• Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784865281538

感想・レビュー・書評

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  • 明治の文豪から最近の作家(西加奈子)まで、〆切にまつわるエッセイなどを集めたアンソロジー。
    よくぞここまでの文章を集めたな。脱帽。

    それぞれの作家の〆切に関わる面白おかしいエピソードを集めたものなのかと思っていたが、様々な作家が書いた〆切に関連する文章を集めているものであった。

    時代も含めて、ここまで多彩な作家を集めてアンソロジーを組み、テーマをブラさないというのは相当大変なことだと思うが、この本はそれを成し遂げている。

    作家は当然誰でも文章表現をしている。そしてそれは芸術活動でありながら、経済活動でもある。〆切は芸術と経済のはざまに立つ、永遠の根源的な象徴であるからこそ、どんな作家にも共通する切り口となりえる。
    この切り口をみつけ、アンソロジーを組むという着想がこの本を成功させている。

    〆切が好きな作者は誰ひとりいないが、その対応方法や、表現は本当に十人十色。
    また、自嘲気味であったり、なんだか余裕がありそうだったり。〆切(差し迫った脅威)に対する態度は、意外とその人の本質的な人格をしみださせるものである。
    というのが分かるのが面白い。

    名前は良く知っているけど、読んだことのない文豪の文章をサラサラ読めるのも魅力。
    田山花袋、車谷長吉
    さすが、文章が趣深い。文章に惹きつけられる。
    いつかきちんと読まねば。

  • 十人十色の言い訳集。装幀と、何よりテーマが今までになく独特で目を引きます。
    あの文豪もこの著者も、書けないと嘆き、投げやりになり、文学的な言い訳(!)をこぼしながら机に向かっていたんですね。そんな作家の先生方を相手に編集者側も、どうにか原稿を書いてもらうために時折嘆いているあたりが第三者的には笑ってしまいます(渦中には居たくない)。

    人間くさい、光るエピソードで溢れています。
    普段は見ることのできない舞台裏を覗かせてもらった気分。不思議と元気がもらえます。

  • 世の真理と、そして、不条理までも集めたような、〆切にまつわる話を集めたエッセイ・アンソロジー。
    夏目漱石や谷崎潤一郎と言った大文豪、小川洋子や西加奈子と言った平成の今をときめく人気作家、はたまた、作家都合で伸びに伸びる〆切にやきもきどころか時に煮え湯を飲まされた編集者など、多種多様な人々による文章94編から成り立っています。

    「〆切が来だからといって書けるもんではないんだよ…まあ、〆切があるから必死になるんだけどね」と言い訳をする作家が大多数なのは予想通りのこと。

    意外で面白かったのは、「小心者なので〆切を破るなんて怖くてできない!した事もない!」という悩み?を吐露する、なんとも品行方正な作家さんが数名いたこと。
    そういう作家さんは編集者から有り難がられる反面、変わり者扱いされて、挙げ句の果てに、「編集の仕事の醍醐味奪うよな、あの先生」的に言われてしまっていたという…。
    世の中って、なんて不条理なんでしょう。
    思わず笑ってしまいました。

    個人的にとても好きなのは、三浦綾子さんの文章。
    晩年は体の調子がよくない綾子さんの代わりに夫の光世さんが口述筆記をしていた三浦家。
    出版社に原稿を送った後だったのに、内容にどうにも納得がいかないと思った光世さんは、筆記役の自分の労を厭わずに綾子さんに書きなおすよう進言。
    綾子さんも、「第一の読者からの大切な評だから」と受け入れ、二人でやり直しをし、〆切に間に合わせたそう。
    この作品集には載ってないのだけど、光世さんが書いたエッセイに、彼から進言してやり直した原稿が、主人公の生きた時代背景と一致しないことが後でわかってボツになり、先に書いた原稿がそのまま採用になったというのに文句一つ言わなかった綾子さんに感心した…という内容があったのを思い出しました。
    三浦さんの作品はもう何年も読んでいなかったのだけど、夫婦の絆に改めて読みたくなりました。

