- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784864106917
感想・レビュー・書評
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前著,室町時代に引き続き,いよいよ信長の時代です。信長といえばもう,超有名人ですが,この時代の経済的流れを上念先生がどう切り取るのかを楽しみにしつつ,読み進めました。
さて,「覇王の信長」のようなイメージが強い織田信長ですが,その本質は中小企業の創業者であると上念先生は考えます。創業者とは,ゼロから1を作り出すことができる人物,一方で経営者は,1を百に増やすことができる人物なのだそうです。この後,でてくる秀吉は,自分を創業者だと勘違いしてしまった経営者として本書で語られますが,読んでいてなるほどなと思わされました。
手持ちのコマからできることを考える,自分の成功体験をベースにそのまま無批判に行動に出るという,プロダクトアウト的な思考が秀吉の失策であったという著者の考えは非常に興味深いものでした。また,自分の格を妙に高いところに位置づけてしまった事によって,状況の適切な修正もきかなくなってしまった秀吉は,頭を下げればお金丸儲け的な足利義満とは対照的であるという記述にもなるほど,と思わされました。名を捨てて実を取る,という経済的柔軟性を自分も意識したいなと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
損得勘定が大切。成功体験と認知バイアスには注意!信長や秀吉を厳しい目で表現。土地換算や、幹部人材の流動など今にも通じる政策。国内政策より、対外政策の方が記述多め。これだけ利益あるとそりゃ貿易するよね。一昔前の中国製製品の輸入を思い出した。後、引用が多すぎる感も?
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上念氏の本は以前から読んでいたのですが、最近ネットにて「経済で読み解く日本史」のシリーズとして全5巻セットが文庫本で出ていることを知りました。文庫本なので持ち運びがしやすく、どこででも読めて助かります。
第一冊目は、安土桃山時代②です~
以下は気になったポイントです。
・デフレとは、需要そのものが喪失しまったのではなく、人々の需要がお金に向いてしまっている状態のこと。つまり人々はお金を貯めることに熱心で、モノを買うことには消極的になるのでモノは売れなくなる(p12)
・日本国の財政状態はIMF財政モニターによれば日本の純債務はゼロ、債務総額1000兆円とは、貸借対照表のわからないド素人が増税したい官僚の言い分をコピペしているだけ(p15)
・戦国大名たちは淘汰されることで大型化し戦争は大規模化していく、それを支える補給のロジスティクスを整備した結果、生産性があがり市場は多くの貨幣を求めるが、銅銭の供給源であった支那は銅銭の使用をやめてしまった、資源枯渇も一因だが、銀貨の使用(当時の貨幣経済革命)もある、日本から大量の銀が流入した(p18,119)
・信長の功績として、中央銀行と不動産デベロッパー、商工ファンドを合わせたくらいの巨大な力を持っていた寺社勢力から経済政策の主導権を奪い返した点は高く評価できる、寺社勢力と敵対していたばかりではない、1582年の伊勢神宮の式年遷宮には3000貫もの大金を寄付している(p42、45)
・織田信長が焼き討ちしたのは、比叡山延暦寺(天台宗)、近江百済寺(天台宗)、長島一向一揆(浄土真宗本願寺派)、越前一向一揆(本願寺派)、安土宗論で日蓮宗弾圧、和泉槇尾寺(真言宗)、甲斐恵林寺(臨済宗)、1571-1582年にかけて、宗教弾圧は政治的・軍事的に基づくもの(p46)
・教科書では、友好的な日明貿易が倭寇によって壊されたような書き方だが、倭寇が登場する原因は、経済の発展に追いつけなくなった朝貢解禁体制の破綻である。明が貿易を自由化していれば、朝貢よりも自由市場(互市)をメインにしていれば倭寇の発生する余地は無かった(p54)
・鐚銭(びたぜに)の実勢レートを領主が追加で公認するお触れを「撰銭例(えりぜにれい)」と言う、室町時代に良く出されたが、信長も盛んに出したが失敗した、その理由は16世紀前半から支那からの銅銭の流入が大幅減少した(p58、61)
・当初は長曾我部を利用した四国統一(明智光秀担当)を考えていたが、三好と秀吉の連合軍が伊予・讃岐の侵攻に成功、淡路島の安宅氏(水軍)も織田方についたので、三好を使うことになった(p95)
・1547年最後の遣明使が大内氏によって派遣された、それ以降はお互いに密貿易で関係を持続した、ポルトガルとの互市は公認した明朝であったが、日本は警戒された(p111)
・当時の支那における銀の価値は日本の1.5倍であった、このころ欧州では金と銀の比価は、1対12、日本では1対10、中国では1対7であり、膨大な外国銀の流入にもかかわらず、なお銀の価値がかなり高かった、このため購買力の大きい中国に日本や大陸の銀を運び、そして中国商品を輸出すればその利益率はいっそう高くなった(p124)
・秀吉が金貨、銀貨の導入よりももっと高く関心を持っていたのは、「検地=田畑のデジタル化=石高制への移行の前提」と「石高制」の導入である(p145,161)
・1585年は秀吉にとって画期的な年である、2月に毛利氏との交渉成功、同月には信長次男・信雄が臣従を誓った、4月には和泉・紀伊の一揆を鎮圧、8月には四国と越中の国分が終了、このときに、「全所領国替え」を行った(p162)
・1585年に紀伊国で行った「刀狩」が最初、1588年(教科書に掲載)よりも早い、刀狩は、城割・検地とならぶ、豊臣化政策の三本柱となった、これにより土豪たちは、職業的な武士として城下町に住むか、武器を捨てて農村で農民になるかの選択を迫られた、これはまさに室町的権門政治の打破となった(p166,168)
・比叡山延暦寺が復興に向けて活動を開始するのは、1582年6月の本能寺の変以降である、いきなり延暦寺から復旧するのは目立つので、隣の日吉神社から着手した(p180)
・秀吉は、信長のやろうとしていた貨幣経済の導入だけは引き継がなかった、これは江戸時代に引き継がれてしまった(p228)
2019年11月10日作成 -
土地のデジタル化
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6月に入手して9月に②巻かあ
一度読んだ気になっているから
改訂後も手がでないな
戦国時代の国際関係は興味深い
「銀の島」って本が面白かったな -
貨幣の観点から歴史を視る点が相変わらず面白い。秀吉の朝鮮出兵についてすっきりとした意見がまとめられている。ただし、マニラに出兵すべきであったなどと言う怪しい主張もあるし、明や朝鮮について客観性に欠けると思われる記述も多い。主張自体は自由であるが。
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織豊時代は著者も力が入ったのか、歴史の「もしも」に触れる記述が多かった。大陸の先進技術、輸入品などで財力をました宗教勢力が、自衛のための戦力を保持する経緯もよくわかった。そして、宗派を優先させて国家を考えない勢力から、信長から秀吉にかけてその権力を削いでいく動きも納得できる。海外からの銭貨に頼ったのは、日本に銅を精製する技術が乏しかったためで、経済の原則からデフレとなり、それが米本位制につながっていく。もし、信長が暗殺されずに、金銭を主体とした経済が発達していたとしたら……?!
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大名たちだけでなく、寺社・庶民・海外(国際貿易、交渉)まで含め、経済面から丁寧に解説されていて、とてもよくわかる。
当時、とんでもない動乱のただなかにあったことも。
著者プロフィール
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