食と建築土木

著者 :
制作 : 後藤 治  坂本 千明  藤森 照信  島村 菜津  松野 勉  河北 幸高  大江 正章  小野 吉彦 
  • LIXIL出版
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本棚登録 : 88
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784864800075

感想・レビュー・書評

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  • 「プライマリー・ストラクチャ」としての食関連建築土木の要件の考察が面白かった(96-99)。環境に対するストイシズム、最小限主義、生成可能性、これらは、ウィトルウィウスの「用・強・美」にも通ずる、構築過程における根幹的な目的因として、常に考量されるに値する。ジェネラティブプロセスの現れであるそれらの"合理的"建築は、その最小限の手続きにおいて、歴史/慣習に保存・蓄積されてきた力を発揚し、結果的に風景資本価値をも強化している。

    September 15, 2017.

  • 建築

  • 宇治の茶農家が柿を干すために組み立てる巨大な柿屋、長崎県西海町の海岸沿いの崖に突き出す棚状の大根櫓など、食べものの生産・加工のために用いられてきた農山漁村の23の建築土木を、多くの写真とともに紹介

  • BSフジ「原宿ブックカフェ」のコーナー“今週の新刊”で登場。
    http://www.bsfuji.tv/hjbookcafe/highlight/21.html

    「読めば、きっと田舎の風景が変わって見えてくるはず」

    「単に、食と建築土木というだけでなく、たくさんの写真とともに日本のことを改めて知るきっかけがたくさんある本です」(B&B木村綾子さん)


    原宿ブックカフェ公式サイト
    http://www.bsfuji.tv/hjbookcafe/index.html
    http://nestle.jp/entertain/bookcafe/teaser.php

  • すっごく面白かった。デザイン性が高い本なので、デザインに負けないよう、文章を読むのが大変だったけど、実に興味深い内容がいっぱいだった。

    いろんな工夫をして、いろんな工夫をして、日本人は生きているのだなぁと改めて思う。自然や地形を利用し、その土地ならではの仕掛けを創り上げた日本人は、本当にすごいなぁと思う。これが「共存」ってことなのかめしれない。
    今すぐに、もう一度読み直そうと思う。

  • タイトルに惹かれたのだけど、実は「建築土木」は、表紙のデカいタイトルにはないのに、「しかけ」とルビが振られていた。そう、建築土木、なんていう大掛かりなものではなくて、「櫓」に代表されるような、しかけの本。そして、その「しかけ」が、食文化とともに、風景を作っているのだ、ということがずっしりとわかるのです。
    今建築界ではタバコの乾燥小屋・ベーハ小屋が大ブーム(なのです!)ですが、それもやはり風景をつくっているから。
    この本に紹介されている建築土木は、決して旧来のものだけではなく、木造ビニールハウスであったり、鋼管をつかっていたりもするし、その変化にも触れている。近代的に若干変化していても、その地域と食べ物に由来したものであれば、結構魅力的だったりして。愉しい。

  • 丸干し大根の大根櫓 宮崎市田野町 柿屋 京都府綴喜郡宇治田原町 ウド栽培の小屋 三田市 ゆで干し大根の大根櫓 長崎県西海市西海町 遠州灘の砂防 掛川市 凍み豆腐干し 福島市 

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著者プロフィール

1930年6月、北海道岩見沢町(現在の岩見沢市)鉄道診療所官舎で生まれる.1943年3月、岐阜市郊外の村立厚見国民学校初等科を卒業後、同年4月、市立岐阜加納国民学校高等科に入学、1944年4月、市立大垣工業学校電気通信科に入学.戦後、大垣市立工業学校は岐阜県立大垣工業学校に統合。1949年3月、県立大垣工業学校電気通信科卒業したが就職口が全くなく、同年4月にそのまま新制工業高校3年生に移行、1950年3月、県立大垣工業高等学校電気通信科を卒業。同年二月、岐阜電話局に就職1952年6月、同局を退職。1953年4月、北海道大学(理類)に入学、1957年3月、理学部地球物理学科卒.1957年4月、北海道立浦河高等学校に就職(教諭)、1962年4月、道立美唄南高等学校に転勤。ここで音楽教師の高橋和子と出会う。1963年4月、道立札幌南高等学校に転勤。1964年4月結婚。1968年4月、道立札幌西高等学校に転勤。1983年4月、道立室蘭清水丘高等学校に転勤.
この間、愛知学院大学の図書館司書講習を受講、図書館法による司書資格を取得。1988年3月、同校退職(57歳)。同年4月、札幌にある障害児のための民間の図書館“ふきのとう文庫”に司書として、半分ボランティアで勤務。1991年9月、病を得て退職。1994年3月、“終の住処”を探して小樽市郊外のマンションを購入、転居して現在に至る。

「2002年 『和子 アルツハイマー病の妻と生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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