    色々な人の文章が入っているので、まだ読んだことない作家さんの文章を読んで新規開拓に努めるもよし、好きな作家さんの文章を拾い読むもよし、作家と編集者のスリリングな駆け引きを楽しむもよし。
    色々な読み方ができるお得な一冊です。

  • 私は〆切に興味があった。なぜならば、常に〆切に苦しめられているし、一方では大量の文章を日々生産しているからである。

    もちろん私は作家ではない。しがない普通のブロガーに過ぎない。それでも、この12年間、だいたい800字から1600字ぐらいまでの駄文(原稿用紙2-4枚)を書き続けて、ネタが尽きた事がない。ブログ記入率はこの8年間75%で一定しているから、一週間に6ー5日は書いている事になる。そんな文章家ならば、この本の中の郷土大作家・内田百間の様に、〆切すぎて書けないで年越しをするようなことがなかったかというと、ほぼ毎月その苦しみを味わっていると告白する私がいる。

    私は素人ながら、地域サークルの会報を二ヶ月に一度つくり、地域労組機関紙の映画欄に連載を持っている。この二つが、常に〆切ギリギリか、〆切を越さないと完成しないのである。

    あの木下順二が、仕事にかかる前になんと「馬書」を読み込み、情報カードを生産し、それがおそらく万の数ほどつくっているというのを読んで、「あゝ同類がいる」と安心する。

    神様の手塚治虫の様子は、とても参考にはならないけれども、「遅筆堂」というあだ名を敬意を持って私も拝借している井上ひさし名人のエピソードは、私にはとっても癒しになる。今回のエピソードは、今まで読んだことのないものだった。少しメモする。

    ◯缶詰病の潜伏期間は次の等式で表される。(原稿用紙枚数の二乗×締切日までの残り日数×作物に対する患者の意気込み×原稿料或いは報酬)÷編集者の原稿取立ての巧拙。
    ◯発病症状は初期が躁状態。中期は、睡眠を貪る。その次は、放浪癖。◯◯の目を盗んで盛り場をうろつく、要らないものを買う、映画を観て回る。最終局面、自信喪失の極に達し「次号回しにしてください」「殺してください」という。この場合、編集者はその願いを聞き入れてはならない。なぜならば、この病は「とにかく書かなければ治らない」から。
    ◯井上名人は、末期症状の患者を缶詰状態にすると、奇妙なことに「ほとんどの患者が自力で立ち直る」と書いている。しかし、これは症状がまだ慢性化していなかった頃の文章だと思われる。患者(井上ひさし)はその後、大穴を何度も開けるからである。

    川本三郎が天使のような編集者のことを書いていれば、元編集者の高田宏が編集者泣かせのクズ作家について書いている。

    私には潜伏期間はない。私に編集者はいない代わりに報酬もゼロなので、ゼロ×全ての数字でゼロなのである。そして、なんの因果か、年に7回くらいは「完徹」をしても出来ないで〆切という「デッドライン」をやすやすと超えるのだ。

    2017年6月5日読了

  •  明治時代から近年までの、小説家・評論家など広義の「物書き」による、〆切にまつわるエッセイ・手紙・日記などを集めたアンソロジー。
     文章だけでなく一部はマンガもあり、藤子不二雄Aの『まんが道』や、長谷川町子の自伝エッセイマンガ『サザエさんうちあけ話』などの〆切エピソードが抜粋で収められている。

     ありそうでなかった本だし、企画としてもよい。種々雑多な〆切話を集めてくるだけでも大変だったろうから、編者の労を多としたい。装幀も凝っていて、ブックデザインとしても秀逸だ。

     だが、2400円もの値段に見合った価値があるかといえば、やや疑問。
     「これを〆切話に数えるのは無理やりすぎだろ」という文章がけっこうあって、それらは数合わせのために入れたとしか思えない。玉石混交度が高いのだ。
     収録する文章をもっと厳選し、ページ数も減らして価格を下げればよかったのに……。

