説教したがる男たち

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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784865282085

作品紹介・あらすじ

相手が女性と見るや、講釈を垂れたがる男たち。
そんなオヤジたちがどこにでもいること自体が、
女性たちが強いられている沈黙、世界の圧倒的な不公正そのものだ。
今や辞書にも載っている「マンスプレイニング(manとexplainの合成語)」を世に広め、
#MeTooへと続く大きなうねりを準備するきっかけのひとつとなったソルニットの傑作、待望の邦訳!


女性は日々、戦争を経験している。
どんなに頑張っても、話すこともできず、自分のいうことを聞いてもらおうとすることさえ、ままならない。
ここはお前たちの居場所ではない。
男たちは根拠のない自信過剰で、そう女性を沈黙に追い込む。

ソルニット自身がその著者とも知らず、「今年出た、とても重要な本を知っているかね」と話しかけた男。
彼にそんな態度を取らせている背景には、男女のあいだの、世界の深い裂け目がある。
性暴力やドメスティック・バイオレンスは蔓延し、それでいて、加害者の圧倒的割合が男性であることには触れられない。
女性たちの口をつぐませ、ときに死に追いやる暴力の構造をあばき出し、
想像力と言葉を武器に、立ち上がる勇気を与える希望の書。

感想・レビュー・書評

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  • 「マンスプレイニング」について──レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』を中心に - まだ先行研究で消耗してるの?(2019-02-20)
    https://sakiya1989.hatenablog.com/entry/2019/02/20/215606

    「私は、被害者?加害者?」自分の中の、フェミニストvs名誉男性の闘い|コンサバ会社員、本を片手に越境する|梅津奏 - 幻冬舎plus
    https://www.gentosha.jp/article/22595/

    説教したがる男たち | 左右社 SAYUSHA
    https://sayusha.com/books/-/isbn9784865282085

  • ソルニット自身がその著者とも知らず、「今年出たばかりのマイブリッジ関連のとても重要な本をしってるかね」と、いくら同席者がそれが彼女の本だと割って入っても滔々と、どうもその本を読んでいなさそうなこの男の人が長話をまくし立てたというエピソードをきっかけに、最終的にはその挫折や徒労感、フラストレーションを、女性を対象とした暴力や殺人といった、より深刻な社会問題に、信頼に足るデータと歴史的事実の検証によって接続していきます。
    これらの、データに基づく女性に対する凄まじい暴力について、感想をかくことすら怖くなるような内容でした。
    私自身、このような男性の暴力性に殆ど触れたことがなく、また、ミソジニストたちがなぜそれほどまで女性に対して嫌悪、暴力を当然のものとして向けるのかがどうしても現実のものとして理解し難いものだったのですが、一方で日常的に「女のくせに」とか「女の腐ったやつ」とか、そういうことを言う人はいるなと思ったし、「結婚したくせに女は社会に、街に出たがるな、家に引っ込んどけ」「そんなんだと結婚出来ないよ」「早く結婚しなさい」とストレートには言わなくても思ってるんだな、と思わせる男性はいるよな、と感じ、ひょっとしたらその延長上には、自分の思い通りにならない女性に対する目も背けたくなるような暴力に繋がることもあるのかな、と思いました。

    マンスプレイニング

  • 本書で1番印象に残ったのが、「アメリカでは6.2分に一度レイプが起き、5人に1人の女性がレイプの経験を持つ。」という文言。
    ゾッとしました。アメリカ怖い‥。

    日本は家父長制で男尊女卑の印象でしたが、他国も大差がなく、むしろ日本はまだマシな方だなと思いました。

  • 想像していた内容と少し違った。
    女がどれだけ虐げられてきたのか、男がどれだけ愚かか、そのようなことを主張するのがフェミニズムなのだという勝手な思い込みがあった。女なのに。他人事のように考えられていたのはある意味では恵まれていたのかも。

    印象に残った箇所と個人的な解釈
    ・ネガティブケイパビリティ
    分からないことと共にあることが出来る能力
    →女性が主張し、権利を有する社会についていけない男たちに対して得体の知れないものも受け入れる寛容さが欠けているという批判?

