百年の《泉》 ―便器が芸術になるとき―

制作 : 平芳幸浩  京都国立近代美術館 
  • LIXIL出版
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本棚登録 : 34
レビュー : 1
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784864800358

感想・レビュー・書評

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  •  2017年に京都国立近代美術館で5回にわたって開催された企画展をまとめた本。デュシャンの《泉》をテーマに展示された作品の写真、キュレーターを担当した人のトークがおさめられている。単純に考えるなら図録。

     デザインがかなり凝っている。西岡勉さんという方が行っているのだけど、カラーを使わないでもとても魅力的な作りになっている。内容に興味がない人でも「おしゃれな本かもしれない」と思わせられるはず。もちろん企画展の息吹を伝えてくれるように写真のチョイスも見事である。私は企画展に行ってはないのだが、雰囲気は十分に伝わってきた。

     内容はと言うと、デュシャン作品とその解説・考察に2章、デュシャン作品にインスピレーションを受けた現代の作家の作品に3章割かれている。
     第一章のデュシャン研究者である平芳幸浩によるデュシャンと《泉》の解説は平易かつ明晰で分かりやすい。いたずらに観念的になってしまいがちなデュシャン解説を避けるように、デュシャンその人の性格であるとか、《泉》騒動の舞台裏を中心に、いくつかのキーワードでまとめている。こんなに分かりやすい解説はなかなかない。
     第三章の河本信治による《泉》のオリジナルに関する考察もまた面白い。ありとあらゆる研究によって《泉》騒動前後にデュシャンが何月何日の何時に何をしたのかが明らかにされている一方、オリジナルの《泉》は未だに発見されていない。そこで河本はオリジナルは複数会ったのではないか、いやオリジナルなんてもともとなかったのではないかという話にまで持っていく。河本の姿勢はあくまでデュシャンの仕掛けたゲームや遊びに深入りしていない。河本によれば、《泉》というものは鑑賞者が批評を投げかけることで延々とふくれあがっていく、いわば書き込みが無限に可能なオープンテクストだという。だから一定の距離をとりつつデュシャンの用意したのか用意していない偶然なのか分からないゲームに参加している。
     このような一定の距離のとり方ができているのは第二章での藤本由紀夫の展示である。具体的な藤本の作品は本を見てほしいのだけど、デュシャンの仕掛けた遊びを遊びで返している。真剣なのだけど、ユーモアや楽しさを忘れていない。デュシャンのもつふざけた感じを上手い具合に昇華している。藤本が作品を作っていく過程での発見は読む価値がある。
     逆に四章ベサン・ヒューズはデュシャンと真っ正面から向かい合いすぎて、デュシャンにからかわれているようにしか思えない。
     五章の毛利悠子も一定の距離をデュシャンと一定の距離をとり、デュシャン作品の手作り感を発見したところまではいいのだが、展示された肝心の作品が写真からはさほど魅力的に見えないのが残念。あくまでも写真を見る限りでは、以前に展示したというリヨンビエンナーレ2017でデュシャンの《大ガラス》をもとにした《モレモレ:与えられた落水》という作品のほうがいいと感じた。そっちのほうが軽くていい。

     総じて、デュシャンを神聖視せずに距離をとりながらデュシャン作品について分かったこと感じたことを、研究者の立場と作家の立場から伝えてくれる楽しい本だと言える。

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著者プロフィール

1967年大阪府生まれ。京都工芸繊維大学美術工芸資料館准教授。著書に『マルセル・デュシャンとアメリカ』(吉田秀和賞受賞)、共編著に『百年の《泉》』などがある。

「2018年 『マルセル・デュシャンとは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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