     〆切をめぐる攻防は、物書きの舞台裏を語るにあたって最も面白いものの1つ。出版業界人の酒席で話が盛り上がる鉄板ネタでもあり、ここに収められていない面白い話がもっとたくさんあるように思う。

     たとえば、マンガ家の中でも遅筆で知られる江口寿史や平田弘史をめぐる話が、1つもない。文章系でも、小田嶋隆が自虐的に自分の遅筆ぶりを綴った初期のコラムがなかったりとか、わりと“抜け落ち感”がある(本人たちが収録を拒否したのかもしれないが)。

     ……と、ケチをつけてしまったが、玉石中の「玉」にあたる文章は大変面白い。
     たとえば、山口瞳が向田邦子の遅筆ぶりに触れたエッセイの、次のような一節。

    《「今月は大変なんです」
     と、編集者が言う。
    「井上ひさしがあるの?」
    「違います。向田邦子があるんです」
    「そりゃ大変だ」
     これは、売れっ子になってからの会話ではない。最初から、そうだった。これで作品がツマラナかったら一発でお払い箱になったろう。私はハラハラしながら見守っていた。》

     いちばんスゴイと思ったのは、高橋源一郎がエッセイの中で紹介している次のような話。

    《有名な某作家は、本当に切羽詰まった状態になり、編集者から矢のように催促の電話がかかってきてそのたびに「あと二時間待って」といい続けたそうである。うんざりした編集者が、どうせ二時間待っても書いてないに決まってるからと気をきかせて四時間待って電話をかけたら、その作家氏は「せっかく原稿を書いたのに、二時間たっても電話がかかってこなかったから、頭にきて破いちゃったよ。お前のせいだ」と文句をつけたそうだ。もう完全にやぶれかぶれである。》

     ううむ……。
     まあ、これは極端な例としても、昔の小説家には総じて社会的な力があったから、〆切を破っても許されたのだろう。

     私が知人の編集者から昔聞いた話を、1つ紹介する。
     〆切日に「先生、原稿はいかがでしょうか?」と電話をしたところ、とある高名な作家はこうのたまったそうである。
    「キミねえ、物書きってのは〆切が来てから書き始めるものなんだから、〆切日に原稿が上がっているわけがないだろう」

     本書には〆切を破らない稀有な作家たち(吉村昭、村上春樹、北杜夫、三島由紀夫など)の話も載っているが、「〆切を守る作家」が神のごとき存在として目立ってしまうのだから、オソロシイ世界だ。
     もっとも、本が売れないいまは、〆切を平気で破る作家はほとんどいなくなったらしい。そんな作家はすぐさま干される時代だからである。

  • 〆切に関して作家には「井上ひさし型」と「村上春樹型」がある。なーんて、今思いついたんだけど。このお二人はそれぞれ「遅筆→〆切破り(どころか結局書けないことも)」「〆切厳守←いつも早く原稿を渡す」ことで知られている。話として面白いのは、当然ながら圧倒的に前者だろう。

    本書には実に89人もの(たぶん。「著者紹介」で数えた)方の、〆切にまつわるエッセイやら葉書やらマンガやらが収録されているが、何と言っても〆切に苦しむ(または編集者として苦しめられる)話が多い。よくもまあ、これだけ集めたものよと感心してしまう。つらつらいいわけがましい文章が連ねてあったり、平身低頭していたり、なかには開き直っているような人もいて、気の毒なような、どこか滑稽なような。結構分厚い本だが、飽きることなく楽しんで読んだ。


    田山花袋
    なかなか書けないつらさを縷々述べた後に、ふと夜中などに興が湧いてきて筆が走るときの気持ちが綴られている。
    「筆が手と心と共に走る。そのうれしさ!その力強さ!またその楽しさ!」「心は昔の書生時代にかえって行っている。暗いランプの下で、髪の毛を長くして励んだ昔の時代に…。その時には文壇もなければ、T君もなければ、世間も何もない。唯、筆と紙と心とが一緒に動いていくばかりだ」
    ああ、本当にそうなのだろうなと思って、文学史でしか知らない作家に親しみを感じた。

