古賀史健がまとめた糸井重里のこと。 (ほぼ日文庫)

  • ほぼ日
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  • Amazon.co.jp ・本 (183ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784865013122

感想・レビュー・書評

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  • 広告畑出身でいまやWeb Site「ほぼ日」を中心に活躍されている糸井重里さんを、ベストセラー『嫌われる勇気』の二人目の著者である古賀史健さんがインタビューしてまとめた本です。帯に<糸井重里が気持ちよく語り、古賀史健がわくわくしながらまとめました。>とあります。糸井さんの経歴をちょっと知っていて、ほぼ日を何千回と訪れてきた僕なんかには、読みながらずっと惹きつけられっぱなしの本でした。

    まず引用から。
    __________

    もうひとつ、黒須田先生とはおかしな思い出があってね。講座を卒業してから何年か経ったあと、先生が持っていた授業の代役を頼まれたんです。「ぼくには教えることなんてできませんよ。話すことがなくなったら、どうすればいいんですか?」と訊いたら、黒須田先生は真顔で「しのげ」って言うんですよ。
    「話すことがなくなったら、ずっと黙って立っていればいいんだよ。生徒との我慢くらべだ」
    「ええっ!?」
    「黙ってしのげば、そのうち時間がきて終わるから」
    もうね、ひどいでしょ? でも、黒須田先生の「しのげ」は、その後の人生にものすごく役立ちましたね。たしかに、じたばたしてもしょうがない場面はいっぱいある。「しのげ」で乗り切るしかないことはたくさんある。だから、みなさんにもおすそ分けします。
    しのげ。いいから、しのげ。とにかく、しのげ。……いいおまじないでしょ?(p54)
    __________

    これ、わかりますねえ、「しのげ」しかないぞってありますし。そんなときに「しのげ」という言葉を持ち合わせていなかったりすると、その大変さが何割か増している気がします。

    次に、引用ふたつ目。
    __________

    コピーライターという肩書きから、ぼくはいまでも「なにかうまいことを言う人」のように見られることがあります。そして実際、世間で評価されるコピーライターのなかには「うまいこと」を言おうとしている人も多い。でもぼくは、ことばの技術におぼれることだけはしないでおこうと決めていました。
    ぼくがコピーに求めていたのは「うまい」じゃなくって、「うれしい」なんです。
    __________

    前回読んだ『不連続殺人事件』の著者・坂口安吾が、美のために言葉をいろいろいじって文章を作ってもそれは美ではなくて、言葉で表現されるものが「必要」だったのならばそれで美がうまれる、みたいなことを言っていたそうなんです。そのことに近いことなのではないでしょうか。

    さて。西武グループの堤清二さんと共有された時間についての糸井さんのお話は、本書に書いてあるものではない話を以前、たぶんほぼ日でちらっと読んだことがあります。ただ、なんていいますか、まるで「この人には頭が上がらない」みたいに見えるときの糸井さんは、個人的に、ほんの少しだけ好きじゃない。堤清二さんとの話になると、糸井さんが若干ちいさく感じられてしまう。僕が糸井さんに、奔放でいて欲しいし、そうあってしかるべきだ、というイメージを強く持ってしまっているからかもしれないです。でも、それもおそらく誤解をしているからなのでしょうねえ。そして本書を最後まで読むと、その答えがちらりと見えてきました。大人と、大人未満と、たぶんそういうところなんじゃないかな、と。

    なにかを積み上げて一流になられただろうはずなのに、その部分にずっと目がいきません。クリエイティブの派手な部分、楽しい部分、自由な部分、そういった局在にしか僕の視線が向いていかない。それはもしかすると、見ようによっては糸井さんってマタドールで、僕は(あるいは僕らは)だらりと垂らされた赤い布に気を取られてばかりの牛みたいなものなのかもしれないです。でも、はた、とそこにそれがなにかはわからないのだけど、「?」が短い時間、文章を追っている頭によぎる。そんなとき、赤い布きれから目を離してマタドールを見るでもなく見ているだと思います。

