- Amazon.co.jp ・本 (152ページ)
- / ISBN・EAN: 9784864260527
作品紹介・あらすじ
ハンディなフィールド・ワークの⼿引として2008 年の初版以来7刷を重ねた本書は、⽂化⼈類学や⺠俗学の初学者向け副読本としてだけでなく、理系のフィールド・ワーカーにも、地域づくりや援助、医療・看護・福祉のケアの現場でも広く読まれてきた。今や誰もがする運転にフィールド・ワークを例えるなら、この本は免許更新時に⾒せられる交通事故のビデオだ。今回(2023年4月)の増補で、宮本常⼀の初めてのアフリカでの⼼あたたまるエピソードと、1978年からコンゴ⺠主共和国に通って“⽇系アフリカ⼈”となった安渓遊地・安渓貴⼦のアフリカ経験を加え、異⽂化体験の多彩さを踏まえて、万⼀の事故にも絶対にひき逃げしない覚悟はあるかを問う。
感想・レビュー・書評
-
本書での宮本常一の執筆は1遍のみ。様々な土地に出向く中で見つけた「される側の様々な迷惑」フィールドワークで、どのように私たちは自身の目で見て行くべきなのか。 写真学科3年
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
389||Mi77
-
女子栄養大学図書館OPAC▼https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000069617
-
学術調査によって、される側に様々な弊害が起きることへの配慮、警告の書。「地域が今までのようにいられなくなる」「学術への不信が起こる」という例が挙げられている。
宮本常一の章は隔世感があり、牧歌的なというか、現在の複雑な社会ではあまり参考にならない感じがある。
その点、もうひとりの著者安渓遊地の章は、実際に調査に入って、しかも「地域に深入り」したものしかわからない「ミイラ取りがミイラになる」ような怖い話がリアルである。
一方、第2章の学術調査をする側が一方的に悪と想定した本書の内容には少々疑問がある。
気になったのは、調査に来たものに不信を抱いて、その相手に罵詈雑言を浴びせる「ある島のP子」という人物の語り部分。P子は「調査される側の被害者」という位置付けで一章を使って登場する。
p41では、彼女は祖母の格言「学問は人間を救うが、滅ぼしもする。だから正しい学問を選べ」を実行しているというという。しかし学問の倫理というものは科学が生まれて以来、そして技術が進んだ現代では尚のこと判断が難しく、結論の出ていない問題である。それを宗教のごとく簡単に選べるものとして捉えている。
p47では、都市計画や経済計画という学問により地域事業が行われていることについて、「学問という名の趣味だ」「よそから持ってきた知恵や文化で、地域が本当に生き延びられるわけがない」と言う。しかしたとえ都市とはかけ離れた生活のあるローカルな地域であっても、世界の激変する情報技術と社会情勢の潮流は襲ってくる。それが日本国内であれば尚更である。残念ながらそのローカルな地域だけが例外的に「昔と変わらぬ生活」を送ることは出来ない。ここに重要な課題があることに気づいていない。批判と拒否だけでは立ち向かっていけない。
p49では、地域側にも「中途半端にしか知らないのに、もう全部知ってるように話す問題ある人間」がいると批判。そして「それを正しく見きわめるのが学問」であると。しかしその話のすぐ後で、調査協力で自分が悔しい経験に涙したことを「私の涙は私ひとりの涙じゃない。島の人の声、いや全ての人間、それどころか全ての命あるもの、何千何億の声である」と言う。この発言こそが「中途半端にしか知らないのに、もう全部知ってるように話す問題ある人間」ではないか。
自らの地位に傲る学者がいる(特に数十年前なら)し、P子の言い分はある程度理解出来るのだが、本章の論旨はやや地域ナショナリズム寄りで、バランスを欠いている気がする。
ただ、4章、7章では、このジレンマへ陥らないためのノウハウや懺悔譚が書かれていて興味深い。「深入りに注意しろ。責任なんか取れない。自分自身が壊れるぞ。バランスこそが大事だ」ということ。
文化人類学が何の役に立つか?という質問に対して、
人間はみんな違う。自分たちだけが正しい、という独善から覚め、戦争への道を止める役割がある。We Are Right(我々は正しい)を略してWARだ125
地域への調査研究が調査される側から批判されることは多い。
オーストラリアでは「もう100年以上調査してきてまだわからないのか」と聞かれる。
コンゴでは「あなたはここの言葉も習慣も調べてわかるようになったのに、お返しに日本語さえ教えてくれない。そんな差別的なやり方を神様は決してお許しにならない」と抗議される108
著者はフィールドワークで西表に入り「濃いかかわり」をしてしまった(研究から発展して、米販売やリゾート反対運動に足を踏み入れた)。このことによって島人との淡いつきあい(老後は別荘気分で西表へ、のような)の夢は消えてなくなった。だから後続にはおすすめしないし、バランスを考えろ、と言いたい。「種をまくことは誰にでもできる。大変なのは草取りと収穫。そして一番難しいのは、耕されて荒れた土をもとに戻すこと」87
西表の人たちは「口は悪いけど、心はもっと汚い」を自称している78
1990年郷土の資料を著者と住民合同で編纂するプロジェクトをやった。その地区には多くの廃村集落があり、唯一残ったのは他の集落から移住を受け入れた集落。その集落の歴史編纂に携わったのは、別の集落からの移民の子孫。子孫は自分の一族が「廃村からの移民」だとして蔑まされた伝承を記し、これによって地域に軋轢が生まれた。
また地域の祭歌の歴史を編纂したとき、歌詞の正統性をめぐって論争が起き、権力闘争に発展した。
これら「地域の人も一緒の編纂者」方式は、それまで澱んでいた地域の軋轢が表面化して混乱を起こすことがある70
著者は西表で調査を始めたころ(23歳)、酒乱ともいえる人物に泥棒呼ばわりされカラまれた。そこで逆上して「謝れ!」と反論し、暴力事件寸前まで行った。しばらく後、道でその人物に出くわし「家で酒呑もう」と誘われ恐怖と困惑。しかし泡盛一升を抱え訪ねてべろべろになるまで二人で飲んだ。
その後、その人物は調査の一番の協力者となった。
これは、軽率に「謝れ」と反論したからでも、酒を呑んで仲良くなったからでもなく、「軽率な自分をさらけ出すことが、西表の社会では、はからずも深いつきあいを生むきっかけになった」からだと思う66
沖縄では立松和平のエッセイに取材拒否したのに書かれた被害者がいた。そのため著者(安渓)と地元は「立松和平対策事務所」を作る。本書に引用したアイヌの本(『アイヌ肖像権裁判・全記録』現代企画室)については、その本内の発言者に了解を取った56
「調査というのは地元から何かを奪って来るのだから、必ずなんらかのお返しをする気持ちはほしいものだ」(渋沢敬三から宮本が教えられた)15