    内田百閒
    百閒先生、やっぱり変人である。年の瀬を迎え、あちこちに支払いをしなければならないのに、金がない。原稿を書けばいいのだが、書けない。そこで先生、奥さんの一着きりのコートを質に入れたり、知人から金を借りようと東奔西走したりする(ここでタクシーを使うところがおかしい)。結局全然うまく行かないのだが、先生いわく「やっぱり原稿を書いたりなんかするよりは、こういう活動の方が、晴れ晴れとしていて、私の性に合うと思った」だと。まったくもう。

    野坂昭如
    原稿の〆切が集中している上に、テレビ出演やら対談やらいくつも重なり、どう考えてもムリだというときに、これはもう天の配剤としか言いようのないタイミングで事故に遭い骨折して、そのおかげで原稿が書けたことがあるという。しかも二度も。野坂氏、「怪我することを潜在的にのぞんであるのではないか」と我が身を顧みていて、まあ実に壮絶である。笑っちゃうけど。

    川端康成
    代表作とされる「禽獣」は、「編集者への義理からどうしても書かねばならぬ小説の〆切が明日に迫り」「やけ気味」で「書きなぐった」ものだと書いている。「編集者の私の作品に対する愛情が感じられ、その義理に追ひ迫られないと、絶対に書けぬといふ悪習が身にしみてゐた」とも。ノーベル賞作家にして、そうなのだなあ。

    山口瞳
    「なぜ?」と題されたこの一文は読んだことがあり、よく覚えている。著者が雑誌の編集者であった頃の、三島由紀夫の思い出が綴られている。三島由紀夫は「村上春樹型」だったらしい。淡々とした一文は、「私は、三島さんという人が好きだった。感じのいい人だった。」と結ばれているが、そこには言うに言われぬ複雑な思いが沈殿しているように思われる。こういう文章を久しく読んでいないなあと思った。

    森博嗣
    この方は「村上春樹型」の最右翼。タイトルはずばり「何故、締切にルーズなのか」。〆切に遅れることを当然のことのように考える出版界の「非常識ともいえる不合理さ」を「とんでもない悪習」として舌鋒鋭く批判している。「こんなビジネスが、ほかにあるだろうか」と言われれば、お説ごもっともで、まったくその通りなのだが…。〆切より早く書く作家はなんとなく軽んじられるということも、「村上春樹型」の複数の方が書いていて、それはまったくおかしな事だとは思う。思うのだが…。やっぱり単純な「ビジネス」じゃないってことでは。

    車谷長吉
    「村の鍛冶屋」と題したこの一文が一番心に残っている。子どもの頃、近所の鍛冶屋の前で「村の鍛冶屋」という唱歌を歌ったら、そこの親爺さんに「こらっ、糞ったれめが」と怒鳴られたそうだ。原稿が売れるようになってからの日々は、「鍛冶屋が絶えず耳もとで『村の鍛冶屋』を歌われているような、何か居たたまれない、生の中味が流出して行くような時間であった」と書かれている。「文学は私にとって『魂の記録』であっても、編輯者にとっては『商品』である。併し、長い間、出版社の人に原稿を売り続けて来たのは、私である」とも。〆切は「商品」となる原稿だからこそあるもの。割り切れなさはそこから来るのだろう。

  • 表紙から、発想にやられた!と思った。
    そして、読みたい欲に駆られる。

    作家のラインナップもさることながら、
    冒頭、白川静からか!ああ、もう負けました。

    「締め切り」というたった一日の約束事が、こんなにも多くのドラマを生み出すことの面白さ。
    ある者は高揚感に満ち溢れ、ある者はどこともなく徘徊を始め、ある者は哲学に入り始める。
    けれどまた、ああ、この作家は確かにこんな風に考えてそうだなぁという性格も垣間見えるから面白い。

    村上春樹が締め切りは(編集者の家族のためにも)守るという話にはなんだか大きく頷ける。
    反対に、川端康成が締め切り間際に半ばやけくそで書いた「禽獣」を、自身の代表作のように言われるのに不快を示すのは意外だった。