    ・「解釈することは、対象を貧困化することである」→なるへそ〜

    ・アイラ・ビスタ事件の犯人も、まるで我々その他大勢とは完全に異質の人間だと強調するかのように、繰り返し「異常者」と呼ばれていた。
    →男には見えない、男による女への暴力

    ・感情の問題をアクション映画のようなやり方でしか解決できない
    →男性犯罪者の方が女性よりも多いよね

    ・「甕や箱の中に戻らないものとは、思想だ。」
    →なるほど〜

  • 凶悪殺陣事件を紹介していくラジオで、
    いつも被害者は女性、女児が圧倒的に多いことに悲しみをおぼえた。
    女性であるだけで生きていくことにリスクが生じるのは、遠い国だけの話じゃない。
    声を上げてくれた人々のおかげで、今は権利を主張することはできる世の中に変わりつつある。
    しかし、まだまだ未来に向けて解決すべき課題は山積している。

  • フェミニズムとは「女性も人間であるというラディカルな概念」
    何を当たり前のこと言ってるかと思う人もいそうだが、過去、女性には人権などなく独立した存在でもなかった。今でも人間扱いせず、女性に思考など必要ないと思ってる人も多くいると思う。
    当たり前だけど当たり前ではない。過去のさまざまな運動によって、少しずつ女性が人権を獲得出来てきている。

    読んでて重い気持ちになった。本書からは作者の静かな怒りを感じる。
    レイプ事件の話や、SNSでレイプ予告殺害予告の話が出るたびに男性を嫌いになりそうになる。もちろん全ての男性がそのような人ではないことはわかってる。
    女性も読んだ方が良いが、多くの男性に読んで欲しい。夜道を歩く時後ろに男性がいたら怖くなってしまうこと、きっと知らないだろうなと思う。世界ではこんなにも女性の人権を踏み躙る犯罪が起きている。

    内容はまあ良いけど、文章がかなり読みづらい。訳のせいなのかそもそもの書き方なのかわからないが、抽象的な表現や例え話が多すぎる。

  • 文科相の教育勅語の話題、熊本ののど飴の話題、その圧倒的なまでの配慮のなさは知性の欠如そのもので、女性というのは男性の付属品であるという前近代的な、稚拙な思い込みによるものでしかない。どうしてそんな風に人をコントロールしたがるのか理解に苦しむ。そんな中、予言していたかのように現代の知性を代表するレベッカ・ソルニットの新作「説教したがる男たち」が邦訳されたので、早速読んだ。切れ味鋭い語り口と、緻密なリサーチに裏打ちされた安心感こそソルニットの真骨頂なのだけど、本作でもそれが存分に発揮されている。
    本作の根底には「フェミニズム」が流れている。2010年代になってもまだ、男性優位の考え方が消えていないし、こと日本においては冒頭の二つの事件からしても後退すらしているように思える。ソルニットは圧倒的な知性をもってそれと戦う。そして我々が出来ることの一歩はソルニットの言葉を読み、その知性に一歩でも触れることだ。アホみたいな内閣の布陣を見ていると、がっかりしかしないが、それを成り立たせているのは「マンスプレイニング」(「男性は女性よりも知識が豊富である」あるいは「女性よりも多くのことを理解することができる」という全く根拠のない性差別)なものの見方が消えうせていないからでもある。男性主義的なもの独裁主義的なもの他人をコントロールしたがる征服主義的なもののカウンターとしてのフェミニズムを、説得力を持って遂行出来るのソルニットには信用がおける。
    私は女性ではないのだけれど、いまの日本のこの状況にはなにか非常に許されざるものとか危機感を感じていて、景気が上向いたとかそんなことどうでもよくて、このままだと何も考えない人たちで溢れかえりそうだから、皆が少しでも、知性のかけらをつかむような行動をとるようにしなければならないとおもうのだ。それは本を読むこととか演劇を観に行くとかアートを鑑賞にいくとかライブを観に行くとかそんなことから始まるはずだ。いつもの日常とは少し違う何かを感じ取ることから始まるはずだ。そして、この本はすべての男性に何かを気づかせてくれるはずだから必読なのである。