    ほぼ日黎明期のお話を読んでいると、僕はその頃からネットをやっていまして、たぶんオープン前のほぼ日を見つけてふらふら訪れていましたし、(いや、もしかするとネット友達に教えてもらったのかもしれないです。それとほぼ日は、正式オープン前から訪れることができた場だったのでした。とくに糸井さんについてくわしく知っているわけでもないのに、「必ずおもしろいことをネットでやりはじめてくれるに違いない人だ」と思い込んでいましたね。)当時の時代の空気みたいなものもそうですが、インターネット世界の空気感やまだ粗かったWEB SITEのUIなんかも思い出されてくるわけです。僕も98年ころには自分のホームページを構えていました(初代は『VITAMIN STREET』、リニューアルした二代目は『op.x』という名前でした)。

    それで思うところは、最近のほぼ日はすごく洗練されて知的になった、ということです。それって、インターネット世界全体に言えることでもあるんですよね。その全体的な「複雑化・情報量の増大」の流れをほぼ日という船も川下りしてきたということなんでしょう。ネット黎明期は、それはそれで味わい深いものでした。「昔はよかった」なんて言わない僕でも、ことネット世界に関しては「今にはない、昔のよいところがあった」とはっきり言えてしまいます。ネット黎明期レトロを決め込んだサイトがあってもいいかもしれません。と思うくらいに、当時からネット世界に深入りしていたし、執着もあるからなのかもなあと思います。
    いちばん気にかかるのは、知的な部分です。知的な中身が、知的なフォーマットで語られるコンテンツになっていますよね、しばらく前から。知的な中身自体は前から一緒なんですが、知的なフォーマット、つまりUIの部分はネット世界全体で強すぎもしているという印象がド素人の僕にはある。そんなにみんな、おしゃれで知的かな、と思ってしまいます。「ニマス戻る」感じで、戻ったそこから再びサイコロを振ってみるなんて試みは、どうなんでしょう、ナンセンスなのかなあ。なんていうか、「白い紙」がいちばんだったりしませんか(紙の本ばかり読んでいるからそう思うのかなあ)。

    2011年の東日本大震災以来、ほぼ日は鍛えられたしつよくなった、とあります。傍から見ていても、いつしか「ほぼ日」ってとってもデキる人たちがやっている会社になったというふうに見えるようになっていました。自分とすごく差がついたように感じられた。それがなぜ、どのようにして、はわからなかったのですが、そうか東日本大震災がきっかけだったのか、と本書から知ったのでした。そして、そのほぼ日さんの変化は、ほんとうの意味で「おとなになっていった」ということなんだろうなあ、と後半部を読んで納得がいってくるのでした。

    「ヒッピー」「ムーミン谷」じゃいられないじゃないか、って糸井さんはおっしゃっていたのですけれども、それまでって、ヒッピーなクリエイターで、社会的にはアウトサイダー的だったのだと思う。社会には片足しか入っていないよ、みたいに。それが今や、頭の先からつま先まで社会のなかに包まれているなかでクリエイティブをやられている感覚があります。「ほぼ日」のしゃんとして見えるところは、おとなになったことで「そうするんだ」と自分で決めたところなんだと思います。マタドールの赤い布きればかりに目が行っていたものだから、マタドール本人の変化にはなかなか気づけなかった、そういうふうに自分の洞察の不明さをまぎらす言い訳で、きょうはズルく締めちゃいます。ちきしょーい。

  • まるで糸井さんのおしゃべりを目の前で聞いているような、等身大の言葉が連なった内容でした。
    この本は糸井さんの自伝のようなものとされていますが、ほとんど誰かに助けられた話だったり、あの人はすごいという話で、人との繋がりや関わりを大事にされている方なのだなぁと感じました。

  • 糸井重里が「自伝」とか「半生記」なんてものは
    書くとは思わなかった。
    僕の知る、糸井重里という人はこれまで独自の嗅覚で
    自身が熱中できるものを見つけ、ブームを巻き起こす
    ❛現役❜の人。それだけに自身を振り返り、我が半生を
    語る、そのことに驚き、積読本を脇に追いやり、
    ネットで購入し、即本を開いた。

