芸人志願 お笑いタレントを目指すキミへ

  • 鉄人社 (2014年12月22日発売)
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本 ・本 (222ページ) / ISBN・EAN: 9784865370249

感想・レビュー・書評

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  • 一流芸人の言動や仕事に対する意識を通じて、どんな職業についていたとしても大切な、仕事に対する真摯な姿勢を、改めて意識させてくれた本。

  •  一番簡単な笑わせ方は、常識を裏切ること、つまり非常識を演じることです。
    「こんにちは」と挨拶をする時に、頭を横に傾けるだけで、笑いはとれます。
     それは、挨拶をする時には、前に頭を下がることが常識だからです。
     では、どうすればより多くの非常識を演じられるのか?
     答えは、より多くの常識を知ることしかありません。
     非常識というのは、常識の裏返しです。あれはやってもいいこと(常識)だから、こっちはやってはいけない(非常識)。両者は表裏一体です。
     従って、やっていいことをたくさん知っていれば、そのぶんやってはいけないこともたくさん知っていることになる。笑いのバリエーションも増えるというわけです。
     そして、ここで一つ言いたいのは、物事は一面的に見ない、ということ。
     言うまでもないことですが、常識は、決して唯一無二の正解ではありません。あなたにとっての常識が、他人にとっては非常識であることだって十分ありえます。
     にもかかわらず、自分の常識にこりかたまっていると、考え方が偏ってしまいます。結果として、笑えるものも笑えなくなるのです。
     いずれにせよ、お笑い芸人は、常識人でなければならないでしょう。
     もちろん聖人君子になれと言ってるわけでなく、少なくともネタを作る上では常識を持て、という意味です。

     話のつじつまは合っているか。
     これもよくある設定ですが、道見知らぬ男に声をかけられて、おかしなことを言われて困惑している青年。
     一番の疑問は「どうして逃げないの?」です。
     その場を離れられないなら、それだけの理由がないと、ただネタを進めるためだけに立ち止まっていることになります。
     どうしても、この道を通らないと帰らないのか?
     それほど急いでもいないので、少々かかわったっていいのか?
     正当な理由づけがないと、すぐに破綻してしまいます。
     友近さんにしていたダメ出しもここだけでした。
     例えば、ネイリストが、ネイルs論に来た女性を接客している設定だとして、その女性がその店に来る必然性はあるのか?
     いま接しているお客さんはどんな女性?
     身長は? 体重は? 美人? 年齢は? 服装は? 髪型は? 金持ち?
     こうした細部を作り手が全て決めて演じていれば、その視線や表情などから、お客さんには、実際にはいない登場人物が見えてくるのです。
     繰り返しますが、コントを作る場合は、必然性をよく考えることです。
     また、読者の皆さんが、テレビや舞台でコントをご覧いなる際には、「つじつまは合ってるの?」」と思ってご覧になれば、よりそのコントの精度がわかっておもしろさも増すと思います。

     これも授業でちょくちょく見かけるネタですが、ボケが「行きつけのコンビニの店員に告白するラブレターを書いてきたから聞いてほしいねん」とポケットからノートを破りとったような汚い手紙を出します。
     告白するラブレターなのに、そんな汚い手紙でいいの? と思いますが、なぜかツッコミはそこにはふれず、「ええよ」と話にのっていきます。
     この時点でアウトです!
     少なくとも「汚い手紙やな!?」「なんに書いてんねん!?」とツッコミを入れれば、「これは下書きやがな」とか「ほんならどんなんに書いたらええねん?」とか「これでも前よりはきれいけど…」とか、次にボケやすい展開がいくらでも作れるのに、無視して話を進めようとするコンビがほとんどです。
    『ラブレター』というなら、かわいい封筒からおそろいの便箋を出すぐらいのことをしなければネタとして成立しません。
     そして、その封筒が大き過ぎたり、小さ過ぎたり、おかしな模様だったりすれば、それだけでボケに使えます。
     こういうネタを見るにつけ、常に笑いをとってやろうという気落ちがあるのかな? と疑わしくなります。
     さらに、ボケがおかしなことを読んでも、ツッコミが持っている手紙を見ようとはしません。どうして?
    「ほんまに、そんなこと書いたんか?」とか「何書いてんねん?」とかツッコミながら手紙を覗きこむとか、奪い取る方が自然じゃないですか?
     物を使うなら、使うだけの意味を考えて作ってほしいと思います。

     健ちゃんのツッコミがなかなか上達しなかった時に、上岡龍太郎さんとお話しさせていただく機会があり、雅君と二人、相談すると、
    「健がなんぼツッコミのセリフを言おうが、雅がボケをやめへんかったらええんや。止まられへんようなツッコミで止まるから無理が出る、ウソになる。客が笑わんの悪循環になんねん。僕が漫画トリオ時代に、舞台でノックさんにツッコミのセリフを言うても、ノックさんが止まらへんねん。ボケやめへん。<とうとうおっさん壊れたか?>と思てたら、お客さんにわからんように、マイクにも声が入らんように、ニコニコしながら、「僕の耳元で『そんなツッコミで止まれるかえ!』て言うねん。それで、大きな声で、突き飛ばすように『いつまでやっとんねん』てツッコミ入れたら、そこでやっと、ボケを止めてくれたことがあったよ」

     野球の野村克也氏の言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議な負けなし」との名言があります。
     勝ちゲームには、幸運が重なったり、理屈だけでは片付けられない勝ち方もあるけれど、負けゲームは必ず負けるだけの理由がある。
     漫才もコントも、同じことが言えます。
     私自身、受けない、笑ってもらえない時には、必ず理由があるということに、『十番勝負』を通して、気付かせてもらいました。
     それ以来、「このセリフが長過ぎてボケまで間延びした」「フリの言葉が足らなくてお客さんは十分に理解していなかった」と分析できるようになりましたが、私が現在、売れる芸人の大きなポイントに「自分たちのネタを客観的に分析できる力」を挙げる理由はここにあります。
    〝なんかわからんけどよう受けた〟では、次に受ける補償はありませんし、おもしろいネタを継続して作ってはいけません。

     当時、劇場では受けるようになってきたものの、なかなかテレビから声がかからず、悩んでいた時に、桂文珍さんと月亭八方さんから、同じような意味の言葉を頂きました。お二人の言葉をミックスすると、次のようになります(雰囲気を出すために、あえてしゃべり言葉で記します)。
    「全力で走り! 走るのに疲れたら歩き。歩くのにもしんどなったら、止まったらええ。立ってるのがつらければ座り。それでもつらかったら横になり。
     でもそこで寝てしもたら終わり。片目だけでもええから開けて、しっかり前を見続けてたら、必ず誰かが観ててくれてる」
     胸に響きました。ありがとうございました。

  • こういう本を読んで思うけど、意外とこの類の本って少ない。一人ひとりのドラマがあるという意味では、もっと光を当てられてもいいと個人的には思いますが。

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