  • ここのところなんだか気になっていたのだが、他に読むものが多いし、値段のわりにはページ数がすくなく、コスパ低そうなので、先送りしていた。

    が、たまには違った本を読むのもいいかな、と思い、買ってみた。

    本をひらくと、行間や上下左右の余白が広く、「ページ数のわりには値段高い」感じは増幅されたものの、内容はかなり面白い。凝縮された内容がスピード感をもって語られていて、それがユーモラスだったり、知的だったり、詩的だったりということと両立しているのが不思議。

    結果して、内容の満足度からみるとコスパは高い。

    というか、個人的には好きなタイプだな〜。

    内容的には、「今日のフェミニズム」という感じかな?

    本のタイトルになっている冒頭のエッセイは、女とみると知的に一段低い存在とみていろいろ蘊蓄を語り始める男のエピソードからスタートして、これが今のレイプ・カルチャーな社会に繋がっているという話で、なるほどね〜、ああ、自分もそのカルチャーを維持することに貢献してるかも〜、と思った。

    未来は見えないし、ときどき逆行しているように思えることもあるけど、フェミニズムがこれまでに生み出してきた大きな社会変化を再認識し、前にすすんでいこう、これは女性だけじゃなくて、男性も解放する運動なんだという感じかな?

    個人的に一番感動したのは、ヴァージニア・ウルフの学会で発表された「ウルフの闇」。

    「未来は暗い。思うにそれが、未来にとって最良の形なのだ」という引用でエッセイは始まる。

    なるほどね〜。ここには、未来に対する決定論的な希望も絶望もない。不確実性を受け入れること。そのわけのわからない状態から生み出されているさまざまな可能性を祝福しているわけだ。

    次になにが起きるかわからないという希望。

    そして、この不確実性は、社会だけでなく、自己に対しても適用され、一つの「自己」という概念を揺さぶる。

    「自分のなかにいるたくさんの自分」を認めること。その不安定性に踏みとどまることからなにかが生み出される。

    「私たちはもはや自分自身ではなくなる。晴れた夕方の四時から六時くらいに家から外へ踏み出すとき、私たちは友人の知っている姿を脱ぎ捨て、無名のさまよい人たちの茫洋とした共和国に加わる」

    「自己というのはさまざまな姿を持ち、ほうぼうさまよい歩いているものだから、いっそのことしたいように任せて邪魔しないほうが、私たちは真に自分らしくいられるのではないか。日常生活で求められるのは統一性だ。便宜上、人は統合された自己をもたなくてはならないのだ」

    そうなんだよね。

    「統一的な自己を持たなければならない」みたいなディスコースに息苦しさを感じていた最近のわたしの思考とぴったりシンクロする本でした。

  • つかみになっているタイトルロールの小文こそ楽しめるが、後はいつもの「あるある」。我がニッポンが周回遅れの地獄すぎて、「男女差別は次第に解消されつつあるが」などといった欧米人著者の筆に素直にノリきれない。
    自分が差別迫害酷使搾取されていることにすら気づいていない女性が大半を占める日本では、ヴァージニア・ウルフや画家に想いを馳せる高尚なエッセイなどよりも、もっとストレートに女性をエンパワメントする泥くさい「怒り」の表出こそが必要なんである。
    (その意味で、本書の帯は評価できる)