    さて本書。映画1本を観るぐらいの時間で
    読めてしまう薄い文庫本ながら内容は中々濃い。
    重里という名の由来、
    学生運動の蹉跌と中退、
    突然あらわれていきなり凄腕コピーライターの誕生、
    あの名作「おいしい生活」秘話、
    矢沢永吉「成り上がり」の執筆経緯、
    ジュリーのTOKIOの作詞で一躍時代の寵児の頃、
    ゲーム「MOTHER」の開発、
    インターネットとの出会い、
    ほぼ日の開設、
    ほぼ日手帳の大ヒット、
    3.11ショック、
    ジャスダック市場に上場…までを
    丁寧に真摯に語る。

    その半生を実に上手くまとめ上げたのが、
    ライターの古賀史健氏。
    何と言っても感心したのはその「文体」「語彙」
    「表記」。いずれをとっても、糸井重里がほぼ日に、
    1日も休まず書いているブログの文体と見まごう文体、
    用いる言葉、漢字を使わず平仮名で表記する、
    糸井重里自らが筆を執ったと思うぐらい文章の癖も
    取り入れ、読者にストレスを与えないゆき届いた
    配慮には恐れ入る。

    読みながら頭に浮かんだのは糸井重里の
    「人たらしの才」。
    例えば、美味しそうに食べる人、
    屈託なく笑う人の周りに自然と人が集うように、
    糸井重里という人は自分では意識してないだろうけど、
    何かに熱中している時の放射熱って
    それこそ尋常じゃないんだろうな。
    それを眺めていた人が、
    「ちょっとそこ、僕にも手伝わせて〜」って言わせて
    しまい、気がつけばお互いを認め合う関係にまで
    昇華している、おそらくそのような関係がこれまでも
    たくさんあったんだろうな。

    その代表的なエピソードとして、セゾングループ総帥
    堤清二を激昂させた新聞広告のキャッチコピー。
    任天堂の元社長 故岩田氏との交流と変わらぬ思慕。
    この話しに共通する「仕事を超えた濃密な関係」。
    この大きな果実を生んだのは、人たらしの才だと思う。
    いまだ語り継がれる伝説の広告キャンペーンの
    プロデューサーは堤清二であり、
    上場にまで成長したほぼ日の基盤システムを
    デスクの下にもぐりこみPCの配線から
    ひとりでやってのけた岩田氏。

    本書には糸井重里がこれまでの人生の折々で
    なにを見て、なにを考え、どう動いてきたのかが
    書かれている。そう、半生記だからすべて過去
    のことが書かれている。ただし、キムタクとの
    バスフィッシング・徳川埋蔵金は除く。

    糸井重里の過去を通史的に読みながら、
    強く感じたのは、過去を振り返るということ。
    ついついネガティブなことに取られがちだけど、
    「人は過去からできている。自分の振りまいた過去が
    今を作り、しでかした過去があるから今がある」。
    そんなごくごく当たり前のことをしみじみと感じ
    させてくれる滋味深い一冊であった。

  • "よろこび"
    やさしく、つよく、おもしろく

  • 『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』を読み始めて、その前にこの本を手に取った。
    「おいしい生活」は、コピーの見本のように言われていたし、「ほぼ日」には夢中になった時期もあった。手帳を買ったり、メルマガに投稿したりもしていた。その糸井重里ができるまでの布石というか、あらまし、そして2018年当時の近況が書かれている。
    私自身のほぼ日離れは手帳離れととともに訪れたけれど、こう考えればいいのか、とかこう思っているからああなったのか、と思えることが書かれていて興味深い
    古賀さんの書きっぷりを知りたくて読んだけれど、糸井重里さんのあらましがよくわかりました。って感じ。たぶんそれが本望だろうし、正しき読み方なんだろうけれど。

    p52
    自分なりにそのカラーテレビについて勉強して、電気代がポイントなんだと理解して、なんとかそれを伝えようと、考えたふりをして。やっぱり「考えたふり」がいちばんよくないですよ。


