

    ・鎖国の下では、薩摩人が琉球に、対馬人が朝鮮に渡航することを別にすれば、日本人が海外に出ることは全面的に禁止されているので、閉鎖ぶりは凄い(p86)

    ・中国語の場合は1万字の漢字の読み書きが必要(識字に認定)だったが、日本語は50語の仮名で良かった(p94)

    ・桜田門外の変で、水戸の浪士が井伊直弼を暗殺したので、本来ならば水戸藩、彦根藩も取り潰しになってもおかしくなかったが、老中(安藤信正)は直弼を病死にすることで穏便に収めるようにした(p105)

    ・江戸城の溜間は、井伊家とともに、会津藩松平家と、水戸藩分家の高松藩松平家であった、ときどき、姫路藩酒井家や、松山・忍・川越松平家も入っていた(p107)

    ・取り潰しを逃れた会津藩は、青森県東部に地を与えられ、斗南藩として生まれ変わったが、翌年には廃藩置県となり、藩士の多くは会津へ帰るか、東京で栄達の道を探ることになった(p112)

    ・水戸藩としては、朝廷と幕府が戦うなら、朝廷につくのを当然とする一方で、松平姓の親藩大名や譜代大名は幕府に味方するだろうと理解していた(p113)

    ・江戸時代、関東では幕府領や旗本領が複雑に入り組んでいて、統一的な警察組織が機能しにくかったので、親分衆にお任せということも多かった(p117)

    ・幕末の京都における新撰組とは、京都府警の応援にきた福島県警が、アウトローの武装集団を下請けに使って治安維持をしようとしたもの(p117)

    ・南部藩は戊辰戦争後に減封を余儀なくされ、五戸・三戸地方と、下北半島が会津藩に新領として与えられた、五戸は十和田湖近くの名馬の産地で、戦国時代には南部氏の本拠地、また北海道では、道南の4郡の支配を任された(p157)

    ・斗南藩の石高として通用しているのは 7000石だが、隣接の八戸藩(2万石に対して実高5.4万石)を考えると、斗南藩領は5万石以上はあったと推定される(p158)

    ・斗南での貧乏物語は、藩首脳が人員整理をせずに無茶な人数を送り込んだこと、斗南藩廃止後に、未開地を開拓した時の苦労話と混同されている(p158)

    ・全国的に県としての領域設定、県名や県庁所在地の選定で官軍側だったかどうかで配慮があったという傾向は、見出しがたい、「本当は謎がない幕末維新史」に詳しい(p160)

    ・会津藩が悲劇を招くような失敗をしたのは、創業者の保科正之が組織成長期に定めた、硬直的思想や方針の呪縛から逃れられなかったから(p196)

    2013年2月24日作成

  • タイトルを見て面白そうだと思った本。

    これだけ会津が持ち上げられれば「ちょっと待った!」と言いたくもなる。
    保科正之も松平容保も冷ややかに分析され、ダメ出しされている。

    それにしても、会津人のほとんどが高遠から移住した信州人だったとは…。
    親しみが湧き、もっともっと会津について調べてみたくなった。(ゆ)

  • 美名の裏側を垣間見て面白し。

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著者プロフィール

1951年、滋賀県大津市に生まれる。東京大学法学部を卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。北西アジア課長、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任。在職中にフランスの国立行政学院(ENA)に留学。現在は徳島文理大学大学院教授を務めるほか、作家、評論家として活躍中。著書は150冊を超え、ベストセラー『江戸三〇〇藩 最後の藩主』(光文社新書)のほか、近著に『365日でわかる世界史』『365日でわかる日本史』(清談社Publico)、『日本の総理大臣大全 伊藤博文から岸田文雄まで101代で学ぶ近現代史』(プレジデント社)、『日本人のための日中韓興亡史』(さくら舎)、『歴史の定説100の嘘と誤解 世界と日本の常識に挑む』(扶桑社新書)、『令和日本史記 126代の天皇と日本人の歩み』(ワニブックス)、『誤解だらけの韓国史の真実』『誤解だらけの平和国家・日本』『誤解だらけの京都の真実』『誤解だらけの皇位継承の真実』『誤解だらけの沖縄と領土問題』(イースト新書)、『消えた都道府県名の謎』『消えた市区町村名の謎』『消えた江戸300藩の謎 明治維新まで残れなかった「ふるさとの城下町」』『消えた国家の謎』(イースト新書Q)など、日本史、西洋史、東洋史から政治、経済、文化など多方面でリベラル・アーツを重視する斬新な視点で話題となる。

「2022年 『家系図でわかる 日本の上流階級』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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