    あえて言おう。
    私たち日本人は、本書に値しない。

    2018/9/22読了

  • 「ミスターインポータント」!
    女性なら誰もが出会う「蘊蓄オジサン」の話から始まり引き込まれて、あっという間に読み終えてしまった。
    こういった男性の上から目線は、笑い話では終われない多くの集団レイプや殺人と地続きだ。

    名付けの意義は大きいこと。
    「マンスプレイニング」
    「ドメスティックバイオレンス」
    「性的特権意識」
    「レイプカルチャー」
    言葉ができると、その概念が定着する。言葉がないと、そこにあっても見えないものだ。
    フェミニズムが行なってきた可視化=名付けの大切さを改めて実感できた。

    ひとつかみに言い当てる言葉あったらなと思う現象は日常にたくさんある。これまでも複雑で一言では言い難い現象を一掴みにできる言葉は、フェミニズムの世界だけでなく、見通しを良くしてきた。
    (撞着語法もその一つだろう。最近では「ツンデレ」という言葉が出てきて、視界が開けた気がしたものだ。)
    最近では、キーツの「ネガティヴケイパビリティ」もそうだろう。ごく最近知ったこの言葉が、ウルフの分析で登場したのは驚いた。ウルフが語ってきたことが、まさしく宙ぶらりんで耐えている深い思索だという分析は嬉しくもある。
    (でも言葉も使い古されるとその登場の新鮮さを失う。セクシャルハラスメントがセクハラと呼ばれたのは、人口に膾炙することの助けにはなったけれど、それがかえって言葉の価値をどんどん下げてしまうように。それは言葉の運命として仕方ないことだ)

    「ウルフの才能の一端は、このまるでわからないという感覚に、このネガティヴケイパビリティにあるように思える。」

    宙ぶらりんでいること。そこでとどまり続けることが希望の始まりだということだ。

    またウルフの

    「アイデンティティを統合することは、それ自体限定し、抑圧することにほかならず、彼女はそのように強いられることのない日常を求めている」
    「複数であること、単純化できないこと」「もっとたくさんのものになろうとする力にほかならないのだから」

    という考えは、まさしく平野啓一郎のいう「分人主義」的な発想だなとも。

    帚木蓬生や平野啓一郎がこれらを含む欧米の哲学的思考や言説からそれぞれの言葉を導き出してきたのだろうが、日本だけでなく、世界的に、混沌としたものを単純化せずにそのまま受け取ろうとする流れになりつつあるのだなあ。ウルフの再評価もその一つの流れなのかもしれない。
    二項対立を超えた、ポスト構造主義的な考えは、時代の要請でもあるということだ。

    1980年台にフェミニズムに逆風が吹いたが、
    グレーバーがいうように
    「革命とは一義的には単一の政体における権力の掌握ではなく、新しい思想や制度が生まれ、その影響が広がる複数の裂け目である」
    確かに、革命とは、今や目に見える権力闘争からもぎ取られるという形を取るのではなく、静かで確実なムーブメントなのだと思う。

    こんなことを思い出した。
    大学時代、学園祭のとある講演会に参加して、自分に起こるダブルバインドや、目の前の逆風を嘆いたら、講演の助言者の女性作家に「女性の革命は長い目で見なさい。確実に少しずつ静かに変化しているから焦らなくともよい」と慰めてもらったことがある。
    今まで何度もその言葉を思い出し、確かにそうだなと思い、多少の揺り戻しがあっても、俯瞰で見ることを覚えたのだった。

    複数の裂け目は確かにたくさん露出している。

    焦らず、したたかに、諦めず、強くありたいと思う。

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著者プロフィール

レベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit):1961年生まれ。作家、歴史家、アクティヴィスト。カリフォルニアに育ち、環境問題・人権・反戦などの政治運動に参加。アカデミズムに属さず、多岐にわたるテーマで執筆をつづける。主な著書に、『ウォークス歩くことの精神史』(左右社)、『オーウェルの薔薇』(岩波書店)がある。

「2023年 『暗闇のなかの希望 増補改訂版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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