    発見というのは「書けたら、わかる」ものなんです。~なにかのコピーができあがったときにようやく「あっ、書けた!」とわかる。くもりがとれるような感覚がある。~いいコピーが出ていないうちには、「まだ書けていない」ということだけが、わかっている。

    p54
    (黒須田先生の代講で養成講座の講師をしたとき、「話すことがなくなったらどうしたらいいんですか?」と問う糸井に)
    「ずっと黙って立っていればいいんだよ。生徒との我慢くらべだ。~黙ってしのげば、そのうち時間がきて終わるから」
    ~じたばたしてもしょうがない場面はいっぱいある。「しのげ」で乗り切るしかないことはたくさんある。

    p147
    「きみのほんとうに大切だと思う3人のひとが、きみを信じてくれているならば、それ以上のことはいらないよ」

    p162
    (ほぼ日の行動指針は、「やさしく、つよく、おもしろく」)
     震災をきっかけに学んだのは、「つよさ」がどれだけ大切かということ。誰かの力になりたいと思ったとき、それを支えるのは自分自身の「つよさ」なんです。それは経済的な「つよさ」でもあるし、実行力という意味での「つよさ」でもある。~おとなのぼくたちは、ちゃんとした「つよさ」を持って物事に臨まないといけない。

  • やさしい文体、やさしい言葉、やさしい本。読みやすくてほっこりする糸井重里の生い立ち、生き方。

  • 2019.1月。
    糸井さんのこと。歴史。糸井さんは、難しいことも私たちの日常のこととしてわかりやすく提示してくれる人。ヒントがたくさんあるから、じっくりじっくりいろんなことを考えたくなる。一度だけではもったいない。もう少しゆっくり読み返そう。

  • コアなファンではないがほぼ日好きな私はとても楽しかった。

    どうしてかなぁ。糸井さんがこれまでにやってきたこといろいろが語られているのだけど、力まずひょうひょうとここまで来ました感。
    糸井さんの魅力かなぁ。実際はそんなことないだろうし、大変なこともたくさんあったろうにそれをかんじさせないいいかんじ。ほぼ日コンテンツとおなじだなぁ。なんだかいいかんじでわくわくするの。

    ほぼ日の前なのかなぁ。
    インパクのことを聞いてみたかったなぁ。
    個々のコンテンツは全くおぼえてないんだけど、インパクを知ってワクワクしたことはおぼえている。

    同じテーマで違う二人の人がそれぞれこんな本をまとめましたバージョンが見てみたいなぁ。

  • ・「大嫌い」が言えるときにはもう、「好き」が混じっている。

    ・多忙は怠惰の隠れ蓑

    ・人は命を軽く扱おうとする時、言葉を重くする。

    ・本生には、贅沢をさせています。

    ・土屋耕一のコピーによって、世の中に新しい価値が一つ増えていく。
     世の中がそれだけ豊かになってゆく。

    ・広告のコピーは、歌詞とは違って「反射光」

    ・商品や広告に「うれしい」が入るときに、人は買う

    ・なにか良いことをしているときには、ちょっと悪いことをしている、と思うくらいがちょうどいい。

    ・クリエイターのタイプ。
    A:野の花タイプ
    B:バラとかすみ草タイプ
    C:お花屋さんタイプ

    ・ピラミッド型の組織を横に倒すと船の形になる。
    ほぼ日は「船員」

    ・「きみのほんとうに大切だと思う3人の人がきみを信じてくれたら、あとは何もいらないよ」

    ・インタビューされる側の心得。いい正直になること。

  • ほぼ日の株主優待でいただく。
    糸井重里さんの自伝的な本だけど、いわゆるやってきたことをまとめた本ではなく、糸井重里さんが今なぜこういう考え方になったか、大切にしていることは何なのかという片鱗がみえる一冊。
    さくっと読めるページ量だけど、濃厚な一冊。

    ことばの大切さをしる幼少期の出来事と、セゾンの広告で堤さんを激昂させた話がささりました。

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著者プロフィール

1948年群馬県生まれ。株式会社ほぼ日代表取締役社長。71年にコピーライターとしてデビュー。「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などの広告で一躍有名に。また、作詞、文筆、ゲーム制作など幅広い分野で活躍。98年にウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げてからは、同サイトでの活動に全力を傾けている。近著に『かならず先に好きになるどうぶつ。』『みっつめのボールのようなことば。』『他人だったのに。』(ほぼ日)などがある。聞き手・川島蓉子さんによる『すいません、ほぼ日の経営。』(日経BP)では「ほぼ日」の経営について明かしている。

「2020年 『いつか来る死』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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