    作家を目指す者でなくとも、各々の持つ仕事には大体「締め切り」があると思う。
    冒頭では小学生の夏休みを例に挙げているけれど、まさに小学生からその魔の一日に抗いきれない生活をしている。

    「締め切り」が刻一刻と近づいてきた時の焦燥感と、それを過ぎたからってまぁ一日二日くらいはという我儘と、そんなものに私は縛られたくない!という開き直り。
    こうしたことの共感が切実に感じられ、癒される。
    そして、今日も締め切りを守ろうと心の中で呟ける一冊だった。

  • たかが〆切、されど〆切。
    それは今も昔も老いも若きも、もれなく苦しめ翻弄する魔法の言葉。

    明治から現在に至る「書き手」達の〆切に纏わるエッセイ、手紙の数々。
    時に季節のせいにし時に生まれ月のせいにしながら、人や物に当たり散らし不毛な嘘をつかせ、原因不明の頭痛腹痛発熱をもたらす。
    あの著名な作家も「堪忍してくれ給へ、どうしても書けないんだ」と編集者にご丁寧な手紙を書く。
    そんな時間があれば原稿を書け!と軽くツッコミたいところだ。
    著名な文豪達が〆切に追われ七転八倒している様子は読んでいて微笑ましい。
    あの名作もこの名作も苦労に苦労を重ねて生まれたものなのだ!

    今日は奇しくもうちの娘達の夏休み最終日=夏休みの宿題の〆切日。
    今年も何とか乗り切った、と安堵しながら今晩眠りにつきたいものである。

  • 装幀で一目惚れし、名だたる文士、文豪に惹かれました。

    内容は一目惚れ以上に惚れ惚れするもの。
    〆切に対する言い訳、恨み節が、素晴らしい表現で
    美しい文章なんです!
    教科書に出てくる人たちが、課題提出期日に悩んでる
    学生以上に悩んで、悪あがきしてたんだと知ると
    親しみを感じます。

    そして〆切側の編集者も負けていません。
    作者と編集者の強い絆、お互い尊敬がなければ
    成り立たない世界なのだと思いました。

    急に出てくる論文には、あまりの唐突さと毛色の違いに
    思わず吹いてしまいました。
    とても素晴らしい内容で、学生時代に知っていれば、
    この論文を使って宿題提出しない言い訳ができたかもしれない。

    本が好きな人に、是非お勧めしたい一冊です。

  • 作家さんの〆切りは、サラリーマンやセールスマンの期限、納期に該当するかな、で、誰にでも身に覚えがあるもの。
    間に合わない、出来ないといった苦しみや言い訳なんかを
    文章にして残せるのは、作家さんならでは。

    『〆切本』は笑ったり、身につまされたり、共感したりできる楽しい本です。久しぶりに本を一気に読みましたよ。
    でも、本や文章は時とともに埋もれてしまいがち、よくこれだけバラエティに掘り出してきてくれたもの。
    胡桃沢耕史さんや車谷長吉さんの文章は、この本で出会わなければ、ずっと、読んでみることはなかったかも。今、車谷さんの本が読みたいなぁって思ってます。

    私のこの一篇をあげると、高田宏さんの「喧嘩 雑誌編集者の立場」です。ぜひ、読んでみて欲しいです。ちょっと背筋が伸びる思いがしました。
    この本をどう面白く読めるかは、読み手の抽斗の中味しだいです。本好きと自負する人にオススメします。

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著者プロフィール

慶応3(1867)年、現在の新宿区生まれ。明治23(1890)年、帝国大学文科大学英文科に入学。明治28(1895)年から29(1896)年には『坊っちゃん』の舞台となった松山中学校で教鞭を執る。明治33(1900)年9月、イギリス留学出発。明治38(1905)年、『吾輩は猫である』を俳句雑誌「ホトトギス」に連載。明治40(1907)年、朝日新聞社に入社。以降、朝日新聞紙上に『三四郎』『それから』『こころ』などを連載。『明暗』が未完のまま、大正5(1916)年12月9日、胃潰瘍にて永眠。

「2018年 『道草』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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